オーキング
07. 1.22
ウオーキング(千葉/庚塚古墳群) <東年協/健歩クラブ・イベント>
行程
庚塚古墳のひとつ
日時:1月  17日(水)8時33分~12時00分(14時30分)
コース(予定):京成上野駅・・・京成津田沼・・・大森台駅(9:45)→仁戸名市民の森・庚塚古墳群→大巌寺→斥候(ものみ)の松跡→生実(おゆみ)池→重俊院→生実神社→学園前駅・・・埋蔵文化財センター→八剣神社→大百(おおど)池公園→おゆみの道(有吉公園/泉谷公園)→JR鎌取駅(約9km)
青色は予定のコース

はじめに
前日の天気予報は、雨が降ってもパラパラと告げていた。パラパラくらいなら大丈夫だろう、それよりも朝の早いのが 大変だと私の神経はそちらばかり気にしていた。
なにせ京成上野駅に8時25分集合となっている。
現地は千葉市のさらに南、大森台という駅、もちろん初めてのところだ。
前夜は楽して(・・・つまり朝遅く出て、電車の乗換が少なくて、座って・・・)行く方法はないものかと研究?に余念がなかった。

不忍池の水鳥
京成上野に行くには例によって新宿経由、山の手線を避けて千代田線直通の多摩急行に乗り湯島駅から行くことにした。8時25分に着くにはどうしても6時49分多摩センター発に乗らねばならない。
京成上野駅で待ち合わせるということは、そこでオーバーヘッドが加わる。
現地に直行することを検討する。
7時15分多摩センター発の都営新宿線直通で本八幡まで、京成八幡駅まで歩いて京成線に乗れば真っ直ぐ9時38分に大森台に着ける。

駅構内図を調べてみたものの 、京成八幡への乗換時間がどの位かかるか分らないこと、慣れない京成線での乗換に手間取る恐れあり、都営新宿線とはいえこの時間は始発でないので座れないことが予想できる。始発は6時50分、ならば集合場所の京成上野に向おう。
私は家を出かける2時間前には起床しなければ気がすまない、朝食、後片付けなどの家事を含めそれくらい必要なのだ。当日朝4時半起床、以後スケジュールどおりである。 小田急線の中では夢の中、前回この電車に乗ったときはもう少し遅い時間帯、霞ヶ関でゾロゾロと通勤客が下車した。今回は日比谷、大手町でゾロゾロ、”ああ、やはり民間人は官庁人に比べ、朝が早いんだ”。

京成上野
家を出た時はあたりは真っ暗だったが、目的の湯島駅から地上に出た時は8時前、曇っているが明るくなっていた。
不忍池の水鳥に挨拶をし、寄り道をしたが 京成上野駅まで10分足らず、改札口には参加者が数人集まっていた。
雨の中隊列調整!  <仁戸名市民の森>
スケジュールでは8時33分の特急に乗ることになっていたが、入場してしまった。
ホームに入った参加者十数人は成田空港行きの8時25分発の特急に乗った、車内はガラガラに空いている。それでもメンバーはあちこちにグループをつくり席をとる。私も名前は知らないが男性の隣に座った、通路を隔てた前の席には3人の男性、少し離れた右の方に女性が3人座っている。
最近のニュースなどを話題に前の席を含め数人でワイワイがやがや。
電車は高砂を通り過ぎた、駅名を聞いて昨年9月には柴又を訪れたことを思い出す。
しばらくすると、右の方に座っていたメンバーの女性のケータイが鳴った。

「なに!中止?」

車中にて・・・
どうやらケータイの相手は今日のウオーキングのリーダーのMさんらしい。現地の大森台駅にいるようだが、雨がそうとう降っている。
「もう電車に乗っちゃったんだよ」
窓の外を見るが、雨が降っているようには見えない。現地で大雨が降っているということが信じられないようである。
私もケータイで「東京アメッシュ」を見てみる。これは降雨量を地図上に表した東京都下水道局のサイトで10分毎に更新される。たしかに神奈川県、千葉県の南部は真っ赤な表示、つまり相当量の降雨があったことを示している。
大巌寺
しばらく現地と話し合いが続いていたが、現地まで行くということになった。
私も今朝は4時半に起床したのである、このまま中止となり引き返すのでは、この努力が実らない。せめて大森台駅から少し歩いて資料館などがあれば行ってみたいと考えていた。

電車は津田沼に着いた、日常乗りなれていない電車にはまごつく。みなさんゾロゾロと隣に止っている「うすい行き」の電車に乗った。私もどうも違うようだと思いながらもつられて乗り、車内の路線図を見る。「うすい」は本線、成田の方だ。私は声をかけてその車両からでた。
ヤバイとんでもない所へいきかけた。
誰かがホームの時刻表を見ていたが、「6番線だよ」と言って階段の方に向った。私はこのホームでいいはずだと思っていたが自信があるわけではない。
私はそのホームに止っていた千葉中央行きの電車の車掌さんに問いかける。 言い出した人は「6番線と書いてあった」という。車掌さんも電車を降りて時刻表のところまで見に来てくれる。
たしかに発車時刻の下に「6」という数字が見える。車掌さんも一瞬戸惑った。
よく見るとその数字は車両の編成数、つまり6両編成だということが分った。
ああ、親切な車掌さん。ああ、おっちょこちょいのオッサン。
6両編成の各駅停車に皆さん無事に乗ることが出来た。

ようやくスタート、そして古墳群へ
9時18分、大森台駅に着いた。改札を出る前のコンコースで先遣隊と落ち合う、窓の外は雨がかなりひどく降っている。
中止を宣言した人と参加者の中で口角泡を飛ばし話し合いがなされていたのはもちろんである。

斥候(ものみ)の松跡
次の電車の到着10時5分を待ってウオーキング決行と決まったようだ。
コートのフードを取り付ける人、傘を準備する人、本日の参加者は38名。
雨の中大森台駅をようやくスタート、10時半を過ぎていた。駅前にはお店も見当たらない、道路に続き住宅が並んでいる、ここはいわゆるベッドタウンらしい。

駅前を走る少し上り坂の道路を歩いて住宅街の細い道に曲がり、 住宅の並んだ小道を幾たびかまがり坂を下った。木立が見え森の中にはいる。「仁戸名市民の森」という緑地である、ひと一人が歩けるくらいの遊歩道が続く。この森の一画に庚塚古墳群があるらしい。 千葉市による大きな説明板が二つ立っていた。
一つには”この市民の森はある個人の方が平成14年に亡くなり14万平方メートルという自宅、森を市に寄贈された”そうである。
もう一つには古墳について記されている。それによると
3世紀から7世紀を「古墳時代」と呼び、全国には約20万基、千葉県内にも8500基が確認されている。千葉県に存在するものでも前方後方墳(君津市道祖神裏古墳)、前方後円墳(君津市内裏塚古墳)、円墳(千葉市石神2号分)、方墳(栄町岩屋古墳)などがある。
ここ庚塚古墳は円墳だそうだ。

大巌寺から生実(おゆみ)池へ
生実(おゆみ)池へ
古墳群を抜けると、県道らしい車が通れる道へ出た。しかしまわりは畑、畑・・・。今日のテーマは「里山を歩く」だと。たしかに小高い丘の上を歩いている、やがて下り坂になる。ときたま小型車がウオーカーを避けて走っていく。やがて信号のある交差点をわたり道は上り坂になる。雨は変わりもせずシトシトと降っている。
バスの通る道に出て大きな山門のお寺が見えてきた。浄土宗龍澤山大巌寺という。
しかし残念ながら、立派な山門から入ることが出来なかった。”葷酒山門に入るを許さず”、ニラ、ネギを食べたわけではなく門は閉じられていて、脇の通路から入った。
大巌寺の由緒には、天文二十年(1551)、生実城主・原式部□□を開基として・・・、古刹である。灯籠には「寛延四年、勢州長島城主 従五位下増山對馬守藤原正四順」と刻まれている。ここの町名にはお寺の名前が付けられている。

坂を上りS大学の近くのコンビニの前を左折し住宅の並んだ狭い道を車を避けながらしばらく進むと 、住宅に挟まれた場所に「斥候(ものみ)の松」という千葉県指定の天然記念物がある。
そこには石塔らしいものが並んで見える。この松は武将の兵が登って斥候したらしい。松は昭和55年に枯れて伐倒されたそうだ。
雨の中そばによって見る気は萎えてしまった。
重俊院、山門の位置に注意
ここは京葉道路とJR外房線が交差するあたり、外房線に沿ってしばらく歩いたあと踏み切りを越え南に向う、左手に溜池のようなものが見えてきた。「生実(おゆみ)の池」という。
池は二つに分かれ間には車も通れるほどの道がある。その道を通って対岸へ、そして南側の池の東岸の遊歩道を歩く。左手には重俊院という寺の霊園がある。

重俊院、生実神社から学園前駅へ
重俊院は広い道路に面した奥行きのある古刹のようだ。山門はなぜか参道から少しずれた位置に建っていた。本堂はかなり遠くに見え、雨のなかそこまで行く気になれなかった。

雨は止みそうになく、リーダーは途中でウオーキングの予定を変更し京成線の学園前駅に向かうことになり道路を東に進んだ。しかし下見を行ったとはいえ、途中で中止という事態は想定外だったのだろう。 学園前駅の位置までは未確認のようだ。GSの人や、自転車に乗った人に尋ねながら進む。ご苦労様。

生実(おゆみ)神社
土地不案内の者にとって都合が悪いことに、このあたりの電車の線路は掘割になっていて電車や給電塔が見えない。この広い道路を進めば京成電鉄・千葉線とクロスするのは間違いないらしい。ついでながら、昔の地図を見るとこの路線は千葉急行電鉄となっていた。
道路の左側にこんもりとした森が見える。私は何かの神社だろうと思っていると、道路沿いに道祖神が並びさらに生実(おゆみ)神社が鎮座している。また「北小弓城大手口」と記された石標がたっている。
生実は小弓からきているらしい。

このあたりに北小弓城(生実城)があり、さらに南に小弓城があったという。武将森川出羽守重俊が生実城に陣屋を築き明治の廃藩置県まで続いたという。先ほどのお寺、重俊院の名はこの人物からきているのだろう。遠いむかしむかしの兵どもの物語のことだろう。
ウオーカーは足取りも重いがさらに東へとむかう、再びリーダーが駅の場所を尋ねる。「向うの三角屋根が駅ですよ」の声に先が見えたためかいくぶん足が軽く感じられる。
道路を曲がると学園にふさわしい瀟洒な駅の建物が目に入ってきた。
改札口の手前で解散。 時刻は正午少し前、上りの電車は12時5分となっていた。
昼食は未だだが私はその電車に乗り京成八幡駅経由都営新宿線に乗るべく急いだ。

都営新宿線で帰路に着く
この駅から京成八幡直通の電車はない、京成津田沼で乗り換えなければならない、雨はもう上がっているようだ。
八幡駅で都営線への乗換え は地下鉄への入り口まで曲がりくねっていた、その先も少し長い通路があった。
朝ここを経由していたら時間通りに着いていなかったかも知れない。そう思いながら長い通路を急ぐ。
新宿は急行で29分と大きな文字で書かれていた。幸い13時3分初、橋本行きの急行が待っていた。
電車は1両に4~5人しか乗っていなかった。用意しておいた昼食をほおばる。
あとは夢の中、途中新宿で目が覚める、13時32分。多摩センター14時6分、定刻どおり。
本日の歩行距離13.5km、17647歩。雨に降られたが満足であった。阿無法比。


ウオーキング