オーキング
07. 1.29
ウオーキング(真福寺・野山北公園) <東年協/健歩クラブ・イベント>
行程
モノレール、北のターミナル上北台
日時:1月  22日(月)10時~13時50分
コース:多摩モノレール・上北台駅→空堀川・神明橋→真福寺→番太池→東京水道(御岳・赤堀・横田トンネル)→野山北公園→滝の入不動尊→長円寺→長円寺バス停(約6km)

スタートし空堀川へ
今日の参加者は36名!。

本日は、前回より若干少ない、 朝方まで雨が降っていたせいかもしれない。
起床したときは雨が降っていたが出かけるときは止んでいた。遠方の人は雨で中止と思ったのかもしれない。
現地で降雨であれば中止かもしれないと思いつつ、そのときはコースをひとりで回ってみようと思いながら8時40分に家を出た。私にとって今日の現地駅はモノレール一本で行ける。
およそ30分でモノレールの北端・上北台駅に着く、二つ手前の玉川上水駅まではたびたび来たことがあるがその先は初めてだ。

スタート遅しと待つ参加者
駅には参加者が十数人見える。先週の千葉での雨中ウオーキングの話が出ている。
「中止すべきだった・・・」、 板ばさみになった人もいる。
さて今日は少し青空も見えてきた、幸運を祈ろう。
リーダーの本日のコースについて解説が終わると出発。
新青梅街道の信号を渡り左折し西の方角へ進む、私は後ろから5、6人くらいの位置にいた。先日の千葉ウオーキングのリーダーのMさんが最後尾で旗を持っている、私はそのときのお礼を言いながら、振り返ってみると3人ほど渡りきれていなかった。先頭の方へ走って一時停止してもらう。

新青梅街道から北西に斜めに向っている道に入る、しばらくすると空堀川にでる。
最近の川は洪水を防ぐためにみんなコンクリートで固められている、かわいそうに。
似たような名前で残堀川というのもある、もう少し南を走り、玉川上水と交差し昭和記念公園の中を流れている。 川の名前が面白い、城郭の空堀に水が溜まり流れ出ていったのだろうか。
W酒造  見学・試飲なし!
では残堀川は、空堀の残ったところが川になったのだろうか、なぁ~んて。しかしこの川が上水と交差しているのはスゴイ。川がもうひとつの川の下をくぐるのである。

真福寺へ
空堀川の北側の大曲新道とい道を歩くのだが、茶畑のまわりに上部にファンをつけた鉄柱が幾本も立っていた。
無風状態になると放射冷却現象で温度が下がるので空気流を起こすのだそうだ。
いままで茶畑は何度も見たが このような設備には気がつかなかった。
「このお茶も狭山茶なんだろうか」
大曲という交差点で大きな道を北に向かい、またすぐ小道に左折する。
この大きな道、青梅街道は東大和市で新青梅街道を越えて大きく北に蛇行し、ここで南下している。

細い道に左折した角に酒造があり、大きな酒蔵がたっている。今日は見学はないようだが、別のウオーキングでは試飲も出来るようだ。

住宅が並んでいる狭い道を再び北に向かいやや上り坂になる、リーダーに言わせると「ここが本日唯一の登り坂だ」。
真福寺のシダレザクラ・春であれば・・・
真福寺というお寺の石標が立っているところに来た。シダレザクラが数本柳のように枝を垂れている。時季になれば人であふれるのかも知れない。
龍華山清浄光院真福寺(りゅうげさんしょうじょうこういん)というのが正式な名前だそうだ。奈良時代和銅三年(710)、行基によって創建され、その後、承久二年(1220)に落雷によって焼失したと伝えられる古刹。
正応三年(1290)に、龍性(瀧性)法師によって中興開山された。
現在の本堂は安永七年(1778)の建立で本尊は薬師如来、板戸の十六羅漢画や格天井花鳥画(市指定有形文化財)は、天保十年の頃青梅の人石川文松 によって描かれたもの。江戸時代の建立とされている山門には寛永十五年(1638)鋳造の梵鐘市指定有形文化財)が収められている。
観音堂も江戸時代の建立と伝えられ、狭山二十番札所で、江戸時代の中頃から奉納され始めた百体観音が安置されている。
そうだ。
では鐘楼にある梵鐘は普段使用するものだろうか。境内にはよく手入れの行き届いた松の植木があり、一番下の枝は3mくらい横に伸び棚が作られている。カメラを持った人たちはどのアングルから撮れば枝振りがおさめられるか動きまわっている。

番太池から3つのトンネルを
赤堀トンネル・近くには住宅・・・
真福寺での休憩が終り再び山門を出て西北の方に向け新しい住宅の間を進む。
余談になるが、私は帰宅後、”変化の乏しい道を歩いていてどういう景色だったか”振り返っても思い出せないのである。
誰でも同じかもしれない、加齢によるのだろうか。
インプットされた情報が記憶装置にたどり着かないうちに消滅してしまうのかもしれない。なんでもない風景でもデジカメにおさめることにしている。

ゆるやかな上り坂の道は雑木林の中へ続いている、右手に金網に囲まれた池がある。リーダーはここで休憩を宣言した。 尋ねてみるとこれが「番太池」だそうである。
事前に番太池と聞いたとき土手に囲まれた丸い形をし、土手の上では釣り糸をたらしているそんな光景を想像していたが、実物は護岸のためコンクリートで固められ周りは金網が張り巡らされていた。
池というより貯水槽ではないか、そんな風にしか見えない。「第1X貯水池」とでも名前を付けてくれれば、余計な期待もしないのに・・・。
これが管理社会の現実である。

ここは谷合らしく 遠くには雑木林の山が見える、池に並行して金網に囲まれた遊歩道が続いている、この先にトンネルが3つ続いてるという。
このトンネルは現在では自転車道として利用されているが、昭和のはじめ 通称「羽村山口軽便鉄道」と呼ばれ、村山貯水池などのダム建設用の砂利運搬を目的に東京都水道局が作ったそうだ。
番太池の方から御岳トンネル、赤堀トンネル、横田トンネルと続いている、トンネルの間には写真のように住宅も見える。
番太池の北東側、多摩湖に向かうところにもう一つ赤坂トンネルがある。 その先は水道施設であり立ち入り禁止だそうだ。
ついでに余談を。この軽便鉄道の跡が現在は野山北公園自転車道として利用されている。西の羽村市では神明緑道として利用されている、残念ながら間の横田基地、米軍ハウスは通れない。

野山北公園
野山北公園のプール
3つ目の横田トンネルを抜けるとダンプカーなどが行き来している広い道路に出てきた。この道路は青梅街道から北上し多摩湖、狭山湖の間を通り西武球場の近くへ行っているらしい。
その道を越え旧道らしい所を北に入るり「七所神社」に立ち寄る。
七所というから七ヶ所の神々を祀っているのかと思う、それにしては広くない。入り口の民家の庭でロウバイがひっそりと咲いている。
神社の周りを通る、遊具があり幼稚園かと思ったが野山公園と記されている。

まもなく武蔵村山市の施設「かたくりの湯」の看板が見えた。続いて野山北公園も。
駐車場、プール、グランド、釣堀などがみえる。
時刻は12時すこし前、1時間の昼食タイムである、みなさん山の斜面に陽の当たるベンチを探している。先ほどのかたくりの湯のレストランに出かけた人もいる。
私も顔見知りとベンチに腰を下ろしてコンビニで求めたものを頬張る。幸い風もなく陽射しがあり、鄙びた谷合や池を眺めながらゆったりとした気分にひたれ至福のときを過ごす。
私は食事を手早く済ませ、今まで背にしていた丘に登ってみる。遊歩道が整備され雑木林がどこまでも続いている。
ここは三多摩ではあるが、地形的には狭山丘陵に属するようだ、私の住んでいる多摩丘陵との間に多摩川低地、立川段丘、武蔵野段丘がある。
そうだ!今歩いているところは狭山丘陵なんだ、あらためて思う。
公園内のひょうたん池
自然林の中の遊歩道はいくつかの曲がり道や、クロスした道が作られて散策するには格好の場所である。集合時間まであと15分、Uターンし先ほどの斜面を下り、反対側の坂を登ってみる。こちらも自然の中に遊歩道が続いている。

狭山丘陵を歩いて長円寺、解散
12時45分、休憩時間が終り池の先にある広場に集合。私が最後に登った坂に向かって歩き出した。高齢の方には少々キツイ階段かもしれない。坂の上を南西方向に伸びたゆるやかな勾配の遊歩道を上る。すっかり落ちてしまった枯葉の上をサクサクと音を立てながら踏みしめる。まわりは幹と枝ばかりの雑木林がどこまでも囲っている。この時間になると青一色が天空を覆い、陽射しも優しい。
私は先頭グループをリーダーたちと話しながら歩いている、 しばらくあるいているとリーダーが「あっ、坂があったよ、この坂は憶えてないなぁ」。やはりアップダウンを気にしながらコース設定しているようだ。しかしまもなく急な階段の下り坂となった。下りの方が気をつけなければと思うが・・・。
指差した雑木林の先に紅いお堂や白い石仏らしいのが見える。滝の入り不動尊というそうだ。

長円寺・本堂
出発前にリーダーの説明によれば「不動尊の裏側に第二の天の岩戸と呼ばれている、鍵のかかったガラス戸の向うには瀧の水音がする」そうである。
この不動尊は開山が昭和30年。まあ新興宗教に近いようだ、門徒を集めるためにいろんな仕掛けが施されているように思える。そう思うと興ざめしてくる。
その前の谷戸は段々畑のようになっているが畑ではなく一段一段に窪みがあり、数段続いている。段から次の段への導水路のようなものが造られている。聞くところによれば急な出水をこの窪みで貯水し下段への水流を調節しているという。
昔の人の生活の智慧というのだろう。

坂を下って歩いていると左手にお寺の屋根が見えてきた、今日最後に訪れる長円寺である。
山門脇に馬頭観音菩薩の石塔が立っている、また葷酒山門に入るを許さずの石標もみえる。
本堂の脇の奥に「地頭大河内氏墓」と記されて市指定の旧跡がある。大河内家菩提所が長円寺だそうだ。家康以来の旗本でこの地を支配していたという。ここに三代、五代の墓石が向いあっていた。

長円寺の参道を抜けると青梅街道で近くに立川バス、都営バスの停留所があり、それぞれ立川方面、小平方面へと分散乗車。
私は立川行きのバスに乗った、武蔵村山市役所の南、新青梅街道を越えたところに「三本榎」というバス停があった。振り向くと布で覆われ保護されている古木が3本見えた、榎なのだろう。榎は江戸時代に街道の一里塚に植えられたとそうだ。昔の人の足跡を見るとうれしくなる。阿無法比


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