ウオーキング
07. 2. 12
ウオーキング(大栗川・大塚公園)
<東年協/健歩クラブ・イベント>
行程
日時:2月 5日(月)10時30分~14時
コース:京王相模原線・京王堀之内駅→大栗川→洗馬川橋→常盤橋→大塚公園→伊勢参り遊歩道→東中野公園→大塚西公園→松が谷さんぽ道→山王下緑道→乞田川緑道→京王多摩センター駅(約6.5km)
はじめに
京王堀之内駅前で
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今日のウオーキングは、なんと我が地元。いつも歩いているところである。
いつもウオーキングしている公園で弁当を食べる。
さて、困った!。
このページが埋まるか心配なのである。いつも見ている景色は、感動をおぼえないものである。おそらく脳も刺激が得られず眠ったままなのであろう。
そこで秘策(?)は
① 自分の目、脳をリセットし写真を撮ることが出来るか。
(見慣れている景色にはカメラを向けようともしないものである)
② よその街から来たウオーカーがこの町をどう見ているか観察する。
なぁ~んて思いながら参加した。さてどうなりますか。
その前にもうひとつ、いつもウオーキングしていると言っても、くまなく歩いているわけではない。
「伊勢参り遊歩道」がどこにあるか1週間前まで知らなかった。その起点・終点がつながっている道は歩いているのだが、その遊歩道には足を踏み入れたことがなかった。
大塚西公園の紅梅を見に町内の人と出かけたとき、そこを通り「伊勢参り遊歩道」と記された碑を見つけたのだ。
大栗川へ
早くもひと休み
<番場公園>
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さてウオーキングの当日、35分くらい歩いて駅には9時45分頃着いた。
10時24分着の電車を待って、集合、点呼。本日の参加者64名!。
オオなんと元気な方ばかりであろう。
遠くさいたま市、千葉、都内からも参加されている、もっとも若い(?)私が最も近い所からの参加のようだ。
京王堀之内駅は我が家から普通に歩いて40分の距離である、大塚公園は少し方角がちがうが途中にある。
お昼まで1時間少々をどうやって過ごすのだろうか。
11時前にスタート。駅前の広い道を東に向かい左折し多摩ニュータウン通りを越えて大栗川に出る。
川の南岸の遊歩道を東へ、新道橋を渡りここらのさんぽ道は右手のマンションの陰で少々冷える。
私の住んでいるところもそうだが、ここにも「日向」、「日影」という字があったようだ。
川の北岸は日向、南岸を日影と呼んだ。北岸は丘の南斜面で日当たりがいい、南岸はその逆となる。
日影といえば、あまりいい印象を与えないが、昔の人はそういう事実を特に荒立てることなく受け止めていたのだろう。
まもなく番場公園。早くもひと休み、それとも時間調整か。番場橋の通りを越えて次の橋「洗馬川橋」(せばがわばし)を通って大栗川の北岸へ。
この橋の南岸に梅の木が整然と並んでいるところがある、昔の人は梅の実を採るためにこうやって梅の木を植えたのだろう。
私は勝手に「洗馬川橋梅園」と名づけて開花を待っている。今はまだ早い。
洗馬川橋をわたって・・・大塚公園へ
早めの昼食
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名前から想像すれば、昔の農家の人がこのあたりで農作業のあと一緒に働いた馬の背中に川の水を汲んで洗ってやっていたのだろう、と。
住まいの近く、今はそう呼ばれることはないが塩釜谷戸に馬場の碑が立っている、農耕の合間に競馬をしたとか。馬と人間の関わりは深い、馬頭観音はその表れだろう。
さてウオーキングは大栗川を離れさらに右折し新しい住宅が並ぶ道に入っていく。
最近このあたりを通ると空き地に小ぎれいな家がつぎからつぎへと建っている。世の中の景気は上向いているらしい。
やがて掘割の小さな川が見えてきたその脇、ひとりがようやく歩ける小道に入る。
ウオーキングのリーダーがこういう道を設定するらしいが、よくマア見つけるものだと感心する。
私は小道の左手の掘割は大栗川が昔蛇行していたときの名残りではないかと思っている。小道は大栗川の遊歩道に合流。ここでひと休み(時間調整だな)。
常盤橋(よく通る橋であるが名前を知らなかった)を渡り、幅の狭い生活道路を大塚公園に向う。途中道が分かれるところに庚申塔などが立っている。大塚公園と刻まれた石柱の立っているところから入る。坂を上がったところに斜面の広場があり、ここで昼食と宣言される。11時30分過ぎ。
「ベンチは散らばっているが90人分くらいあります」と、マアよく調べたものである。
藤棚の下のベンチで昼食後、新たな視点で見てまわる。しかし見慣れた景色にはカメラを向けようとしない。
困った困った。
MQさんを誘って公園内の散策路を歩く、バード・サンクチュアリ、縄文住居跡などを指差しながらフィールドの側を通って集合場所へ向った。
午後は伊勢参り遊歩道から・・・
大塚西公園の紅梅 満開!
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午後は、大塚公園から南の松が谷のテラスハウスの間を通る「伊勢参り遊歩道」の緩やかなのぼり道からはじまる。
カーブした遊歩道の先に松が谷さんぽ道があり、その先に大塚西公園がある。少し高台にある紅梅はほぼ満開である。ここでひと休み。
松が谷さんぽ道を東に行けばモノレールの松が谷駅があり、さらに陸橋を渡れば大塚東公園がある。
私は伊勢参り遊歩道の存在を知って名前の由来を知りたいと思うが、素人にはなかなか難しい。
このニュータウンはおよそ40年前、山を削り谷を埋めて宅地をつくった。アニメの「平成狸合戦」は多摩ニュータウンのい開発が題材になっている。
開発される前は伊勢参り道というのがあったのかもしれない。
”大塚西公園から東中野公園を経て松が谷遊歩道・・・どういうコース設定しているのだろうか”同じ道を通ることになるのでは、なんて思ったりした。
大塚西公園の紅梅は満開に近い、目を心を和ませてくれる。今年最初に見たのが1月9日だからもう1ヶ月も
咲き続いている。
東中野公園の紅梅も・・・
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公園の西側の歩道はのぼり道になっている、そこから車道に出て下りバス通りを横断し東中野公園へ。
リーダーのOさんが「東中野公園は洋風と和風のつくりになっています」と説明していた。なるほど、そういう見方が出来るのだと思った。南側は子供用のアスレチックや広場があり、北側の部分には池と東屋が配置されている。
南側から入って広場でひと休みし、山の雰囲気を残す散歩道を通って池のまわりの東屋へ向う。
この池は北側にあり、寒く冬の陽射しが少ない日には氷が張っているのを見かけたが、今年は暖冬で代わりに梅も開き始めている。
ふたたびバス通りを渡って小学校と小さな商店街の間の道を通りグルッとまわって松が谷さんぽ道へ戻る。
松が谷さんぽ道から滝の谷戸遊歩道へ
見慣れた松が谷さんぽ道だが・・・
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この散歩道は木が植わった分離帯によりふたつに分かれている、片方はやや広く自転車もすれ違うことも出来るが、もう一方は人のすれ違いがようやく出来るくらいの幅である。
私はいつもこの狭い方の道を歩いている。その狭い道も200m位東に行けば反対側に移っている。そして人工の小川が流れている。小川の水はしばらくすると人工の穴に落ちてなくなってしまう。
さんぽ道の左には中学校が、その先には幼稚園が見える。小さなコンクリート造りの池に人工の小川を流れてきた水が注いでいる。池にはコンクリート製の呼び石が設けてある。
リーダーのOさんが「この道は、木が生い茂っていて、素晴らしいでしょう」と自慢(?)する。さらに
「こちらの小川とさっきの小川は流れの向きが逆なんです」と。
いつも見慣れた小川の水の流れまでは気に止めていなかった。
小川の上流にもコンクリートの池があり水の噴出し口がある。
ついでに記すと私は夏の早朝トレーニングはこの木陰の多いところ通るが、小川の水は流れていない。7時45分から流れはじめ夕方5時には流れを終えていた。
タイムスイッチでコントロールしているのだろうと思った。
松が谷さんぽ道から分かれてやや上り坂の滝の谷戸遊歩道にはいる。この遊歩道の左の広場の向うには少し前まで小学校があったが、廃校となり今は会社運営の大学が準備されている。
遊歩道を上りきったところにバス通りを横断する人道橋が架かっている、その人道橋は二重になっていて上の段に車道がある。皇居の二重橋も二段になっていることから二重橋と呼ばれたそうだが、私はそれに倣ってこの橋を「多摩の二重橋」と呼んでいる。
瘡守稲荷の初午、そして多摩センター駅へ
滝の谷戸遊歩道を下ってバス通りの下を通るトンネルに入るため少々大回りをする。
山王下遊歩道から瘡守稲荷神社がある通りへまがると赤いノボリが立って数人のオジサンがいる。
瘡守稲荷は初午
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「今日は初午だ」
小さな祠であるが、それぞれがお参りをする。
瘡守とちょっと変わった名前であるが、オデキができない、早く治るご利益がありそうだ。
この一画には「鶴供養塔」など小さいが伝承がありそうな石塔が数多く並んでいる。
稲荷社のすぐ南は急な階段になっていて高齢者にはお気の毒という計らいで少し遠回りし多摩ニュータウン通りへ出る。乞田川のほとりの歩道を歩いて、ほどなくゴールの多摩センター駅に着いた。
よそから来た人は「ここは公園が多い」と言う、ニュータウンはたしかにいたるところに緑地、公園が整備されている。しかし失ったものもありそれは取り戻せない。
このあと私は徒歩で帰宅、あわせて6kmが加算された。
後日譚
リーダーのOさんも伊勢参り遊歩道の由来が気に懸ったようである。ご近所のKさんに尋ねると次のように教えてくれた。
お伊勢参りは、この辺りでも結構盛んに行われていたようです。お伊勢参りの講を仕立て、みんなで金を出し合い抽選で選ばれた人だけが数人連れだって出かけたようです。
ただ「(お伊勢参り)遊歩道」とはその辺りに
①お伊勢参りの「講碑」があったのか、
②伊勢神宮の参道を真似て造ったという意味か
③別に何か物語が隠されているのか分かりません。
また
他にも「富士講碑」(例多摩市貝取神社他)、「秩父百番講碑」(連光寺の光地蔵他)とか「西国三十三観音講碑」(日野市の宗印寺他)などなど、たくさんの「回国碑」が残っています。
ウーム、伊勢参り遊歩道に「講碑」ネ!。
というわけで、あたりにそれらしいものが見つかるか出かけてみたが残念・・・。
あったかもしれないがニュータウンには必要ないので埋められたのかものかもしれない。
でも他にいいことを教えてもらった。
阿無法比。 (I’m happy)