オーキング
07. 2. 19
高尾山(冬そば  2月)  
はじめに
小仏川畔の梅はまだまだ  
2月13日に税務署へ申告書を提出に行った。最近はe-taxとやらを利用すればわざわざ出かけなくても済む。ヘソ曲がりの私は、そう言われると”健康のためには歩いた方がいい”と言いながら出かることにする。
税務署はよく利用する私鉄のターミナル駅から数分歩いた先のJR駅のさらに西の方にある。
私鉄とJR駅までの狭い道は肩がぶつかりあうほど混んでいるのでJR駅をぐるっと遠回りする。
昨年と違って今年は申告書の提出場所は専用の部屋が設けられていた、私の申告書は簡単なもので記述事項に目を通したらすぐに終わってしまう。

JR駅へ戻り高尾駅まで電車に乗ろうと思う、同じホームにいた高校生が「新中央線だ!」(新しい形の中央線の電車)と言った通り初めてみる車両だった。
真新しい電車は窓ガラスが大きく、警笛も長距離特急のような音がする。ちょっとした旅行気分を味わった。
高尾駅で下車し高尾梅郷の梅の開花状況を見てみようと甲州街道へ歩きはじめた。

高尾梅郷・小仏関址に梅を求めて
今日のコースは1月と逆になりそうである。小名路の三叉路を真っ直ぐ進み小仏川に架かる上椚田橋から川に沿って歩く。

庚申塔には花が供えられて
橋の近くの紅梅はピンク色、あたりを明るく春めいた雰囲気にしている。 しかし、その先の歩道や河原の梅林はまだまだ見られるまでにいたっていない。
駒木野の病院のちかく、このあたりはかなりの陽射しがあるが、川沿いは風の通り道で気温が上がってないのかもしれない、それとも梅は仲良く一緒に咲こうと話し合っているのかもしれない。

「高尾梅郷」と刻まれた碑がある広場に梅の木が並んでいるが、わずかにピンク色に染まっているだけである。

小仏関跡に行ってみよう。
近くの新しい住宅が並んだ道を通って幾たびかまがり、旧甲州街道にでた。
少々行き過ぎたようだ、振り返ってみると紅梅、白梅が輝いて見える。
公園のような関跡には、うぐいす色をした梅、黄色いサンシュユなどが色づきはじめている。
まだ訪れる人もいない高尾天満宮


一画に「史跡小仏関址」の石柱が立っている。小仏関はその名の通り小仏峠に戦国時代、設けられた。北条氏の滅亡とともにこの地、駒木野に移され、明治2年(1869)に廃止、建物も壊された。
昭和3年に国指定史跡に指定された、説明板の横には小仏関所絵図が掲げられている。それによると、東の川に架かる橋を渡ると木戸を入る。まわりは身の丈ほどの柵で囲まれ、なかは庭になっている。北側に奥行き5間半に満たない御番所が建っている。東西方向はもう少し長いようだ。西には御門があり、その少し北に下番所がある。
関を通過する人は東西の門から入って番所で手形を手形石にならべ、もうひとつの手付き石に手を付いて許しを待ったという。

私はそういう煩わしさを感ずることもなく旧甲州街道を西に向う。途中道路端に、甲州街道念珠坂の石碑とともに庚申塔、などの石塔石仏が並んでいるところがあった。
小仏川に架けられた小さな人道橋を渡ると天神梅林である。山の斜面に「高尾天満宮」の石柱がたっている、あたりには梅が並んで植えられ、斜面を登る山道が見える、これが参道なのだ。


天神梅林から湯の花梅林へ
杉木立を抜けて・・・
丈が低い梅の木の間を、頭を下げるようにして上っていくと、梅林が端あたりに高尾天満宮があった。屋根はあったが、石祠のまわりは手入れが行き届いている。

御祭神は菅原道真公、この天満宮は数百年前からこの地に鎮座し近隣住民の信仰の的であったという。 なぜ、祭神が道真公なのか、ゆかりの人たちがこの地に住んでいたのだろうか。
梅の花は、まだまだ堅いままであった。

石柱のところまで戻り、山道のような遊歩道を川に沿って上っていく。杉林のなかを通り過ぎる、目に見える花粉は見当たらない。ふたたび川を渡りしばらくすると「湯の花梅林」である。
向うから、年配の男性がやってくる、
私「まだ、(梅は)早いようですね」。
男性「ええ、この道は高尾駅へ行かれますか?」
余り梅には関心がないのかも・・・。
私はこの道を道なりに行けば甲州街道に出られますと答えた、その男性は甲州街道から高尾駅に行かれるか聞いた。(そこから先は、また尋ねてくれ)そう思いながら「ええ」と答えた。

湯の花梅林もまだまだ、遠くに少しピンク色が見える。
時計は12時を表示していた。少し空腹をおぼえてきた。この先上流に行っても梅はまだまだ、だろうし食堂もない。山頂に行って”そば”を食べよう。

蛇滝から2号路へ
本坊横の紅梅
半月前に、ここを下ったが、通して上るのははじめてだ。日影のところはややひんやりする、勾配が急なのぼり道が続き蛇滝の修験道場にも人は見えない。
蛇滝を過ぎると道は山道となり、狭い道がつづら折に続く。
汗が滲んできた、着ていたセーターを脱ぎリュックにしまう。下ってきた人とすれ違う、人と出会うのも珍しい。
下る人はそれほど暑くはないらしい、上りと下りではエネルギーの消費がかなり違うらしい。

道がふた手に分かれ、左は表参道へ、右は4号路への下り坂。右に向ったがまた分岐にであった。下っていくのは4号路、上りは2号路。
のぼりを選択し急な坂が続いたが、上りきると表参道の蛸スギのところに出た。

薬王院までの表参道は平坦で、汗も引いてしまい快適になった。
大本堂への階段は補修工事中であった。本坊脇の道に弁天洞への案内が記されている。
この道は初めて通る、向うから数人のハイカーが歩いてくる、ということは山道なのかもしれない。本坊を過ぎたあたりから山頂までは、小形の車が通れる幅で轍も残っている。
裏街道のような趣がありやがて3号路と合流し山頂につながった。
13時、山頂着。

トロロそばを頂く前に・・・
今日は山頂の東側にある「やまびこ亭」というところでとろろそばを頂く。この店には初めて入った。
店の主人に尋ねると「今年は暖かいですよ、それでも雪が3日降った」という。
やはり寒いのかな。でも私が登るくらいだからやはり、暖冬なのだろう。
展望台の改修工事もおわりに近づいている。 空は真っ青でよく晴れているが、逆光のせいもあってか冨士は霞んで見えない。
冨士を見るには午前中にここへ来なければならないようだ。では次回は・・・。

下りはまたまた6号路
山頂には時間を持て余している人たち(?)が数人いる。昼食を終え13時30分ぼちぼちと下るとしよう。
今来た道を下り5号路と6号路とが分かれる広場で地図を確認する。
6号路の方は一部で道に水が流れているが、比較的距離が長くなだらかな下りでありその道を選ぶ。

6号路、水に注意
お父さんに連れられた小さな男の子が登ってくる。
「こんにちは、ボク元気だね。何歳?」
お父さんに挨拶を催促され
「おはよう、3歳」
「気をつけて」
どこから、歩いているのだろうか、りうクンはちょっと無理かな。などと思いながら通り過ぎる。

水に濡れた踏み石が続く、滑らないように一歩一歩。
濡れていないところは大胆に、飛ぶように。
大山橋では家族連れが、小さな女の子がひとり動き回っている、声をかけて通り過ぎる。
途中登ってくる人に数組すれ違った。街中では声もかけない若者とも挨拶をする。
下る人を数組追い抜いて行く、びわ滝を過ぎると私の足はさらに加速した。

高尾梅郷の観梅は?
小仏川沿い高尾梅郷の観梅は、3月中旬になってからでもいいのかもしれない。3月10、11日に梅まつりが催されるそうだ。


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