オーキング
07. 3. 12
ウオーキング(観梅・大倉山梅林) <東年協/健歩クラブ・イベント>
行程
日時:3月  7日(水)11時~14時
コース:JR横浜線・新横浜駅→新横浜駅前公園→太尾堤緑道→太尾公園→鶴見川→新羽橋→龍松院→大倉山公園(昼食)→大倉山記念館→東横線・大倉山駅駅(約5km)

いきなり大事件?
鶴見川の支流・鳥山川
今日の集合場所は、渋谷のハチ公前。私は現地の新横浜駅に向うことにする。
10時20分の現地集合時間に対し20分の余裕をもってスケジュールしていたが、朝の目覚めが悪く現地着があやうくなってしまった。皆さんが出発したあとだったら、”横浜線を折り返し高尾に行ってみよう”と思いつつ新百合ヶ丘駅の下りホームに立つ。
都合よく急行が来た。乗換の町田駅までノンストップ。これで5分くらい余裕が得られたかな。
さらにハマセンの中山駅で快速に乗り換えられ10時15分くらいに新横浜駅に着いた。ラッキー。

新横浜駅も久しぶりだ、集合場所がすぐに見つかるだろうか。北口の改札を出ると旗をもったAさんの姿が見えた。日当たりのいいコンコースの片隅に大勢の方が揃っている。
健歩クラブの人数の確認方法は、それぞれが持っているカードを提出しノートに記名する。集合場所の渋谷と新横浜の2か所で行われ、現地集合後リーダー、当番の方の指示で4列横隊に並び人数を数える。ノートに記された数と並んだ人数が合ってメデタシ。
普通は合うはずであるが、夫婦で参加されていると記名を任せたりして記名したという実感をもっていない人もいるようだ。
太極拳を舞う人も・・・
今日の参加者は記名者数が71名らしい。ところが実数は69名。
大事件である。用を足しているのかもしれない。新横浜駅は改装工事中ですっきりと見通せない、リーダーの方が改札口を見回ったが見つからない。スタートは11時ごろとなった。
私は結論を聞いていないが、渋谷で記名した人が新横浜の人数確認の時に不在、車で後刻梅林の近くまでこられたようだ。メデタシ、メデタシ。

鶴見川・太尾公園・太尾堤緑道
鳥山川の方向へ向かって、長い列がつづく。駅前の新しい街並みにも「レンガ通り」と表示されている。
しばらくティー待夢さんと、ブログやホームページのことについて話しながら歩く。話に夢中になって街の光景が頭に入っていない。
やがて鳥山川の堤防に着いた。私は烏山川かと思っていたが一本棒が多かった。 この川沿いに新横浜駅前公園がつくられている。鳥山大橋際の信号を渡ってしばらく歩くと 鳥山川が鶴見川に合流している地点に達する。源流から29.7km、河口から12.8kmと表示された看板が立っている。大きく弧を描いて川の流れに沿った堤の道が続く。

  コブシに見とれて・・・
振り返って見ると総合競技場のドームが見える、手前に見える建物が労災病院だそうだ。誰かが「XXさんがあそこに入院していたんだって・・・」と言うのが聞こえた。
幸い私自身は入院の経験はないが、ここ10年くらい妻、娘、母親の入院に付き合ってきた。それぞれ病室の光景が少しづつ浮かんできた。
堤道の右手にある空き地でひとりの高齢の男性が何やら、舞っているように見えた。ウオーカーの中から 、それが太極拳だという声がした。やはり港北区とはいえ横浜なのだと思う。

太尾南公園、太尾公園に挟まれて下水処理場がある。下水処理施設の上に人工地盤をつくり出来たのが太尾公園だそうだ。公園の中のコブシの花がまぶしく光っている。
ここでひと休み、コブシを見たあと、クラブのブログやパソコンの話「♪のマークはどうしてだしたの?」などおばちゃんたちがやっている。結構PCを弄っている人もいるのだ、しっかりと世の流れについて行ってる(失礼)と思った。私もまだまだ負けられないゾ~。

公園を出て道路から少し離れたところの緑道(太尾堤緑道という)を歩く。
道路の近くにあってXX堤というのは解せなかったが、近くの表示板に「 昔の鳥山川だった太尾堤排水路を埋め立てて緑道にしたもの」と記され納得。
緑道には幼いこどもを遊ばせている数人のママさんグループも見えた。しばらく並木に囲まれたすばらしい緑道を歩いていると、小学校のそばの桃花が青空に映えて美しく見えた。
路傍の道祖神には目が・・・
車イスを押してその桃花を介護している老親に見せている人がいる。どちらも桃花に和やかな顔をしている。

ハプニング・・・そして龍松院
緑道は太尾新道に沿ってつくられているようだ、その道も三叉路に出た、標識に右は大倉山へと書かれた方に曲がる。
道端に道祖神と斎神塔と刻まれた石塔が立っていた。MQさんと眺めているうちに列から遅れてしまった。 やがて左に曲がる細い路地に入っていった。
そのとき、道に女性用のマフラーが落ちていた。誰かが「前を歩いている人が落としたのかもしれない」 と言う。
列の先頭はかなり先のようだ、一番若い?私の出番だなと思い、拾ったそのマフラーを持って走り始めた 「落としていませんか?」繰り返すこと  ん回。
息を切らしながらとうとう先頭まで走った。結局誰も落とした人はいなかった。フー、ヤレヤレ
元の位置に持って行くパワーはなくなって、道端の垣根にかけた。
持ち主さんに悪いことをした。
龍松院というお寺の近くだった。

大倉山公園・観梅の宴
寺院のそばを通って・・・
梅は最盛期を過ぎていたが・・・
「神奈川県の歴史散歩」によれば、龍松院は小机の雲松院の末寺、江戸時代には近郊の人々から出世文殊、怪我除け不動として信仰されたそうだ。小机にはその昔小机城があったという、多くの人が集まっていたことだろう。

坂道を少し登ると、大倉山公園梅林の石柱があり、少し時期は過ぎたようだが、梅の花があたりにを華やかにしている。
平日のせいか、観梅の人は少ない、幼子を連れた若い母親が梅花の下で昼食のようだ。

私はFさんに誘われた。Fさんは今日は観梅でお酒可ということでリユックに重いものを持ってきたとおっしゃる。
私は今日の気象情報で気温が低い予想だったので泡般若はやめておき、必要なら現地調達するつもりだった。皆さんはその道のツウのようで、銘柄に、旨いものにこだわっているようだ。

10人ぐらいのグループに加わり昼食をはじめた、私は売店に行って般若湯を求めてきた。気温が低いときは暖かいものがいい。
13時半に集合し解散。あとは東横線大倉山駅に案内してくれるという。

白亜の殿堂 大倉山記念館
白亜の殿堂 大倉山記念館
公園内の遊歩道をやや上ると古めかしい大きな建物がある、薄暗い横の入り口に「財団法人大倉精神文化研究所」と刻まれた文字が見える。
横浜市の指定有形文化財となっている大倉山記念館の建物である、正面にまわって見ると堂々とした白亜の殿堂だ。

教育委員会の説明には次のように記されている。
洋紙業界で活躍した実業家大倉邦彦が大倉精神文化研究所の本館として昭和7年に建築した、容姿はギリシャの神殿をほうふつとさせ、ひときわ異彩を放つ様式意匠は迫力に満ちている。設計は建築家長野宇平治、日本の古典主義建築の設計者として、全国的に銀行建築を手がけ格調の高い様式建築の設計を行った。
建物は鉄骨鉄筋コンクリート造り、二階建てで地階と二層の塔屋をもち、中央部に吹き抜けのある大階段と殿堂があり、両翼部に客室を配し背面には中庭を囲んで回廊が廻る複雑な空間からなっている。以下略
研究所の開設にちなんで、このあたりの丘陵を大倉山と呼ばれるようになり、太尾駅といわれていた駅も大倉山駅に改称されたそうである。

記念館は音楽会、展示会に利用されているという、私も中に入ってみた絵画の展示が催されていた、館内は荘厳なと表現してもいいように格調高い雰囲気があった。
外に出てみるとウオーカーの皆さんの顔が見えない、坂を下りひとり大倉山駅に向かった。

今日、反省会に参加・・・
菊名駅経由横浜線で帰宅しようと下りホームに上がってみると、メンバーの顔が揃っている。これから反省会が横浜で行われるという。
私も皆さんのあとについて行き参加することにした。反省会は2回目だったが、最高齢のUさんもいらっしゃる。
「健歩クラブのお蔭です」とニコニコしておっしゃる。
反省会で結論が出ず、場所を変えて喧々囂々。皆さんお元気だこと、ついて行けません!。
(クリックすると拡大します。)
阿無法比。  (I’m happy)


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