オーキング
07. 4. 11
ウオーキング(お花見・引地川千本桜) <東年協/健歩クラブ・イベント>
行程
日時:4月   5日(木)10時20分~15時
コース:小田急江ノ島線・鶴間駅→泉の森入口→引地川水源地→台湾亭→ふれあい広場→引地台公園(昼食・お花見)→引地川千本桜→常泉寺→高座渋谷木駅(約7km)

大和市デビュー
街路樹は春  <厚木街道>
今日のウオーキングのお目当ては大和市・引地川千本桜、お若いお母さん風に言えば「大和市デビュー」である。
オフィシャルな集合場所は新宿駅であるが、私は多摩センター・新百合ヶ丘経由で現地の鶴間駅にむかった。
新百合ヶ丘のホームで下りの急行を待っていると風が冷たい、今日の予想最高気温は15℃、早く暖かくなってほしいと思いながら襟を立てる。
まもなく小田原行きに乗る。車内には箱根あたりに出かけるオバサンたちがはしゃいでいる。 相模大野で各駅停車に乗換え、集合場所には9時20分過ぎに着いた。

改札を出ると皆さんだいぶ集まっている。
先月終りの岩槻市のウオーキングのことも話題になっているようだ。当日私の住んでいる街では出発時刻にかなり激しい雨が降ったので、準備はしていたものの断念した。しかしウオーキングは集まった人20数人で行われたらしい。スタートの時間帯、当該地は雨が上がっていたそうだ。また何人かは参加しなかった人もいた。降雨の推移により参加できた人できなかった人があり、いろいろ! である。

いつもニコニコとしている90歳のUさんの顔も見える、挨拶に近寄ってみるとポケットからケータイを取り出し指先で操作。”電話じゃなさそうだ”「メールですか?」尋ねると「ええ」。
私は内心”え~っ、メールやるの!!”と思った、失礼。
さて今日のリーダーはMさん、このあたりをお庭のように歩いているらしい。

泉の森公園・引地川水源地
引地川の水源地
本日の参加者60名が列をなして駅の南側を東西にはしる道路をやや南西の方に進む。この道路はその昔、メインの厚木街道(246)であったが今はバイパスが南に出来て車の往来も少ない。
その道をおよそ500mほど歩いたところに「泉の森入口」がある。
「泉の森」は昔の地図ではシラカシの森と記されている。 森の中をしばらく歩くと広場に行き着いた、このあたりには「森のはらっぱ」や「こもれび広場」と名づけられている。ここで隊列を整え(?)てふたたび少し坂を下る。地図を見ると亀甲山と記されていた。

森を抜けると沼地のようなところへ出た。リーダーのMさんが水源地と教えてくれた。 街の真ん中で、水源地といわれてもピンと来ないが、昔は山があり木が生い茂って湧水があったのだろうか。
また留水池として機能するようになっているそうだ、大量の出水に対し一時的に貯蔵するらしい。そういえば都内の神田川、善福寺川、妙正寺川などコンクリートで固められた川は貯水する機能が失われ、あふれ出すから公園の下などに留水池が設けられていた。
しらかしの池のまわりは・・・
地図には大池、小池と記されている。厚木街道大和バイパスをくぐると「しらかしのいえ」という自然観察センターががある。やはりシラカシの森だったんだ。

緑のかけ橋をくぐる、今はあちこちに池が点在しているが満水時にはその小さな池もなくなってしまうらしい。通常の水位と満水時の水位を比較した写真が展示してあった。
このあたりの歩道は木材で遊歩道がつくられている、もともと湿地帯なのだろう。 手すりに腰を下ろしひと休み。
しらかしの池というやや大きな池の側を通る。しばらくすると東名高速が上を走っている。

川の流れに沿って。・・・台湾亭が
東名高速の下を潜り抜けしばらく歩いていると川の西側に台湾亭という東屋のような一風変わった建物が見えてきた。
そばの石碑には次のように記されていた。

台湾亭、そういうことも・・・
第二次大戦中の1943年から翌年にかけて戦力補充のため台湾の青少年約8400余名がこの大和市に新設された高座海軍工廠に集結し1部は各軍需工場に配属され終戦まで航空機生産の一端を担い続けた。
その間米軍による本土空襲で多数の犠牲者も出、戦後そのまま在留した者以外は大部分は台湾に帰国したが混乱を乗り越え新しく落ち着きを取り戻した時、若き日の夢を 託した大和市が第二の故郷として大きく胸に育まれた
1987年台湾高座会が発足 1993年日本高座会による第50周年記念大会に1300余名の会員が参加し、半世紀ぶりに内地再会の喜びに浸りあった
ここに両地の親善交流を記念するとともに世界平和への祈念をこめて台湾亭を大和市に寄贈し変わらざる友誼のシンボルとする
台湾高座会
1997年9月6日

昭和18年、私は1歳になった頃である。私にとっては戦後の混乱しか記憶にないが、今の若い人のように遠いことではではない。
そう思いながら石碑を読んでみると15,6歳の少年が故郷から、むりやり連れてこられ軍需生産に従事させられた。そして半世紀!。
しかし、半世紀経ってふたたび集うとは!、若かりし頃同じ苦労を分かちあった人たちは絆も強いのかもしれない。
それにしても、 知られざる庶民の歴史のひとコマがここにあった。嗚呼

我がウオーキング部隊はさらに川に沿って歩を進める。川の近くに「自然護岸」と表示されてあった、たしかにブロックやコンクリートは見えず、ハナダイコンや菜の花など草花に覆われた岸辺である。
”川はこうでなくっちゃ”
青紫の花を指して「ダイコンのハナ」、「ハナダイコン」と話し合っている。私もダイコンのハナと思っていたが、正しくはハナダイコンだろう。ダイコンのハナは大根の花なのだろう。まっ、いいか

咲け(酒)なくて何の己がさくらかな・・・
左手はふれあい広場というらしい、幼い子連れの母親たちが談笑している。 その先のシバザクラのピンク色がまぶしく光っている。
女性のひとりが「わたしたちはウバザクラ ねッ」と言いながら相鉄線のガードへ入っていく。
ちなみに「姥桜」を辞書で引いてみると「娘盛りが過ぎてもなお美しさが残っている年増」だってよ。いいじゃん!!

引地台公園(昼食・お花見)
ここから引地台公園まで街中の道路を歩く。どこにでもあるこういう道路は苦手である。 皆さん黙々と歩いているが、何かしら話題を探す、左の高台に建っている10軒くらいのオレンジ、イエロー、ウグイス色、カラフルな住宅が見えてきた。
「スゴイ色をしてるね」、「どうも、ちょっと・・・」皆さん少々抵抗があるようだ。
私は「誰かに説明す時に便利ですよ、角を曲がって3軒目のオレンジの家って言えば・・・」
単調なウオーキングにはお喋りしかない。
「右手のあの森あたりが公園かな?」、私はMさんに聞いていた「左側のあのドームの向うらしい・・・」と答える。

ようやく引地台公園に着いた、時刻は12時15分。 蛇足だが、ドーム状のカマボコ型の建物は温水プールでした。
広場のまわりには満開を少し過ぎたサクラがあたりを白く染めているようだ。木の下には白いじゅうたんが敷き詰められている。
すでにあちらこちらに家族連れやお友だちらしいグループが座り込んでお花見中である。
陽の当たる広場に我が10数人が腰をおろし、重い荷物を解きはじめた。1時半までの至福の時がはじまる。
あとで地図を見てわかったがこの公園は厚木飛行場から1kmも離れていない、時おりジェット機の耳を劈く音で空を見上げる。毎日聞かされてはたまらないであろう。
誰でも疑問に思うこと、私もそうであるが「厚木市でないのに厚木飛行場」となぜいうのか。 Wikipediaに詳しく記されている。

引地川千本桜
引地川千本桜を堪能・・・
13時半、だいぶイイ気分になった人もあるようだが、これからしばらく歩かねばなりません。
老婆心ながら、お花見のときの昼食場所は駅の近くがいいかもしれません。
引地台公園を出て南の方に歩いていくと、引地川が湾曲して道に近寄ってくれる。川沿いの道に入りしばらく歩くと対岸に桜並木が目に入る。そこには遊歩道らしきものが見え渡りたい気を起こさせる。
下見をやったリーダーのSさんによると、マンションがあって通り抜けができないのだと言う。

しばらく対岸の桜を眺めながら歩いているとこちらの岸にも桜が並んでいる。
此岸、彼岸(このような表現はないが)美しい景色に浮世の憂さを忘れる。
誰かが「ここからが700本です」と。両岸の遊歩道には座り込んで愉しんでいるグループもいる。私たちもここでお花見すればよかったと言う声が聞こえた。
歩きながらのお花見を堪能したのち、住宅街に入り清流山常泉寺への道を登っていく。
このお寺は三椏の群落地として有名だそうだ。入場料を払って入る人もいたが私はやめてお寺の駐車場を抜けて高座渋谷駅へと向った。

反省会は・・・
今日の反省会は相模大野で行われるらしい。私も参加すべく改札を出たがそれらしい人が見当たらない。
この駅に降りたのは初めてである、南口から北口へとまわってみた。諦めて帰ることにする。 でもこの駅で下車したのはもうひとつ目的があった。近くに上の娘が住んでいる、押しかけるのははばかれる。どんなところか見ておこうと思った。
阿無法比。  (I’m happy)


ウオーキング