ウオーキング
07. 4. 17
高尾山(新緑を・・・ 4月)
はじめに
シダレザクラ?・・・
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高尾へは我が家から1時間弱で行かれる。13日の天気予報は曇り、南風が強くなるというものだった。
先月もたしか13日だった、天気も崩れないようだし”新緑”を見に行ってみようと9時半ごろ家を出た。
高尾から小仏、陣馬のコースもいいが、小仏までの歩きは単調だし・・・、高尾山口駅まで来た。
まぁ、小仏峠まで行って決めよう陣馬か相模湖か、決断を先送りする。ひとりは気楽でいい。
ホームの向うの桜はまだまだ楽しめそう、改札を出たところ案内川畔の桜もきれいである。やはり大勢の年配者がゾロゾロとケーブル駅へ向っている。おだんご屋の側の真っ白い花、シダレザクラだろうか、純白が目立っていた。
びわ滝コースを登って・・・
新緑が鮮やか・・・
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先月は稲荷山コースだった、今日はびわ滝を通る6号路を登ろう、このコースは3.3kmおよそ90分だという。
この6号路は、2、3回ほど下ったことがあるが上りは初めてである。そうびわ滝のところで3号路に曲がってしまったのだった。きょうは気をつけよう。夫婦連れ、女性を追い抜いたが、中年の男性には抜かれてしまった、体力の差はいかんともしがたい。
先方にオバサンのグループが歩いている、狭い道幅だから追い抜くことが出来ない。だんだん近づいてきた、聞くとはなしにお話が入ってくる「義理の弟はM電気に勤めてたんだけど早期退職して遊んでるのよ、退職金五千万もらって・・・」。ああ、あの会社か。それにしても五千万はスゴイナ。
少し道幅が広くなったところで「ごめんなさい」と言って追い抜いていく。喋っていたオバサンはまだ話しを続けていた。お喋りもストレス解消なのかもしれない。
話はだいぶ変わるが、私は新聞の”人生相談”をよく読む。私だったら「こう回答する」なんて思いながら見る、もっとも法律が絡んだり専門的なものはお手上げだが。
ミツバツツジも鮮やかでした・・・
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・・・で、最近気懸かりなのが人生相談というより、愚痴のはけぐちになっている。愚痴を言い合う”お友だち”がいないのだろう。
このオバサンたちのように。
大山橋という小さな木橋を渡る、ちょっとした休憩する場所があり、学生らしい若者が十人くらいいた。私は通りすがりながら挨拶をすると、何人かがあいさつを返してくれた。
しばらくして稲荷山コースへの道と分岐し、6号路は小さな沢道となる。置石の上を滑らないように気をつけながら歩を運ぶ。道は右の方に曲がり勾配が少しきつくなってくる、足もとに水がないのが何よりだ。ふたたび左に折れると急な階段が続いている。途中のベンチで一度休息を取る、息を弾ませ心臓の高鳴りを感じながら階段を登りきると環状の5号路に出た。
一丁平で昼食
ノンビリと昼食を・・・あの赤いのはボケか?
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5号を通り山頂を迂回して紅葉台へ、先ほどの急坂で水分を取りすぎたのか、ペットボトルの残りが気懸かりになってきた。紅葉台の売店でお茶を調達。坂を下る、ミツバツツジの鮮やかさ、多少葉ザクラとなっているが単調な歩きを和ませてくれる。
三脚にカメラを構えている人、デジカメで撮っている人、いく桜を惜しんでいるようだ。
このあたりはけっこう人通りが多い、私はまき道を通る。木立の中の道は一昨日の雨の影響かもしれないがぬかるんでいる。
一丁平では広場で十人前後の年配者がお花見らしくにぎやかにやっていた。
12時半、私も少々空腹感をおぼえはじめた。林を抜け少し下ったところ、白樺の見える空き地に敷物を広げ腰を下ろす。
目の前の細い道をカメラを提げたオジサンが通りながら
「静かでいいですね、この先はどこへ行くのかしら」
特製の手弁当を口にする。青空の下ではどんなもんでもうまいんです。
敷物の上に仰向けになって空を眺める、青空のなか雲が南風で流れている、時おり杉林の間からお花見の人たちの歓声が聞こえてくる。ほどよい暖かさに眠気が催してきた。
時計は1時過ぎになっていた、陣馬まで行くと4時過ぎになるだろう。きょうは止めておこう。
相模湖の湖面も・・・<小仏城山>
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やがて小仏城山に近くなってきた。先月24日、健歩クラブのウオーキングでここへ上がって来た。今日の天気はそのときより多少いいようだ。
相模湖の湖面が見える。
小仏峠から旧甲州街道を
城山の山頂にもかなりのハイカーが休息をとっている。お花畑を覗いてみるとスイセンの黄色が鮮やか、先月は見られなかったミツバツツジのピンク色が光っている。相模湖への下る道の側にサクラだろうか、白、淡桃色、濃いピンクの花が入り混じって開いている。
山頂をグルッとまわり小仏峠へと向う。
しばらく下り坂が続き、20分ほどで峠に降り立った。ここにもグループやひとりのハイカーが数組いた。
ここ小仏峠は明治中頃、大垂水峠を通る甲州街道が出来るまでは交通の要衝だったらしい。さらにその昔は武田勢が北条勢と対峙したという。高尾山道と刻まれた石塔の横には寛政七年と記されている。
旧甲州街道を下る
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さて今日は、陣馬行きはやめて旧甲州街道を相模湖に下りる。
この旧甲州街道は初めてだ。私のイメージのなかには旧甲州街道といえば、バイパスが出来たために市街地の狭い道路で生活道路として使われている、そんな道である。
しかしここの旧甲州街道はたまにハイカーが通るくらいで普段は誰も利用しないであろう。
雨が降れば、沢のように水が流れるのではないだろうか。杉の葉が朽ちて道のまわりを埋め尽くしている。折れた小さな枝が横たわっている。
小鳥が高い枝の上から鳴きかけてくる。
「チー、チー」
見上げてみるがどこにいるか見つからない。
私も「チー、チー」と声を出してみる。
しばらくすると「チー、チー」と、応えてくれているようだ。
小鳥と話をしたような気分になった。
道のところどころに「旧甲州街道 相模湖町」、「甲州古道 小仏峠・小原宿」と道標が建てられている。たまに通るハイカーのためだろう。
かたわらの杉の根もとに大中小のほぼ四角の石が積み重ねられていた。一番下の石は50cm角くらいだろうか。旅人か村の人が石仏の代わりにしたのかもしれない。
下り坂は城山からの下り道より緩やかのようである。明治のはじめまでは人馬が行き来していたのだから・・・。
無人の甲州街道を
美女谷温泉は近く・・・
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しばらく現代文明から離れた気分に浸っていたが、やがて車の音が耳に入るようになった。
木立の間からトラックが走る姿が見えてきた。ああ、中央自動車道。
まもなくコンクリート道へ下りてきた。わきに木製の道標が建っている、「旧甲州街道 相模湖町」、「東海自然歩道 小仏峠1.8km 底沢バス停1.7km 相模湖駅3.7km」
やれやれ文明社会だ。
道の反対側には「美女谷温泉」の看板が立っている。私が会社に入ったころ、ここに契約旅館の保養所があった。
その職場ではちょくちょく利用していた、”お酒を飲んでマージャンが出来ればいい”という人が多かった。
会社から近ければ近いほどいいわけである。移動の時間は無駄であった。そう45年も前の話だ。
小原宿入り口 <甲州街道>
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そんなことを思い出しながら、方向はわからないが川の流れに沿って歩けば相模湖に行く
狭い道を下っていく。
やがて20号線・甲州街道に合流した、そこにバス停「底沢」があった。チラッと時刻表を見たが、残り3kmくらいだろう。バスに乗るつもりはない。
甲州街道はかなり車の往来が多い、歩道があるが歩いている人はいない、この街の人は車を利用し歩くことはないのかもしれない。
小原宿の案内が立っている、昔は「山を越えてきた日も暮れたので休んでいくか」であったのかもしれない。小原宿につぢいて与瀬宿があったらしい。
道に面し旅籠風の建物があった。
ここ相模湖町も最近、合併し相模原市になった。
交通の便がよくなったお蔭で”通り過ぎられる”町になったのかもしれない。そんなことを思いながら駅に向かった。