7.模倣からの脱皮
日本模型工業会の歴史を振り返る本によると
『最初に英国で作られ、昭和20年代のアメリカで育ち、発展してきたプラスチックモデルが、訪米した人たちの見聞や持ち帰りサンプルなどで徐々に日本でも見られるようになったのは、昭和30年前後である。プラスチック製ソリッドモデルとして紹介されていた。 日本におけるプラスチックモデルの元祖を自負し国産品を最初に市場に出し、昭和34年3月には「プラモデル」という名称を商標登録したのは、石田実氏(株式会社マルサン商店、社長(故人です))だった。
昭和35年になると、多くのメーカーがプラスチックモデルの分野に参入してきた。
日模、マルサン、三和、山田、ブルーバード、相原、寺島、にしきや、YMC、緑商会、今井科学、大滝、ユニオン、NBK(ブンカ)、渥美、三共製作所 (う~ん、知らないメーカーがたくさんありますね)
さらに、昭和36年の12月時点では、
とみやま、エルエス、オリエンタル、田宮、静教、青島、日本ホビー、フジミ、長谷川、大模などが加わる。
(こうやって並べられると、最初のグループでプラスチックモデル販売を継続しているメーカーはなく、令和5年現在では、すべて消滅しています。)』
日本ホビー工業株式会社は、上の情報によれば、昭和36年12月ごろにはすでに市場に登場していたことがわかります。そのころ見本市(今の模型ホビーショー)では、すでに戦車模型を展示していた様ですが、戦車以外にも何か展示したのかは不明です。もともと、15番ホビーというおもちゃ屋でチープ なプラスチック製玩具からスタートし、その金型技術をもとにして、海外から持ち込まれる本格的なプラモデルを模倣し、徐々にその模倣から脱皮してオリジナル製品を開発できるようになっていったものとメニュー1~6ですでに推測していました 。その後の研究でいくつかの証拠を入手しましたので、ご紹介します。