ロンドン条約によって、日本は20センチ砲重巡12隻以上を保有できなくなった。最上型(最上、三隈、鈴谷、熊野)は8500トンの排水量に15.5センチ砲15門を積んで、実質的に1万トンの重巡に対抗させようと考えた艦型です。そこで、この最上型と高雄型を比較してみると、その大きな特長は次の6点に要約されます。
三隈は昭和6年12月24日三菱長崎造船所に於いて着工、昭和9年5月31日進水、翌10年8月29日に完成した最上級の二番艦です。(重巡としては14番艦) 昭和14年から15年にかけ15.5センチ3連装主砲が20センチ3連装に換装され、この3連装は大和や武蔵の主砲となりました。 三隈はマレー方面攻略作戦に重巡戦隊の一艦として、バタビヤ沖海戦(1942・3・1)に参加し、重巡最上と協同して米重巡ヒューストンおよび豪軽巡パースに致命的損害をあたえました。ミッドウェー海戦(1942・6・6)において僚艦最上と衝突大破の後、空母(エンタープライズおよびホーネット)機の攻撃を受け、2本命中して沈没しました。 |