ロンドン条約によって、日本は20センチ砲重巡12隻以上を保有できなくなった。最上型(最上、三隈、鈴谷、熊野)は8500トンの排水量に15.5センチ砲15門を積んで、実質的に1万トンの重巡に対抗させようと考えた艦型です。そこで、この最上型と高雄型を比較してみると、その大きな特長は次の6点に要約されます。

  1. 条約制限以内で最大の兵装を備えたこと・・・すなわち3連装砲塔を採用し、15門の主砲を積み、3連装発射管12門の強大な雷装を採用した。高角砲は12.7センチ砲8門としたから、雷装と対空兵器において1万トン重巡より強力となる。
  2. 新式かい楼の採用・・・高雄型は大きすぎるのでもっと小じんまりしたものをつくりあげた。
  3. 防禦方式の新式化・・・対弾力は高雄型よりむしろ強化し、水中防禦力も大きくした。また集中防禦方式を採用して水平防護も改良した。
  4. 高速力を保持したこと・・・35ノットをさらに37ノットにあげた。なお本艦の馬力は152000馬力で大和型と同じである。
  5. 重量の軽減に努めたこと。

三隈は昭和6年12月24日三菱長崎造船所に於いて着工、昭和9年5月31日進水、翌10年8月29日に完成した最上級の二番艦です。(重巡としては14番艦) 昭和14年から15年にかけ15.5センチ3連装主砲が20センチ3連装に換装され、この3連装は大和や武蔵の主砲となりました。       三隈はマレー方面攻略作戦に重巡戦隊の一艦として、バタビヤ沖海戦(1942・3・1)に参加し、重巡最上と協同して米重巡ヒューストンおよび豪軽巡パースに致命的損害をあたえました。ミッドウェー海戦(1942・6・6)において僚艦最上と衝突大破の後、空母(エンタープライズおよびホーネット)機の攻撃を受け、2本命中して沈没しました。