模型屋の定義

昭和30年代から40年代にかけて少年時代を送った人たちはご存じだと思いますが、当時の模型店は、ほとんど模型教材店と呼ばれていました。プラモデルは、模型屋だけではなく文房具店、おもちゃ屋、デパートにも置いてありましたが、私が模型屋と定義しているのはこの模型教材店のことです。模型教材店が他と異なる点は、次のようなものです。

 

1.鉄道模型が置いてありました。

 真鍮むき出しの組立キットは、幼かった私には大人の趣味だなと感じられたものです。模型屋によっては、この部分が特に多くのスペースを裂いてレイアウトまで設置しているところもありました。

 

2.組立キットが置いてありました。

 ポンプ、ベル、モーター、ラジオやトランシーバの組立キット、天体望遠鏡、顕微鏡(ルーペ、虫眼鏡も含む)などが置いてありました。学研の科学の付録に通じるものです。これが教材店という名前の由来だと思うのですが、当時は理科の好きな子たちは学校で科学クラブに所属し、色々学んでいました。私のよく通っていた模型屋は、学校のすぐそばに立地していて、やはりこのようなものが置いてありました。その他、電子ブロックというラジオ以外にも色々組み替えて楽しめるものも置いてありました。教材としてこのような品物を学校に供給していたのかもしれません。

 

3.工作材料関係が充実していました。

 角材、バルサ、ギア、プーリー、モーター、ジョイント、スクリュー、舵金具、豆電球、電池ケース、スイッチ、ネジ、接着剤、塗料、工具などです。たぶん木で模型を作っていた時代からの名残なのでしょうが、ずっと続けてほしい部分です。

 

4.ラジコンも扱っていました。

 正しくは、エンジン模型を扱っていました。当時のラジコンはお金がある人でなければなかなか手の出せない代物だったのですが、模型の王様はエンジン模型だなと思っていました。天井には大きな機体が釣り下げてありました。ショーウィンドウには送信機、受信機、サーボ(私の記憶ではエスケープメントもあった)が陳列され、いつになったら買えるのかなと思いながら見ていました。

 

5.的確に相談に乗ってもらえるところでした。

 品揃え以外に、お客の疑問に的確に相談に乗ってもらえるところでした。おもちゃ屋やデパートではなかなかそうはいきませんでした。大体模型教材店の主人は個性の強い人が多く、自分なりの主張を持って品揃えをしていました。(と感じられました。)そして、やはり模型屋によって得手不得手があり、ユーザとしての私は、ものによって行く店を変えて対応することにしていました。つまり、技術情報の入手先だったのです。

 

6.大型プラモデルはあこがれでした。

 店の陳列の仕方はそれぞれでしたが、大きな箱のプラモデルが必ず高い位置に積んでありました。そう簡単に売れないようでした。私も自分の小遣いではなかなか手がでませんでしたが、模型屋に行って箱の様子をただ眺めるだけでもうれしかったように記憶しています。(買わない人にはさわらせてもらえませんでした。)何か特別な時(誕生日とか通信簿の成績の良かった時など)に、記念品のように買ってもらうことができただけでした。日模のビッグパットンを買ってもらって、長年の夢がかなったことを昨日のことのように覚えています。

 

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