VOLTEC FIGHTERに見る田宮の製品戦略

私は、最近、田宮模型がVOLTEC FIGHTERという、子供向けのラジコンカーに力を入れているのが気になっています。というよりも、ミニ4駆の後にはたぶん少年用のラジコンを製品化するのではないかと予想していたので、着目しているのです。本題に入る前に、これまでのプラモデルの歴史を振り返ると、次のような流れを読みとることができます。

1.プラモデルの聡明期 

戦後間もなく、アメリカからプラモデルが輸入され始め、日本でも見よう見まねの製品を製造して輸入品より安価な、プラモデルが売り出されるようになりました。それまでの日本では、木製の模型が主流で、日本の模型は伝統的に、必ずモーターで動かすことができました。プラモデルが木製模型にとって変わってからも、モーターで動かすことができるプラモデルがずっと続きました。プラモデルとして製品化されたものは、あらゆるジャンルにおよび、飛行機は必ずモーターでプロペラが回り、戦車はリモコンで走り、車は自動操舵装置で8の字走行しました。そのころの今井科学はテレビで放送される空想科学ものに登場するメカにモーターを組み込み次から次へと新製品を供給していました。ある本で、プラモデルに組み込む仕掛け(ギミック)を専門に担当していた方が当時を振り返っている話を読んだことがあります。それほど全盛でした。

2.スロットレーシングカー

日本製のプラモデルも次第に品質が向上してきたころ、アメリカからスロットレーシングカーが入ってきました。当然、日本のメーカーもレーシングカーを製品化し、ここで、これまでのプラモデルの技術にABS樹脂の軽量で丈夫なボディーが加わり、高性能モーターやベアリング、、クリアーボディーなどのオプションパーツの戦略が導入されました。このころ、小暮というメーカーは非常にすぐれた模型を供給していましたが、レーシングカーブームの衰退と共に、倒産してしまいました。余談になりますが、小暮は、車の模型が得意なメーカーで、車の内部まで再現したスケールモデルの基礎を作ったメーカーとして、その後の模型界に大きな影響を与えました。スロットレーシングカーブームは非常に短い期間で終わりましたが、技術的に見れば、模型の世界にひとつの技術レベル向上の機会を与えました。スロットレーシングカーの人気が衰えた頃、室内で楽しむ、ラジコンカーが競って製品化され、中でも日模はプロコンと呼ばれる、一種の比例制御の車を製品化し、テレビで宣伝するほどでした。

3.電動ラジコンカーブーム

昭和40年代に入って、デジタルプロポが一般的になり、エンジン付きラジコン飛行機の操縦が非常に楽になったため、ラジコンの人口が飛躍的に増えました。ちょうどそのころ、ニッカドとよばれる、充電式の電池が低価格になり、性能も向上してきました。マブチモーターはこのニッカドパックと組み合わせて使用する、ラジコン飛行機用の高出力モーターを開発し、電動ラジコンが可能になりました。特にヨーロッパでは、モーターグライダーによって、この分野が発展しました。日本では、このニッカドと高出力モーターを車のラジコンに利用するようになり、田宮、大滝、日模などが、競って新製品を開発し一大ブームが巻き起こりました。

4.電動ラジコンカーで養われた技術

電動ラジコンカーは技術的に見れば、スロットレーシングカーで培われたボディーやシャーシ、メカニズムの延長線上に、電動ラジコン飛行機用の電池とモーターが加わり、作り上げられたものと言えます。シャーシは、グラスファイバー入りエポキシ基板を利用したものから、エンジニアリングプラスチックの強化品に進展しました。サスペンションも簡単なバネからショックアブソーバを備える本格的なものに発展し、ギア関係も独自の技術が次々に開発されました。プロポのメーカーも今では一般的になっている、あの回転ノブによるステアリングと、ピストルの引き金のようなスピードコントロールの送信機を開発しました。このスタイルはたぶんメーカーのオリジナルデザインというより、アマチュアが改造して使っているのに目を付けたメーカーが逆取りしたものではないかと思います。

5.ミニ4駆で子供の心をとらえた

ミニ4駆がブームとなったことは、私はあまり詳しく知らなかったのですが、「田宮模型の仕事」という本の中に、ミニ4駆の発展の歴史が詳しく書かれています。その内容によれば当然はじめから成功したわけではなく、かなりの努力の結果であることがうかがえます。はじめはラジコンカーレースを見学に来て、無料体験させてもらえる順番待ちの間に退屈しないように用意した、小型で手軽なレースのできる模型というコンセプトだったそうです。それがいつのころからか、子供たちの心をとらえ、現在のようにブームとなったのだそうです。この模型が実現された技術的背景には、これまで述べてきた、プラモデルの聡明期から電動ラジコンカーにいたる、歴史があるのです。それは、ミニ4駆の分析のところで述べたとおりです。

6.次のブームへのチャレンジ

田宮模型の提供番組「タミヤRCカーグランプリ」を最近ご覧になった方はお気づきと思いますが、これまでのRCレース中継とミニ4駆コーナーに加えて、最近VOLTEC FIGHTERのコーナーを放送しています。また、田宮模型のホームページを見てもバナー広告でVOLTEC FIGHTERを全面に押し出し、かなり力を入れていることがうかがえます。RCマガジンの98年1月号でもとりあげられ、着目しているようです。私がよく行く模型屋の中には、ミニ4駆のコースを開放しているところもあり、小学生、中学生が入り浸っています。メーカーとしては、この子たちを学年が上がっていく時、できるだけ多く模型界に引き留めておきたいのは当然です。つまり、ミニ4駆のブームのきっかけがラジコンカーレースだとすれば、年齢と共に使える金額が増すであろうこの子たちは潜在消費者であるわけです。そのためには、できるだけ早くラジコンのおもしろさを紹介しておく必要があります。技術的には、環境が整っていますから、製品開発はそれほど大変ではなかったでしょう。今後、この戦略があたるかどうかは予想できませんが、注目していきたいと思います。

 

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