| 1988 |
- 大学入学。桜の花が綺麗だった。それにつられて、入学後1ヶ月は
抜け出して多摩川の河原でごろごろしてることが多かった。
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| 1989 |
- ゲームセンターへ行っても、遊ぶものといえばピンボールばかり。
この年のゲイングランド(SEGA)を最後に、アーケードゲームに対して
本腰を入れることがなくなる。
- 4月から既に始まっていたTBSラジオ『Pop'n ルージュ』を聞き始める。
聞くきっかけは事前情報で奥居香・長峰由紀どちらかが出ていることを
知ったからだ(どっちだったかはもはや忘れた)。この時間(2310-2400)
パーソナリティは曜日変わりで永井真理子・笹野みちる(東京少年)・
奥居香(プリンセスプリンセス)・谷村有美・長峰由紀(TBS)で、実は
相当強力な布陣であることにまだ気が付かなかった。番組自体は
翌年9月まで続いた(最後半年金曜日は久宝瑠璃子)。実験レポート
作成で深夜番組を聞くようになった(後に渡辺美里/コサキンの
スーパーギャングにハマる)。『おニャン子の危ない夜だよ』
渡辺満里奈+生稲晃子バージョンのラスト一ヶ月を、その時間にまだ
起きていた友人に録音してもらってたのは僅か2年前。生活習慣は
こうも簡単に変わるものなのか。
- 11月2日、生まれて初めてライブへ行く。今はなきエムザ有明で
行われたS.S.T.BAND(セガのゲームバンド)。この月はライブ月間と
称し色々見て回った。翌日11/3は早稲田祭で田村英里子、
さらには、まだ全く売れていなかったKANを前座に迎えてTVKが
録画に入った日比谷シティ小比類巻かほる、慶大三田祭で
渡辺満里奈と…米米クラブもか?
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| 1990 |
- この年NHKで、その筋には重要な『ふしぎの海のナディア』が
放送される。が、それを見ようとしていた私は度々同期達から
妨害を受け(笑)ゲームセンターや食堂や居酒屋などいろいろな所に
連れて行かれることとなる。繰り返されるにつれ興味を失っていき
最後には見る気がなくなった。しかも、これが契機となり、
アニメーションから関心が離れる。
- 初めてコンシューマゲーム機を買う。選択したのは当然セガの
メガドライブ。何故なら自社マシンならゲイングランドが絶対に
リリースされると予想されたからだ。本体と合わせて買ったのは
スーパー大戦略で、丸3年遊ぶ超ロングヒットとなった(笑)。
- 音楽にかける時間が長くなった。まずエアチェック。当時はソフトを
買うお金などろくになかったので、特に洋楽はチャート番組や
雑誌でチェックした音楽を狙っては録音していた。
『I'VE BEEN THINKING ABOUT YOU』『JUST LIKE JESSE JAMES』
『OPPOSITES ATTRACT』『ROAM』『POLICY OF TRUTH』
『(CAN'T LIVE WITHOUT YOUR) LOVE AND AFFECTION』
『SOMETHING TO BELIEVE IN』『SADENESS PART 1』
丁度名曲連発していた。
- 次に ribbon (爆)。永作博美・松野有里巳・佐藤愛子からなる3人組。
デビュー直後から意識して追いかけるようになり、夏になってから
デビューアルバム「LUCKY☆POINT」を聴いて、ハマり込む。
『Be My Diamond』で永作がメインで後の二人がサブだと明確に
打ち出したアレンジになって、興味を失うまで約2年半この状態。
- もう一つは邦楽女性への関心。ribbonや『Domino』田村英里子などで
曲作りをしていた平松愛理に興味を持ち、年末に出たアルバム
「My Dear」にずっぽし打たれてしまう。これ以降鈴木祥子・
平井菜水・田山真美子など所謂ガールポップと所謂アイドルが
ごっちゃとなった状態で個人的なメインストリームとなる。(-1993)
- この年、遊演体というところが主催となって『蓬莱学園の冒険!』
というゲームが展開された。テーブルトークの一種で、今で言う
PBM(play by mail)という形のパイオニアとなった(実際には
これより前にも存在していたが)。プレイヤーとゲームマスターが
一堂に集まるのではなく、手紙や電子メールを利用して個々の
場所からやりとりしながら行うもののこと。大学同期に誘われ
中途参加。それまでの筆無精ぶりが嘘のように変わり、他の要因も
加わって年間当たりの郵便料金が飛躍的に増大する(笑)。
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| 1991 |
- 『スポーツ&ニュース』を担当していた
秋沢淳子さま(TBS)へ関心を
持った辺りから女子アナウンサーチェックが激しくなる。遍歴は
順不同でNHK/上田早苗(現役),NTV/永井美奈子(現フリー)/米森麻美/
笛吹雅子(現役),CX/有賀さつき/佐藤里佳(現役),ANB/岡田真由子
などなど。(-1994)
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| 1992 |
- それは大学で徹夜実験の中休みをしていた時。たまたま実験室で
テレビを見ていると、妙に刺激的なビデオクリップを流す番組に
遭遇した。アイキャッチからその番組名が『BEAT UK』(フジテレビ)
と判明。次の週に自宅でビデオ録画して見た時の1位が『EBENEEZER
GOODE』THE SHAMEN だった。これを境に、洋楽の興味対象が
アメリカ発の物からヨーロッパ発の物へと切り替わる。
この年気に入ってたのは『I'M TOO SEXY』RIGHT SAID FRED に
『STAY』SHAKESPEAR'S SISTER と、既にその予兆があったことになる。
- 初めてパソコン通信なる物に接する。K-NET(後のCOPERNICUS、
現在はAOLに吸収された)と
いうところで、最初は模様眺めだった。ある日音楽の掲示板に
みなとみらいさんという人がアイドルネタで孤軍奮闘しているのを
目撃し『何書いてもいいんだ』と開き直れてからは、アイドル・
邦楽女性・洋楽などの音楽は勿論、旅行・映画・その他次から次へと
手を広げ、時には夜を徹して書き込みをするようになった。
現在こうしているのもこの時に覚えた『反応が返ってくる喜び』
『自分の好き勝手が受け入れられることの気持ちよさ』が大きい。
この後、みなとみらいさんに紹介されて入会したMomoco-netの
メンバーに教えてもらってWhitcher-bbsに、さらに
翌年フリーソフトウェアのオンラインマニュアルに出ていた
ZOB Station BBSにそれぞれ
参加、3ネットとの蜜月時代を迎えた。(-1994)
- ちなみにK-NETでは音楽の掲示板で、邦楽の『カラオケ音楽化』と
当時有名な『隠し財産』をいくつも抱えていた音楽事務所ビーイング
に対して敵意むき出しな書き込みをいくつも積み重ねていた。あれを
netnewsやNIFTY上で展開していたらボロクソに突っ込まれて
いたんだろうな(遠くを見る目)。ちなみに私、カラオケは好きです(笑)
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| 1993 |
- 永井美奈子・米森麻美・薮本雅子の日本テレビ女子アナ3人による
グループ『DORA』がシングル『いつまでもそばにいて』をリリース、
個人的には『PHOREVER PEOPLE』THE SHAMENや『FIND THE RIVER』
R.E.M.などと並びこの年を代表する歌となった。しかし、DORA
活動終了を契機にアナウンサーに対する興味は段々薄れていく。
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