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本当に見ます?遍歴を


かなり年代の記憶が不確かなので、事実に誤りが ある場合はご指摘ください。m(__)m

1978
  • 何回か引っ越す前の実家のアパートにアーケードゲームの問屋が入り、 ゲームマシンが入荷する度その辺のガキに安値(\20〜\50)で遊ばせて いた。インベーダーに始まりギャラクシーウォーズ・オズマウォーズ・ ルナレスキュー・ギャラクシアンなど。同級生の女の子に学校へ 通報されて、その後しばらくしてその業者はそういう扱いを止めた(泣)
1982
  • アーケードゲームが namco の『XEVIOUS』(1981/12発表)で頂点を極める。
  • 3月にテレビアニメ『魔法のプリンセスミンキーモモ』放送開始。 『パタリロ!』『太陽の子エステバン』『ときめきトゥナイト』 その他、当時としては空前の週40本を超える本放送に加えて 関東では『ジムボタン』『妖怪人間ベム』『わんぱく大昔クムクム』 など再放送の本数も傑出、向こう2年間頂点を極める。
  • で、そのミンキーモモのカセット「いつか王子様が…」で、初めて 自腹でオーディオソフトと呼べる物を購入する。それに合わせるように ソニーのWALKMAN IIを購入。(約3年もった)
1983
  • 『CAT'S EYE』杏里と『みゆき』の主題歌『想い出がいっぱい』H2Oの 2曲が邦楽チャートを席巻、特に前者は1位まで取ってしまった。 前年の『超時空要塞マクロス』で飯島真理が、この年には 『魔法の天使クリィミーマミ』で太田貴子が、それぞれ軸として 扱われたことを考えると、この辺からアニメソングの変質が 始まったと考えられる。
  • 番組そのものも『レディジョージィ』は勿論『プラレス3四郎』 『未来警察ウラシマン』『ななこSOS』『亜空大作戦スラングル』 『装甲騎兵ボトムズ』など重要作品が連発。
  • アーケードゲームで『ミスタージャン』(KIWAKO)というエセ麻雀が登場。 ペンゴ(SEGA,1982)の氷ブロックよろしく画面中に存在する麻雀牌を 中央上部の穴に放り込み、役をでっち上げていくとんでもない(笑) ものだった。これをきっかけに麻雀を覚えようと思い立ち、翌年 『ぎゅわんぶらぁ自己中心派』(片山まさゆき/講談社)と出会ってから 仲間内で実際に打ち始める。
  • この春、新宿伊勢丹ではじめて自腹でLPを買う。タイトルは 「亜空大作戦スラングル」。やはり(笑)。追いかけるように レコードプレイヤーとしてソニーのフラミンゴを購入。これは 回転部と半径方向に移動するピックアップだけしかない (=レコードがむき出しになる)という相当特殊なプレイヤーで、 ロットが悪かったのかまもなく故障。で、友人TAK宅に LPとカセットを持ち込み録音してもらうという日々が続く。 この頃に『最小限のハードに最大限のソフト』という投資体制が 確立する(自爆)。
1984
  • 3月、1ヶ月短縮されたレディジョージィの後番組として『とんがり 帽子のメモル』が始まる。終了ショックで…正確には私生活上でも ショックが2つあったのもあるが(謎)…2ヶ月近く見ないでいたのに 何となく見始め、気が付けば虜になっていた。翌年渋谷東映で 行われたOVA『マリエルの宝石箱』発売記念イベントに参加。 山野さと子の生主題歌を耳にして大いに燃える(汗)。確か イベントと呼べるものにこの時初めて参加したはずだ。
  • この頃は、日曜日になると(後には時間移動したメモルの後で) 友人二人と自転車で早稲田まで繰り出し、都電沿線のゲームセンターを 片っ端からはしごしていた。特にナムコの早稲田キャロット(現存)・ 東武ストア王子店(現存)の地下にあった店、荒川遊園地(現存)の 周辺は今も想い出深い。
1985 重要な出会い数多く。
  • 正月(確か1/2)当時日本テレビ17:30〜の中継枠で初めて全日本 プロレスに接する。丁度長州力が新日本から移って来た直後で 天龍・石川対長州・浜口戦だったろうか。この年は4月から テレビ東京で始まった『世界のプロレス』で初代UWFの 中継があったり、ロード・ウォーリアーズが来日したりと プロレス界にとっても重要な出来事が続いた。
  • 何となく、TVKの『Billboard TOP 40』を見始める。2日間かけて 米Billboard誌のシングルチャート上位40曲のビデオクリップを 堪能できる番組で、初めて見た週は『LIKE A VIRGIN』Madonna が 6週連続の首位を『EASY LOVER』Philip Vailey(duet with Phil Collins) に明け渡した週だったはずだ(チャートマニアの人 誰か日付を特定してください(笑))。それまでは『洋楽=不良の 聞くもの』と距離を開けられていて、初めて接したわけ。 まさにカルチャーショック。この年は Whitney Houston・ TEARS FOR FEARS・DIRE STRAITS・a〜ha・前記した Madonna や Phil Collins・そして『WE ARE THE WORLD』と米・欧の よい所が絡み合って傑作が続出した。なお、前記番組は 姿形を変え、ネット局を増やして1998年現在なお放送中。
  • 4月から竜の子プロ初めての少女マンガ原作ものということで 『炎のアルペンローゼ』の放送が始まる(〜同12月)。3月は 早朝からフジテレビでこの番組の宣伝がバンバン流れていたので 刷り込まれて(笑)興味を持ったが、ふたを開けてみるとアニメは 力入れて『面白い』と呼べるレベルではなく、むしろ赤石路代の 原作の方がよかった。これを境にテレビアニメから離れ始め、 少女マンガへと傾倒していく。(前年末でスターザンSが、 3月までに名探偵ホームズもとんがり帽子のメモルも終わって、 それもまた大きかった)
  • その流れは、11月に新宿紀伊國屋書店本店のカレンダーフェアで ひかわきょうこカレンダーと出逢ったことで更に加速される。 パステル調の画風に目を奪われ、初めて自腹でカレンダー購入。 まさに『魂売り渡した』に近しい状態で(笑)その時のカレンダーは 今なお実家に保存してある。これ以降、LaLa(白泉社)連載のマンガ (わかつきめぐみ・なかじ有紀・成田美名子など)を中心に 興味が展開していく。
  • 『パズル通信ニコリ』という雑誌がある。懸賞を売りとしていない 恐らく唯一で、かつ現存最古のパズル雑誌だ。なんとなく手に取った 第12号が面白く、アーケードゲームの雑誌『AM LIFE』が前年に 休刊となった後を埋めるレギュラーとなる。当時は『不定期刊』と いうのを売りとしていた程の遊び心の強い雑誌で、季刊時代・ 隔月刊時代を経過し、とうとう1998年から月刊となった。
1986
  • ゲームファンタジア大久保店が開店。ピンボールに力が入っていて FREE FALL(Stern?) / Black Pyramid(Bally) / HIGH SPEED(Williams) / TOUCH DOWN(Gottlieb) / Q.Bert QUEST(Gottlieb)というとんでもなく 強力な布陣を引いてた。これ以降、新宿界隈での拠点の一つとなる。 グラディウス(Konami)でシューティングゲームに対する力の限界を 感じ始めていたこともあり、ゲームセンターへ行く目的が アーケードゲームからピンボールへとシフトし始める。
  • TSR社の Dungeons & Dragons (当時の日本代理店は新和)が 日本語版で登場、既に訳版の出ていた GDW社の Traveller などと 合わせ、テーブルトークゲームのブーム火付け役となる。 テーブルトークとは、簡単に説明すればコンピュータRPGを 人間だけで遊ぶようなものだが、本来RPG(role playing game)は テーブルトークが起源となっているので、この説明自体時間関係が 逆順となっていて正しくない(笑)。この時の経験があるので (特に Traveller は経験値という概念がない!) どうもコンピュータRPGはゲームではなくて『作業』のように 感じられて、これ以降遊んだものは心底からのめり込めていない。
  • ロッテリア新大久保店で初めてレーザージュークを見かける。 名前の通りレーザーディスク(LD)によるジュークボックス。 『INVISIBLE TOUCH』GENESIS『WALK OF LIFE』DIRE STRAITSほか がんがんにかけまくっていた。後に『涙を見せないで』Winkや 『WEEKEND』X など邦楽でも愛用するようになる。(-1992頃)
1987
  • おニャン子クラブにショックを受け、1年半近く絶っていた邦楽を 再び聴き始める。『冬のオペラグラス』(ちなみに新田恵利)が エンディングに採用されたおかげで、放送第一回から見ていた 『なるほど!ザ・ワールド』を全く見なくなった程毛嫌いしていたので 急転直下の展開といってもよい。 きっかけは CITY HUNTER のED曲でもあった 『Get Wild』TM Network。数年前までと同じように、再びテレビ・ ラジオのチャート番組を追いかけるようになり、挙げ句の果てには 同曲が上がってこないのに腹を立て、自分の好みによる音楽チャートを 毎週自作するようになる(-1993)。
  • しかも、あろうことか高井麻巳子・渡辺満里奈のファンとなる(爆死)
  • 初めてCDを購入。YMOの最も有名なアルバム、SOLID STATE SURVIVOR。 ちなみに2枚目・3枚目はそれぞれ EVERGREEN/渡辺満里奈、 Variee/飯島真理。既にこの時点でクロスジャンルになっている(笑)。
  • 当然CDプレイヤーなる物は持っていなかった(爆)。 その後大学図書館でのバイトを引退する少し前、そこでの リプレース品(やな日本語だ(笑))をただでもらうまでプレイヤーは 人のを間借りした。例の『最低限のハードで最大量のソフト』という あまり誇らしくない習慣がますます堅くなった。
1988
  • 大学入学。桜の花が綺麗だった。それにつられて、入学後1ヶ月は 抜け出して多摩川の河原でごろごろしてることが多かった。
1989
  • ゲームセンターへ行っても、遊ぶものといえばピンボールばかり。 この年のゲイングランド(SEGA)を最後に、アーケードゲームに対して 本腰を入れることがなくなる。
  • 4月から既に始まっていたTBSラジオ『Pop'n ルージュ』を聞き始める。 聞くきっかけは事前情報で奥居香・長峰由紀どちらかが出ていることを 知ったからだ(どっちだったかはもはや忘れた)。この時間(2310-2400) パーソナリティは曜日変わりで永井真理子・笹野みちる(東京少年)・ 奥居香(プリンセスプリンセス)・谷村有美・長峰由紀(TBS)で、実は 相当強力な布陣であることにまだ気が付かなかった。番組自体は 翌年9月まで続いた(最後半年金曜日は久宝瑠璃子)。実験レポート 作成で深夜番組を聞くようになった(後に渡辺美里/コサキンの スーパーギャングにハマる)。『おニャン子の危ない夜だよ』 渡辺満里奈+生稲晃子バージョンのラスト一ヶ月を、その時間にまだ 起きていた友人に録音してもらってたのは僅か2年前。生活習慣は こうも簡単に変わるものなのか。
  • 11月2日、生まれて初めてライブへ行く。今はなきエムザ有明で 行われたS.S.T.BAND(セガのゲームバンド)。この月はライブ月間と 称し色々見て回った。翌日11/3は早稲田祭で田村英里子、 さらには、まだ全く売れていなかったKANを前座に迎えてTVKが 録画に入った日比谷シティ小比類巻かほる、慶大三田祭で 渡辺満里奈と…米米クラブもか?
1990
  • この年NHKで、その筋には重要な『ふしぎの海のナディア』が 放送される。が、それを見ようとしていた私は度々同期達から 妨害を受け(笑)ゲームセンターや食堂や居酒屋などいろいろな所に 連れて行かれることとなる。繰り返されるにつれ興味を失っていき 最後には見る気がなくなった。しかも、これが契機となり、 アニメーションから関心が離れる。
  • 初めてコンシューマゲーム機を買う。選択したのは当然セガの メガドライブ。何故なら自社マシンならゲイングランドが絶対に リリースされると予想されたからだ。本体と合わせて買ったのは スーパー大戦略で、丸3年遊ぶ超ロングヒットとなった(笑)。
  • 音楽にかける時間が長くなった。まずエアチェック。当時はソフトを 買うお金などろくになかったので、特に洋楽はチャート番組や 雑誌でチェックした音楽を狙っては録音していた。 『I'VE BEEN THINKING ABOUT YOU』『JUST LIKE JESSE JAMES』 『OPPOSITES ATTRACT』『ROAM』『POLICY OF TRUTH』 『(CAN'T LIVE WITHOUT YOUR) LOVE AND AFFECTION』 『SOMETHING TO BELIEVE IN』『SADENESS PART 1』 丁度名曲連発していた。
  • 次に ribbon (爆)。永作博美・松野有里巳・佐藤愛子からなる3人組。 デビュー直後から意識して追いかけるようになり、夏になってから デビューアルバム「LUCKY☆POINT」を聴いて、ハマり込む。 『Be My Diamond』で永作がメインで後の二人がサブだと明確に 打ち出したアレンジになって、興味を失うまで約2年半この状態。
  • もう一つは邦楽女性への関心。ribbonや『Domino』田村英里子などで 曲作りをしていた平松愛理に興味を持ち、年末に出たアルバム 「My Dear」にずっぽし打たれてしまう。これ以降鈴木祥子・ 平井菜水・田山真美子など所謂ガールポップと所謂アイドルが ごっちゃとなった状態で個人的なメインストリームとなる。(-1993)
  • この年、遊演体というところが主催となって『蓬莱学園の冒険!』 というゲームが展開された。テーブルトークの一種で、今で言う PBM(play by mail)という形のパイオニアとなった(実際には これより前にも存在していたが)。プレイヤーとゲームマスターが 一堂に集まるのではなく、手紙や電子メールを利用して個々の 場所からやりとりしながら行うもののこと。大学同期に誘われ 中途参加。それまでの筆無精ぶりが嘘のように変わり、他の要因も 加わって年間当たりの郵便料金が飛躍的に増大する(笑)。
1991
  • 『スポーツ&ニュース』を担当していた 秋沢淳子さま(TBS)へ関心を 持った辺りから女子アナウンサーチェックが激しくなる。遍歴は 順不同でNHK/上田早苗(現役),NTV/永井美奈子(現フリー)/米森麻美/ 笛吹雅子(現役),CX/有賀さつき/佐藤里佳(現役),ANB/岡田真由子 などなど。(-1994)
1992
  • それは大学で徹夜実験の中休みをしていた時。たまたま実験室で テレビを見ていると、妙に刺激的なビデオクリップを流す番組に 遭遇した。アイキャッチからその番組名が『BEAT UK』(フジテレビ) と判明。次の週に自宅でビデオ録画して見た時の1位が『EBENEEZER GOODE』THE SHAMEN だった。これを境に、洋楽の興味対象が アメリカ発の物からヨーロッパ発の物へと切り替わる。 この年気に入ってたのは『I'M TOO SEXY』RIGHT SAID FRED に 『STAY』SHAKESPEAR'S SISTER と、既にその予兆があったことになる。
  • 初めてパソコン通信なる物に接する。K-NET(後のCOPERNICUS、 現在はAOLに吸収された)と いうところで、最初は模様眺めだった。ある日音楽の掲示板に みなとみらいさんという人がアイドルネタで孤軍奮闘しているのを 目撃し『何書いてもいいんだ』と開き直れてからは、アイドル・ 邦楽女性・洋楽などの音楽は勿論、旅行・映画・その他次から次へと 手を広げ、時には夜を徹して書き込みをするようになった。 現在こうしているのもこの時に覚えた『反応が返ってくる喜び』 『自分の好き勝手が受け入れられることの気持ちよさ』が大きい。 この後、みなとみらいさんに紹介されて入会したMomoco-netの メンバーに教えてもらってWhitcher-bbsに、さらに 翌年フリーソフトウェアのオンラインマニュアルに出ていた ZOB Station BBSにそれぞれ 参加、3ネットとの蜜月時代を迎えた。(-1994)
  • ちなみにK-NETでは音楽の掲示板で、邦楽の『カラオケ音楽化』と 当時有名な『隠し財産』をいくつも抱えていた音楽事務所ビーイング に対して敵意むき出しな書き込みをいくつも積み重ねていた。あれを netnewsやNIFTY上で展開していたらボロクソに突っ込まれて いたんだろうな(遠くを見る目)。ちなみに私、カラオケは好きです(笑)
1993
  • 永井美奈子・米森麻美・薮本雅子の日本テレビ女子アナ3人による グループ『DORA』がシングル『いつまでもそばにいて』をリリース、 個人的には『PHOREVER PEOPLE』THE SHAMENや『FIND THE RIVER』 R.E.M.などと並びこの年を代表する歌となった。しかし、DORA 活動終了を契機にアナウンサーに対する興味は段々薄れていく。
1994
  • ZOB Station BBS の大規模オフで宿泊していた新松田の某宿屋で 朝っぱらから『ママレード・ボーイ』を見る。少女マンガでメロドラマ (当時で言えばトレンディードラマ)をやってて、キスシーンばしばし それでて日曜朝なのに視聴率二桁というなかなか豪快な番組で(笑) 見続けてたら面白くなり、これをきっかけとして再びテレビアニメを 見るようになる。
  • 追い討ちをかけたのが会社の同僚の部屋で見た映画。タイトルは 『美少女戦士セーラームーンR』。たまたまその同僚はその時点で 発売されていたテレビシリーズのレーザーディスク(LD)を全部 持っていたので、連夜押しかけては初代から順番に見ていった。 あまりに度が過ぎたので、その人の同室の人から苦情が来て(汗)結局 自分でLDプレイヤーを買うこととなるが、それはもう少し先。
  • なにせ、本来の目的(装甲騎兵ボトムズのOVA)に加えて 内容を全く知らない他の(ミラクル☆ガールズ)のディスクを 衝動買いする程、資金を関係ソフトに投入するようになっていた (爆死)ため、ハードになかなかお金が回せなかった訳だ。
  • その同僚に連れられて、夏にはじめてコミックマーケットへ参加する。 本当は蓬莱学園関係のネタ探しに4年前足を運んだんだが、その時は 余りの行列の長さに、幕張メッセの前まで行ってそのまま撤収(笑)。 これ以降同人誌を購入するようになる。当時から『18禁いらない』と いう姿勢で、現在も変わっていない。だって18禁っていうのは ビデオとかゲームとか商業誌とか、そこら中に転がってるんだもの、 そんな所行って入場待ちの行列作ってまで買う必要ないよ(笑)。 関係する分野はセーラームーンに始まりミラクル☆ガールズ→鉄道→ オールドゲーム→少女マンガFC→創作少女→小説FCと1998年現在 なお広がりっ放し(汗)。
  • 以上のような調子で女子アナに加えアイドル・ピンボールに対する 興味が衰え、代りに少女マンガ・パズル・アニメが完全復帰。 音楽を除く興味対象が高校までのそれに逆戻りした。
  • 7月にNIFTY-Serveに参加、これ以降 ZOB/NIFTYと広島の草の根ネット GREEN HILLSの3トップ体制となる。(-1996)
1995
  • n-trance というグループが『SET YOU FREE』という名曲を出す (実はこれが本国での3回目のリリースらしいが、ここでは 詳しく取り上げない)。『EBENEEZER GOODE』に始まった 打ち込み音楽の追求も『MR.VAIN』CULTURE BEAT, USURA, PRODIGY ときて、とうとう頂点を極めた感があった。
  • 同人誌即売会コミティアに初参加。これは所謂創作もの (キャラクター・ストーリーともパロディ(元ネタあり)ではない) 専門の即売会で、独自色が強い。これ以降作者さんとの 交流(文通、オフ会、etc.)が多くなる。本サイトのリンクページに 収録されてる≪同人≫名義のページの大部分がそれに該当する。
  • 富島健夫・豊田行二などの官能…言わばオヤジ小説を 読みふけるようになる。
1996
  • Magic:The Gathering (Wizards of the coast社)と出会う。 現在までで最も有名なトレーディングカードゲームの一つ。 遊び道具を自分で構築するというその豊かな発想に魅せられ、 職場にプレイヤーがいることが分かってからは、仲間を増やしつつ 度々遊んでいる。しかし…お金はかかるわなあ(嘆息)
  • 仕事が切り替わり、年末から度々神戸へ出張することになる。 学生時代2回京都に泊まったことはあるが、これだけ本格的に 遠隔地に体を置くようになったのは初めて。
  • 無印同級生の小説版第3巻にのめり込んでしまった。これ以降 18禁パソコンゲームの小説版を買いあさり、
  • さらにはハイスクール・オーラバスター、スレイヤーズ、 十二国記、必殺お探し人などメジャーな若者向け小説に 次から次へと手を染めるようになる。1998年現在、 魔術師オーフェン、封仙娘々追宝録、フルメタル・パニック! などなお拡張中。
1997
  • 神戸の帰り、近江鉄道八日市は雪だった(謎)
  • そして、12月に website by MAR 仮開設。 ちなみに本開設したのは…本人も覚えてない(苦笑)

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