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ブラジル訪問記 |
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やぁ!!2年振りに会う彼はなかなか貫禄がついた様に見える。彼は2年前からこちらに来て働いている"ブラジル駐在員"だ。早速、彼の運転する車でサンパウロから250キロ離れていると言う彼の住まいへ向かう。久し振りの再開で話しも弾む中、ふと反対車線が目に留まった。何やら騒がしいので良く見てみると..橋が没落(完全に無い!)している。ブラジルではよくあるんだよ−、と彼。..お、おい、俺3時間前にここ通った..しかも暗い中!?その後鳥肌が立つ彼だった。この事は自分にとっても人事では無い。もし彼の身が無事だったとしても、彼があの20キロ以上の渋滞につかまっていたら..今ごろ空港のロビーで途方に暮れていただろう。ちなみにこの道は、ブラジル一の主要道"アイルトンセナハイウェー"と言うそうだ。赤土の大地を首都ブラジリアまでつないでいる。 |
スーパーコンピューターの前で。 |
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彼のアパートに向かう途中、ブラジルったってちゃんと大きなスーパーマーケットもあるんだぜ、と自慢げ。ここだよ、と寄った所はなるほど大きく、食品も抱負だ。これ何?とドラム缶を小さくした様な物を指すと、ガスだよ、これ重いんだ。でも3ヶ月に一度買いに来なきゃならないんだ。..えっ自分で交換するの!?電化製品売り場では扇風機が首を振りながら幅をきかせ..懐かしい型のラジカセ、ミュージックテープなどなど。食肉売り場では何の肉なのか、大きな乾燥した肉が沢山吊るしてある。 |
巨大な建造物。ブラジルのキリスト教の総本山らしい..。 |
今晩は彼の同僚の日系2世、ジェルソン佐藤さんに夕食を招待される。オードブルからデザートまでのブラジル料理はとても美味しい。日本のこと、ブラジルや言葉、文化のことなど話題は尽きず、楽しい一時が過ぎる。もう行けないだろうから..と、一度訪れた時に買ってきた日本各地の絵はがきを大切そうにアルバムに貼ってあったのが印象に残った。彼にとって日本とはどんな国なのだろう? |
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今日は早起きしてリオデジャネイロへ行ってみる。途中、突然前の車が次々に止まった。その後車はまったく進まず。又橋が落ちたんじゃない?もう戻れないな..後ろもつながってるし..。その2時間後、崖崩れで土砂が完全に片側車線をふさいでいる現場を通過した。う−ん、ブラジルでは良くあるんだよと言う彼の言葉にも昨日の勢いがない。あ、マックあるから朝飯でも食べようぜ!..でも誰もいないみたいだよ。こりゃだめだ、話にならん!と彼。ドアには11時開店と書いてあるらしい..。
寒い東京から来たものにとっては、リオのコパカバーナやイパネバ海岸での真夏の光景は異様に見える。また、この大都会では欧米や日本と変わらない生活が出来る様だ。街には大きなショッピングセンターが幾つもあり、お洒落に着飾った人々で賑わっている。ただ人が多すぎて、エスカレーターに乗るのにも東京の地下鉄の様に長い行列に並ばなければならないのだが..。
道路脇にはバナナやパパイヤがたわわに実っている。これは天然物だろうか?しかし、道端ではこれらを売っている人々がいる。確かに暑いのだが、身に付けているのはパンツのみ..。どこに行くのか、どこに住まいがあるのか?何でこんな所に?という場所でも沢山みかける。また道路を頻繁に横切るので危なくてしょうがない。彼曰く、もし黒人を車で跳ねたら取りあえず逃げろ!じゃないと、その親や家族に自分が殺される!だそうだ。 |
町のシンボル”Cristo Redentor”。あいにくの天気でご覧の通り..。(リオ・デ・ジャネイロ)
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箱庭のようなリオの町並みを見下ろす。(リオ・デ・ジャネイロ) |
ブラジル名物のシュラスコは、わんこそばに似ている。もう要らない!と言うまで延々と様々な肉を持ってくるからだ。自分のペースでゆっくり食べれば良いのだが、シュラスコ初体験の日本人にそんな事が出来るはずが無い。それでも鳥の心臓(心臓そのままの形!)が一番美味しかった。また彼はサンパウロでも最高級の店に連れて行ってくれた様だ。入り口に車を止めると、すかさずーイがドアを開け車を所定の位置まで運んでくれるのだ。ビールなどを頼むとわざわざクーラーに入れて持ってくる。Tシャツ、Gパンにナイキエアーの格好で、ちょっと浮いてしまう。
ブラジルと言えばコーヒーだ。道端のガソリンスタンドには大抵カフェがあり、手軽に安く飲むことが出来る。挽き方が細かいので、当然味は濃くなる。その為、砂糖を沢山入れる事になり甘い物が苦手なものにはちょっと辛い。こちらでブラックと言うと、砂糖入りが常識の様だ。ただ救われるのは、カップが普通の半分位の大きさだという事。やはりブラジル人でも大量には飲めないのだろう。
サンパウロには世界一の日本人街がある。ちょっとした街だ。演歌が流れるその商店街は懐かしく、昔日本の何処にでもあった町並みだ。露店では焼きそばやタコ焼きから日本人形まで..お祭りの夜店の様だ。夜、彼と寿司屋で飲んでいると仕事帰りに一杯飲んでいる気分になる。テレビから流れるポルトガル語のサッカー中継を除いては..。
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アルゼンチン紀行 |
1.アコンカグア編 |
機内からは、森の中を大きく蛇行した河が見える。おそらくウルグアイ辺りを飛んでいるのだろう。もうすぐアルゼンチン入国だ。これからが本番..緊張が走る。ブエノスアイレスからは一路西へ、メンドーサを目指す予定。しかし、この左ハンドルのマニュアル車プジョー205はひどいものである。至る所が錆びつき、シートもキーキー鳴き..エアコンは効かず。一番やっかいなのは、右前タイヤのシャフトが曲がっているのだろう、高速で走るとかなり揺れ、苦痛を覚える。これからの旅..ホントに大丈夫だろうか?と不安を感じる。 |
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この町メンドーサはワインとアコンカグア登山で有名な、チリとの国境に近い綺麗な町。街にはカフェに人々があふれている。カフェではビールやワインも飲むことが出来、つい昼間から飲んでしまう事になる。特にアンデスの天然水を使ったと言うアンデスビールは絶品の味で、沢山買い込んでしまう。
(後に成田の税関で、お酒は?と聞かれ、アンデスビール5本です!と言ってしまい笑われる事になる。)
この町が妙に気に入ってしまい、当初の予定を無視して3泊してしまう。ホテルはいわゆる一つ星で、初めは窓に鍵が無いのがちょっと気になったのだが、住めば都である。朝食で出される、たっぷりのカフェコンレチェと数種類のパンはとても美味しい。 |
グローリアの丘に建つ”サン・マティン将軍”の像。(メンドーサ) |
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メンドーサからバスに乗って約150キロで国境の村
(村と言ってもカフェとホテルが一件あるだけ。標高3200メートル)
に行くことが出来る。ここから山道を登ること2時間、4200メートルの頂に到着。アルゼンチンからは唯一ここから、南半球最高頂のアコンカグア峰(6960メートル)を望む事が出来る。深い雪に覆われたその姿は神秘的で、何か人を圧倒する様な迫力だった。そして、もう目の前はチリである。 |
街道沿いのカフェ。 |
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どんな小さな町にも教会はある。 |
チリとの国境の町”ラス・クエバス”にあるユースホステル。 |
チリ国境を目指して。 |
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4200mの峠”クリスト・レデントール”に立つキリスト像。
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アルゼンチン側の建物。 |
峠の反対側。もう直ぐそこはチリ。 |
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南米最高峰の”アコンカグア”。標高6959mの雄姿は、アルゼンチンからは唯一ここから見ることが出来る。 |
この街では、今日中に絶対やっておかなければならない事がある。帰路フライトのリコンファームである。アルゼンチンでは電話をかけるのに、専用のコインかカードが必要で、何でもキオスコなどで手に入るという。そこでカードを買い、機内誌に載っていたバスピ航空のオフィスへ電話。あれ?かからないなぁ..。キオスコのおじさんに聞くと、どうもその市外局番は国際電話用の様だ。ブエノスアイレスの市外局番で再トライ。電話はつながったが、テープが流れているだけだ。たぶんまだ9時前だからだろう。その通り、9時過ぎに電話はつながった。海外での電話は勢いが勝負である。ブエノスディアス!アブライングレス?..イェス
アイキャンスピークイングリッシュ。電話の向こうからの返事。やった、英語が通じればこっちのものだ。だが新たな問題が..このリコンファームは帰路の3フライトをやらなければならない。したがって時間がかかる。遠距離通話のカード度数はどんどん早いペースで減っていく。OK
ウィーコンファームド。サ、サンキュー チャオ!カードは使い果たされた。ぎりぎりであった。 |
2.アンデス山脈編 |
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メンドーサからパタゴニアの玄関口バリローチェまでは約900キロ。国道40号線というのが走っており、一日で走り切ろう!と意気込んでいたのだが、この後最大のピンチが待ち受けていたとは..。 |
パタゴニアへ向かう。アンデスの山並みが遠のいていく。 |
緑豊かな..。 |
午後4時、とある町を通過。ここには小奇麗なホテルがいくつか有り、泊まろうかな..と一瞬アクセルを緩めたのだが、もう少し行こうと欲がでたのが悪夢の始まりだった。それから30分もしないうちに道に穴が目立ち始め、路肩はボロボロになり..。R40は未舗装路へと変わっていたのだった。ここが地球上とはとても思えない、岩と砂だけの世界。時々道を横切るアルマジロだけが生命を感じさせる唯一の物だ。 |
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アンデス山中のオアシス。 |
アンデス山脈の夕焼け。言葉にならない..。 |
地図もいけなかった。空港で買った大ざっぱな物で、舗装、未舗装や高低の表示などは無い。もう少し行けばダートは終わるだろうと思い進むが、それどころか道はどんどん標高を上げ..落石も増えてきた。おまけにガソリンも乏しい。どうしよう..不安になりかけた頃、小さな集落を発見。ガソリンスタンドを見つけようと徐行していると、小さな子供がこっちを指差し何か叫ぶのが聞こえる..。結局この集落にはガソリンは無かった。だが次の集落に有るという。..そこから36キロ、ガソリンスタンドは有った。その集落を登りきる頃、まさに黄昏時であった。アンデスの山々と今まで見たこともない様な真っ赤な夕焼け..思わず息を呑む。 |
ガソリンの心配は無くなったものの、時間だけはどんどん過ぎていく。午前零時、今日は16日かぁ..とため息がでる。そう言えば、ゆりは今日ニューヨークに行くって言ってたなぁ。オレはこんな所で何やってんだろう?昨年訪れた摩天楼の夜景が目に浮かぶ。思いっきり落ち込んでしまった。 |
それからいくつの険しい峠を越えただろう..ダートは舗装路に変わった。後で分かった事だが、この道は地元の人も滅多に通らないアンデス越えルートだった..。夜空に輝く満天の星だけがせめてもの救いだった。未舗装路走行距離400キロ。AM3時半、車中にて就寝。 |
3.パタゴニア編 |
パタゴニアの玄関口バリローチェは南米のスイスと言われるほど、山と湖に囲まれた綺麗な町だ。ここには気持ちの良いキャンプ場がたくさんあるので迷わずキャンプ。焚き火をし、星を見ながら飲むビール..最高。ここで一匹のハスキー犬と友達になった。名前はペロにしておこう。毎晩、焚き火の横にきては寝るかわいいやつだ。実は夕食の残りが目当てなのだが..。たぶん東洋人など滅多に見た事がないのだろう。となりでキャンプをしていた家族の小さな女の子が、遠目でこちらを覗いている。
クァントス アニョス ティエネ ウステ?..女の子は恥ずかしそうに指を3本立てた。 |
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今晩はキャンプにする。(サンカルロス・デ・バリローチェ) |
キャンプの夜..。焚き火を見ていると時間を忘れてしまう。 |
モレノ湖畔に建つ”ジャオジャオホテル”。 |
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”ナウエル・ウアピ国立公園”を訪れる。 |
途中朽ち果てた”フォルクスワーゲン”が..。 |
”トロナドール山”を目指してダートを行く。 |
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エメラルドグリーンの静かな湖畔。時が止まった様..。 |
今回の旅の相棒”プジョー205”。左ハンドルのマニュアル車も慣れれば..。
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”ナウエル・ウアピ国立公園” |
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2、3000メートルの山脈のなか、ひときわ高くそびえるのはトロナドール山。しかしその山でさえ未舗装路を50キロ程入らないと、眺める事は出来ない。氷河が溶解して出来ると言う、独特のエメラルドグリーンの湖を通り抜け現れたその山は、その殆どは氷河で覆われて、頂上はスイスのマッターホルンの様。氷河の末端まで歩いて行きキャンプ。時々ものすごい音を発てて氷河が崩れ落ちる。 |
トロナドール山(3554m)。 |
神秘のロス・モスコス湖。 |
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”ベンティスケロ・ネグロ”。黒い氷河だ。時々もの凄い音を立てて崩れ落ちる。 |
ここにはジャウジャウの森がある。ジャウジャウの木と言う白樺に似た、しかし小鹿の様な模様の木肌を持つ木。不思議の国に迷い込んだ様な、そんな感じの森だ。妖精が住んでいるとすれば、こんな所なんだろうな..と思う。事実妖精は住んでいた..。ジャウジャウの木の写真の中に..。 |
4.帰路にて |
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昨晩は偶然にもアメリカ風モーテルに泊まる事が出来たため、目覚めが良い。今日でついに旅の終わり。しかしエセイサ国際空港まではまだ700キロ以上もある。朝6時20分、出発。それから50分後だった、道路脇のキロポスト表示の異変に気が付いたのは..。反対の方向に向かって走っていたのだ。8時過ぎ、朝出発したモーテル脇を通過。情けない..。 |
これが”アンデスビール”とメンドーサのワイン。今晩のお酒。 |
サンパウロからずっと一緒だった、日系3世の子と偶然にもソウルからの機内で隣り同士になった。お互い顔は知っているのだが、きっかけも無いまま数十分..意外な時に機会は訪れた。今回の機内食(帰路で実に6回目で最後の食事)は、もりそばと寿司。何気なく隣を見ると、何とそばつゆに寿司を浸し、それをスプーンですくって食べている。見かねて、違う違うそれはそばに付けて食べるんだよ。(もちろんジェスチャーで)にもかかわらず、今度はみかんをつゆに付けている。違うって!あと寿司には醤油を付けるの。彼女はしょうがに醤油をかける..。お互い笑ってしまった。日本語話せる?..すこし。それからは楽しい時間が過ぎた事は言うまでも無い。 |
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