·  ·  育休をとったわけ

1993年四月に待望の男の子を授かった。実は生まれる前から男の子だとわかっていた。妊娠の定期検診に付き添ったとき、妻と相談のうえお医者さんから聞き出したのだ。長女から離れること10学年。おなかにエコーを当てられながら、男の子だと知らされて、感激に涙をあふれさせていた妻の顔が忘れられない。

1992年4月より、法的には男性でも育児休暇(育休)が取れるようになった。実は僕たち夫婦は“すったもんだ”があったあげくに交代で育休を取ることを約束していた。妻が4月13日の出産から8月いっぱいまで4ヵ月半の産休と育休をとろうというわけだ。

僕は炊事・洗濯・掃除・風呂洗い…の家事一般に何の苦労もない。もちろん面倒ではあるけれども。なぜか。…それは妻の教育のたまものである。

結婚当初はごく普通の共働き夫婦であり亭主だった。僕の用事はたいてい座ったままで足りていた。「ねえあれとって」「これやっといて」といえばいいだけ。ところが長女が生まれてから事態は少しずつ変化していった。

妻が勤務先の病院の院内保育所に長女を預けるようになったある朝のこと、通勤ラッシュの中を子連れで出勤しようとしている妻を尻目に、自分の身支度だけを整えてさっさと先に出勤しようとしていた僕は、強い抗議を受けた。子供にミルクを飲ませたり着替えをさせてから、自分の支度をやっと整えて出かけていくこっちの身にもなってみろというわけだ。「せめて生ゴミをまとめて出してくれれば助かるのに」。

翌日からは朝の生ゴミだしは僕の仕事となった。

翌週から「燃えないゴミ」出しも僕の仕事となった。

子供の朝のミルク当番、着替え当番…と、朝の仕事がこの調子で増えていった。そしてやればやるほど感謝された。今から考えれば不自然なほどに大袈裟に喜ばれた。僕はいいきになって喜ばれるままに家事に参加していった。風呂洗い、買い物、夕食作り…、夕食など作れば身の置き場がなくなるような賞賛と感謝のことばがふりそそいだ。

そういえば洗濯で大失敗をしたことがある。妻が大切にしていたピンクのシルクのブラウスを洗濯機に突っ込んで洗ったうえ、電気乾燥機にかけて子供服サイズにしてしまったのだ。帰宅した妻は哀れな姿となったブラウスを抱いて口元を引きつらせた。いっぱく間を取ってから「仕方がないわね」と一言。けっして僕をなじろうとはしなかった。

慣れない家事を一生懸命こなしている僕に対する感謝の気持ちの大きさが、このときの寛容さになってあらわれたのだろう。でも最近になっても妻の口からひょんに哀れなピンクのブラウスの話題が出てくることがある。本当はよほど頭にきていたのだろう。ごめんなさい。

炊事は自身があった。自分でもジャガイモの皮むきの手つきや料理の段取りは、包丁さばきの危うい妻よりは数段うえだと思いながら作っていた。でも、今にして思えば此れが妻の作戦だったのだろう。能ある鷹は爪を隠す。僕は試合に勝って勝負に負けた

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