あれから、高校を卒業できたオレは、あかりと同じ
大学に進学した。
 ちょっと理想高めの大学だったが、あかりとふたり
で頑張った甲斐もあり、なんとか無事、合格できた。


 来栖川電工の新製品として、マルチとセリオが発売
されたのは、いまから半年ぐらい前のことだった。
 セリオは多彩な機能が、マルチはその低価格が人気
を呼び、どちらとも瞬く間に大ヒット商品になった。
 街にはいろんなバージョンの彼女たちが溢れ、家庭
で、オフィスで、その他いろいろな場面で、彼女たち
の活躍する姿が見れるようになった。
 だが、ただひとつ、マルチに関しては、大きな仕様
変更が加えられていた…。

 優しいマルチの心を受け継いだはずの妹たち。
 だが、姿形こそそのままだったけど、彼女たちは、
オレの知ってるマルチじゃなかった。
 テレビのCMでも、店頭のショーウインドー越しに
も、彼女たちは、あの日のマルチのような優しい笑顔
を見せることはなかった。
 彼女たちは不必要な機能をいっさい省いた低コスト
マシンをウリに、発売されたのだった。


「浩之さん。もしいつか、どこかで、わたしの妹たち
を見掛けたら、どうか、声を掛けてあげてください。
わたしがこんなにも好きになった方ですもの、きっと
妹たちも、浩之さんのこと、大好きになるはずです」

「オレ、お前の妹が売られたら、絶対買うよ。記憶は
ないかもしれないけど、それでもやっぱ、少しはお前
の心が入ってんだろ? …だったら、ふたりでまた、
新しい思い出を作っていこうな」

「…はい!」


 オレは、あの日の約束通り、マルチの妹を買った。


「マルチ…」
「……」
「マルチ…」
 ぶうぅぅん…。
「――おはようございます」
「マルチ、オレだ、浩之だ。…わかるか?」
「――ユーザー登録。浩之…様ですね」
「…マルチ」
「――なんなりとご命令ください。浩之様」

「なあ、マルチ、オレ、ちゃんと買ったぜ? あの日
の約束通りにさ」
「――……」
「…そりゃ、さすがにちょっと、貧乏学生にはツライ
買い物だったけどさ、けど、約束だもんな?」
「――……」
「おかげでこれからの大学生活4年間、オヤジに金を
返すためにバイト三昧の生活だぜ。あーあー、バラ色
の大学生がよー。ちょっとは感謝しろよな?」
 オレは微笑んで言った。
「…マルチ」
「――はい、浩之様」
「ほら、なんとか言えよ?」
「――なんなりとご命令ください」

「…違うだろ、マルチ」
「――……」
「…前みたいに笑顔、見せろよ」
「――……」
「…前みたいに甘えてこいよ」
「――……」
「…また、頭撫でてやるからさ」
「――……」
「…な?」

「――なんなりとご命令ください」
「……」
「――なんなりとご命令ください」
「……」
「――なんなりとご命令ください」
「……」
「――なんなりと…」
 ぷつんっ。


 そんなことを、それから何度も繰り返した。
 だが、マルチは決して、あの日の笑顔を見せること
はなかった。


 それから、しばらく経ったある日のこと。


 ピンポーン。
 オレ宛てに、宅急便が届いた。
 差出人は、
『来栖川電工中央研究所 第七研究開発室HM開発課』
 とあった。
 それが、マルチの開発者だと判ったのは中にあった
手紙を読んでからのことだった。

 手紙には、味もそっけもないワープロ印刷で、短く
こう書かれていた。

 このたびは、当社製品『HM12型マルチ』をお買
いあげいただき、まことにありがとうございます。
 いきなりで驚かれるかもしれませんが、あなたの家
に届けられたマルチは、以前あなたにお世話になった、
かつてのあのマルチです。
 現在はダミーのソフトが組み込まれていますので、
同封のDVDから起動し、指示に従ってください。
 それで、以前のマルチが目を覚まします。
 私たちの娘をなにとぞ、よろしくお願いします。

            開発主任 長瀬源五郎 

 追伸
 ユーザー登録はお早めに。
 以前から準備はしていたのですが、そちらの登録が
遅れたので、対応が遅れました。

 追伸2
 困ったときのユーザーサポートは、以下の電話番号
へ――。

 オレは最後まで目を通さないうちに走り出し、部屋
へと駆け込んだ。


「マルチ、マルチ」
 オレは、はやる気持ちもあらわにDVDロムを取り
出すと、マルチの前に立った。
 繋がったままのメンテ用パソコンにDVDを組み込
むと、画面が立ち上がるのを待った。
 画面に指示が出る。
 オレはあせる指で、その通りにマウスを動かした。
 マルチにプラグインされたコードから、解凍された
データが流れ込んでゆく。

 やがて入力が終わり、本体が起動し始めた。

 ぶうぅぅん…。
「――……」
「……」
「――……」
「マルチ…?」
 オレは囁くように言った。
「――……」
「マルチ…!」
 今度は強くその名を呼んだ。
 すると――。

「…浩之さん…」
「マルチ…」
「…あ、会えた。…また、会えました…」
「マルチ!」
「浩之さあああああぁぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん!」


 広げた腕に勢いよく飛び込んできたマルチを、オレ
は思いっきり強く抱き締めた。
「マルチ、マルチっ!」
「浩之さん、浩之さんっ!」
 マルチの目から、大粒の涙が溢れ出した。
「…わ、わたし、…てっきり、もう、会えないんだと
ばかり思ってました」
 マルチはぎゅっとオレにしがみついた。

「…マルチ、オレのこと、覚えてるんだな!?」
「はい、もちろんです! わたしにとっては、ほんの
昨日のことですから」
「オレ、寂しかったぜ? お前のその笑顔が見れなく
てさ」
「…ひ、浩之さん」
「でも、今日からはずっと一緒だぜ。なんてったって
オレは、正式にお前のご主人様になったんだからな」
「は、はいっ! 嬉しいです。とっても、とっても、
嬉しいです! ご主人様!」
 マルチの目から止めどなく涙が流れ出る。

「ははは、相変わらず泣き虫だな、マルチは」
「…ご、ご主人様ぁ、ご主人様ぁぁ………」
 苦笑してその頭を撫でつつも、じつはオレも、ほん
のちょっぴり泣いていた。

 眩しい陽射しを浴びながら、オレとマルチは、強く
抱き締め合った。
 お互いの温かさを感じながら、オレたちはふたりの
凍っていた時間が、緩やかに動き出すのを感じていた。
 オレのマルチ。
 その溢れるような眩しい笑顔は、ついに本当にこの
オレのものになった。

「ご主人様、大好きです!」


 終わり(トゥルーエンド)

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