平清水焼 大徳利 春風駘蕩図

平清水焼 大徳利 春風駘蕩図

平清水焼 大徳利1


平清水焼 大徳利2


平清水焼 大徳利3 平清水焼 大徳利4


平清水焼 大徳利5

寸法は高さ約47.5cm、胴幅は一番広い所で約29cm。頸長約15.5cm、外径約7.5cm。高台は外径約13cmあります。これだけ大きいのに 陶器であり、且つ傷みはありません。

呉須の色や土味から、初見では時代は所謂幕末から明治でいいと見ましたが、これは時代云々で語るよりも作品そのものと向き合って欲しいと思います。 それよりも産地は如何なものでしょうか? この手の作品は伊万里から遠い地方、至る所で作られた歴史があります。 当地から出た物であり、図柄から考えても東北方面かなと、定番通り仙台を手始めに探してみたのですが、同じような作品は見つけられませんでした。

有田を拠点として生活雑器の磁器が完成されてくると、各地に焼成の技術も広まっていきました。が、土地によっては石器であったり このように陶器であったりもしました。しかし胎土の枯渇や大政奉還、後の戦争等時代の流れの中で閉窯した所も多数。 その上軟陶ですから壊れやすく、また伊万里や九谷の磁器に比べれば崇められるような品でもなかったからか、残存数も少ないのかもしれません。 赤味を帯びた土肌・青味を帯びた釉調。取り敢えず、古い平清水の皿に味わいの似たものを目にし、アタリをつけた次第です。

余談ですけど平清水焼は相馬から陶工を招いたと伝えられます。 初代相馬藩主 利胤(としたね)の下には、久留里城主 土屋忠直の妹が出向き、後の三代 忠胤(ただたね)は忠直の二男という事です。 この地に伝播した由も久留里藩あればこそでしょう。勿論作風から相馬焼とは思えません。 時代背景と、平清水焼も肥前からも陶工を招き天保年間には磁器の焼成も完成していたという史実からも、それ以前 の作品とみるのが妥当ではないかと推測しています。これだけの大きさを陶器として作り上げてる拘りが感じ取れるのです。

それにしても、代々譜代大名が治めた久留里城。城主ゆかりの名品が殆ど保存もされず、見る術も無いというのは悲しい事です。 それ以前に、このクラスの焼物でも歴史的・芸術的価値の高い品は全国津々浦々で作られた筈です。それが話題に上らない、現存をみない という事実が残念でならないと思うのです。

閑話休題。尤も、窯や産地に拘るつもりは毛頭無いのです。ただ、花が勢いよく咲き、蝶が舞い、鳥が囀り、上部の文様も柔らかい春風。 この絵は春を心待ちにする絵師の気持ちが表れています。呉須の色合い共々、陶器であることであたたかさがより出たのでしょう。 勿論、5枚目の組写真を見て頂けば濃淡が丁寧に着けられ、流線もスッと伸びて筆の運びも確かです。きっと同じ窯では 同等の温もりを持つ作品が多数作られたことでしょうね。あるいは熟練の絵師がこの地に流れついたのか・・・ ・・・

確かにこのデザインの元は伊万里を始めとする磁器のそれ。求める物を同じにすれば、比較にすらなりません。実際 陶器は下に見られ、市場でも歓迎されるものではありません。でもこのあたたかさ。ちょこっと凹みがありますけど、しっかり釉薬がのっている窯傷で、 これが磁器だったら現存を許されないでしょう。だからそれさえ誇らしい。この逸品と向き合う時は、 その時の感覚だけを楽しめばいいんだと思います。他の物は関係ない。実際、同等の物を見る事はあまりありませんけどね。

貶めるつもりはありませんが、磁器は染め付の善し悪しで絵画にも負けない芸術性を楽しめますが、焼き物として目指すところは 一つ方向に向かってるとも言えます。造形の楽しみは希に珍品として出現しますけど、ある意味行き着くところまで行ってる。 キレイですから多くの人に愛されますけど、それこそ壺に嵌った時には掛け替えのない逸品となるのが陶器の面白さではないでしょうか。 この大徳利、大好きです。

さて、最後に値段を公開することになってるんですけれども困った。数寄者として対峙してるだけならいいんですが、 磁器に比して格別な扱いをされてないことは勿論知っているわけで。だけど惚れ込んだこの逸品、手放したらそうそう巡り会えないでしょう。 解ってくれる人にこそ持って貰いたい。ということで、\?とつけておきます。
おかげさまでお嫁入り致しました


お気に入りの逸品 に戻る

トップに戻る