|
紫陽花が開花する季節。しっとりと何処かに憂いを帯び、気品ある女性の佇まい。雨の日を退屈させない紫陽花が私は好きだ。
淡い藍の彩は日本列島の山野に、まるで手毬を撒き散らした様にそれぞれ違った顔を見せてくれる。静かに、或は黙って咲く花に
何故か愛しさを思うのである。
東洋の薔薇とも呼ばれる紫陽花には多くの品種があるようだが、伊豆や房総半島の海辺、丘陵地に自生する、浜アジサイ (ガクアジサイ)と、太平洋側一帯の山野に咲く、沢アジサイ(山アジサイ)の二種が日本で生まれた古来種のようである。 東北・北海道にはエゾ・ムツがあり、他品種だとも聞くが、生育の条件や気温に依って変化するのが紫陽花で、 どうやら「山アジサイ」の流れを汲む品種とみてよさそうだ。 西洋紫陽花(ハイドランジア)と呼ぶものがある。幕末〜明治、長崎や伊万里の港からヨーロッパに渡った「ガクアジサイ」が逆輸入された 所謂里帰り品だというのが識者の通説である。紫陽花は株分けや挿し木が簡単なことから品種改良がなされて新種になったものだろうか。 「アジサイ」に「紫陽花」の漢字を当てたのは唐の詩人、白居易(白楽天)で白氏文集に依る。 『招賢寺に花をつけた木があるが誰もその名前を知らない、花の色は紫でかおり良く美しい。 まさに仙境に咲く花に相応しいので、紫陽花と名付けよう』と添えられている。 語源は、やまと言葉で『集真藍・安豆作為・味狭藍-あづさい-』藍があつまる意とある。里帰りの「ヒドランジア」はギリシャ語で、 英語では「ハイドレインシア」水の容器という意味があるらしい。幕末にドイツ人の医師「シーボルト」がオランダ商館員として来日し、 日本の医学に貢献、後の開国にも影響を与えたことだが、日本人妻「楠本滝」の名を紫陽花に名付けたことでも知られている。 「お滝さん」と発音出来ず「オタクサ」と呼んだ妻の名から「ハイドランジア・オタクサ」と名付け世界に広まった日本のアジサイである。 花言葉に、移り気・我慢強い愛・無情・嘘つき、などがあるそうだが、花の色変わりを眺めていると当を得ている様でもある。 「お滝」を妻にした時、シーボルトは29歳・お滝は17歳。自国の親達への手紙に「素晴らしい日本の少女と結婚することに決めた。 彼女以外の女性を妻にすることは無い」と心中を綴っている。長崎に愛の巣を構え、二年後の文政10年には娘「イネ」が生まれている。 シーボルトは本国の命で一時帰国しようとするが、運悪く船が難破、国外持ち出し禁止の日本地図が船内で見つかり、スパイ行為として国外退去となる。 のちに(安政5年の日蘭和平条約)再入国し滝やイネとも再会することだが、文政〜天保の頃は「蛮社の獄」につながる諸問題、鎖国か開国かで国中が揺れていた頃。 高野長英・渡辺崋山など、国を憂い藩のため死を選んだ時代でもある。 時は明治6年「滝」の娘「楠本イネ」は宮内省御用掛を拝命。「イネ」には娘「高子」も生まれている。時を刻んで説明しなければ要領を得ないと思うが、 日本で初の女医、産科医となった「楠本高子」女史がその人である。 房総半島では海岸線に沿って丘陵の各処に咲く浜紫陽花が綺麗だ。「麻綿原高原」に遅咲きが花をつけるのも間近だろう。 長崎では県内各処で「おたくさ祭り」が開催されると聞く。シーボルトとお滝さんのロマンス、その昔を偲ぶ数々の紫陽花、 様々なイベントが賑わいを見せるようである。皐月の空の下、紫陽花は日本女性を物語るようで美しい。季節に一番似合う花 まさに「雨に咲く花」であろうか・・・ ・・・
古伊万里 染付
藍絵九谷手 紫陽花文 金口紅 輪花形 手塩・猪口・向付・鱠皿。
買取はお電話で 0438−36−7208(なにわや)
トップに戻る
|