解題・12月のnonoの作り方

または

あいぼん連合軍とのの親衛隊とリスペクトとオマージュ

ばーちゃんネットアイドルちよ74歳 解題になぞらえてまとめ上げたので必ずしもこの限りではありませんが、12月のnonoで僕が意図していたことは以下の通りです。
最初のその1・2はこの範疇にあったと思います。次のその3・4・5・6はコントロールを怠りませんでした。
しかし、最後の7・最終回はかなり逸脱して好き勝手にしました。そうすることも範疇だったからです。終盤の読者にとってはここに書かれていることは僕のやっていたこととは違うと感じる向きもあるかもしれませんがしかし、これは本当に計画され、実行されていましたし、終盤におけるその出来不出来はともかくとしてください。

なお、この文章は「モー想日記の作り方」、もしくは「文章を主体としたweb小説一般の作り方」ではありません。

つまり、ここに書かれていることを実行して作られるものは、12月のnono以外のものではありません。もし貴方が承諾できない意見であったとしても、それは貴方が12月のnonoを作りたいと思っていないというだけの話です。

12月のnonoについて

構想時の漠然とした目的は単純で BlackAshにおいての妄想あいぼん日記の再現だった。12月のnonoは形式こそは数多あるモー想日記 の形式を取っているが、実際に行われていたことはあいぼん日記そのものである。ただ、フォーマットもそのままにあいぼん日記を再現しては面白くないし意味もない。それにモー想日記は既に数多く存在していたので、12月のnonoではBlackAshのフォーマットを使用し多少独自のエッセンスを加えた。これはBlackAsh 、tmash氏 Black氏 MIST氏の三者に捧げるオマージュである。
インターネットに於いてモー想日記は五万とあるし、既に出尽くした感もあった。パロディとは正式には嘲笑ネタにするという意味だがここでは異なる。此処で言うパロディコンテンツとは、各作者に捧げるオマージュである。パロディという言葉の方が一般的なので、ここでは使用した。ほいみん氏が『ムーノーローカルのパロディサイトは幾つかあったが、rhyme氏が用いていたミスディレクションまでパロディしているサイトは僕の知る限りでは無かった。また、アクセス数目的で始めたサイトだと思われるのが嫌だったので、宣伝の類は一切行わなかった』 と言っているが、12月のnonoはどうだったか。僕はその考察をする術を持ち合わせておりません。

僕はBlackAshにある種のオリジナリティを感じた。デザインや文章等、表現方法は様々有ってもカテゴライズできるものだ。しかし 同じような性格、同じような体格であっても人間個々が確実に違うように、BlackAshの中に体温を感じた。
ここは元々「Numberからの手紙」という、なんだか解らないサイトであったが、12月のnonoはその企画の一つに過ぎず、本来ならば12月で終了予定の筈であった。しかしながら12月のnonoは史実であり、あの想い出を年末までにまとめ上げる文章力が僕にはなかったので、史実を素直に筆に任せて続けてみようかという気になった。僕の筆は、楽しくなければ進まない。webサイトは見る側が楽しくなければ続かないが、書く方も同じである。僕は自分が楽しいと思ったコンテンツだけを続けている。自分が楽しめない コンテンツはすぐやめる というか続けられない。昔、週刊少年ジャンプで好評を得た読み切り漫画を連載漫画に格上げするカセット方式(次々に入れ替えることから)という手法が使われたがそれに近い。その間にReadMe!の更新内容を12月のnonoにしたり、サイト内で12月のメインコンテンツという位置づけだと連呼した。そして意を汲んでくださったBlackAshさんがトップページにリンクを貼ってくれたのだが、それがアクセス数増加の引き金となったようである。これに関しては色々と感じることがあるのだが、結果的に沢山の人が訪れてくれる結果となったので良かったことと思う。アクセス数が増えたあとは、悲しいかな確実に減ることも体感していく事になる。
期間に関しては全8回。これはその1を書き上げた時にすぐ決まった。毎週一回、クリスマスというイベントにタイムスケジュールを合わせるという事を考えて、最終回が1/15という事もその日のうちに決まった。僕の表現力で無理なく、なすがままに。当然それ自体は長すぎず短すぎず、このくらいの日数が12月のnonoには相応しかった、というよりこれしか無かった。これ以降続けてしまうと12月のnonoはBlackAshのオマージュコンテンツではなく、Numberの1コンテンツとして認知されてしまう可能性がある。それは作者としては本意ではない。12月のnonoは最後までBlackAshの妄想あいぼん日記のオマージュであるべきだと思った。
元々一発ネタとして用意したコンテンツであるがゆえに、リピーター、何回も訪れて貰うといったことはあまり考えなかった。だから回を重ねる事にアクセス数が低下してもそれは予め想像出来た事だったし、このストーリーそのものは最終回を迎えて初めて意味を成すコンテンツであるし、またそういうカタチにしようと思った。その点に関しては毎回リンクを貼ってくれるBlackAshさんに申し訳ないという気持ちがあった。と同時に、〜その2〜をアップロードした直後に最終回までは書き上げてしまっていたので、その時点で12月のnonoは一つの作品として完全に僕の手から離れた。少なくとも作者としてはそういう気持ちでいた。これによって様々な感想が寄せられても、良くも悪くも僕がその意見・感想に翻弄される事はなくなった。12月のnonoは元々「BlackAshへ捧げたい」という気持ちを切り抜いたものなので、その気持ちのままで書き上げねばならなかった。そうでないとこの企画は何の意味も持たなくなってしまうし、それは既に12月のnonoでは無い。

その日その日の ☆ひとこと☆ は、リピーターおいてけぼりとよく公言しているが、実際はどちらかと言えばオン・オフ問わず、お付き合いのある特定の誰かに向けてピンポイントで語っている事の方が多い。沢山の人に見て貰いたい気持ちは強いが、たとえ一日1000hitを越えるサイトになったとしてもこのスタンスは変わらないと思う。そういうWebサイトがあっても良いと思った為である。

そのような明確な意味で始めたコンテンツページではあったが、やがてモー想日記サイトというジャンルが既に確立されている事実を知る事になる。それは既に乱立と言ってしまってもいい状況だったのは完全に作者の思惑違いであった。12月のnonoは、ばーちゃんネットアイドルちよ74歳の作り方にあるような「誰でも真似ができそうに書く」というコンセプトを満たしていない。モー想日記を真似するのは容易ではあるが、12月のnonoはそう容易くない。この辺に楽しみにしてくれた読者がいてくれた理由があったのでは無いだろうか。しかし、数多のモー想日記を劣化コピーと蔑むのではなく、個人の脳内から生み出された娘。たちをヒロインにした日記というジャンルが既に確立していたことは良かったことだったと思う。

念ずれば、誰でも「モー想日記」を書くことができます。しかし12月のnonoは僕にしか書けない。あなたがそれを12月のnonoだと主張しても、それはあなたがそう思っているだけです。以下に、12月のnonoを書くにあたり僕が注意した点を網羅します

・あくまでもBlackAshへ捧げるという気持ちを忘れない。
・話しの質に緩急を付ける
・毎回面白い文章を書く必要は無い。
・同レベルを保つということは実質的に不可能である。なぜなら、史実を書き連ねるのだから。僕とnonoの2週間。楽しい時もあれば悲しい時もあった。それをそのまま当てはめれば読む側の評価が同一レベルであるはずがない。書き手が満足しているだけではその点では無意味だ。
・それを回避する為には、こちらが意図的に話しの質を操作してやれば良い。楽しい出来事と悲しい出来事の差を大きくする。
・1年に一度訪れる12月の聖なる夜。この時ばかりは必要以上に特大のネタとして仕上げる。個人ウェブサイトなんてばかばかしいくらいが丁度良い。
・勿論、文章の質を上げていけば、こんなことをぜずとも良いのだが、それでは僕の文章ではなくなってしまう。
・当時僕は小学6年生だった。今現在 日常で使っているような少し大人の言葉・表現は使わない。しかし、表現上どうしても大人の言葉使いの使用を必要とした場合はこの限りではない。意味が伝わらないのでは元も子もない
・自分のことを述べたりしない。冒頭に近況や自分の主張等を入れたりすることなど。あくまで5年前の僕とnonoの出来事を伝えるのであって、それに関しての脱線は大いにあるべきだが、そこに現在の自分のことを介入させない。
・勢いをつける。
・勢いで書くという意味ではない。推敲に推敲を重ね、リズムよく読めるように配慮する。具体的には改行、太字、イタリック、フォント拡大などの効果的な使用。勢いよく読める文章ほど、時間がかかっているものである。具体的には文章の9割が書き上がった時点で10%の完成度。残りの1割を仕上げる為に、残りの90%の力を使う。
・line-heightの使用。HTMLは元々欧米人向けに作られた言語である。従って、日本人が読みやすいようにはなっていない。行間の高さを上げて、読みやすくなるように配慮すべきである。
・俯瞰した視点の提供。現在の自己の韜晦。
・僕の主観を押しつけても、大抵の読者は満足しない。僕という存在自体は読者にとって大きくあるべきだが、それはあくまでも5年前の、人生においても恋愛においても未熟な存在の僕である。むしろ僕本人は文章の中では韜晦した方が良い。それが時を遡る術であるし、読者が僕とシンクロしやすい俯瞰した文章である。nonoの心理が大きく文章に出てしまうことは、読者にとって好ましいことではない。
・nonoの心理には隙間を用意しておく。例えば疑問点等。nonoの心理を完全に僕に向けてしまっては読者が作品世界に入り込む余地が残らない。数多あるモー想日記になってしまう。
・語彙等はハッタリを利かせる。今現在の僕が、普段使うような単語は利用しない。無論、語意ミスがないように、5年前の出来事を忠実に思い返す。
・日本語の語彙の体系を崩す事を躊躇しない。
・学年別漢字配当表の第六学年181字以降習う漢字は利用しない。
・口語を大切にする。
・小学校6年生ということで無理に品のない言葉使いにする必要はない。
・それは文章として読みづらくなるし、そんなことをすれば それはもう5年前の僕ではない。
・感情の起伏は忠実に。思い出す。
・それを念頭に置けば、自然と文章は幼年化する。
・しかし、稚拙だと思われてはいけない。幼い印象を与えて恋愛というものに尺度を設けると、読者を近づき難いものにする。
・11歳ということを意識しない。
・9歳ということを意識してはいけない。
・例えば9歳と11歳のふたりが本当の恋愛感情を抱き、互いにその小さな胸を痛めるという類い希な恵まれた環境について自己突っ込みを入れるなど。
・それは何人たりともすべきことではない。例え読者と言えども。いや、作者がさせてはいけないのだ。その為には作者は尚更、揺るぎない自信を持つべきである。

・第一に作品世界のことを考える。
・12月のnonoを読んでBlackAshの面々がどう思うかを常に念頭に置く。
・あいぼん連合軍が不快に思うようなことを書いてはいけない。12月のnonoはBlackAshへ捧ぐということを前提として書いているからであって、それならば読むことによって不快感を与えるということは好ましくない。例え我々がのの親衛隊だとしても。いや、だからこそあいぼん連合軍の抵抗勢力であったりしてはいけない。

・全体の流れをしっかり思い描く。
・出来るだけ早く書き上げる 。最初の思いによって筆をとったのだから、全ての思いを注ぎ込む必要がある。途中で休んでしまったら猛省では済まない。誰かの意見や思惑に左右されては取り返しのつかない事になる
・「12月のnono」の形状は花火である。短期間で集中して行い、一気に消滅する。
・長く続けることは好ましくない。
・最低で1回、最高でも12月いっぱいが理想。出逢いから別れまでの史実を表すのであるから長く続く筈が無い。
・それ以上続けることは露骨なコンテンツとしては滑稽であるし、エンターテイメント性も薄れる。

・取り上げる話題は次の通り。
・出逢い、惹かれ合う二人、初めてのクリスマスパーティー、初詣、悲しい別れ、その他大人の事情等と絡め、どうすることも出来ない現実との対峙、僕がある程度記憶に留めている事柄。
・焦らない、迷わない。何処からの圧力や、嘲笑を受けようとも書き上げるべきである。
・12月のnonoを書くに辺り、何か特別に調べるということはしない。調べた所で一朝一夕の内容ではすぐにボロが出るし、そんなものが読者に受ける筈がない。
・しかし、記憶が正しいかどうかを裏付ける意味での確認作業はする。
・nonoの着てたコート、トナカイの模様の手袋、クリスマスプレゼント、その記憶に置いてのミスは極力無いようにする。
・誤字・脱字についても同様。
・どんなに面白い内容でも、誤字一つあっただけで萎えるし、二つあったらもう読んでくれない。三つあったらゴミである。
・萌えに重要点を置く必要は無い。
・寧ろ、どんどん脱線すべきである。
・僕が何を思っているのか、わかりやすく説明する必要は無い。
・論点を次々にずらし、最後には全く別方向に持っていくくらいが丁度良い。
・無理にぬくもりを作らない。
・元々の素材自体にぬくもりのあるものをチョイスしているので、こちらはそれを引き出してやれば良い。
・無理に突っ込みをいれたりすると、逆に寒くなる。
・<b>ボールドタグ</b>の乱用はさけるべきである。
・顔文字は一切使わない。顔文字はストーリーの信憑性を著しく低下させるし、普段多用している顔文字を使わないことで他より大きなメリットを得られる。
・アイテムについての描写では、例え思い入れのある5年前のアイテムだとしても、寧ろその背景を中心にして現在のののにどう繋がっているのかを書く。特技バレーボールや趣味プリクラの収集等。アイテムを登場させる時は、のちのちそのアイテムの売りとなる部分以外の描写に重点を置く。
・nonoの言動では僕の反応等をメインに書く。おもてに表れるリアクションよりも、心理描写の方を優先する。
・nonoの行動は、もうそのまま伝えるくらいが丁度良い。
・深く考えて状況設定を書いてもつまらないし、適当にエッセンスを振る程度で良い。台詞をイタリックタグで囲ってやる「〜」の使用など。
・ストーリーは事実と同様。
・僕の日常にまつわる話などを中心として構成する。また、取り上げるイベントでの僕の心理描写など。
・その他、僕が饒舌に述べることの出来る話題について書く。
・得意分野の想い出を採用する。
・現実を蔑むような書き方はしない。

お姉ちゃんについて

お姉ちゃんは12月のnonoにおいて全てのキーファクターという位置づけになる。12月のnonoを書き始めるにあたって、本家のファミリーマートで捕まえてのような何かどうすることも出来ない事実という、向ける矛先が欲しいと思った。とっても優しい女性で、あたたかさをコンスタントに伝えることができ、僕がその事をよく知っていて、また事務のお姉さんとは被らないもの。そして、話題が繋がりやすく、皆が知っており、ぬくもりにも転じやすいもの。これらの項目をすべて満たし、なおかつ僕がありのまま表現できる人物としてはお姉ちゃんしかなかった。しかし、お姉ちゃんの話題はレギュラー性を持たせるよりも、その都度書いていった方が自然だと思ったし、事実そうだったと考えたのでお姉ちゃんを登場させた。またお姉ちゃんは自身のことはあまり話さなかったので、僕とお姉ちゃんの絡みは確かあの程度だったと思う。それを補って余りある程、お姉ちゃんの優しさは伝わったと思う。
書き方の方は・・・これで良かったんだと思う。大人になれば成るほど、語れない事実も増えてくる。疑問に思うことも多々あったが、いや 疑問は常に抱えていたけれど確かに僕はそれを口にしなかったし、お姉ちゃんもnonoも口にしなかった。僕はnonoと出会ったことで嬉しいことも楽しいことも知ったけど、やっぱり悲しみはとても深くて、その全てはお姉ちゃんによって起きた事だと思う。でも今、僕ははっきりと言える。僕はお姉ちゃんが大好きです。

特選について

『☆ひとこと☆』は当初は毎日の日記の様な性格で、ダラダラ流していくだけのコンテンツだったのだが、それだけでは長く持たせることは出来ないと思ったので『競馬について語らせて』『お酒について語らせて』など他のコンテンツへの導きという形で、そのコンテンツから出張してきてもらう感覚も取り入れた。12月のnonoを一話にして完結出来る文章力が僕にあったら良かったんだろうけど、僕が考え得る最良のカタチは史実の網羅しかなかったので結局8話にも及んでしまった。最初から一つのコンテンツとしてページを作る事は意識していたが、なんでも有りのサイトの中で、テキストは ☆ひとこと☆ でお披露目して振り分けるというスタイルがもう確立していた。ただし、僕にとって大切な思い出であるこのコンテンツはやはりまとめ上げたい気持ちがあったので特選というindexページを設けた。当然、12月のnonoが原動力になっている。思い切って書く切っ掛けを与えてくれて、またサイト自体をも応援してくださったBlackAshさんには失礼ながらこの場にて感謝の意をお伝えしたいと思います。

ばーちゃんネットアイドルちよ74歳について

『個人間での論争を引き起こすようなニュースは取り上げない。ここから発する事柄によって、サイトが閉鎖、休止などしないように注意する。』

上記の発言からも管理者の人間性が偲ばれる。サイトの完成度に関してその人間性の良否は必ずしも関係があるとは思わないが、評価の一因には成りうると思う。フォーマットにおいて明らかにちゆ12歳のパクリであることは一目瞭然ではあったが、何の先入観も無く受け入れていたちよ74歳。ニュースサイトとして有益な情報提供がなされていた事や、Numberにとって都合の良いサイトであったことは言うまでもないが、個人的に傾倒していった背景には管理者の人間性があったんだと思う。実は元々のサイト、ほいみんのページをNumberは把握していなかったが、恐らく一年以上も前に日記は読んでいた記憶がある。ほいみんのページの日記をおとして読んでみて気が付いた次第。元来ゲームレビューをコンテンツの中心とするサイトに対して、しかしNumberはゲーマーではない。それでもネットサーフィンの中で目について日常の日記を楽しんでいた事実がNumberにとっては嬉しかった。いつしかブックマークからは外し、ちよ74歳の出現と共に再び巡り会ったわけである。

個人サイトは、読み手であると同時に作り手でもある場合、諸手を挙げて心酔できるサイトなんてそうそう有るモノではない。実質的に楽しめただけでも有り難い事なのに、あの終了にいたる一連の流れは感動さえ与えてくれた。

『長く続いている所で、アクセス数の少ないサイトにはリンクしない。長く続けているのにも関わらず、アクセス数が少ないというのは、そのサイトが本当に詰まらない(中略) 個人サイトへのリンクには最新の注意を払うべきである。』

こう言った事を念頭に置いているweb-site Masterが当方をリンクしてくれた。あのフィナーレにお付き合いさせていただいたNumberに対してのプレゼントの意味もあろうが、素直に嬉しかった。ネットの世界が非常に危うい状態であることはそれなりに理解しているつもりであるし、個人意識レベルでもパラダイスに成りえるというのは残念ながら稀である。それでもそんな瞬間はネット上で個々には沢山ある筈だと思う。ただ、個人でそれを体現できるかというと、これもまた稀なんだと思う。しかしそういう事実が 紛れもなくあった。Numberからの手紙というなんだかよく解らないけれども、個人サイトでは極々ありふれた小さなサイトの一コンテンツ「12月のnono」を完結するにあたり、感謝の気持ちを込めてムーノーローカルさんからちよさんが受け継いだカタチを継承することにする。こういったカタチでのリスペクトは、Numberの知る限り存在しなかった。当然であると思う。二番煎じは茶番だし、あれ程の大団円、仕上げを見た後では尚更その行為は陳腐に映る。それがオマージュなら尚更だ。しかし知る限り無かった事でNumberは敢えてカタチにした。それこそがNumberのリスペクトだと自負したからである。

結果はどうだろう?反応は得られないかもしれない。だが、そういう寂れたコンテンツであったとしてもマイナスとは思わない。『ホームページは自己満足』という現在でもNumberの信念を具現化したカタチだからだ。その自己満足の線上にBlackAsh、ばーちゃんネットアイドルちよ74歳、当然ほいみん氏へのNumberなりのリスペクトが存在するからだ。それは間違いなく。

・レイアウトは一切変更せずに、ありのままのNumberからの手紙のフォーマットを用いた。これは単純にらしさを求めた結果で、地味ながらもそれこそがNumberかにの手紙というサイトの普段から支えてくれている読者=Numberファミリーへの最低限の礼儀と肝に命じているからである。
・有馬記念の勝利者いんたびゅ〜が一日おいて行われたのは、12月のnonoがこの時点でNumberにとって最優先となりうる重要なコンテンツであり、「競馬について語らせて」並びにNumberを知る競馬ファンにとってはよりインパクトを与えるというただ一点の理由からああいうスケジュールで更新した。本来なら1/1に更新予定だったタイムスケジュールを「作者取材の為」と先延ばしにしたのは、陳腐でもお笑いを大切に思うNumberがギャグに走った一種の洒落であった。
・アクセス数を伸ばすために特別何かする必要はない。面白いことを書けば自然に伸びる。とは思わないが、NumberがNumberである為の更新は相成ったと思う。この解説も含めて。


ご愛読ありがとうございました