教育問題

彬@邪馬台国様からの投稿コラム
「いじめ」

99/05/09 (日)


 『いじめ』・・・・・・今まで何人がこの言葉に泣いてきただろうか・・・・・・何人がこの言葉で勝者になってきただろうか・・・・・・何人がこの言葉に葛藤してきただろうか・・・・・・

 いじめとは、いじめる側と、いじめられる側と、傍観者と、何かをして解決しようと考えている者(かなり少数だが・・・)のだいたい4グループに分かれている。昔はガキ大将がいて、近くに住んでいる者達を集め、遊び、ガキ大将が誰かがなにか気にくわないことをするとその誰かを仲間ハズレにする。しかし、数日後には何もなかったかのように仲間ハズレにしていた者を仲間にし、何もなかったかのようにまた一緒に遊ぶ。だいたい、昔のガキ大将は特別なことがない限り、誰かを『いじめる』っていうことはしないし、仲間が誰かにいじめられたらすぐにとんできてそのいじめられた仲間をなぐさめたり、逆にこういう小さな『いじめ』をすることで、ガキ大将とその仲間ハズレにされた者の距離が縮まるし、ガキ大将だって、本気で「あいつが嫌い
だ」と思っているわけではない。今の中年の人達はだいたいこういう経験をして、仲間の大切さ、すばらしさを発見していく。

 今はどうだろうか?今はといえば、多数(いじめる側)と個人(いじめられる側)に分かれている。しかも昔のガキ大将がやる『いじめ』は無視が主流だが、現在の『いじめ』は無視からはじまり、言葉の暴力、暴行、陰湿なもの(靴を隠すとか、椅子に画びょうを仕掛けるなど)、はては性的なものまでかなり悪質なものであり、昔のように『いじめる』ということが数日で終わるのではなく、何ヶ月、はては何年と続く場合もある。こういうことを続けられたら当然学校に行きたくなくなるし、人間不信、最終的に生きる意欲さえなくなってしまうことになる(現に中高生の自殺者は増える一方)。

 なぜ、昔みたいな将来の人間関係の予習みたいな『いじめ』から、相手を極限まで追い込む『いじめ』になってしまったのか?

 人間は、なぜか特別扱いされているが(というよりは、自分たちで特別扱いしているだけだが・・・・・・)、他の生物同様『地球上に生息する生物の中の一種』にすぎず、他の生物と結局は競争しながら生きている。

 (ここからは少し、NAOさんのコラムとダブルところも出てきますが、お許しください。)しかし、他の動物だけでなく、同じ人類の他人達との競争も当然しなければならない。勉強やスポーツ、その他もろもろで他の人達と競争している。当然勝者も出てくれば、敗者もでてくる。こういった、少し大げさに言うと『生存競争』を勝ちあがっていくには、ストレスなどといった物から決して逃れられないし、逃れようとしたら人間として、そして、地球上にいる一生物として成長できない。(とうぜん逃れる術はあるが・・・・・・)しかしこういったやり場のないストレスをどうにかしようとして、他人をあざ笑ったり、なにか意地悪してやろうとするものがでてくる。

 そういう気持ちを表に出したものが『いじめ』である。その他にも変な性格をしている人を『からかう』ことがエスカレートしていった『いじめ』や、嫌な性格をしている人を『いじめ』たり(そんなこと口で「その性格直した方がいいよ」っていえば、それですむのに・・・・・・)など、『いじめ』というのはいろんな形で起こるものである。

 さて、そういうものをどう対処していくか?それには『いじめ』をやめさせるのではなく、『いじめ』の発生を未然に防ぐことにある。が、それはなかなか難しいことである。そういうことなので、解決策はそれぞれの教育委員会、学校側で考えてもらおう。(あまり期待はできないが・・・・・・)

 最終的な結論は、『いじめ』のない『生存競争』を確立さてるにはどうするか、ということである。『いじめ』られたものはその時点で『敗者』のレッテルを貼られ、そのとき受けた傷は永遠に癒せない。『いじめ』たものはほとんどがそれをなんとも思わずに過ごしていき、そういうことをしたということが将来どこかでボロを出し、人生に失敗する。やる方もやられる方も、最終的には成功はおとずれない・・・・・・(私を含めて・・・・・・)

 今の教育には大反対の私ではあるが、そういう状況を変えられないのがなんともはがゆい・・・・・・。


Back