『なるこ』第26号 (平成21年6月) 目次

2009.10.7 初掲載


2601 言巻頭 「なるこ26号」発行にあたって          副理事長 河野 通久

2602 報告  睡眠障害専門病院のアンケート調査      理事ホームページ担当  桑原 正孝

2603 報告  「第4回関東睡眠懇話会」を聴講して       副理事長  河野 通久

2604 投稿  なるこ会の電話相談を担当して思う事      理事  川岸 聰子

2605 投稿  私とナルコレプシー                 K.H.

2606 投稿  「自動症」だったとは!               M.K.

2607 投稿  ナルコと共に生きる                  I.K.

2608 投稿  私と病気(ナルコ)は一生仲良くお付き合い    M.I.

2609 投稿  私とナルコレプシー                  T

2610 投稿  ナルコに罹って良かった事、悪かった事       K.K.

2611 投稿  特発性過眠症と私                   S.N.

2612 投稿  私とナルコレプシー(仮題)               I.K.

2613 投稿  患者のひとりからのナルコレプシー(Narcolepsy)研究   T.Y.

2614 投稿  ナルコと共に人生を語る 第3弾          理事長 白倉 昌夫


なるこ会会誌総目次 へ戻る


2601 巻頭言  「なるこ26号」発行にあたって     副理事長 河野 通久

 会員の皆さまお元気でご活躍の事と思います。
本年度の「会誌なるこ26号」をお届けします。
  昨年の25号については、内容が難しすぎると言った声も頂きましたので「26号は出来るだけ体験談を募集し掲載する」事としました。

 会誌発行の目的は、
    各会員の体験・経験・工夫等の共有
    会の主だった活動の報告及び予告
    会員にとって役立つ知識・情報の共有
 です。

是非、今後とも皆さまの投稿をお願いします。(構えず、気楽に!)

 本田裕先生に例年どおり寄稿をお願いし快諾いただきましたが、ご体調が思わしくなく、
 筆が進まないようなので諦めて発行する事としました。


現在取組中及び取組み予定(会活動の主なもの)

*モデオダールの処方日数延長(14日から30日へ)
 日本睡眠学会、日本臨床精神神経薬理学会からの強力なご支援も頂き進めたが、
 今春の承認に到らず。
 再度来春の実現を期す。

*専門病院へのアンケート調査
 桑原理事からの報告を参照ください。

*東京都内の公私立全中学校(約800校)の先生方にナルコレプシーを知ってもらう。
 独立行政法人福祉機構の助成事業(200万円)に応募した所内定通知を得たので
 4〜7月にかけて総力をあげて取組む。
 ナルコレプシーの発症時期は13〜15才が多い事が判っている為、中学校の先生方の
 啓発によりナルコ及び関連過眠症の早期発見・治療につながると考えたもの。(学生数24万人)

 追記 会誌の大きさを、本26号より A4版 と致しました。 (旧来はB5版)
 
26号目次 へ戻る
なるこ会会誌総目次 へ戻る




睡眠障害専門病院のアンケート調査         理事ホームページ担当  桑原 正孝

 事務局に対する問い合わせにはいろいろなものがありますが依然として多いのが治療可能な病院に関するものです。
 当会では2年に一回の周期で睡眠障害専門病院のアンケート調査を行い、その結果をホームページに掲載しています。前回の調査は平成18年9月で既に2年半を経過しているのでできる限り早期に実施することに理事会で決定しました。
 対象は日本睡眠学会の認定病院及び認定医のおられる病院で、平成20年8月時点において認定病院は68(ナルコレプシーを含む全睡眠障害に対応可能なクラスAが58病院、睡眠時無呼吸症候群のみを対象とするクラスBが10病院)、認定医は359名です。
認定医のおられる機関のうち研究所など明らかに治療を行っていないところを除き調査対象病院数を275に絞り込みました。
 平成の大合併により住所が大幅に変更されたことに加え、たまたまパソコンの故障により前回(H18.9)作成したデータベースが消えてしまったことから、病院を一つ一つインターネットで検索し、診療科、郵便番号、住所、電話番号などを集めなければならず、マウスを使う右手人差指がしびれてしまいました。
 2週間かけてようやく基礎データができアンケート様式が完成したので3月の理事会を急遽1週間繰り上げて封筒詰めを行い翌3月11日に発送しました。

 今回は、アンケート調査に加え、ナルコレプシーの啓発並びに患者会NPOがあることを知って頂けるよう、パンフ「ナルコレプシーはこんな病気」及び「入会の案内(新規作成)」を10部ずつ同封することとしました。
また、パンフについては追加が必要な場合には連絡頂けるよう設問に加えました。
   発送してから3日後には早くも回答が到着し始めました。パンフの追加要望もありましたので早速3月21日に400部を、続いて4月4日に1300部、4月21日に350部を発送しました。

アンケート調査の結果は次のようになりました。

1.回答率 46.5%(128/275)
     認定病院クラスAからの回答    71%(41/58)
     上記以外の病院からの回答    40%(87/217)

2.ナルコレプシーの治療・検査について(a〜dを一つ選択)
   a.ナルコレプシーの検査及び治療可  61病院
   b.検査可能(治療は他病院を紹介)   8病院
   c.治療可能(検査は他病院に依頼)  24病院
   d.他の病院を紹介            21病院

3.ナルコレプシー患者数 約3100名

4.治療対象の睡眠障害
   全ての睡眠障害に対応   62病院
    「全ての睡眠障害に対応」以外の治療対象睡眠障害(複数回答可)
       不眠症                 28病院
       特発性過眠症、反復性過眠症   25病院
       慨日リズム障害            15病院
       睡眠時無呼吸症候群         25病院
       むずむず脚症候群          28病院
       REM睡眠行動異常症        21病院

 回答の中には「睡眠障害の治療をしていない」ところが24病院(うち認定病院クラスAが2病院)ありました。その理由は、病院自体が閉鎖、専門医が異動した、病院が障害児や老齢者を対象としている、中枢神経刺激剤は使わないので治療できない などでした。また医師の紹介で新たに2病院でナルコレプシーの治療を行っていることが分かりました。

 今回の調査でわかったことは、ナルコレプシーとして診断され治療を受けている人が3100人いること、治療ができる病院は85(61+24)病院あることです。もちろんこの数字は回答率46%の基での数値ですが、逆に少なくともこれだけは“患者がいる”あるいは“病院がある”という数値と見ることができます。
 パンフの送付総数は、アンケート用紙に同封した分を含めなんと4800部にもなりました。これらがアンケート先の病院を訪れた人の目にとまり潜在患者の自覚/発掘につながり、また、入会してくれることを期待しています。
以上


26号目次 へ戻る
なるこ会会誌総目次 へ戻る





「第4回関東睡眠懇話会」を聴講して       副理事長  河野 通久

 関東睡眠懇話会は、関東における睡眠障害を研究する諸先生方の学術会議であり、毎年1月に開催されています。今年は第4回目として 1月25日(日)に開催されました。
後援は「日本睡眠学会」で、共催は「関東睡眠懇話会」「日本ベーリンガーインゲルハイム(株)」と並んで本多裕先生始め諸先生方のご尽力のお陰で[NPO法人 日本ナルコレプシー協会]となっています。

 昨年までは、在関東の一般会員の皆様にご案内しておりましたが、関係者から「医薬品名がでる事、研究途上の課題が多い事から役員止まりにする様」との指導があり、皆様への案内が出来なくなりました。その為、川岸、桑原、河野の3理事が終日出席・聴講してきましたので、以下概略を報告します。
どんなテーマがあったかをお示した上で、「直接ナルコレプシーに関わるテーマ2題」をご紹介します。
但し、今回の発表は専門的且つ難解なので、間違った理解や説明不十分な個所があろうかと思いますが、ご了承の程をお願いいたします。

「プログラム」全体
開会の辞 井上雄一先生(財団法人神経研究所附属睡眠学センター)

一般演題1 座長 三島和夫先生(国立精神/神経センター精神保健研究所 精神生理部) 
 @ MR‐DTI/Tractographyを用いたナルコレプシーにおける脳微細構造異常の予備的検討
 A 日周指向性、睡眠障害尺度、気分障害尺度と既日時計遺伝子多型
 B ナルコレプシーにおけるHLA分子の発現検討
 C 総合病院救急外来でみられた反復性過眠症の一例

一般演題2 座長 宮本雅之先生(獨協医科大学 神経内科)
 D むずむず脚症候群友の会設立について
 E 神経疾患が並存するレストレスレッグズ症候群の臨床的検討
 F 特発性レム睡眠行動異常症における補助診断としての嗅覚機能検査
 G レム睡眠行動障害における周期性四肢運動障害についての検討
 H 口腔疾患における睡眠障害

一般演題3 座長 山寺博史先生(杏林大学 医学部精神神経学教室)
 I 一般医療機関における向精神薬の処方動態に関する調査
 J 居眠り運転とその背景要因に関する実態調査
 K 子どもの昼寝と睡眠の問題に関する実態調査
 L 在宅での画像解析による体動解析
 M 不眠の疫学

一般演題4 座長 高田佳史先生(東京医科大学附属病院 内科学第2講座)
 N nasal cycleにおける睡眠の影響(第2報)
 O 閉塞性睡眠時無呼吸症候群と顎顔面形態
 P 睡眠呼吸障害患者への新しいStiffuness指標Cardio Ankle Vascular index(CAVI)について
 Q スギ花粉症における睡眠障害の検討

一般演題5 座長 井上雄一先生(財団法人神経研究所附属睡眠学センター)
 R パーキンソン病のPolysomnography上のREM sleep without atonia 出現とMIBGシンチの関連
 S 反復経頭蓋磁気刺激がうつ病の睡眠障害に及ぼす影響

特別講演 Restless Legs Syndrome: Clinical Features and Treatment (英語版)

閉会の辞 井上雄一先生(財団法人神経研究所附属睡眠学センター)
    懇親会     各先生方との懇親の場で3人とも出席


ナルコレプシー関連演題の概要
AMR-DTI/Tractography を用いたナルコレプシーにおける脳微細構造異常の予備的検討
    中村 真樹 先生 (財団法人神経研究所附属睡眠学センター)

 目的: ナルコレプシー患者では、視床下部に存在するオレキシン神経が減少している事、及びその事が覚醒維持維機能障害に強く関わっている事が判明している。
 昨年の懇話会で、頭部外傷後に過眠を呈した症例において大脳白質の神経線維の走行を画像化させる新しい画像分析法であるMR‐Tractographyを用いて、視床下部から前頭葉を中心に大脳皮質への投射線維の密度が低下していることを報告した。
 今回は、MR‐DTIをもとに、神経線維密度を反映するとされるFA値を画像化したFA画像に対して、ナルコレプシー患者と健常者群に対してSPMを用いて統計解析を行った。
  (補足説明・・・Wikipedia より引用)
    MR(MRI): Magnetic Resonance Imaginng の略で「磁気共鳴影像法、また装置」
       磁気共鳴の物理現象を応用して、人体の断層撮影や含有物質の固定を行う方法また、その装置を言う。
       X線CT装置は、人体の輪切りの断面図撮影であるのに対し、縦切り、斜め切り等自由な角度で
       撮影できる事、磁気はX線に比し殆ど人体に影響ない点で勝れている。
    Tractography: 拡散強調画像
    DTI : Diffusion Tennsor Imaging の略で「デンソル画像」
          分子、イオン等の拡散量を画像化
    FA : Fractional Anisotrophy の略で「脳拡散デンソルの主なパラメータ」 標準脳
    SPM : Statistical Parametric Mapping の略で「脳機能画像の解析方法」
【対象】国際診断基準(ICSD‐2)により情動脱力発作を伴うナルコレプシーと確定診断された患者と
    年令を一致させた健常者
【方法】(専門的過ぎて着いて行けず。説明省略します。)
【結果】健常者群に比し、ナルコ患者では左下後頭回、左中前頭回、右下前頭回、及び右直下の白質領域の
    FA値が明らかに低下していた。
【結論】この結果、覚醒維持に関わるとされている視床下部のオレキシン神経は、小脳を除く大脳の広範囲に
    投射しているとされているが、前頭葉を中心に複数の領域に於いて線維密度の低下が認められた。
     灰白質の体積研究においても複数の領域でナルコ患者の体積減少が指摘されているが、本研究の
     線維密度の低下は、オレキシン神経線維の障害が反映している可能性が示唆された。

(参考)

BナルコレプシーにおけるHLA分子の発現検討
    本多 真先生 (財団法人.東京都医学研究機構・東京都精神医学総合研究所)

【背景】ヒトの白血球表面抗原(白血球の血液型) HLA‐DQB1*0602型 はナルコレプシーと密接な関連を持ち、病因遺伝子のひとつと証明されている。しかしこの 特異的なHLA型のナルコレプシーにおける機能的関与は明らかにされていない。 慢性関節リウマチでは,疾患特異的な HLAアリル型の分子数が増加しリンパ球細胞表面での密度が高くなることが報告されている。
そこで、ナルコレプシー症例において HLA‐DQB1*0602遺伝子発現が、疾患特異的に増加を示すのではないかと仮説を立てて検証を行った。
  (補足説明・・・Wikipedia より引用)
     HLA(Human Leukocyte Antigen の略)とは、一言でいえば
     「自と他を認識するマーカー分子」です。
     (単なる血液型ではない)当初輸血分野において、白血球抗原(白血球の血液型)として
     発見されたHLAは、移植抗原と見なされる
     ようになり、今では免疫における三大主要分子(Ig,TCR、MHC)の一つと考えら
     れている。(HLAの後ろに表示されているのは「型」の番号です。)
  Ig : Immuno‐globulin  免疫グロブリン 
  TCR : T Cell Receptor T細胞受容体
  MHC : Major Hitocompatibility Complex 主要組織適合性抗原複合体
       HLAは、ヒトのMHCです。
 ヒトMHCは、第6染色体短腕の3400キロペース・340万の塩基対におよぶ長大な領域に展開されており、且、多数の良く似た相同遺伝子が点在し、遺伝子重複という進化の歴史を残している。
 HLAは基本的に「自他認識」のマーカー分子として機能しており、他人同士の移植をすると拒絶反応が起こるもとになり、それが組織適合性抗原と呼ばれる所以となっている。(尚、MHCは原則動物にのみ存在する)
 Ig やTCRがリアレンジメント(再構成)で莫大な多様性を現出させる機能を持って居るのに対し、HCはそれ以前に分化して再構成機能を持たないまま、限られた遺伝子重複と対立遺伝子の多様化を繰り返して進化したと考えられている。(Ig/TCR系とは異なる多様性を獲得して来たと考えられる) また、この対立遺伝子をアリルと呼んでいる。
 Ig/TCRがゲノム上に「並列」に多数の遺伝子を置いて、その再構成機能で多様性を獲得したのに対し、MHCは「直列」に遺伝子をおき、そのアリル多様性で限定的に多様性を獲得したものと考えられている。
HLAアリルの多様性の多くが非同義置換(アミノ酸変異を伴う塩基置換)であることが判っており、しかも変異はHLAが抗原ペプチドをその「溝」に埋め込む時に影響する部位に多発している事もIg/TCRとは違い限定的多様性獲得の跡と見られている。
【方法】ナルコレプシ‐患者群、年令性別HLA型一致群、年令性別一致かつHLA不一致群を対象に比較検査・解析を行った。(具体的には理解できず。説明も省略します。)
【結果】HLA‐DRAと DRB1(全体)の遺伝子発現量は HLA‐DQB1*0602アリルを持つ群で増加を示したが,ナルコレプシー患者群と HLA型一致群との間にDRA、DRB1(全体)、DQB1*0602 遺伝子発現量の差異はなかった。
【結論】HLA分子の発現量がナルコレプシー疾患特異的変化を示すという仮説は証明されなかったが、HLA‐DQB1*0602アリルを持つ群でHLA分子の発現量が増加している事から、HLAアリルとナルコレプシー発症脆弱性の関連を一部説明する可能性が考えられた。HLA遺伝子発現が臨床症状と関連した変動を示すか、今後の検討が必用と考えられた。      
  
D「むずむず脚症候群友の会」設立について
  同会代表者「良永 信男」氏(大阪)
    設立の経緯、患者の苦しみ、推定有病者(4〜500万人)に対し専門医が少ない事等を説明された。
    (ナルコ患者の専門医も少なく困っている旨、河野も発言しておいた)
  「レストレスレッグズ症候群(RLS)」  編集: 井上雄一、内村直尚、平田孝一 先生
                          出版:アルタ出版(株)   定価:2800円  を頂いた。
  同時に、「入会案内」のコンパクト版を持参されたが、参考としたいと思った。

26号目次 へ戻る
なるこ会会誌総目次 へ戻る





なるこ会の電話相談を担当して思う事        理事  川岸 聰子

 私がなるこ会の仕事に参加させて頂いたのは、平成13年です。会計と様々な事務的な仕事に加え、電話での相談が加わりました。
 特に平成16年に「なるこ会」がNPOとして認可された頃より、患者に限らずさまざまな所より、問い合わせがくるようになりました最初の頃は私には答えられない事例が多く、月に1度の本多裕先生の私の診療時に、メモを持ってご指導を頂いた事例は数知れません。
 あれから8年の間に患者の抱える多くの問題を知ることになりました。相談者の8割は会員ではありませんが、会員の相談は概して重度の方が多い様に思われます。
 相談に際して私が守っている事は、次の点です。
私が医師ではない事、又正式なカウンセラーでない事を最初にことわること、及びなるべく患者の話を良く聞き、特別のことがないかぎり、此方から電話を切らないように心がけています。

相談の内容は様々ですが、特に最近多いのは
 *薬に関する事
 *検査及びその費用
 *病院の対応に対する苦情
の他に
 1.こんなに苦しんで助けを求めているのに、誰も真剣に話しを聞いてくれない。
 2.高額な検査を受けさせ、症状の改善を見ないまま放置された。

1.の質問に対する答え
 病院の受付に訴えても専門家ではないので、満足出来る回答は得られない、予約を入れる等事務的な事のみにする事、医師には自身の病状とこれまでの経過(どこの病院でどの様な対応だったか)と今日現在の 症状をメモして行くこと。
 ナルコレプシーの患者が急増していること、専門医が少なく診察には時間がとれない等を説明する。
私が相談に応じて苦慮することは、ナルコレプシーを専門に診て下さる病院の情報があまりにも少ないこと、特に地方においては答えに窮する。
 近くの大きな病院の睡眠科や神経科を捜してほしいと答えるしかない、しかし実際にはその病院でナルコレプシーの診療が正しく行われているかどうか確信出来ない。

2.の質問について
 ご多忙は重々承知の上で是非先生方にお願いしたい。
 例えば高額な検査の後、ナルコレプシーの可能性と診断・モデオダール1日1錠を処方され、効き目がないと訴えても、耐えるしか無いとの回答では患者として納得するのは難しい。
  まれには1日半錠でも効く場合もあるが、1日1錠のモデオダールでは効き目がない患者が多い、量を調整しながら様子を診てほしいと思います。
 リタリンの乱用問題が起きてからこの質問はたいへん多く、これを必要とするナルコレプシーの患者が処方してもらえない例が多い。正しく使えれば、どれほど多くの患者が救われるかを理解して欲しい。
 また患者側もリタリンへの誤解から(マスコミの報道により)拒否反応を示し家族等が制限する場合がある。医師の指示どうりであれば通常の生活が出来るようになる事を説明して頂きたい。

 人間としてプライドを持って生きたいと願いながらナルコレプシーと云う病気のせいで脱落せざるを得なかった人がいる現実に正しい生活指導や治療等早急に対応すべき必要性を感じる。
電話の向こうで悩む患者や家族の声を聞き、「なるこ会の活動」として、次に何が出来るかを考えてゆきたい。
 他に 仕事のこと、家族や周りの人々に理解されない事、家族の悩み、孤独、この病の発病に特に年少者のとまどい、正しい治療にたどり着けず遠回りをして重症化したこと。
 等々の相談はとうてい私の対応を超えるものばかり、しかし今その悩みを聞く耳だけは持ち続けたいと思っている今日この頃です。


<事務局より>
 川岸さんは、「旧なるこ会」から永年役員を勤められ74歳になられます。
女性の年令を公表する事は失礼とは思いましたが、心臓の手術を受けながらも奇跡的に復帰され、現在もTEL相談を主として担当されてる偉大さをご理解いただくため、あえて掲載しました。 ご本人の了解はとっていませんが・・・
26号目次 へ戻る
なるこ会会誌総目次 へ戻る





私とナルコレプシー           K.H.

 私に初めてナルコレプシーの症状が発症したと思われるのは中学生の頃です。合唱コンクールのリハーサルで1学年全員の前で歌わなければならないんのに、眠気に襲われて歌うどころか立って目を開けるのに必死だったことを覚えています。又、その頃から笑った時に倒れこんでしまうという脱力発作も出てきました。
 高校生人になると更に症状は悪化し、授業中はほぼ眠気と戦っていました。勉強合宿などでは、1日中勉強しなければならないのに絶えず眠気に教われていました。10分寝てしまえばスッキリすることは判っていても、それが許されない状況だったため、合宿中の3日間ほとんど何も頭に入りませんでした。
 友達と遊びに出かけてもその先で眠たくなってしまうことも度々あり、家族からも冗談交じりに「病気なんじゃない?」と言われるようになりました。

 そんな時、新幹線の運転手さんが運転中に眠っていたという事件がTVニュースで報道され、「睡眠障害」という病気があることを知りました。そして、新聞の折り込みチラシの中に「あなたはナルコレプシーではありませんか?」という見出しを見つけ、初めてこの病気のことを知りました。症状が面白いほど当てはまっていたので、自分はこの病気かもしれないと考えましたが、大学受験も控えていたので結局その時は病院に行く事はありませんでした。
 しかし、矢張りその後も授業中は眠く、帰って勉強しようとしても眠く、塾でも眠いという状態が続きました。以前、「勉強できないのをナルコレプシーのせいにしてはいけない」という内容の記事を目にしましたが、それは症状の程度によるものだと思います。私は「ナルコレプシーのせいで成績が悪かった」とは言いませんが、「ナルコレプシーでなければ、あの時薬を飲んでいたなら、成績も違うものになっていたはず」だと思っています。

 そして私が病院で診断を受け、薬を飲み始めたのは大学2年生の頃です。
それまでは、バイト中も必ず眠くなり、最低1回はミスをして起きるという繰り返しでした。そのため、眠気が来るとトイレに駆け込んで5分間目を閉じてまた仕事に戻るということをしておりました。又、脱力症状も度々みられ、手足や首の関節や顔の力までもが抜けてしまっていました。
 病院で診察していただいた先生から一言「今まできつかったね」と言われたとき、私は涙が出そうになりました。初めてこの苦しみを分ってくれる人に出会えたからです。
薬を飲み始めてからは、今までのことがウソのように眠気がなくなりました。しかし、車の免許を取るのは、先生から止められたのと、薬が100%効くわけではないことから、自分としても怖くてとることが出来ませんでした。

 そして昨年2008年の夏、ある会社から内定をいただきました。そこの会社にはこの病気のこともお伝えした上での採用だったので安心していました。しかし、その直後に100年に一度と言われる大不況がやってきました。「内定取消」という言葉を多く耳にしていた中、今年の2月中旬、私の会社もかなり苦しく仕事内容・条件が全く変わってしまい、辞めなくてはならない状態になってしまいました。
 そこから面接を受けた会社は内定が決まりそうになったところで、このナルコレプシーが原因で不採用になってしまいました。正直驚きました。もしかしたら、本当は他に理由があったかもしれませんが、ナルコレプシーを理由に不採用になるとは考えてもみませんでした。

 私は現在フリーターです。この先も一生付き合って行かなければならないこの病気と前向きにキチンと向き合っていきたいと思います。そして、まだまだこの病気を知らない人がたくさんいると思われるため、もっともっと多くの人にナルコレプシーについて知ってもらいたいと思っています。

<事務局より>
 新聞の折り込みチラシを見られた時、直ぐに病院に行かれれば良かったですね。後から言っても仕方ない事ですが・・・
しかし、貴女は運の良い方ですよ。30年以上も病気と判らず、治療も受けられない人が大勢居られます。
国内で20万人と推定されている有病者で診断・治療を受けておられる方は数千人です。
事務局としても、より多くの方にこの病気を知ってもらう事に力を入れていますが、まだ力及ばず残念です。
 今後とも事務局一同、諦める事なく更に力を入れて行く所存でおります。
また、投薬治療は8割方症状を抑える事は出来ても、ご指摘の通り100%ではありません。自分なりの日常生活管理も重要です。
 自分がナルコレプシー患者である事を、会社に伝える事の是非は理想論から言えば当然の事であるし、それを差別する事はとんでもない事ですが、現実面を考えると意見が分かれる処ですので、コメントは省略します。
26号目次 へ戻る
なるこ会会誌総目次 へ戻る





「自動症」だったとは!              M.K.

 私はナルコレプシーに罹患して、現在でおよそ10年、治療にかかっております。
ここ数年、症状は安定しており、眠気は多少あるものの、罹患当初の悩ましき入眠時幻覚はほとんど出現することなく、また情動脱力発作も転倒を避けることができる程度のものがまれに出現するといった状態にあります。日常生活に特別支障は無く、就労に関しても周囲の理解により特に問題なく過ごしてまいりました。しばらく3シフト制の仕事に就き、深夜勤務もありましたが、夜勤明けの日に十分睡眠をとることで、特別問題なく仕事を続けることができました。

 今年の4月から、私は横浜にある精神障害者の自立生活訓練の援護寮に転職することができました。かねてより、精神障害者に関心があり、病棟にて精神障害者の入院生活にかかわったり、精神科救急医療の専門員として行政施策に携わってまいりました。
 精神障害者をめぐっては、「社会的入院」という大きな問題があります。つまり、病院にて入院治療し、その後退院の頃を迎えることになるのですが、諸事情により戻るところが無く入院を余儀なくされるということが問題とされております。
 国家施策としては、長期入院者をなくすとともに病床数を減らし、地域社会での福祉施策によって「社会的入院」をなくしていこうという方針を採っています。不当にも、入院生活を余儀なくされている精神障害者にとって、社会復帰が可能となり、福祉によって支援を受けることができるという意味では、精神障害者にとって歓迎できる第一歩かと考えられます。

 このような情勢の中で、精神障害者の社会復帰に何らかのかたちで携わりたく思っていたところ、幸運にも援護寮での社会福祉職に就くことができました。勤務はシフト制で、日勤(8:45〜17:30)、遅出(12:15〜21:00)、日当直(8:45〜翌9:30)。日当直は月に4,5回ですが、23:00〜翌6:00までは仮眠をとることができ、或る程度勤務形態に慣れてくれば何とか問題なくやっていけるだろうと考えておりました。
 転職した1ヶ月は前職との掛け持ちということもあり、月間わずか1日の休日しか確保できないという過酷な状態でした。しかも、日勤が終わってから今度は前職で深夜勤務に入り、深夜勤務が明けた直後に再び援護寮での遅出の勤務が待ち構えているといった、無謀なシリーズもありました。1ヶ月の我慢と自分に言い聞かせ、何とか乗り越えることができました。その後、援護寮での勤務のみとなり、休日も確保できましたので、やっとまともに仕事ができると案じておりました。

 援護寮での仕事は、精神症状の安定している方々の生活を見守るの程度のものであり、病院での開放病棟のようなもので、さほど手がかからず、むしろ暇なものだろうと推測しておりました。或る程度はのんびりと仕事ができるかなあと思っていましたが、実際は予想に反してとても多忙な職場でした。「社会的入院」とはいえ、病院では病院という枠の中で安定して日常を過ごすことができていた方でも、援護寮では必ずしもまったく安定しているとは限らないわけです。中には急性期病棟での入院治療が必要ではないだろうかと思われる方も援護寮を利用されておりました。
 また、援護寮に長期入所する方の支援のみならず、自立支援法に基づく短期入所(ショートステイ)を利用される方々の受け入れなど、地域の保健福祉センターおよび利用者への対応が日常的にあり、自立支援アシスタント事業にも対応しておりましたので、在宅の精神障害者からの電話相談にも応じるなど援護寮以外の仕事に追われる毎日でした。
 従いまして、勤務時間が終わってからやっと自分の受け持っていた仕事に取り掛かることができるといった状態でしたので、時間外勤務が当たり前の日々、休憩時間すらまともにとることができず、さらに、日当直での仮眠時間も2時間くらいしか取ることができない状態でした。
 また、初めての福祉職ということもあり、事業所の方針や福祉職の感覚への調整も私の場合、問われることが多く、疲労とストレスが蓄積する一方でした。「仕事を覚えればそのうち楽になるだろう」と楽観視していました。

 しかし、睡眠時間は大体2〜3時間くらいしか取れない日々が続き、寝ても寝つきが悪く、うとうとしているうちに朝を迎えるという状況に陥っておりました。そして、自分でも理解ができない行動が現れ始めました。
 はじめに気になっていたことは、記憶の障害でした。仕事の手順や手続き、注意事項を身につけることが、入職後の最初の「仕事」であることは言うまでもなく、きちんとメモを取って、自分なりにフローチャートを作って手順・手続きを確認するよう努めておりました。が、すべてをメモとして記録できるわけもなく、仕事を確認しているときに十分理解できるような些細なことや、仕事を処理するときの「感覚」のようなことまでは記録するまでもないことと思い、留意して置こうというレベルで対処しておりました。
 しかし、メモとして記録していたことや、記録したこと自体、すぐには思い出すことができなかったり、感覚的に理解したことを思い出せなかったりといった有様で、仕事をなかなか覚えられず、一度「覚えた」と確信したことですら、うる覚えだったり確認したこと自体の記憶が無いといったことを繰り返しておりました。以前にはこのような事態に遭遇したことが無く、「年をとったせいで記憶力が極度に減退してしまったのだろうか」と懸念するようになり、あまりにもこのような事態が続いておりましたので、脳に何らかの障害が起こっているのではないだろうかと不安に思うようにもなりました。

 さらに、仕事を確認したときにはどのような応答をしていたのか覚えていても、勝手に自己判断で行動するといったこともありました。後から他のスタッフに私の誤りを指摘され、「知らなかった」とその場をしのぐこと多々ありました。
 そればかりではなく、正しい手順を自分の口で説明できるのに、誤った方法をとってしまったことを反省することも多々ありました。記憶が飛んでしまうのみならず、わかっているのに別の誤った方法をとってしまうといったことを繰り返し、改善しようと意識していてもなかなか改善できないという場合が見られました。しかも、特定のことに関して齟齬を生じるというのではありませんでした。
 このような事態に対し、他のスタッフは当然のことながら不信感を抱いていたようです。「豚肉を買って来い」といわれて「サンマ」を買ってくるようなものです。しかも、豚肉とサンマの区別ができるのに、サンマを買ってきてしまうというようなものです。
 また、この比喩を用いると、「豚肉を買う」ということが明らかにわかっているにもかかわらず、「サンマを買いたかったから買ってしまった」というようなことさえありました。そして、なぜ自分がそのような行動をとってしまうのか、自分に対して不信感を抱くようになりました。まるで「自動催眠」にでもかかっているかのように思うこともありました。仕事すべてに対して常におかしな行動をとっているのであれば、それはそれで問題ですし、特定のことに関して対処できないのであればその特定のことに手をつけないようにするということで対処可能なのかもしれません。
 しかし、そうではないところが、周りからすると理解不能ということになり、自分自身も混乱しておりました。私は、仕事をきちんと覚えていないこと、福祉について理解できていないことが問題であると考え、周りのスタッフに必ず確認するという方針を約束しました。しかし、自分の方針を徹底できないことがあり、自らを窮地に追い込むこととなりました。

 当然のことながら、「仕事を任せられない」という声が聞こえてきましたし、他のスタッフのミスだとしても、まず私が最初に疑われるといった状況にまで至りました。当然のことです。
 記憶の問題の次に現れたことですが、日常会話をしているときに、突然わけのわからないことを口走ってしまい、気まずい思いをするといったことが何度かありました。
 覚えているところでは、
  Aさん:最近、本当によく雨が降りますよねえ。
  私  :昨日はぎりぎり雨に降られないで自宅に帰ることができてラッキーでした。
  Aさん:それはよかった。雨で電車が止まったから、まともに帰れなかったかもしれませんでしたねえ。
  私  :サルに餌をやるから、・・・。
  Aさん:え?・・・。
  私  :・・・。
  Aさん:サルって、何?
  私  :え?あれ?・・・。そういえば、今日も雨降りますかねえ。
ということがありました。
 なぜ、突然サルの話になったのか。話をしているとき、意識が遠のいた感覚でした。しかし、Aさんの発言に応えようとしていた感覚もあり、なぜかサルが出てきてしまったわけです。
 会話が途切れたとき、脈絡の無いことを口走ってしまったことに気づき、この異常な行動をごまかそうと必死でした。このようなことが何度かありましたが、場面状況や自分が何を言ったのかは、覚えていません。

 また、当直明けで、日勤帯のスタッフと勤務交代をするときには必ず「朝の送り」を行います。夜間帯に、援護寮の利用者の状況と、当日の予定などを伝えるというミーティングです。利用者の様子を観察し、記録用紙に書きとめておき、その要旨を伝達するのです。個人情報の関係で文脈を伝えることはできませんが、例えば、「もったいないから、犬に(大)便を食わせた」「恐竜が襲ってきた」「熊も一所懸命なんだよねえ・・・」などと口走ったことがあります。やはり、スタッフは一同「?」。私も、「なぜそのようなことを言ってしまったのか」と思いました。

 代々木睡眠クリニック受診の際に、医師に記憶のこととわけのわからないことを言ってしまうことを伝え、相談したところ、おそらく「自動症」であるとの説明を受けました。覚醒していても脳が半分眠っていると、これらの異常な行動が現れるそうです。
 私は特に記憶や認知に何らかの障害が起こっているのではないだろうかと心配しておりましたが、「自動症」と聞いて、少しほっとしました(睡眠時無呼吸症候群でよく現れるものであると聞いたことがあったからです)。医師からは、ナルコレプシーの状態を悪化させてしまったことによるものであるが、十分な休息と睡眠をとることで改善できるとの指導を受けました。また、一連の「自動症」による問題により、ストレスを蓄積させてしまい、良質な睡眠を取れなくなり、「自動症」に油を注ぐような悪循環に陥ってしまっているという指摘を受けました。
 以後、集中的に休息をとり、十分な睡眠をとることに努め、自分の認知している範囲では「自動症」は現れなくなったように思っております。それと、何よりも、医師により自分の異常行動が説明されたことで、心理的不安から解放されました。
 ナルコレプシーの延長線上で既知なる症状以外にも気になることが多々あるかもしれないと思います。そのような時こそ、機関誌での一筆が助けになるのかもしれないなあと思いまして、「自動症」のエピソードを報告させていただきました。

p.s:.職場のスタッフはナルコレプシーに対してある程度理解してくれておりましたが、「自動症」を説明してもピンときていないようでした。
 まとまって休みを取れば、「自動症」が改善できるということ、ナルコレプシーのその他の症状は現れていないので、まとまった休みを取ることで「復活」できるということ、さらに、支給された夏季休暇をとることでまずは対応し、シフトもしばらくは工夫して様子を見るということになりました。しかし、結果は「解雇」となりました。
2008年9月末日

<事務局より>
 自動症の体験記は当会でも珍しい為、かなり長文ですが全文掲載させて頂きました。
26号目次 へ戻る
なるこ会会誌総目次 へ戻る





2607 投稿  ナルコと共に生きる               I.K.

 私はナルコ歴55年、中1の春に校内事故で後頭部を強く打ち失神、その秋の運動会が始まる頃に発症しました。今年68歳になります。
 なるこ会の皆さまの手記を吸い込まれるように読みながら、同じ病の者にしか判らない苦しみや辛さを判り合える仲間に出会えた気持ちです。

 病気でも世間で知られているものであれば、それなりの治療を受け、理解もされ、同情もされ対応される事でしょうが、ナルコという病は自分だけにしか判らない孤独な病です。人に理解を求めれば,偏見の目で見られるか、不都合を考えて処分されるでしょう。だから知られないように常に気を配りながら生きるしか有りません。
 財産家で一生働かなくても暮らして行ける人ならその苦労はせずにおれるでしょうが、働いて暮らして行く者には非常に過酷で大変だと思います。昼夜において心の安らぐ時が無いからです。勿論、財に恵まれて働かなくても良い人でも、世間の人々との交わりや、人間としての楽しみや理想・喜び等の精神面における辛さ、入眠時の恐怖、眠れぬ辛さは同じでしょう。人に話せば「精神病?」と疑われかねません。近親者にもです。これはナルコを病んでいる人にしか判らないと思います。
 病はどんなものでも辛くて苦しいものです。しかし、ナルコは命に直接影響するものではないが、一生昼夜心の休まることの無い病です。又、その事実を誰にも理解されない、生きる希望を全て飲み込んでしまうというのがナルコの酷さだと思います。誰だって生きる喜び・夢・望みを持ち、恋もするのに、その全てを奪われては、何を見つめて生きれば良いのでしょうか?
 皆さまの手記の文面では淡々と書かれておりますが、10年、20年、30年の時の長さは出口の見えないトンネルの中を躓きながら歩くようであったと思います。まさに生き地獄と言えましょう。
 人の目は意地悪いもので、「弛んでいる」「やる気が無い」「飽き性」と見られ、「やる気が無いなら辞めてくれ」とか、聞こえよがしに「仕事もせんのに給料だけは平気でもらうのー」と言われても、自分に原因があることを思えば耐えるしかなく、「例え1日でも人並みに仕事が出来たら」と思い、どれほど涙を流したことでしょう。

 病で恐ろしいのは肉体より精神が病むようになることです。「心は肉体より脆いのかな?」って思ったものです。心の病は真に始末におえないもので、人はこんな時宗教に心の癒しを求めるようになると思うのです。
私も同様に多くの宗教に興味を持ち、理に合わないと納得できず次々と廻りました。そして法華経文の経典に、「生きる意味」「」生きていかねばならない理由を見つけたのです。それは世情との戦いではなく、自身の心の弱さとの戦いで精神力を向上させて行くことでした。
 私にとっての宗教とは、先祖とか死後の世界ではなく、病の身体で生きねばならない理由とその生き方に有りました。そのため、現世にその理由を説く教えのある宗教を求めたのです。
 今でも,主症状、副症状、その他の症状は強弱は別として全て現れています。信心力が足りないからと言う人もいますが、私が宗教に求めたものは「病を治すと言うよりも、心が病に負けない為のもの」でした。願いを叶えて頂くための信心であれば、叶えられなければ自身の信心力を気にするか、仏を疑う事になるでしょう。それでは意味が無いからです。
 私がナルコを発症した当時は、薬の副作用も通常では考えられないほどひどいものでした。その事実を医師に話すと「精神病院に行ってみますか」と言われ、以後は何も言えなくなりました。
結婚が決まり、医師に遺伝の心配の無い事を確認して子供を生む決心をし、以後薬の服用は止めました。22歳の頃でした。
その後働かねばならなかった30余年は大変でした。その間の辛さや苦しみを考える時間も無く、その日その日を生きていく事で頭が一杯で「不幸だとか哀しいとか」は考えなかったのです。
 ただ、若い頃「夫婦って何なのかしら?」と考えた事は有りましたが、「自分の事は自分でやり、やれない望みも願いも持たない」のが私の生き方の理念となって、人は心のありようで生きやすくなるものだと悟れました。
 酒が原因で入退院を繰り返していた夫が完治の望めない病に倒れ、夫の兄姉達と2人の息子を交え相談し、夫の性格を考えると告知はしないほうが良いと決まりました。何も知らない病人の看病に当たる私は、真実を隠す辛さに耐えて笑顔で接する自分が非常な人間に思えたものです。
 1年後に母が事故で骨折し、その手術後は急に認知症が進んだため、私は2つの病院を渡り歩く生活になりました。近所の人からは、1人で2人の世話は大変だと見られたようですが、私にとってこの10年間は働かなくてもよかったのでそちらへの気遣いが要らない為どれほど楽であったか・・・このように言えば不謹慎に思われるかもしれませんが・・事実、肉体は看病疲れで倒れ1ヶ月の入院となるほどだったのです。
 この事を書けば、ナルコという病を持って働く事が如何に過酷なことかを判って貰えるかと思って思いきって書きました。
気がつけば、育てて頂いた両親(私は養女で1人娘)と夫を見送り、子供達はそれぞれ幸せな家庭を築き、私は湖に浮いた草のように一人静かな暮らしになってましたが、ナルコとの戦いからは「今だ逃れられず」です。
 ナルコレプシーが薬の服用により少しでも症状が軽くなれば孫達や友人、同窓生と楽しめることでしょう。
一人暮らしには入眠時幻覚と悪夢、それも亡き人々の夢はそれが病のせいだと思いつつも気持ちの良いものではありません。告知をすれば良かったと思ったものです。母も7年間1級の認知症で別世界の人であり、正常な交流も無理だったのです。きっとその事が私の心に棘のように残っているようです。
 入眠時幻覚や悪夢が無くなれば、私は地獄から天国かもしれません。幻覚や悪夢は気力では対応が難しく、唯一の救いは「自分が正々堂々と生きてきた」自身と誇りでしょうか?

<事務局より>
 この手記は10/23付けで頂きました。内容を見てびっくりし、現在ナルコレプシーの研究は3・40年前からは格段に進歩し、適切な薬の服用により症状の8,9割方は抑える事が出来ること、服用による副作用も殆ど心配要らないこと、及びその為には専門医の診断が必要不可欠であること、近くの専門医をご紹介しました。
26号目次 へ戻る
なるこ会会誌総目次 へ戻る





2608 投稿  私と病気(ナルコ)は一生仲良くお付き合い     M.I.

 始めまして! この度会報に取り上げて頂けるとは思いませんが、「病気であるナルコレプシーと一生仲良くお付き合い」を日常モットーとし、感謝しながら過ごしている自分の事を書いてみました。

 私は結婚しても約7年間子宝に恵まれず、その間独身時代に勤務していた先の上司から農林省(旧称)の外郭団体での事務職を紹介して頂き、大手町の経団連ビルに事務所に有りましたそちらに勤務しました。
 勤務し始めてから1年少々した頃から突然睡魔が襲い始め、その後脱力状態が始まったのです。この脱力感は当事者でなければ知る事の無い、それはそれは気持ち悪く言葉で言い表すことの出来ないものでした。
 食事の終わる頃、話している時、家事をしてたり静かな動作の時、新聞や本を読んでいる時、仕事でのミーテイングの時、書類等を整理している時等々、容赦なく睡魔がストーカーのように付き纏い逃れる事は出来ませんでした。特にミーテイング中の居眠りは、皆に笑われ、上司からは「気が弛んでいるから」としばしば注意を受ける始末でした。
 立つ用事の折,脱力が来る時は全身に震えと気持ちの悪さが一瞬走ります。そういった時は戸棚や机、壁などに体を寄せてしゃがみ込みました。脱力については自分で気を付けるようにしたので、他人に知られる事は有りませんでしたが、睡魔は隠せず恥ずかしく辛い日々でした。
 症状が出てから、市内は勿論神奈川県内の病院、生れが静岡なのでそちらの病院も訪ね回りましたが、「原因不明」「うつ病?」の診断しか有りませんでした。が
 「私にも赤い糸で結ばれていたのでしょうか」偶々テレビを見ていた主人から、「お前と似た症状の病気を紹介している」と声をかけられ、一緒に見せて頂きました。そして翌日、早速飛びつく思いで東大病院にお電話した処、奇しくも本多先生の予約を頂く事が出来ました。その日から1ヵ月後の受信診までがとても長かった事が思い出されます。(それから今日に到るまでずっと通院しています)
 診断の結果は「ナルコレプシー」の病名でした。勿論今まで知る事も聞いた事も無い病名でした。会社の上司に報告しましたが、同様にご存知無く、当然理解しても貰えず残念でなりませんでした。
 その後、子供に恵まれて退職し、薬の服用により日常生活が出来るようになりましたが、、好事は長く続かず40歳を過ぎた頃、子供2人と双方の母2人残して主人が急逝しました。生活していく為、母達に子供をお願いし仕事に就きました。
 この時はお薬等のお陰で無事勤める事が出来、子供達も社会人となり少し安心したのも束の間、姑女さんの方が入退院の繰り返しその挙句大手術を受けました。手術後、温泉治療が良いからと紹介され、現在の仮住まいである伊豆高原で義母を介護、実母に息子達の事を頼む二重生活となり3年過ぎると、退院時の傷口も1年少しで治り、少しずつ良くなりました。
 が、次に実母が脳梗塞で入院・退院で矢張りリハビリが必要となったため、そのまま二人の母を介護する事になりました。
 息子達との連絡は、当初自宅に電話が無いため、公衆電話での様子聞きでした。
毎日この姿を見ておられた方が、ある日声をかけて下さったので状況を話した所、2、3日して「2人では大変な事なので、僕にも一緒に手伝わせてください」と言ってくれた人が現在の主人です。ビックリする程の手際の良さと、病気等の知識も深く、後で聞いた所、横浜の重度障害患者のケースワーカーだった事がわかりました。
 私の病気も理解して下さり、とても安心する事が出来、心の内で「ありがとう」と手を合わせる毎日でした。
母達も自分で身の回りの事が出来るようになり、私も就職する事にしました。しかし、この辺りは温泉場なので旅館かホテルの仕事しかありません。就業時間や休日の体制は、私が考えたことも無いものでした。冷静に考えれば職業柄当たり前の時間帯だったのですが。
 この事により、主人の協力もあり、「就業時間に合わせるように薬の服用時間と睡眠時間を上手く組み合わせる事」にして仕事に就きました。
 前の事がありましたので、同僚には病気持ちの事は話しませんでした。在職中は女の職場ですから、口うるさく、批判や嫉妬、後輩いじめ等が有りました。私は常に中立でいようと、パントリーで少しでも休む時など皆も同じように休みに参りますが、「今日一日頑張って仕事しましょうネ」とか、仕事でしょげている後輩達には「仕事は大勢で、美味しいものは小数で」等と力づけ、クレームがあればそれにめげず「次のステップアップの資料」として進むようにしました。
 定年(60歳)退職後、「5年程嘱託で居て欲しい」との事でそのままお世話になり、精神的にも余裕が出てきました。
この間に姑女さんの方が先に逝去し、2年後実母の方も他界しました。時間にも恵まれるようになりましたが、振り返リますと病気とは一生お付き合いをしなければなりません。
 ナルコちゃんと仲良くお付き合いし、ナルコレプシーと言う病気を少しでも多くの皆さまに知って頂けるように致したいと思います。一番嬉しかったことは、多分私が始めてでは?と思いますが、交付されなくてもダメ元と思い「通院公費負担の認定」と「精神障害者手帳の交付申請」を致しましたところ、お陰さまで両方とも両方とも交付して頂くことが出来ました。障害者手帳については、何回か保健所等に足を運び係官等に認識して頂き交付下さいました。次回更新の手続きの折には2級に取り上げて頂けるよう働きかけて行きたいと思っております。

 本多先生との良い出会いのお陰で診療及び薬の服用により安心した生活が生活が出来ました。感謝申し上げます。                        合掌

<事務局より>
 「ナルコレプシー単独での症状」では難しいようですが、ナルコレプシーに精神症状(うつ状態など)が伴い継続的な外来治療を要する場合、自立支援医療(旧・通院医療費公費負担)の対象となります。
 更に合併する精神症状が重症で日常生活に著しい制限を生じ、症状が固定している(改善しない)場合には、障害者手帳や障害年金が承認される可能性があります。
なお他にも受給の要件がありますので、希望される場合は市区町村の相談窓口と担当医にご相談下さい。
26号目次 へ戻る
なるこ会会誌総目次 へ戻る





2609 投稿  私とナルコレプシー                T

 なるこ会の事務局の方へお手紙を差し上げる事は、もう無いかのナと思っていましたが、今回思いきってお便りを書く事としました。
 私は一人暮らしで細々と自営業をして暮らしています。64歳になりました。仕事の関係で、世間的には元気と言う風に見せています。
 最近周りの方々からのお誘いあり、老人クラブへ麻雀をしに週1回通っています。去年の5月から始めてパイを持ったのですが、朝9時頃から夕方の4時位まで楽しんでいます。その後、カラオケで歌って6時頃帰ったりする事もあります。帰るとさすがにグロッキーでそのまま寝てしまします。今まで麻雀を始めてない時はこんなに長時間居眠りをしないなんて日は1年に1日か2日でした。
 私は17歳の時ナルコレプシーを発症しました。素人考えではストレスがきっかけになったと思っていますが、麻雀をしている時はストレスの反対の状態が私に起きているのではないか?とも思っています。
現在、薬は飲んでいませんが、怖い夢も殆どみる事はありません。ただ、神経がぺたぺたに疲れきった時は、昔の症状が出るので、疲れすぎるのは要注意としています。
麻雀をしている時、神経がかなり疲れることもありますが、緊張の連続での神経の疲れと違い楽しいせいなのか、悪い症状は殆ど出ません。

 私の麻雀の件が、もしかして他の患者の方へ何かヒントなり参考なりになったらと思い、手紙を書きました。 会員の皆さまが少しでも楽しい日々を暮らして欲しいと願っています。

<続いて続編が届きました。>
 私は、17歳から30年近くナルコレプシーと付き合って仕事をし、普通の人生をおくりたいと出来るだけの努力をした積りですが、余りにも弱い体力で到底このままでは何をやっても無理と身にしみました。それで、たまたまNHKのテレビで見た「気功を行えば、殆どの人は使わずに一生を終える潜在能を使う事が出来る」と言う事に全てをかけました。
 4〜5年間仕事も何もしないで、ただ毎日気功(瞑想とか自律神経訓練法と同じです)に取り組み、体を治す事に努力しました。その効果で前よりも体に自信がつき、夜も悪夢を見ることも無く、冷たかった体は普通になり、50歳近くなって、ようやく新しい仕事に就きました。
 その後はお陰さまでナルコの症状は殆ど出なくなったため、通院治療も止めています。
(仕事の信用上、持病があると言うのは好ましくないと考え、会の方は退会させて貰いました) しかし、本当に毎日居眠りしながら働くと言う事は地獄でした。この事は、ナルコの患者の皆さまなら全員体験されているでしょう。
 気功と取組んで1日中頑張りながら、「もし、私が良くなったらナルコで苦しんでいる方々にかすかな希望になるのでは」と考えていました。それで気効をしながら自分の体の状態を出来るだけ記録し観察しました。その一部分を会に送らせて頂きましたが、信用されなかったのでしょうか、取り上げて貰えませんでした。
 私は40代で気功に取組みましたが、もし20代、30代で始めていたら、又私の人生も全然違ったかも知れないと思っています。
 私が自分の体で「異常」だと知ったのは口の中で、口の中の天井にあたる所ががっちりと固まっていた事です。今、そこは完全では有りませんが柔らかく筋肉が動く状態に変わっています。(頭の中心にある神経も影響を受けていると思います)
 中国の医学の本に「神経を病む人の良くなる方法は歯茎の内側に舌を押し付ける」とあります。(私の体験と合致しています)
体の病気の個所には、「気と言うエネルギー」が流れづらくなっており、同時に血液も流れ難くなっていると考えられています。「気」が流れる所には血液も流れると言われ、気を全身に流れるようにするのが気功です。 私自身の解釈ですが、舌を押し付けると言うのは、「舌まで来ている気」を「気の少ない所」に流す事によって状態を良くしようと言う意味ではないでしょうか?
 この気功で体が快方に向かったと言う事は、自律神経訓練法と全く同じで、自分の固まっている神経を緩めのだと思います。
 そのように考えると、麻雀も楽しんでするなら、体に良いのではないでしょうか。

 長くなりましたが、ナルコの方は気功だけでなく、神経を緩める方法であると思われるなら、積極的に取り入れるよう考えられたらどうでしょうか。ナルコで苦しんでいる患者さんの1人でも症状が軽くなり、良い人生を送ることが出来たら私はとても嬉しいです。
<事務局より>
 西洋医学と東洋医学には考え方等に違いがある事は、書物で何となく承知しています。
 西洋医学:科学的、局部的、人体は臓器・組織の集合体(心と体は別)、解剖学的、論理的、演繹法、化学薬品、病名診断、診断と治療が一致しない場合がある(病名は有るが治療法が無い)、身体の壊れ具合を見る、  東洋医学:哲学的、全体的、心身一如(心と体は一体)、観察学的、経験的、帰納法、天然生薬、の決定、弁証論治、バランスの乱れ・生命力の状態を見る
 両者の長所・短所をしっかり把握し、上手く融合させてよりよい治療が可能になっていく事を期待しております。
本手記にある気功(東洋医学の一部)が、「ナルコレプシーにどれだけの効果があるかについて」は我々には判りませんが、このような方も居られる実例としてご紹介することとしました。
26号目次 へ戻る
なるこ会会誌総目次 へ戻る





2610 投稿  ナルコに罹って良かった事、悪かった事       K.K.

 私が“ナルコレプシー”に罹ったのは、今から約30年ほど前で会社勤めをしていた40歳前後の頃だったと思います。
最初は他の方と同じように、あちこちの大学病院に罹りましたが、どこの病院でも詳しい事は判ず、どこも悪いところは有りません。との事で半ばあきらめかけていました。
 その内、確か新聞記事で、私の病状と似たような事が書いて有りました。早速、その新聞記事を頼りに東大病院に行ったところ“ナルコレプシー”だと診断されました。“ナルコレプシー”の眠気は、一般的な眠気とは多少異なり、もっと酷い状態になります。
 私の“ナルコレプシー”と判る前の状況を、次にいくつか書いてみます。

1.会議中に眠くなるのは勿論の事、食事中に眠くなったり、あるいは物を食べながら寝てしまう。
  (普通の人は、会議中に眠くなる事は有りますが、食事中に寝てしまうという事はまずないと思います。)
2.階段を降りながら眠くなり、階段を踏み外しそうになる。 
  (階段が急なら、転がって死んでいたかもしれません )
3.人と話しながら、眠くなり何を話しているか分らなくなる。
4.電話中に眠くなり、後で相手からお前どうかしたのかと不審がられる。
  (私が相手の立場でも、電話中に相手が寝てしまえば、吃驚して話題になりますよ?)
5.仕事中に自分の席を立ち上がり、用をたして自分の席にもどろうとして、他人の席に座ってしまう事も何度か有りました。
 相手が部下の席なら、まだしも私の席は課長席に近いため課長席に座ってしまいました。それもこの課長は、今まで私が知っている課長の内で、最も嫌いなタイプの課長でした。それから、他の人から課長代理等と呼ばれたりするようになった事も有りました。)
6.眠くなるとトイレに行ったり、何かを食べながら仕事をしていましたので、太る原因にもなりました。
7.これは以前にも書きましたが、海外出張中に、期日が延長になり薬切れになりました。
 薬切れで2〜3日たつと症状が急に酷くなり、バスから降りる時立ちくらみを起こし足がガクガクして皆に迷惑をかけました。皆様も旅行するときは、是非余分の薬を持参するよう心がけて下さい。
8.海外出張でパプア二ューギニア(オーストラリアの上当り)に市場調査で出かけました。
 現地でランドローバという車にのり、後部座席にヘルメットをかぶり座りました。道は極悪路で、車は飛び跳ねましたが、私はヘルメットを車の天井にしばしばぶつけながら、ぐっすり寝込んでいたので、まわりの人は私のタフさ(鈍感さ)に愕いていました。

 話は変わりますが、最初、私は良く知りませんでしたがこの国は人食い人種の生息地だったと聞きました。かなり奥地まで、現地人と二人で行ったので、後でその事を聞いた時は驚きました。(一昔前なら、私は喰われていたかも知れません?――もし喰われていたらナルコにも罹らなかったかも?)

 色々と書きましたが、私が自分の人生でナルコレプシーと出会った結果悪かった事は、正に“ナルコレプシー”に罹った事であり、上記の8項目はその具体例です。
良かった事は、
 私の場合は、比較的早く“ナルコレプシー”と判り、薬を飲むと種々の症状を抑え、健常者と同じように生活が送れる事です。
 これはひとえに、本多 裕先生 始めそれまでに“ナルコレプシー”の研究に携わってこられた諸先生方のお陰だと心から感謝しております。
 以上
26号目次 へ戻る
なるこ会会誌総目次 へ戻る





2611 投稿  特発性過眠症と私                 S.N.

 私は20歳の時に特発性過眠症になりました。なってから今までの4年間、振り返ると色んなことがありました。
過眠症になるほとんどの方がそうだと思いますが、症状が出始めてからは次第に今までの生活スタイルを維持することが難しくなって苦しい時期が続きました。
 最初は原因がわからなくて、今までの自分を通そうと、ずいぶん精神的に無理をしていたと思います。
 20歳で理容師として仕事を始めてすぐに眠気が強く出て辛かったので新宿にある病院に行ったのですが、そこで処方された薬を飲んだところ身体に合わず2日間ずっと眠り続けたり、就職したばかりのお店を2ヶ月でやめることになったり、眠くて眠くてまっすぐ歩くことも自転車に乗ることも出来ない日々が続きました。
 たった何ヶ月か前は理容師としてやりたいことがいっぱいで、やる気に満ちていたのにどうしてこんなことに・・・と、眠い中、頭はそれがいっぱいでイライラしたり落ち込んだり、周りの人に沢山迷惑をかけたと思います。
 でも振り返るとその度に家族や恋人や友達が側にいてくれて悲しいことや辛いことがあった数より何倍も側にいてくれました。
過眠症を理解してくれていないと感じる時もあります。
 今は仕事も再開しているので、刃物を持ちながら眠気と闘うのに疲れて嫌になったりもします。でも周りの人たちが大切にしてくれるから、全部を理解してもらえないことにこだわる必要もないかな・・・と、自分は自分らしくやっていけばいいんだと前向きに考えられるようになりました。
 今は仕事も遊びも楽しいことも辛いことも色んなことを経験したい、そうしてまた振り返った時、「あぁ楽しかったな。」と思えるこれからにしていきたいと思っています。
 
<事務局より>
 頑張って! 特発性過眠症はナルコレプシーの症状とはかなり違いがあります。
眠気について言えばナルコレプシーでは、短時間(5〜10分)居眠りをすると目が覚めた時、爽快感とも言うべきスッキリ感があるのに対し、特発性過眠症ではだらだらと極端に言えば一日中スッキリしない。(性質が悪い)
また、特発性過眠症には情動脱力発作が無い等々です。
 特発性過眠症患者はナルコレプシー患者(推定20万人)より少なく、その為かもしれませんが、研究も今ひとつ進んでないように聞いております。
26号目次 へ戻る
なるこ会会誌総目次 へ戻る





2612 投稿  私とナルコレプシー(仮題)            I.K.

 初めまして。
今回はナルコ会の会誌に寄稿させて頂き、有り難うございます。
私は現在、33歳で、東京でアルバイトをしながら「ナルコ一色」の名前で俳優をしています。ナルコ会には、昨年の総会から参加させて頂いております。総会に参加してみて、多くのナルコレプシーの仲間にお会いできて何となく心強い気持ちになりました。
 私がナルコレプシーを発病したのは10歳ぐらいの時でした。小学生時代は1時間目から6時間目まで殆んどの授業を居眠りして過ごしました。
 中学時代は野球部に所属しましたが、練習中はもちろん、試合中にも居眠りをする始末で全く話しになりませんでした
今でも覚えている失敗は、バッターボックスに立っている時に眠くなって、なんとか、バットを振ったら、ボールに当たりましたが、間違えて三塁ベースの方向に走ってしまった事です。
 高校時代は、毎朝、自動車で1時間かけて学校まで通いましたが、よく自転車に乗りながら居眠りをしました。その為、一時間で行けるはずの学校へ毎日一時間半かかることも度々ありました。また、一回だけ自転車に乗ったまま川に落ちましたが、幸い無傷でした。
 大学時代は貧乏でしたので、毎日、バイトをして過ごしました。その代わり、講義中はずっと居眠りしていました。
バイトも、居眠りしてトラブルになるのを恐れて、深夜のコンビニなど、一人で働ける仕事を選んでやるようにしていました。
 大学を卒業後、実家の有る愛媛県で測量会社に就職しましたが、仕事中の居眠りが原因で、半分、首みたいな感じで辞めました。
自分が好きなことをやっている時は眠くなる確率が少ないと勝手に判断した僕は、一番好きな、映画の俳優になろうと思い、東京に出てきて俳優を目指すようになりました。しかし、居眠りは0にはなりません。
 ほとほと、困っている時に、映画でナルコレプシーの存在を知った先輩からナルコレプシーと言う病気のあることを教えて頂きました。
ちょうど、その頃、テレビに出演されていた本多裕先生を見て、すぐ、本多先生を訪ねて晴和病院へ行きました。先生のお陰で、今は薬を飲んでいれば、症状は殆んど出ません。
 僕の場合は、発病してからナルコレプシーと分かるまで16年かかりましたので、治療を受けるまでは、かなり困りました。今、昔の僕のように自分の病気に気付かずに苦しんでいる人は多く居ると思います。そういう仲間の力になれる事を少しでもしたいと思っています。
私は俳優をやっていますので、俳優の仕事を通じて、そういう仲間の力になれたらといいとも考えています。
26号目次 へ戻る
なるこ会会誌総目次 へ戻る





2613 投稿  患者のひとりからのナルコレプシー(Narcolepsy)研究  T.Y.

 皆様、初めまして。
昨年、ひょんなことから私は脳の病気にかかっているということが分かりました。実際にいつから罹っていたのかは今となっては正確には不明です。それはナルコレプシーという病です。直訳は『Narco = 眠り』&『Lepsie = 発作』です。

1.日本語訳病名の提案
 現在のところ、あまり多くの方に病気として認知されておらず、日本語訳として様々な名称で呼ばれています。
  周囲の見方: 眠り発作、居眠り病、過眠症、なまけ病(←ひどい...)
  患者の見方: 睡眠発作、睡眠障害、過眠症、眠い眠い病
 病気の症状として表れる表面的な現象だけを見ずに、なんとかこの病気の本質を表す日本語訳はないかとひとりの患者として真剣に向き合って考えてみました。私の提案するナルコレプシーの日本語訳は下記の名です。

『睡眠統制脳視床下部病』
 これは脳(視床下部)の病気なのです。
気合いで治すとかそういう類のものではありません。適切な治療を病院で受け、少しずつ回復させていくものです。西暦2009年の医学では、完治方法がまだ示されていないようです。でも悲観する必要は全くありません。お薬の服用で通常の生活に戻れます。
地獄のような睡魔からは確実に解放されるのです。薬代が高いのが家計にキツイですが・・・・。安くしてくだされ〜。
 様々な解釈、異論等あると思いますが、あくまでひとつの提案として上記の名称を私は、友人や職場の仲間に説明するときに分かり易いように用いていこうと思っています。
病気の内容が周囲により理解される助けになれば良いという希望です。実際にその病気に罹らないと実感として分からない事がありますよね。

2.本病気の私の諸症状
【入眠時幻覚症】: 布団やベッドに入ってから、数分(5〜8分程度)という急激なスピードで夢を見る浅い眠りに脳が移行します。なので、まるで実際に体験しているかのような非常に鮮明な夢(幻覚)を見ることになります。毎日の繰り返しで、これは夢だと夢の中で気付くこともあります。
【睡眠麻痺症】: 世にいう金縛りになります。睡眠時にレム睡眠(夢を見る浅い眠り)に数分と急速に移ることにより、まだ完全に脳や身体が眠りのタイミングになっていないため、微妙に意識があるのに身体を動かすことが出来なくなります。そのときの感情としては、ただ恐怖です。まあ、身を任せればよいと抵抗しなければいいのかもしれませんが、足首を捕まれてずるずるとベッドから引きずり落とされそうな感じは…、あまり慣れるものではないですしね(笑)。
【夜間熟睡障害】: 一晩に何回も目が覚めてしまいます。総じて浅い眠りが続く場合が多いので、起きた際に夢の内容を鮮明に思い出すことができます。かなりの確率で悪夢を視ていました。一晩で同じ夢を登場人物の視点毎に変えて6回とか・・・.。
サウンドノベルの多岐分岐小説ゲームじゃないし、夢の内容を覚えているだけに結構精神的に疲れてくれます。しかし、副産物としてお陰様で現実の世界で似たような状況の時に冷静に対処して難を逃れられたこともあるので、この病気の少ない役得のひとつかもとプラス発想で自分を慰めてみたりします。
【自動行動症】: 例えば、眠るまいとして講義ノートを書いているとしましょう。
後で見ると、ミミズがのたくったような線ばかりでかろうじて文字と判別するものもある程度。本人は眠っていない感覚ですが、どうやら周りに聞いてみるとその間寝ているように見えるようです。
【多相性睡眠】: 単相性睡眠は、昼or夜に起きるor寝る の長周期ですが、多相性睡眠では3〜4時間程度の短周期で起きるor寝る のリズムがおきる状態です。

3.ナルコレプシーの確定診断
 2008年12月25日(木)に代々木睡眠クリニックにて医師より、ナルコレプシーの確定診断がでました。そこまでの道のりは意外と長かったです。
2008年09月11日(木)
 終夜睡眠ポリグラフ検査: △ 正常と病気の中間の判定
 血液検査によるヒト白血球抗原: ○ 陰性の判定

2008年10月08日(水)
 入院検査結果説明: 上記のように白黒付けがたく、日中のポリグラフ検査を行うことを決定。

2008年12月24日(水)
 日中睡眠ポリグラフ検査: ● 4回の脳波検査で全て黒判定となり、次の日の検査結果説明&診療にてナルコレプシーの亜流であることが確定された。
以上が流れとなります。
 それにしても、夜間入院が911だし、昼間入院がクリスマス・イブで、確定診断結果説明の日がクリスマス。 重大日ばかりですが、予約が混んでおりそこら辺の日しか空いてなかったのです、はい。

4.特効薬(長期治療の味方)モディオダール
 強烈な眠気を取る特効薬のモディオダールです。1錠100mgの薬効成分で、日本の決まりでは 1日に3錠までが服用限度となっております。朝食後に服用で、薬剤効果半減期は12時間です。脳内の脳下垂体部位の神経にピンポイント(ゴル●13)で効いてくれるので、他の臓器への副作用は少ないとされています。
 私の場合は、1錠、2錠では効き目が薄かったので最終的に 1日3錠になって効果が出てきました。今考えると、相当悲惨な体調が続いていたのだなと振り返る余裕が生まれるほど、体調が改善しました。ただ、持続性はあくまで12時間。副作用や依存性が少ない代わりに毎日飲まないと次の日からは以前と同じ悪い体調に逆戻りです。少しずつこの病気は改善していくとのことですので、気長に治療を続けましょう。
 お陰様で、電車の始発駅で乗って眠ったら、終点から折り返してまた始発駅に戻ってきたという落ちは無くなりました。

5.まとめ
 今まで分からなかったことが病気として認識できたことで対策がとれます。私自身はアンテナの研究者(工学博士)ですが、既に課題(テーマ)があったときにそれを実現するための壁がいくつも出てくるものです。そのひとつひとつの問題の原因を見つけるのが一番難しいです。
 原因が分かれば対策は自ずと時間をかければ解決します、解決させます。
皆様もゆっくりと気長に直していきましょう。病気の原因が分からなかったときは独りでしたが、今は同じ病気とつきあっている多くの方々がいることが分かったのです。みんながいればなんとかなるでしょう。
ちなみに研究で一番難しいのは、研究課題(テーマ)を見つける、創り出すことです。
(すこし蛇足。)
以上、今後とも皆様よろしくお願い申し上げます。

<事務局より>
 病名の適否はともかくとして心強い投稿を頂き、「全く同感」と思われる会員の方も多い事でしょう。私自身も病名が判り、対症療法であるとしても症状が抑えられると知った時は「地獄から天国」の気持ちでした。(尤もそうなるまで20年以上かかりましたが・・・)その結果、事務局も担当している次第です。
 モデオダール(モダフイニール)は、当会も厚労省に早期認可を要請した結果一昨年の3月に認可されたものです。評判は良いようで結構なこと(使用薬剤の選択肢が増える)ですが、言われるように高価な事が「玉にキズ」です。
もう一つの問題は、新薬のため「処方限度日数が14日」と短い事で、昨年/今年と「30日に延長」を関係学会の協力も求めて要請しています。(毎日服用の必要があるため、14日では日常生活に支障をきたすからです)     河野記
26号目次 へ戻る
なるこ会会誌総目次 へ戻る





2614 投稿  ナルコと共に人生を語る 第3弾      理事長 白倉 昌夫

 第3弾は、「結婚」、「脱サラで会社設立」についてお話しします。
昭和41年、東京に上京して製版印刷関連の会社に営業として勤め、新規得意先開拓の際にきっかけは忘れましたが、妻のお兄さん(新潟県出身)が東京で印刷関連のデザイン会社を経営しており、同じ新潟県出身が出会いのキッカケだったように思います。

 妻はピアニスト(プロ級)を夢見て上京したようです。人間は一つ優れた技術を持っていると何をするにも自信溢れ魅力的ですが、当時の私にとっては「生意気な女」の印象が強かった記憶があります。
妻はピアニストが本業で、お兄さんのデザイン会社に暇つぶしに来ては、事務兼雑役係のアルバイトをしていました。昭和44年頃から妻はデザイン事務所の勤務が多くなり、お茶を飲んだりしているうちに妻の魅力を感じ、このチャンスが私に与えら得た最後の女性のように思いプロポーズしました。(私自身、将来会社起こしたい願望があり、結婚する相手は社交性のある商売人の妻にむいている人がよいと思っていたせいも有ったと思います。)すぐにはOKがでませんでしたが、それからの交際中は薬の飲む量をコントロールしながら付き合い結婚まで到るわけですが、その間の事情はお話すると長文になるので省略します。
 私の母は常々、「素晴らしい女性を見つけたな。」「もらうまでは多少の我慢しろ。」「貰ちやえばこっちのもの」と、まるで詐欺のような事を言っていました。ナルコレプシーだからではなく「僕にはもったいない位の女性」に見えたからと思います。結婚まではナルコレプシーのことは話さず、バレそうな時は適当にごまかし、昭和45年11月に結婚式を迎えました。

 結婚前は、私がアパート暮らし、妻は部屋にピアノあるマンション暮らしでしたが、結婚することによって、浅草の共同トイレでお風呂もない、アパート生活が始まりました。恋愛中は時々会うだけですが、結婚後は毎日一緒の生活です。
 サー波乱万丈の新婚生活が始まります。毎日一緒の生活は初めてで、ナルコレプシーと言う病を持つ私は失敗だらけ‥・・
 私は毎日が楽しかったのですが、妻には悲しい日々がかなりあったと思います。それはナルコレプシーに起因する事ばかりです。夕食はお酒を飲み、お腹いっぱいになれば寝てしまいます。妻が作る料理がテーブルに来ればお先に食べる。一緒に食べるころには寝てします。眠らなければ言わなかったと思いますが、眠ってしまうだけに「一緒に食事できるまで待てないの」、とか「あなたはどういう生活で育ったの」、いろいろ言われました。
 また、ナルコレプシーの場合は一回寝て起きた時はすっきりして起きていられるため、妻が寝る頃に起きて元気を出す。テレビを一緒にドラマを見ているうちに寝ちやう。無理に起きている時は、話している会話と関係ない事を話し、妻はそんな話はしてないよ、と驚く。そして私は、はっとしてはじめて目が覚める。
 そうした事が重なり、やむなく僕はナルコレプシー患者で時々眠くなる病気があると話しました。しかし,妻日く、「だからと言って寝てばっかりいることはないでしょう」「起きていられる努力をしたら」まあ、いろいろありました。

 余談ですが私が思うに酒を飲みながらお腹いっぱいに食事すると、突然に寝込んでしまう。友達と居酒屋でも、家庭でもほんのちょっと前まで話していたのに急に寝るのでビックリさせた事はよくありました。健常者では考えられない行為です。 他人には変に思われそうな時は昨夜のマージャンで寝不足とか、仕事で寝不足とかごまかすテクニックは自然と身につけました。 通勤電車での乗り越しは今でも直りません。理容院では100%寝てしまう。

 新婚生活はこんな生活が毎日続き、妻は布団の中で、泣いている時もありました。結婚数ヶ月後に妻は妊娠しました。妻は健常者ですが、私のナルコレプシー病は産まれてくる子に影響があるのではと心配し始めました。私は結婚前に晴和病院の本多先生に障害児の出産、ナルコレプシーの遺伝性はない、心配はないよ、今までにも前例はないといわれ安心しておましたが、妻は不安そうでしたので、夫婦で本多先生に会いお話を聞く機会を作りました。お話しを聞いても妻の不安が100%無くなったわけでありませんが、かなり安心し出産準備に入りました。
 私の給料が安いので、出産ギリギリまで妻は働き、お腹の赤ちやんや、産婦人科など日々忙しく、ナルコレプシー障害の私にかまう暇がなく、今まで妻が夫に注いでいた愛情100%の内70%位が生まれる赤ちやんに取られ、生活は生まれてくる赤ちやん中心の会話生活になりました。今思うに妊娠しなかったら、離婚話が出ていたかも・・・‥・・
 昭和46年11月長男が誕生しました。出産し赤ちやんの手、足、など障害がないことを確認して初めて喜びを感じました。
 妻は赤ちやん中心の生活で夫のナルコレプシーはどうでも良い、一生懸命働いて下さい。
半年後、部屋が狭く北向きの部屋で太陽の光が入らないなどで引っ越す計画をしました。お金もないので、公団住宅の抽選申し込みをした結果、運よく千葉県八千代市の高津団地が最初の申し込みで当たり、赤ちやんが一歳になる頃引っ越しました。
 苦手な電車通勤、団地からバスで、JR津田沼から東西線神楽坂まで通勤、通勤時代は何回乗り越したかむしろ乗り越さない日が少なかったように思います。乗り越しは他人には迷惑をかける訳でないので、なかなか治りませんでした。
 私が会社退職し独立する前に、妻に自動車免許を取ってもらうことを考えつき了解してくれました。そして妻は、教習所に通ってる時に二人目を妊娠し、出産までに何とか取ることができました。

 私は、1年前に辞表出し得意先を分けていただき、7年間勤めた会社を円満退職し、昭和48年3月に他人の経営する会社に電話を引き、安い賃料で社長一人従業員なしの会社を設立しました。
 会社設立してからは高津団地から飯田橋まで毎日ライトバンで通いました。ナルコレプシーには自動車の運転は一番危険な事と分かりながらも会社経営するには印刷物の納品などがあり、なくては困るので眠くなったら車を止めて休む、寝る、いろいろの方法で通勤しました。妻に免許を取って貰ったので、二人の時は妻と交代しながら運転しました。
 会社を設立しましたが、設備を持たない会社でしたので気楽で、務めている時よりは収入も多く良かったのですが、サラリーマンのような休暇が取れなく平目は遊びに行っても出先から会社に電話をかけたりが一番の悩みでした。また、家族や、親戚、友人、冠婚葬祭が平日行われる時、仕事を休めないのも悩みでした。

 約1年半ブローカー業で会社経営しておりましたが、何にも設備の持たない会社では事業経営に大きく伸ばすのには困難であることに気付きました占印刷関連では製版、印刷、製本の3つに分けられていますが、製版で一緒に働く人材を探していたら,運良く2名と知り合い51年に製版設備を持った会社を起こし、移転しました。
 ブローカー時代は徹夜とかはありませんでしたが、設備を持った会社は機械を動かして利益を生み出さねばならないため為、不規則な生活が始まりました。
 設備後の会社に寝泊まりや、ナルコレプシーである社長がどのようにして会社経営してきたかを第4弾でお話します。
 お楽しみに。

26号目次 へ戻る
なるこ会会誌総目次 へ戻る