#5  空気が重い。まるで粘つくシロップの中を歩くような感覚。気温は決して高くないが、湿度は極端に高い。  少し動くだけで汗がにじみ、戦闘服の内装に素早く吸収される。それでも額ににじんだ汗はじわじわと滴化し、額から頬へとゆっくりと滑り落ちる。  美奈子は苛立たしげに額に張り付く前髪を掻き上げ、周囲に注意を払う。  小高い丘の上にある火川神社から見おろした街は明るい闇とでも表現するしかない異様な光に包まれていた。  光その物は明るく照らしているのに、反射された光はまるでネガフィルムのように闇となる。 (ここでさえ敵の力を感じるなんて…)  今度の敵はそれまで戦ってきた相手とはまるで違っていた。  その目的が世界を征服する事であっても、それを直接的な力で行おうとはしない。  用いる力は人間の心、その刃は誘惑と罠。  最も戦いに慣れているはずの美奈子ですら、敵が町中に張り巡らした罠をかいくぐって火川神社へ−ここでさえ既に敵の手中にあったが−逃げ込むのが精一杯であった。 いつ、どこで、何が襲ってくるのかもはっきりしない状態は、いやが上にも彼女の神経を苛んでいる。 (みんな…無事でいて…)  街中の人間が消え始めたのに気付いた時には、既に仲間は一人もいなくなっていた。その生死すらはっきりとしていないが、美奈子は彼女達が生きている事を信じて疑わなかった。  この信頼は彼女自身の力に対する信頼と同じ物に根ざしていた。 「負けない…私は…戦士だから…」  声に出して言う事で、美奈子は孤独な戦いを強いられている自分を励まそうとする。 「うさぎちゃん…亜美ちゃん…レイちゃん…まこちゃん…それにちびうさちゃん…私が必ず助け出してみせる!」  声を強めたその瞬間、彼女の背後から漂う負気を感じとり、美奈子はその場で跳躍する。  その直後に足元が目に見えない壁によってなぎ払われ、石畳が粉々になって飛び散る。 「卑怯よっ!戦うのなら正々堂々と姿を現しなさい!」  美奈子の返事に衝撃波が横殴りに襲いかかる。跳ね飛ばされて宙に浮いているわずかな時間の間に身体をひねり、どうにか地面に叩きつけられるのを免れる。 「くっ!」  長い石段を三歩ほどで跳び降り、坂を駆け降りる。あちこちから目には見えないが邪悪な力が押し寄せ、あたかも迷路のように組み合わさって美奈子の行く手を阻む。 「これじゃ…きりが…ないわっ!」  ある時は力場を避け、またある時は飛び越え、必死になって押し潰されるのを避けようとする。がらんとした商店街を降りかかるガラスの破片を避けつつ走り抜け、住宅街のささくれ立つアスファルトを飛び石にして渡りつつ、美奈子は知らないうちにある地点へと導かれていた。  その何の変わりばえもしない十字路に差し掛かったその時、美奈子はそこに突然現れた穴に文字通り吸い込まれた。  何が起きたのか理解する間も無く、彼女の意識は途絶え、そしてその身体は底の無い闇へと落ちていった。  どれほどの時間が過ぎただろうか。  美奈子の意識にふと一条の光が現れ、その途絶えた意識を急激に目覚めさせる。  ゆっくりと目を開き、そしてまばたきの後にはっきりと見開く。 「ここはっ?!」  跳び起きて辺りを見回すと、遥か高みから幾筋もの光が射し、あちこちに雑多に置かれた物を照らしているのが分かる。 「ここは…一体…」 「あたしのお城へようこそ、美奈子お姉ちゃん。」  少女の声に呟きを中断され、美奈子は声のした方向を振り向く。 「ちびうさちゃん!…どうして…」  いなくなったはずのちびうさが無事で、しかも微笑んで美奈子を見つめている。 「驚いた?あたしは大丈夫だし、みんなもここにいるのよ。」 「みんなって…」 「そ。うさぎに亜美お姉ちゃん、レイお姉ちゃん、まことお姉ちゃん…すぐに呼んでくるね。」  美奈子が止めようとする前に、ちびうさは大きな柱時計と本棚の間を走り抜けて闇の中へと消えていった。 (これは…どういう事…)  信じられない面もちで本棚へと歩み寄り、並んでいる本の背表紙に目をやる。  確かに本が並んでいるのは分かる。しかしその表紙の文字は読み取れない。金文字らしく見えても、まるでその文字が不定形でその形を刻々と変化させている様に見えるのだった。 「なんなの…これ…頭が変になりそう…」  意味を為さない形を読み取るのが無理だと悟った美奈子は本棚から離れる。  視線を移したその先には、いつの間に現れたのか、長い黒髪を持ち、抜けるような白い肌をした全裸の少女の姿があった。 「レ…レイちゃん…」 「あら…どうしたのよ美奈子ぉ…そんな驚いた顔しないでよぉ…」  首に巻かれたリボンの先を指先で弄びながらふらふらと美奈子の方へと歩み寄る。 「レイちゃん…どうしてそんな格好を…」 「え?…ペットが服を着るのはおかしいってレディが言ってたもの…当然じゃない?」 「レディ…」 「あたしの御主人様よ。」  レイのこの言葉を聞いた瞬間、美奈子の表情が険しくなった。 「あなたっ…レイちゃんじゃないわねっ!」 「あら…あたしはレイよ…レディの飼い犬の…」 「あなたの言うレディが誰であれ、私の仲間を侮辱するのは許せないっ!正体を現しなさいっ!」  美奈子の周囲に光で組み上げられた鎖が現れ、あたかも彼女を守るかのように周囲で渦を巻く。 「ヴィーナス・ラブ・ミー・チェーン!」  声と共に指先をレイの方へと差し向ける。その延長線上に鎖が伸び、襲いかかる。 「へぇ…美奈子ちゃん、まだそんな事してるの…」  呟きながら右手を上げ、襲い来る鎖の先を何気ない調子で止める。 「何っ!」 「ねぇ…美奈子ちゃん…レディは偉大よ…私達に色々な事を教えてくれたの…」  切れ長のレイの瞳が更に細められる。 「まず…今まで以上の力を借りる方法…」  手のひらで止められていた鎖が跳ね返されるように美奈子へと襲いかかる。 「なっ…ぐっ!…」  信じられない勢いで鎖は美奈子の身体に巻き付き、強い力でその動きを封じる。 「それに…あたしにいろんな喜びを教えてくれたの…」  鎖の先が身体を滑り、スカートの下、戦闘服の中へと滑り込む。 「なっ…嫌ああっ!」  鎖が美奈子の後ろの蕾を探り当て、入り込む。鎖の節の一つ一つが蕾を押し広げ、粘膜の中を滑る。 「あ…うぐぅ…」 「例えばここ…お尻で気持ち良くなれるなんて知らなかったでしょ?…」  おぞましい感触は鎖の先端が直腸から大腸へ、そして小腸へと移るにつれて鈍い痛みに変わっていく。 「ぐっ…うううっ…」 「凄いぃっ…こんなに…感じるなんっ…てぇ…」  あたかも美奈子の感覚を共有しているかのように身をくねらせるレイ。  徐々に痛みが腹から胸へと上ってくる。口の中に血の味が漂い、目がかすむ。 「はぅっ…ぐ…げほぉ!」  赤く染まった泡が口の端から噴き出し、その直後にどす黒い血にまみれた鎖が口から飛び出した。 「はぁっ…まだまだよ…今度はこうしてあげる…」  鎖の節々に逆刺が生え、身体の中を通る鎖全ての刺が消化器全体に突き刺さり、粘膜を突き通す。 「ああっ…凄いっ!…お腹の中で刺さってるうっ…!」  鎖で突き通され、立ったまま凍り付いたようになった美奈子とは対象的に、レイは身をくねらせ、あたかも美奈子の身体の痛みを楽しむかのように白痴めいた微笑みを浮かべている。 「さあ…行くわよっ…そぉれっ!」  レイのかけ声と共に鎖がもと来た方向に勢い良く引き戻される。無数の刺が美奈子の体内を切り刻み、引きちぎる。  声にならない悲鳴を上げながら、美奈子はその場に崩れ落ちた。 「死人になった気分はどう?」  ちびうさの声がすると同時に、美奈子は自分がどこも傷ついていない事に気付いた。 「な…何故っ…」  呆然として自分の手のひらに目をやる。 (確かに…私はチェーンを出したし…それに私の中で…) 「驚くのも無理はないわね。」  心を読んだかのように微笑むちびうさ。 「ここはあたしが作った空間なの…あたしの思い通りに人や物を操れるのよ…」 「まさか…あのレイちゃんも…」 「違うわ。あれは本物のレイよ。操ってなんかいないわ。」  ちびうさの目が細められ、どこかあざ笑うような表情を形作る。 「あたしはただ本当のレイを目覚めさせただけよ…」 「嘘よっ!あんなの私の知っているレイちゃんじゃないわっ!」 「そうねぇ…確かに美奈子の知っているあたしじゃないわねぇ…」  美奈子の後ろからレイの楽しそうな声が響く。 「すると…あのうさぎも、亜美ちゃんも、まこちゃんも…みぃんな知らないわね?」  レイの指さす方向へと振り向くと、全裸のうさぎと亜美、そしてメイド姿のまことが寄り添うようにして立っていた。 「美奈子ちゃん…あたし達の仲間になろうよ…ね?」 「そうだよ…一緒になりさえすれば恐くもなんともないよ…」 「二人の言う通りよ、美奈子ちゃん…お願い。」  口々に言う三人を、美奈子は恐怖にも見た面持ちで見つめる。 「な…何なのよ…みんなっ…」  ちびうさが脇から歩み寄り、美奈子の顔を見上げる。 「『狂ってる』って言いたいんでしょうけど…それも違うわ。ここではあたしが掟なの。あたしに逆らう事自体がここでは間違いなの…」  辺りの光が急激に薄れ、見えるのは自分の周囲だけになる。気温が急激に下がり、淀んだ空気が冷たく刺すような物に変わる。 「逆らう物は狩り出すの…あたし自身がね。」  突然ちびうさの身体が光り、衣服がかき消すように失せる。四肢が急激に伸び、身体はしなやかさと妖艶さを兼ね備えた物へと成長を遂げる。ガス状の物がその身を包んだかと思うと、次の瞬間には身体に密着した、スリットの大きく入ったワンピースドレスへと姿を変える。  床から飛び出した黒い液体が棒になって飛び込み、見る内に長い刃を持つ槍へと姿を変えて広げた手の中に収まる。  身構えようとする美奈子よりも早く槍を持つ右手が閃き、一瞬にして右腕を根元から断ち切った。  何が起こったのか理解できないまま、美奈子は何気なく左手を切り口に伸ばす。暖かい血が切断面に溢れ、指の隙間から噴き出す。 「きゃああああっ!」  急激に膨れ上がる激痛と左手を濡らすぬるぬるとした血に美奈子は悲鳴を上げた。辺りには鉄と蛋白の入り交じった血液特有の生臭い匂いがきつく立ちこめ、失血のショックと相まって目眩を引き起こす。 「さあ…狩りの時間よ…九十秒だけ待ってあげるから、どこへなりと逃げなさい…」  子供の姿の時とはうって変わった、低く澄んだ声でちびうさが言う。美奈子はパニックを起こし、悲鳴を上げながら闇の中へと走り始める。 「一…二…三…」  ちびうさの声が急激に遠くなる。ともすればもつれて転びそうになる足を必死になって動かし、薄れようとする意識を叱咤して保とうとする。 「…十一…十二…」  足を何かに掬われてその場に倒れる。濡れた土が頬に擦り付けられ、枯れ葉とおぼしき細片が辺りに舞う。泣き出しそうになるのを持ち前の精神力だけで押さえつけ、もがくようにして起きあがり、また走り始める。 「…十五…十六…」  急な斜面に気付かず、突然足を取られて滑り落ちる。バランスを失って横様に倒れ、木の幹とおぼしき物に背中を嫌と言うほど打ち付ける。一瞬息が詰まり、身体が硬直して動きが取れなくなる。 「うっ…ぐぅ…」  ふと顔を上げると、今滑り落ちたばかりの斜面の脇に、人一人ぐらいなら隠れられる窪みが出来ているのが見えた。美奈子は両膝と片腕で這ってその窪みへと進み、どうにか身を起こして座るような姿勢になる。 「はぁっ…はぁっ…」  数えているだろうちびうさの声もここには届かない。ただ自分の吐息だけが白く闇に広がり、そして消えていくばかり。 (とりあえず…傷口を何とかしないと…)  戦闘服のスカートに仕込まれた救急セットを取り出すと、滅菌・保護用の人工皮膚シートを右肩全体に張り付け、生体接着剤で身体に直接固定していく。それが終わると使い捨ての注入パックに入った鎮痛剤を首筋から注入し、身体を少しでも楽な姿勢にしようとする。  鎮痛剤が効き始め、少しづつ身体中の痛みが失せる。同時に薬剤が脳その物に作用し、大量の失血と負傷からくるショックから脳を守るべく不必要な感覚を遮断する。 (…落ちつくのよ美奈子…これもきっと幻覚よ…) 「そうねぇ、確かにそういう言い方をすればこれは幻覚ねぇ。」  上からの声にはっとして見上げると、枝の揺れる音と共に変身したちびうさが姿を現した。 「でも真に迫ってるでしょ?…だって出血でショックを起こすし、失った部位の喪失感だってあるものねぇ…」  言いながら右手に持っていた塊を美奈子の前に転がす。  白く闇に映えるそれは、手袋を付けたまま切りとられた美奈子の右腕だった。 「いっ…嫌ああっ!…いやいやいやぁぁっ!…」  薬剤の力を借りてどうにか抑えていたパニックを再発させ、形振り構わずちびうさから逃れようと立ち上がる。 「逃げなさい…その方が楽しいから…」  言いながらちびうさは槍を脇に構え、腕と身体とをテコにして突き出す。ようやく走りだした美奈子の左肩が突き上げられ、鋭利な刃が皮膚を貫き、肉を裂き、骨を断つ。  ちびうさが腕に力を込めて槍をひねると、肉がちぎれる音がして美奈子の左腕がだらりと落ちた。 「ぐあうぅっ!」  槍が下に振られて腕を強引に断ち切る。激痛と応力にもんどり打って倒れる美奈子。 「ほらほらどうしたの?もう走れなくなったの?可愛いあんよが二本も残ってるんでしょ?」  あざ笑うちびうさの声が近づく。 「うわああううっ!ああぅっ!」  恐怖が爆発し、美奈子の理性を完全に麻痺させる。涙が溢れ、頬に跳んだ返り血を洗い流す。足の付け根に生暖かい感触が広がり、周囲の冷気で冷えて白く煙る。 「ひっ…ああぅっ…」  肩と膝でどうにか身を起こし、両腕を失ってバランスを崩しそうになるのを踏ん張ってこらえ、やっとの思いで走り始める。  新しい血が左肩の傷から噴き出し、黄色と白の戦闘服に新しく赤い染みを広げていく。失血が激しく目の前が暗くなり、意識が途絶えそうになる。  何度も転び、泥まみれになり、なおも起きあがって美奈子はおぼつかない足どりでただひたすらに逃げ続けた。  仲間を助けるという本来の目的は既に彼女の心から消えていた。いやそれどころか彼女が何故逃げているのか、その理由すらはっきりと意識してはいなかった。  無理な呼吸を続けた喉が嫌な音を鳴らし始める。酷使した膝が笑い始める。 「どうしたの?もう追いかけっこはおしまい?」  涼しげな顔をしたちびうさが突然美奈子の前に現れ、 「それじゃ、役立たずのあんよを切っちゃいましょうねぇ…」  死神が持つ鎌のように槍を腰溜めで構える。 「うああっ!…うわああううっ!…」  わめき声を上げて振り向いた途端、がくんと身体が揺れてそのまま地面につっ伏して倒れる。もう一度身体を起こそうとして、初めて自分の身体に起きた異常に気付く。 「なあに?捜し物はこれ?」  ちびうさの声と共に上腿部の中程から切り落とされた両足が無造作に目の前に転がされる。走っていたときの動きを再現して、時折筋肉がけいれんする。 「うわあああっ!やああああっ!」 「叫んでも元に戻れるとは限らないのよね、ここは…」  ちびうさのハイヒールが背中にめり込み、髪が引っ張られて喉をのけぞらせる。 「それどころか、私が望めば殺しても死なない、なんて事もできるのよねぇ…」  槍の刃先が喉に当てられ、 「現に今だってそうよ。普通だったら当の昔に出欠多量で死んでるし…」 何気ない調子で言いながら槍を振り、一瞬で首を切り落とす。 「首を切っても意識が残ってるなんて滅多にない事よねぇ…」  髪で吊り下げられた首だけの美奈子の視界に、一秒前までは自分の物だった無惨な胴体が入ってくる。  叫ぼうとしても気管を切られたために声が出ず、ただ口を大きく開いただけになってしまうが、それでもその凍り付いたような恐怖と絶望の表情にちびうさは満足そうな笑みを見せる。 「ここにいて、自分の身体が切り刻まれるのを見る気分はどうかしらねぇ…」  手を離すと美奈子の首はその時の角度と空間位置に固定される。ちびうさは美奈子の胴体を蹴って仰向けに転がすと、胸に足を掛けて腹に槍を突き通し、刃を下の方に滑らせて腹を切り開く。刃先を器用に操って腹圧ではみ出してくる内臓を切り分け、周囲に広げていく。 「どう?外見は取り澄ましていても、結局バラせばただの臭い肉の塊でしかないのよ!」  作業の途中に飛んだとおぼしき頬の返り血を親指で擦り取りながらちびうさがあざ笑った。 (嫌あああっ!もうやめてえええぇっ!)  どうにかつなぎ止められていた理性が流されようとする瞬間、美奈子は元の場所に戻っていた。ちびうさは元の姿のままで、へたりこんだまま覚めやらぬ恐怖に身を震わせる彼女を見おろしていた。 「これであたしの罰はおしまい。今度はうさぎ達の番よ。せいぜい楽しむといいわ。」  にやりと笑い、ちびうさは滑るように物陰に隠れる。 「レイちゃんはさっきもうやっちゃったから、次はあたしの番ね…」  うさぎが美奈子の肩に手を置く。 「一度試してみたかったんだぁ…美奈子ちゃん、どんな声で泣き叫ぶのかなぁ…」  美奈子の背後の床からせり上がる黒い石版が、力の抜けた四肢を革ベルトでつなぎ止めながら立ち上がり、音もなく倒れる。 「うふふっ…さぁ…巻くわよぉ…」  うさぎは台の下に付いたハンドルに手を掛け、ゆっくりと回し始める。歯車が台の中で噛み合い、縛り付けられた美奈子の手足がゆっくりと、しかし容赦無い力で引かれ始める。 「ほぉら…どんどん伸びちゃうよぉ…」  うさぎのハンドルを回す手付きが早くなると、身体中の間接がきしみ、伸ばされる感覚は引き抜かれる痛みに変わる。 「うっ…ぐぅ…ううっ…ぐあああうっ…」  目を見開き、歯を食いしばり、身体中を急激に引き延ばされる苦しみを耐えようとする美奈子。あちこちの間接が鈍い音と共に外れ、ついには筋肉その物が引き延ばされ始める。 「どうしたの美奈子ちゃん?もっと叫んでよぉ…ほらほらぁ…」  どこか楽しげな口ぶりはそのままで、うさぎは人間離れした力でハンドルを巻き続ける。間接ごとに外れた四肢が不気味なまでに引き延ばされる。過大な張力に耐えられない筋肉や腱がぶつぶつと音を響かせて切れていく。  支えていた最後の筋肉繊維が切れた瞬間、応力の全てが皮膚に伝わり、そして破れた。 「ぐわあああっ…」  肩と股関節から手足が引きちぎられる。わずかな瞬間に胴体に掛かった力が内臓を傷つけ、その血が美奈子の口元から吐き出される。  気絶するよりも先に、美奈子はまた死の虚無へと追いやられた。 「美奈子ちゃん、目が覚めた?…」  亜美の物とおぼしき声に美奈子の意識が呼び覚まされ、それにつれてぼんやりと視界が戻ってくる。  白衣を着て、眼鏡を掛けた亜美がどこか大人びた笑みを見せて美奈子の脇に座っていた。 (私…ベッドに…どうして…)  保健室のようにカーテンで囲まれた狭い空間で白いシーツに包まれている自分が信じられなくなり、居心地の悪くなった身体をもぞもぞとさせる。が、どうもいつものように身体が自由に動いてくれない。 「どうしたの?」  亜美の少し冷たい、乾いた手が美奈子の頬に添えられる。 「あ…うん…少し疲れてるのかな?…身体がうまく動かなくて…」 「そう…身体は大事にしてね…実験体は丈夫で健康でないと…」 「実験体?…それって一体…」  亜美の言葉の響きにちびうさの言葉のそれにも似た恐怖を感じた美奈子はベッドから跳ね起きようとする。しかし手足の感覚が失せており、首を動かすのもままならない。 「な…何を…」 「そんなに慌てなくてもいいのよ、美奈子ちゃん…ゆっくり休めるように麻痺剤を打っておいたんだけど…気に入らかったら許して頂戴ね…」  亜美は美奈子の頬を撫でる手を止め、シーツの端を掴むと、それを一気に剥ぎ取った。 「なっ…きゃああっ!」  身動きが出来ない美奈子は自分の何一つ纏わぬ姿を見て悲鳴を上げた。 「嫌っ!嫌あっ!」  首を振ろうとしても動かせないまま悲鳴を上げ続ける。 「まぁ…思ったより元気ね…これなら実験結果も期待できそうね…」 「じっ…実験って…」 「心配しないで、ごく簡単な事なの。」  言いながら亜美は傍らの台に乗っていた注射器を手に取る。 「乳房を膨らませて、母乳を分泌させるようにする薬を作ったの。それで美奈子ちゃんの身体で実験しようと思って…」  亜美はちびうさと同じ、獲物を追いつめて喜ぶような、目を細めた笑みを浮かべる。 (逃げられない…)  そう思った途端、亜美の目の光に射すくめられて頭の芯が痺れるような感覚を美奈子は味わう。身体から切り放された意識が、胸の膨らみの双方に等分の薬液を注入するのを他人事のように眺める。  暫く経たないうちに、整った形をした胸が充血し、フィルムの早回しを見ているかのような勢いで膨らみ始める。 (まるで風船みたい…)  亜美は首から下げたストップウオッチをスタートさせ、しばらくの間膨らみ続ける胸の大きさを測り続けてから止める。暗算する少しの間があってから、 「うふふっ…思った通り大成功…たった三十秒で体積が四倍に膨れ上がるなんて…」  美奈子の充血し張りきった乳房の上を細い指を愛撫するように滑らせ、紅に染まった先端を軽く摘む。 「ううっ!」  美奈子の小さなうめき声と共に白い液体が噴き出し、亜美の指先と頬を濡らす。 「それにもう母乳が出始めるのね…これならレイちゃんやまこちゃんも気に入るわね…」  味見するかのように指先を舐め、手元のボードに何かを書き付ける。その間も美奈子の胸は異常な速度で膨張を続け、ついには特に力を入れなくても母乳が先端から溢れ出すようになる。 (このままだと…破裂しちゃう…)  揺らぎ、霞む意識の中でそう美奈子が思った瞬間、抱えるほどになった膨らみの一箇所が破れ、血と母乳の混じったピンク色の液体をまき散らした。  その痛みは、切り放された意識にただショックにも似た物を与えただけで、余韻も残さずに消えていった。 「あら…ちょっと失敗しちゃったみたい…乳量の多いのも善し悪しねぇ…考え直してみないと…」  亜美はもう一つ注射器を取り出すと、無造作に美奈子の首もとに突き刺し、微笑んだ。 「美奈子ちゃん、ちょっとの間眠っていて…今度はまこちゃんに可愛がってもらう番よ…」  強力な睡眠薬が脳に染み渡るにつれ、美奈子の意識もまた消え去り、そして眠りに引き込まれた。  時間感覚の無いまま眠る美奈子の右腕に微かな痛みが走り、瞬く間に激痛へと膨れ上がる。美奈子は半ば反射的に絶叫し、目を開けた。 「あ、起きたね…ちょっと待ってて…もう少しで右腕が切れるから…」  視界に飛び込んだのはエプロンドレスと白い肌に赤い水玉を散らし、忙しく手を動かしているまことの横顔だった。  ごりごりと何かをノコギリで切るような音がして、それと同時に美奈子の身体にも振動と衝撃が伝わってくる。 「な…何…」 「何って…あたし、美奈子ちゃんでソーセージ作ろうと思って…」 「なっ…」  まことの表情はちびうさのように美奈子を傷つける事を楽しんでいるようには見えない。しかし一方で美奈子をあたかも豚のバラ肉か何かを切るような手付きで切り刻むその姿には非人間的な恐ろしさを感じさせていた。  ごとん、と鈍い音がして美奈子の右腕が切り放された。まことは無表情なまま残りの四肢を次々に切り落としていき、肉切り包丁でざっと肉と骨とを切り分け、肉の方だけをミンチ器に掛ける。自分の物であった手足が肉の塊にされ、そしてミンチにされる間中ずっと、その切り放されたはずの四肢に伝わる痛みを美奈子は味わい続けた。 「あぅ…ぐうぅ…」  幾度にも渡る責めはゆっくりと、しかし確実に美奈子の精神を崩壊へと導いていた。身体を裂かれる痛みに対しても、今の美奈子は余り際だった反応を示さなくなっていた。 (もう…どうなっても…いいや…)  諦めと共に、遠くでちびうさの笑い声が聞こえた。  まことは注意深く美奈子の腹に包丁を刺し、内臓を傷つけないように慎重に切り開いていく。切られた身体にも刃先にも血がべっとりとこびりつくが、全く痛みを感じない美奈子はその光景に幻想的とも言える喪失感だけを感じていた。 (綺麗…) 「あはぁっ…み…美奈子ちゃんの…美奈子ちゃんの内臓ぉ…」  まことの細い指が臓器の間を蠢き、腸間膜を突き破る感覚がはっきりと感じられる。 「凄ぉいぃっ…あ…あたしの中まで…掻き回してるぅっ…」  おそらくレイの時と同じように感覚を共有させているらしく、まことは美奈子の腸を切り出しながら被虐的な喜びに浸っていた。 (どうせ…また…元に戻るもんね…)  息を荒くしたまことが小腸を切り分け、先ほど作ったミンチを詰めて小振りのソーセージにするのを眺めながら美奈子はぼんやりと考えていた。 (もう…疲れた…) 「どう?諦める気になった?」  力無く床に座り込んだ美奈子にちびうさが尋ねる。  返事の代わりに、美奈子は虚ろな笑い声を立て始めた。  涙と汗で濡れた顔をうつむかせたまま、光の失せた瞳で床の一点を見つめ続ける。口元から唾液が垂れ、床に幾つもの水滴を形作る。 「あっ…あーあ。完全に気が狂っちゃった…ま、いっか。どうせ最後にはお人形さんにするつもりだったし…」  誰に言うとでもなく呟くと、ちびうさは笑い続ける美奈子を光の輪の中に残し、また闇へと戻っていった。  拒む物の無い、生死の境を越えた闇の中へと。