廣瀬神社

廣瀬神社沿革
明治37年3月27日旅順港閉塞における廣瀬中佐の
壮烈な死は、時を経て益々人々にその人格を慕われ、
神社創建の声が高まり、昭和5年12月神社敷地を
決定、昭和6年10月奉賛会が結成され、全国各地
から熱心な奉賛と寄進によって昭和10年3月社殿が
落成した。

境内に通じる階段。
この下にもうひとつ階段あり。
結構キツイです。
軍神廣瀬中佐像
神社正面。あれ?こんなところに・・と思うくらいひっそり
たたずんでいる。
終戦時に自刃された阿南陸軍大将の碑があります。
神社正殿。 昭和10年に建造された
当神社。
正殿にところ狭しと掲げられた写真。おそらく閉塞参加
者の勇姿では。
軍艦比叡のマスト。中佐が兵学校卒業後初めて乗艦した
のが初代比叡である。2代目比叡は第2次世界大戦に
活躍したが、昭和13年マスト取替の際、中佐のゆかりを
もって海軍より奉納された。昭和28年の台風で上部が
損傷し、昭和48年地元海友会の発起により修理復元
されたが、老朽のため平成8年5月に上部を解体した。
マスト復元の碑。
廣瀬武夫記念館。 作家の阿川氏によると、
「宝の山なり」といわれる
資料が保管されている。
噂に聞いていた「アサヒ」の
カッター。
神社より竹田の町並みを
望む。忘れかけていた日
本を思い起こさせていただ
きました。
記念館資料。
左は当時の旅順港。
港内の観戦はロシア東洋
艦隊。左上に点々と見ゆる
は我閉塞船。
記念館資料。
中佐がよく通った岡城跡。ここではじめて郡長の息子で
ある滝廉太郎とであったと阿川弘之氏の本で読みました。
東郷長官が第2次閉塞隊の士官一同を「三笠」招いて
最後の晩餐会を催された際、廣瀬中佐は軍楽隊に「荒
城の月」を所望した。。中佐と滝廉太郎が知り合いで
あった事は一般的に知られていない。
中佐の墓。父と共に眠っている。
廣瀬中佐生誕地跡。 生誕地跡より望む。
すぐ下にグランドが・・・。
こんなになっているとは
中佐はご存知でしょうか?
忘れかけていた日本を思い出しました。先の大戦でも国を
守る為に出撃された英霊が居られたことを・・。
中佐出撃前に親しかったアリアズナという女性や「タケニイ
サン」と慕っていた露海軍士官ヴィルヴィッキー達に手紙を
書いている。
国はあまり信用できませんが、露国に中佐と親交のあった
いい人達が多くいたんですね。

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