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●3月31日

朝から譜面マン仕事に専念。
月曜なのに、事務連絡が少なかったためかなりの進行状況。
10時間程労働したところで、意識が朦朧としてきたため(多分空腹のため・・)閉店。
「木舞家」にて休息後、なんとなく「特一番」でラーメンを食してから帰宅。
そして、早寝でした。


●3月30日

当然ながら、ボロボロ状態で起床。
しばらくボーっとした後、HMV通販で購入した資料DVD「THE ROSE」を鑑賞。
ああ、観なきゃよかった〜、と思うくらい良い作品でした。
その、エンドロールに流れる曲が今日からのお題なのですが、ピアノで淡々と歌っているこの曲にイントロを付け、盛り上げの間奏を付けて仕上げる、という発注とのギャップにいささか参っておりました。
でも、そんな事を言っている時間的余裕はもはや無し。
スケッチから開始し、夜までひたすら作業でした。
遅くなってから、昨日の記憶のない部分の現場検証や、なんだかカウンセリング状態の電話で深夜をむかえ、疲れもあってかそのまま撃沈、でした。


●3月29日

昨晩撃沈のため、早起きし朝ドラの最終回を見てから事務仕事各種。
ついでに散髪。

夕方南青山マンダラへ。
ネコかるライブの日でした。
通常のライブだというのに、なんだかミニ忘年会ライブのような展開になってしまいかなりの長時間ものとなってしまいました。
御来場の皆様、ありがとうございました&お疲れさまでした。
ゲストのEmiさんwith陣次郎さん・國吉静治
さん、そして乱入の児島啓介さん、イエノミーカルテットの皆さん、小峰公子さん、ありがとうございました。

現地乾杯の後、有志は二子玉川「In Vino Veritas」へ。
集いは朝まで続きましたが、「おやじ窟」マスターのいない二子玉川、寂しいものです。
意識朦朧状態のまま技師Kさん号で帰宅(ありがとうございました)後、曝睡。


●3月28日

ねむねむで起床。
まずは経堂で写譜Aさんに大型スコアを納品。
そのまま銀座へ行き、O歯科でウトウトしながら歯の治療〜Kクリニックで花粉対策。
昼食後、今月いっぱいのポイントが1万円分ほどあったので新宿へ移動しヨドバシカメラでプリンター用品を仕入れました。
ウチに戻ったら「斎藤ネコCM作曲集」が納品されていて玄関は箱の山。
関係者各位への連絡に追われておりました。
演奏者の皆様には来週発送できそうです。

そんなこんなで、もう夜。
身体はボロボロなのに逃避モードのスイッチが入ってしまい、近所の見廻り〜「木舞家」へ(店でもCDが購入できます)。
以外と早く帰宅し、早寝。
明日もダラ〜ンとしたライブとなる事間違いなしです。?


●3月27日

寝不足でも朝から譜面マン。
夕方、ナントカ仕上がったと思ったのも束の間。
今度は、このスコアからデモテープを作らなければならないのです。
ひえ〜。
フルオケもののデモのため頼む人が見つからず、結局自分でやるハメになってしまいました。
深夜までかかってしまいましたが、なんとか完成。
宅急便発送を終え、譜面マン仕事1曲目完了。

今日はネコかるのアレンジ日だったのですが、完全にツブれてしまいました。
ま、いいか・・。
そういえば、テレビのチカラというのは凄いもので、番組で椎名さまが「斎藤ネコさんにアレンジを・・・」と述べてくれたので、懐かしい方や懐かしくない方々からの電話、メールを多数いただきました。(ありがとうございました)

明日の早起きが心配です・・・。


●3月26日

朝からひたすら譜面マン。
ひたすら譜面書き。
夕方、椎名林檎さんが「ニュースステーション」に出演し、2月の編成で生本番演奏するため立ち合ってほしい、という要請により溜池方面に上京。
今週は譜面マン仕事のため、このお仕事には参加しない事になっていたのですが、結局参上しました。
行ってみると、スタジオでの弦のセッティングがかなり異常なため、早速イス並べでひと運動。
リハーサルでは副調でバランスチェック。
カメリハまでお供し、帰宅。
ウチで本番を見てひと安心してから仕事再開。
往復を含めた約6時間を取り返すため、ひたすら譜面書き。
かなり頑張ったのですが、もうダメ〜状態になり就寝。
予定から1日ズレてしまいます・・・。
ピンチ!


●3月25日

一生懸命、譜面書いてますです。

そんな間にお知らせです。 29日に発売できそうになってきた「斎藤ネコCM作曲集」の通信販売の予約受け付けを開始しました。
お申し込みはコチラまで。
よろしくお願いします。

と、昼間はまだ元気のあった私ですが、譜面マン状態のまま深夜を迎えております。
いくらやっても終わりません。
今回から新調?した、巨匠O先生と同じ30段スコアで20ページ。
なんで、1コーラスがA-A-B-C-C-D-E-F-Gなんていうトンデモナク長〜い構成なんだろうなあ・・・?
朝までには終わりそうもないので、仮眠させていただきます。


●3月24日

もう、ホントにグッタリ〜状態で起床。
サスガに疲れました。
でも、暖かかったので光合成のため近所の見廻りや譜面マン仕事用の資料調達のためまずは外出。
ウチに戻って、昼食後、連ドラや「GOOD LUCK!!」の最終回を涙しながら鑑賞。(これはハズせませんでした。?)

後はひたすら譜面マン仕事。
資料を検討し、スケッチを開始し、今回は遂に30段の大型五線紙での作業。
20ページも書かねばならない事が判明し、一瞬意識が遠のいてしまいました。
「スタートレック」休憩で、こちらも最終回を見てからまたまた作業。

そんな間に「CM作曲集」の印刷物が到着。
29日のネコかるライブで発売できそうな状況になってきました。
遂に出来ます。

それから、お知らせです。
のらねこHなた君のお父上、日向茂男氏が明25日NHKラジオ第一「ふれあいラジオパーティー"始めましょう!敬語レッスン"」に御出演なさるそうなので、皆さん是非お聞き下さい。


●3月23日

12時着で吉祥寺マンダラ2へ移動。
今日は、怒涛ののらねこ合奏団ライブの日でした。
ホントに怒涛でした。
御来場の皆様、ありがとうございました。
そして、ゲストの日野美歌さん、ピアノのエルトン永田さん、ありがとうございました。
メンバーの皆さん、お疲れさまでした。
チョト上手になりましたね。

終演後、現地打ち上げ。
深夜、よせばいいのにサッポロラーメン「ピリカ」にて味噌ラーメンと小ライスを食してしまい満腹状態に。
帰りのタクシーで気絶しながら帰宅。
グッタリです。


●3月22日

朦朧と起床し、ボーっとしたまま中野まで。
今日も朝からのらねこ合奏団のリハ。
ひたすらリハ。
ゲストコーナーがタイヘンな事になってきました。
所謂、歌謡系のフレーズに座礁してしまいました。
難曲もあるし、どうなってしまうのでしょう?
午後になって、やっとフルメンバーが揃っての通しリハをやりなんとか明日を迎える状態にはなったものの、スリルとサスペンス溢れるライブになる事は間違いありません!!。
ふ〜。

夜は早稲田に移動し、明日のライブでのチェロセクションのみの演奏のリハ。
これがまた難題なのです。
でも、楽しく生き生きと音楽する彼らに遊んでもらっている私は幸せ者だと思いますです。?

ところで、ここのところの3日にわたる中野リハでラーメンを4回も食べてしまいました。
「青葉」、「山頭火」、「麺次郎」、そして白河ラーメン。
特に今朝は遅刻者が多かったので現地に着いてからまだ行列のできていない「青葉」へ。
最初は油っぽいスープだなあ、と思ったのですが麺が美味しく、食べていくうち結局完食してしまいました。
他の店もそれぞれ個性があり、味も問題なし。
やはり戦争するなら「ラーメン戦争」の方がいいなあ・・。
狛江でもやってほしいものです。(絶対無理)

そんなこんなでヘロヘロヘトヘト状態で帰宅。
ゲストの日野美歌さん、ピアノのエルトン永田さんにリハの進行状況と、演奏の未熟さ加減の報告とお詫び(すでに.....)をしておりました。
でも、みんな一生懸命なのは確かです。


●3月21日

早起きして朝7時半から連ドラを見て、準備して中野まで上京。
今日は朝10時から夜8時まで、ひたすらのらねこ合奏団のリハーサルでした。
朝は室内楽の練習?というほど少ない人数から始まりまずは特訓。
午後になって少しずつ人が増えていくため、また同じ事を言わなくてはならない、という展開。
学校の先生はこうやって何度も何度も同じ事を教えるのだそうですが、私にはチョット向いてないし、最近犯罪の増えている「教師」というのはホントにストレスのたまる仕事なのだな〜、というのを理解した気になってしまいました。
いや〜、ホントにクタクタになるまで練習したのでもうボロボロです。
う〜む.....。

でも、ストレスを溜めないために中野にいながら練習が終わったら何故か高田馬場に移動し「祭ばやし」にてお疲れの会。
どんな演奏でも飲んでしまえば楽しくなってしまう若者&私たちはタクマシイなあ、と思いました。?
今回プロの部からの参加の「イエノミーカルテット」坂田トラさんの悲しいお話しで盛り上がってしまい、現地学生チームお開き後、トラさん、K西さん、という社会人3人でTHE ENGLISH PUB「HUB」で仕上げの一杯。
これが効いて帰りの電車で曝睡しながらもなんとか無事帰宅。
そのままバタン!でした。


●3月20日

朝から来るべく怒涛譜面マン仕事にそなえて、これ以上の譜面の地層に耐えられなくなっていた仕事場の整理。
机の上に大型スコア用土地を確保。
午後から、坂田トラさんのレッスン。
鶴の恩返し実演?のような作編曲講座が展開されました。

夜は譜面マン仕事用のスケッチ作り開始。
ドラマ最終回チェック休憩をはさみ「スタートレック」まで作業。
夜中ののんきな国会はなんだったのだろう・・・。


●3月19日

朝から中野方面へ。
今日からのらねこ合奏団の23日のライブ用のリハが始まりました。
ところが、現地に譜面が揃っていないため2時近くまで別曲の練習。
発起人Hなた君は謎のウィルスにおかされ高熱のため欠席。
早退もいるし・・・。
皆さんお忙しい中の参加のため、どうも本番まで全員がそろう事はなさそうです。
私がイチバン暇なのかなあ.....?

さて今日の長時間リハで難曲に挑戦開始。
太刀打ちできないような曲なので、現場には少々緊迫した空気も漂ってきました。
当日はかなりレアものの「超B級クラッシックコーナー(編成拡大版)」をお届けできると思います。

なお、ゲストは日野美歌さん、ピアノはエルトン永田さんにお願いしております。
どういう展開になります事やら・・・。

夜はドラマの最終回チェックの後、「スタートレック」を見てから就寝。


●3月18日

朝から銀座O歯科へ。
またまた巨額の出費が・・・。
タイヘンです。
昼食後、帰宅。
午後はスケート関係の音源作り。
その間に御近所Oさんたちがウチに遊びにきてくれて賑やかな中の作業となりました。

成り行きで「木舞家」へ行く事に。
現地で吉良・小峰家も合流。
集いが始まったところで、私は駅の喫茶店へ向かいKプロデューサーと恐怖の譜面マン仕事の打ち合わせ。
今月はのらねこ〜ネコかるとライブが続く中でのお仕事なので試練となりそうです。
店に戻ると宴はかなりの盛り上がり。
久々に吉良さんたちとも集えたので焼酎のボトルがバンバン空いていきました。
程よい時間に、程よくない酒量で解散。
帰宅後、ボーっとしてたもののとても「スタートレック」までは起きていられず早寝。
深夜に連絡をくれた皆さん、ゴメンナサイ。


●3月17日

今日もアレンジ日。
大混乱の仕事場も少しは落ち着きを取り戻しました。
が、今日格闘していた曲もかなりの難題で、作業は遅くまでかかってしまいました。
う〜ん、完成された音楽をアレンジするのってホントに難しいものです。
スコアをのらねこH之内君にFAX。
今回はどんなパート譜になるのか楽しみです。?
規則正しく「スタートレック」を見てから就寝。


●3月16日

かなり久々に近所の見廻り。
春の気配を感じつつ、昼食〜買い出し。
夕方から23日用の仕込みに戻るも、今回は変則の編成のため少々挫折。
別アレンジからの現場変更も取り入れる事に決め、「GOOD LUCK!!」を見てからダラダラした後、早めの就寝。


●3月15日

久々に再起不能持病二日酔仮死状態にて起床。
昨日はあまりにもディープな一日すぎました。
昼間はほとんど使い物になりませんでした。
夜になって、やっと23日ののらねこ合奏団のライブ 用の仕込みを開始。
難題に立ち向かう決意をしました。
発起人Hなた君とも事務連絡。
いつの間にか深夜になっていたため「スタートレック」を見てから閉店。


●3月14日

昼頃、和泉多摩川で千鶴伽さんと待ち合わせ、軽い打ち合わせの後、梅が丘まで移動。
彼女が急遽呼び寄せたシンガーソングライターの高橋君と駅で合流し病院へ。
11日の打ち合わせは何の意味もなさず、高橋君がギターを担当する事になっておりました。

さて、今日は看護士Iさんの依頼により、彼女の勤めている病院でデイケアのお年寄りのためのライブの日でした。
生ビール付き?の昼食の後、現地にてライブがスタート。
お初のメンバーでリハなしの歌もの、しかもギターも初見という前代未聞の暴挙となった今回のライブはスリルとサスペンスのうちに展開しました。
歌ものでこんなにドキドキハラハラだったのは初めてかもしれません。
まるでJAZZのセッションの様でした。
まずは、グッタリしながら何とか終了。

せっかく病院に来たのだから、という看護士Iさんのお取り計らいで血液検査も決行。
北京のお酒や昨日の新大久保での韓国のお酒、そしてお昼の生ビールがどう影響するか、今となっては楽しみとしか言えません。
普段の状態で検査するのが大事なのだそうですが・・・。

病院をあとにし、「大勝軒」なる店で妙に大盛りのラーメンを食し、さすがに食べきれずに挫折。
新宿に移動。

夜の部は、のらねこ未来さんからのお誘いにより、HEAD POWERに向かいました。
未来さんの彼、畠山氏プロデュースの「魂のシャウト・デスマッチ」なるイベントを鑑賞するつもりだったのですが・・・。
到着するなりプロデューサーからの出演交渉があり、断わる理由もなく参加するハメになってしまったのでした。
楽屋は、新宿系ロックの巣窟のようで異様な感じ。
イベントの司会はライイングアナ、お笑い系芸人さんの出演もあり、と場の空気が全く読めない状況。
しかも、現地で別件打ち合わせをいれてしまったため、昼から通してもう「私はだれ〜?」状態に達しておりました。

すでにベロベロになってなだれ込んだ本番は、シャウト系の朗読とのバトル、ギャーティーズというバンドへの乱入、というトンデモナイものでした。
もう、後半は未来さんと交代で演奏したりと、何が何だかわかりませんでしたが、妙に楽しいオヤヂROCKの世界を堪能しておりました。

終演後、ますは「みくに丸」での全体打ち上げに参加。
あまりの人手に圧倒され、未来さんの案内にてゴールデン街「CABOCHARD」へ避難。
続いて、2丁目(多分)スナック「MAKO」へ行き(移動中に「ミノトール」の女子従業員と遭遇。店に挨拶に寄った記憶あり)、オカマバー初体験。
そこのママと「池林坊」へ。
それにしても、未来さん、さすが巨匠秋山マエストロのお弟子さんです。
あの界隈の精通ぶりにはビックリでした。
そして「みくに丸」にダルセーニョしたものの、もはやこれまで、という感じで退散。
意識朦朧状態ながらなんとかタクシーで帰宅。
4時はとっくに過ぎておりました。
現地は朝までだったんだろうなあ〜、と思いつつ大撃沈。
久々に物凄〜い一日となりました。
もうダメです・・・。


●3月13日

午後から溜池方面に上京。
溜池山王の駅で石井AQ先生とバッタリ。
ここのところシンセの入った仕事がないため、久々の再会にビックリした後、スタジオへ。
今日はSIONさんのレコーディングでした。
歌と、細海魚さんのピアノ、22人編成のグレート栄田ストリングス、で何と同録してしまう、というスリル溢れる録音でした。
いや〜、こんな編成なのにロックしていて楽しかったなあ。
数テイク録ったものの、予定をより思いっきり早く終了しました。
プロの弦はやはり奇麗な音です。(当り前か・・・)
終了後、撮影や打ち合わせを少々。

夜は新大久保に移動。
来日中?のファンキー氏と駅で待ち合わせ、中国延辺風スパイス・串焼「千里香」なる店に連れて行ってもらいました。
見渡す限り、店内には日本人客の姿は確認できず、ホントにここは日本なの?といった感じの店でした。
味も、先週の出来事なのに懐かしいあの現地のもの。
羊肉等を堪能しました。
途中から、ヤマハO氏(元スーパースランプ。銀座あたりから来るのかと思っていたら浜松からやってきたやっぱり変人)、グリオN社長、そしてSIONさんも合流(呼び出してしまって失礼いたしました)し、商談、企画、バンドマン談義、女子系談義、俳優談義、等グルグルと複数の話題が同時に展開しておりました。
日本の中国を十分楽しませていただきました。
程よい時間にファンキー氏、O氏を残して退散。(お先に失礼しました)
N社長号で狛江方面まで送っていただき(ありがとうございました)、タクシーに乗り換え帰宅。
疲れているのに「スタートレック」を見てから就寝。


●3月12日

アレンジ日。
シンプルなのに奥が深い曲のため、かなり難航しておりました。
手を抜いてる、と言われようと何だろうとやはり白玉系(でも今回は8分の6拍子なので白玉にはなりませんが・・)が合う曲の場合、そうするしかありません。
シンセのパッドと20数人が心をこめて演奏するのでは、そりゃ歴然とした違いが出るのですから。
というわけで、明日もグレート栄田さんのチカラを信じてアレンジしました。
結局9時近くまでかかってしまいました。

夕食のため「木舞家」へ。
でも、昨日のラーメン願望がアタマから離れずよせばいいのに「ぽんつく」に行き、油ぎった感じが口にあわずソソクサと退散。(もったいない.....)
結局、和泉多摩川「特一番」で王道の醤油ラーメンを食し、ひと安心してから帰宅。
アレンジもラーメンも王道がイチバンです!?
意識がとだえながらも「スタートレック」を見てから就寝。


●3月11日

朝から銀座方面歯医者医者関係。
中華は飽きているはずなのに「ニュー北京」にて坦々麺の昼食。
初台に移動し、税理士O先生のところで確定申告関係のお願いと雑談を少々。
ウチに戻って仮眠を少々。

暗くなってから千鶴伽さん宅にお邪魔し、14日のライブ(病院関係)の打ち合わせ〜軽いリハ。
ひと段落したところで、看護士Iさん、技師Oさんと合流し、和泉多摩川の飲み食い処「なんでやねん」なる店を探検。
う〜ん、と唸ってしまうような寒〜い(温度も)店でした。(トホホ・・・)
続いて、新規開店のラーメン屋を目指したのですが9時閉店ということで残念ながら食べそびれてしまいました。
そうなると、狛江には美味しい店がないので諦めることにし「ハーベスト・ムーン」へ。
やっと暖をとる事ができたため、ホっとして飲んでしまい結局グルグルに。
帰宅後「スタートレック」の最初のほうは覚えているのですが、いつしか気絶した模様で気付いたのは5時近く。
5時になって、やっと正式な就寝と相成りました。?


●3月10日

朝から六本木ワーナーミュージック・マスタリング松永エンジニアと「CM作曲集」のマスタリングの仕上げ。
各種最終確認をへてやっと終了しました。
並行してデザイナーKさんと入稿用チェックも続いておりました。

午後は渋谷に移動し、文化村スタジオへ。
某大物俳優&歌手KTさんの2回目のレコーディング。
いりなりミュージシャン全員の前で「ネコさん、白玉ばかりで手を抜いてるんじゃないの・・?」と言われてしまいましたが、ウチのアレンジは白玉がイノチ。
時間かかってるし、手も抜いてません。
そんな事でヘコんでいられません。
本日は船頭さんが少なかった事もあり、穏やかに録音は進行。
メンバーはピアノがエルトン永田氏、ハープは朝川朋之氏、そして22人編成のグレート栄田ストリングス。
歌と同時録音のため回数はいってしまいましたが、なかなか良いものが録れたと思います。

こちらでもFAXにより入稿用チェックが続いていましたが、5時過ぎに入稿した模様。
これで作曲集のCDは月末のネコかるの日に発売できそうです。(何もなければ.....)

終了後、エンジニア北川氏が仕事に行ってしまい、誰も遊んでくれなかったため狛江まで戻り「木舞家」にて夕食。
帰宅後、電話連絡少々。
疲れのため「スタートレック」まで起きていられず沈没。
グッタリ。


●3月9日

明日の難題録音仕事のアレンジ日。
船頭多数対策を詰め将棋のように検討しつつ、結局王道のアレンジを展開。
皆さん、助けて下さい、と他力本願状態。
朝からやったのに、終わってみたらもう夜になっておりました。

慌ただしく入浴〜夕食。
そして、今日の目標「GOOD LUCK!!」に間に合いました〜!?
見終わってから、仕事再開。
「スタートレック」のピカード艦長を見て落ち着き、就寝。


●3月8日

多少睡眠不足で起床。
朝食後、事務仕事を少々やったものの、再び仮眠。
昼食後、今日も天王洲へ。
やっぱり遠いです。
MIX立ち合いの続き。
早めの終了だったので、現地で皆さんと軽く飲んできました。
あの地区の殆どの飲み屋は10時前後に閉店なのにはビックリでした。
ドラマのロケには向いていても生活感は全くないんだな〜、としみじみ。
ウチに戻って「スタートレック」を鑑賞。
新シリーズ(土曜日のみ)を眠気をこらえて見る価値があるかどうか疑問に思ってしまった内容にガッカリ。
なんだか・・・。


●3月7日

7時起床。
午前中は幼稚園関係の儀式に出席。
なかなかの社会勉強になりました。

昼食〜仮眠後、「CM作曲集」のデザインのラフが到着したのでチェック&各種連絡。
本日入稿目標でしたが、やはり月曜に入れる事になってしまいました。

夕方、天王洲方面へ移動。
初めて、りんかい線というのに乗ったら料金が高いのに驚きました。

今日は2月仕事のMIXの立ち合いでした。
まずは北京録音の営業から・・?
疲れもあり、寝たきりアレンジャーと化しておりました。
夕食抜きで作業は続き、終了間際にピザをつまんだのですが、何故か美味しく感じました。

タクシーにて帰宅。
北京で使ったよりも高い料金で、金銭感覚の麻痺を確認。
帰宅後、久々の「スタートレック」鑑賞。
そしてグッタリ就寝。


●3月6日

2時間睡眠で朝4時起床。
超二日酔い?どころか当日酔い状態で朦朧としながらパッキングしロビー5時集合になんとかセーフ。
さっそくF山さんに「酒臭〜い」と言われるも切り返す気力ゼロのままバスに乗り込み一路空港へ。
各種手続きの後、半ば無意識状態で空港内をウロウロし、朝食。

機内でまず迎え酒のビールで体力復活をはかるも失敗。
続いて白ワインで多少の気力復活。
当日酔いは続いておりました。

ドラマ「GOOD LUCK!!」があたっているためか、今回の往復、ANAのCAの皆さんの対応の良さは特筆ものでした。
F山さんは「今日は香田キャプテンですか?」と質問したら「キャプテンは違いますが、チーフパーサーは同じ名字ですよ」なんて余裕のお返事があったそうです。
快適な空の旅を終え、定刻よりも早く成田に到着しました。

入国、解散の儀の後、F山号でウチまで送っていただきました。
道がすいていて1時間少々で到着。
F山さん、そして皆様、ホントにありがとうございました。

昼寝を少々〜刺身とビールで夕食。
そして焼酎片手に「GOOD LUCK!!」をビデオで鑑賞。
ふ〜。
ダラダラしてから就寝。

疲れましたが(飲みが?)、楽しい北京の旅でした。


●3月5日

頑張って早起きし、朝食をすませ8時にロビー集合。
参加自由の観光の日でしたが、ここまできたので行ってみることにしました。

まずは、マイクロバスで2時間弱。
ケーブルカーという名のロープウェイに乗り、そこから大した距離でもないのに段差がバラバラの階段をのぼりヒーヒー言いながら「万里の長城」の頂上にたどり着きました。
いや〜、ハイビジョンで見る世界だと思っていましたが、実際に見ると凄いものです。
こんなところに、こんな凄いもの作らなくたって誰も攻めてこないんじゃないの?、とは思ってしまいましたが、いやいや。
とにかく壮観でした。

またまたバスに乗り市内へ戻り「福家楼」にて昼食。
活気のある店でした。

午後の部は天安門広場〜古宮博物館。
とにかくデカさに圧倒され、その荘厳な雰囲気には言葉を失ってしまいます。
細かい音符になんかこだわっていられない、大きなメロディーが得意、というオケの気質もよーくわかる気がした時でした。
あ、今日の観光にはN社長は参加していないのでその静けさもあるのですが・・・。(失礼)
といっていたら、ホテルに残っていたN社長チームと現地で合流する事に。
合流後、再び活気が戻った一行は古宮を後にしたのでした。

その後は自由行動なので、ショッピングタイムとなり街をウロウロ。
またまた迷惑と思いつつもほかに頼るあてもなく、ファンキー氏を誘ったところ今夜もOKとの事。(ホントに無理言ってスミマセン)
合流地点の「北京飯店」のラウンジで内沼さんと生ビールを飲みつつ休憩しておりました。
無理やり誘ってしまったので、仕事で遅くなってしまったファンキー氏と合流する頃にはすでにイイ気分になっておりました。

まず、食事の前にファンキー氏の仕事場、竹書文化を見学。
まずはプロツールスのスタジオ。
ここで内沼さんの後輩、KEIZOさんを紹介してもらいました。
彼はビクタースタジオにいたのですが、ファンキー氏との仕事で北京にハマって現在は北京在住との事でした。
続いていくつかのブースがあり、それぞれにに作家プロデューサーが詰めていて忙しそうに曲作りをしていました。
さらにその奥にオフィス〜社長室。
夜の7時過ぎだというのに、活気あふれる仕事場。
20数年前、私が仕事を始めた頃の日本のレコード会社ってこんな感じだったなあ〜、とフト思ったのでした。

楽しく鮮烈な印象を残した会社見学を終え、内沼氏、ファンキー氏、KEIZO氏と「A Fun Ti」というウイグル料理?&音楽の店へ向かいました。
ショーを見ながら食事、という観光的なものを想像していたのですが、このショーが実によく出来ていてビックリ。
民族楽器の見事な演奏、踊り、そして最後の方にはバンドが入ってグイグイ盛り上げていくのです。
その間にテーブルの上も物がどんどん撤収されていくのを不思議に思っていたら、ここの名物だという、テーブルダンスへと展開したのでした。
ダンサーやお客さんが入り混じってさっきまで食事していたテーブルの上で踊るのです。
いや〜、ビックリ。
オヂさんたちは呆然と眺めておりました。
でも、面白かった〜。

さて、帰るかな〜、とうところでMプロデューサー、内沼氏アシスタントA君、通訳のnamiさんと「JAZZ YA」での合流が決定。
結局、早寝を目指した私達でしたが遅くまで飲んでしまいました。
ゴキゲンなMプロデューサー(グラス割ったりしてました・・)とA君を残し、内沼さんと私は限界を感じ退散。
ホテルに戻り部屋飲みした気配はあるものの、記憶はないまま沈没したのでした。

こうして、18時間にわたる壮絶な観光と北京最後の夜は終わったのでした。


●3月4日

朝食をすませ、朝10時、ロビー集合。
レコーディング当日です。
スタジオに着くと、すでにファンキー氏が到着していて、あ〜ホントに来てくれたんだ〜、と大感激。
アシスタントのアシスタントをやってもらう上にさらに彼のアシスタントを呼んでもらい、F山さんにはひ孫までの子分が揃った事になります。
勝手に自分のセクションを大がかりにしてしまったため、N社長に注意されてしまいました。(ゴメンナサイ、N社長)
そりゃそうです、クライアントがいて、プロデューサー、アレンジャー、現地コーディネーター、等でゴッタがえしているところにアレンジャーつきのアシスタントが3人。
でもホントに助かる事になるのでした・・。
午前中に殆どの準備が終わり、美味しいお弁当の昼食。

1時頃、そろそろオーケストラの楽器やメンバーも入り初め、順調に事がはこんでいるなあ、と思っていたところで思わぬアクシデントが。
ナント、スタジオが停電になってしまったのです。
どうも、担当者が昼食だったらしく(北京では当然の権利らしいです)復旧まで30分近くかかっていたと思います。
でも、なんとか録音スタートへと向かい、一同ホっとしました。

指揮者も登場し、挨拶〜打ち合わせを経ていよいよ録音開始。
オーケストラはリー・シンサオ指揮中国国家交響楽団。
1曲目の音が出た瞬間をスタジオの中で聞きました。
70人近くが一斉に初対面の緊張感、物凄いものです。
(でも、録音が始まっても1st.VnとVlaに1つずつ空席があったのがのらねこ合奏団のようで苦笑してしまいました。)
続いて感じたのが、15年ほど前、香港で初めて海外録音を体験したときと同じ、何故か大陸的なのに他人事ではないような響きでした。
ああ、これが中国の人達のニュアンスなんだなあ、と思ったのですが、どんな細かいフレーズにも何か雄大なものが隠されているのです。
大きいスレーズはさらに大きい感じになるし、必要と思ったら弱くと書いてあってもデカく出してくる。
とにかく主張が激しいのです。
何度かの音出し、音決めの結果、主張が激しいため、ブラスがデカすぎてブースに移動していただく事になってしまいました。
通訳Yさんは別件で忙しかったため、ファンキー氏の見事な通訳により難なくオケのブラスセクションのブースへの引っ越しも完了。(たすかりました)
別ブース内のピアノとハープの奏者がヘッドホンもせずに演奏しているのも印象的でした。
少し多めに編集用のテイクも録り、まずはひと段落。

1曲終わるとお互い打ち解けてくるのはどこの国でも一緒で、今回も2曲目からはいたってスムーズに進行しました。
パシリの私もカタコトの英語で指揮者のもとへ走ってニュアンスを伝えるようになっておりました。
テイクを重ねるごとに、グイグイと演奏がよくなっていくのには今の中国のチカラを見せつけられた感があります。
この曲でブラスの皆さんは終了。
以前日本に言ったんだよ〜、なんて話しを聞きつつお別れしました。

3曲目はさらに順調。
ニュアンスについて各種やり取りをしてから、2テイクでOKが出ました。 6時頃、予定よりもかなり早く録音は終了したのでした。

私は大好きなオーケストラでした。
今回はF山さん仕事のため、詳しい内容は書けませんが、私の中では是非ここにもう一度来てレコーディングしたい、という野望がフツフツとわいていたのでした。
東京に戻ったら、どの仕事でも北京録音を売り込む事に決定。

録音終了後、N社長よりキッパリ現地解散を言い渡されたのですが、またコピーやプロツールスへのバックアップ等があるのでスタジオでダラダラ。
そういえば、5時間以上立ちっぱなしだったことに気付き(パシリは座ってはいけないのです?)、ドーっと疲れが出てきました。
アシスタント、って気を使う仕事なのだなあ、と痛感いたしました。

で、一通りの作業が終わったところで、N社長チームも別件打ち合わせが終了、ということで結局全員揃ってファンキー氏推薦の「北京燭王火鍋」という四川鍋の店に向かいお疲れの会。
鍋が真ん中で仕切られていて赤くて辛〜いのと白くて辛くない2種類の味でシャブシャブのようにしてから、胡麻や何やら油っぽいタレに付けて食すこの料理、かなりの美味でした。
羊や牛、さらには鳥のトサカ、豚の脳味噌といった珍味も堪能しました。
気さくな店員の皆さんによるパフォーマンスたっぷりの接客ぶりも見事なものでした。

現地解散後、ファンキー氏、グリオ安部氏とFK氏、通訳のnamiさんとお友達というメンバーで、昼のスタジオにパシリとして来てくれたドラマー?さんが出演している「HAVE A NICE DAY」という店に向かい、ライブ鑑賞。
キーボードの曲芸的メチャウマさ加減にビックリ。
もっと残っていたかったのですが、明日は早朝から観光(いよいよ・・)のため1時頃に退散。
安部さんと大音量ユーロビートを聞かせるクラブのような謎のタクシーでホテルに戻りました。

部屋に戻ってテレビをつけるとナント、椎名林檎さんの「迷彩」のPVが流れていてビックリ。
異国の地であのような姿の自分を見てしまい、なんだか酔いも醒めた気になり就寝、という奇妙な体験もしました。


●3月3日

ノンビリ朝食をとり、集合時間までウトウトしてからロビー集合。
日本スタッフ全員でCAVなる会社に向かい、現地のコーディネーターとの挨拶〜ミーティング。
そのままYYYDなる場所に移動し、その中のOASIS STUDIOに到着。
内沼さんのお友達、サム豊島氏設計によるこのスタジオ、実に素晴しいです。
入り口は昔の杉並のテイチクと大して変わらないのですが、入ってみると大きいスタジオなのに大きい窓があって、外にはこれまた大きい池が見えてキラキラ陽が差したりして、まるで別世界。
う〜ん、やるなあ豊島さん。
スタジオ視察後、即セッティグ開始。
東京でもよくやるオケ配置用イス並べに専念しておりました。
イスの並べ方で音ってけっこう変わるものなのです。
大方のセッティングを終えたところで、ブースにティンパニが入らない事を発見。
ドアの幅が狭いのです。
もともとフルオケの同録を考えてはいなかったのだと思いますが、もう少し大きい扉でもよかったのでは・・。
やるなあ、豊島さん。

あ〜だ、こうだ、とやっているうちにもう夕方。
昼食抜きとなってしまいました。

でも、そこはサスガN社長。
スタジオを出た一行が向かったのは「鴨王」というレストラン。
今日はメインが北京ダックの夕食会でした。
いや〜、超美味でした。
おまけに20年ぶりの紹興酒も堪能させていただき満足満足。

そこで、通訳のnamiさんとお話していたら、ファンキー末吉氏を知っている上、彼は今北京にいる、という事が発覚。
10数年ぶりなので私の事を覚えているかどうか心配でしたが、早速電話してもらったところ、これから会おう!とスピーディーな展開になり、みんなで彼のお店「JAZZ YA」へ向かったのでした。
以前の東京では全く考えられない展開にビックリしつつも再会を喜び話しも酒も弾んでしまいました。
人の現場なのに、明日もスタジオにおいでよ〜、などど無責任なお誘いもしておりました。
一旦お開きになった後、ファンキー氏、内沼さんと3人で「盛林府」という台湾料理の店に向かった模様。
またまた飲んだようで、しっかりホテルにも戻ったようで、内沼さんの部屋でもう一杯作ったようなのですが、記憶よりも楽しさの方が先行していたようです。
撃沈。


●3月2日

朝からパッキングし、出張の準備。
昼前にナントF山さんに迎えに来ていただき、F山家でコーヒーを御馳走になり、途中でMプロデューサーと合流し一路成田へ。
順調に到着するなり寿司屋にてビール&寿司の昼食会。
夕方の飛行機で北京へ向かったのでした。

今回、F山さんのフルオーケストラのレコーディング仕事にアシスタントとして同行させていただく事になり今日から4泊5日の旅となったのです。
エンジニアが内沼巨匠のため、そのための飲み要員も兼ねていたとは思いますが、私にとっては北京のスタジオでのオーケストラ録音視察という貴重な経験もできるため、とても楽しみにしていたお仕事でした。

夜、北京着後ホテルへ。
夕食はグリオN社長の仕切りにより、謎の餃子屋さんへ。
スッカリ現地化しているパワフルなN社長の仕切りと言動には総勢約10名の今回のスタッフ一同笑いが止まりませんでした。
紹興酒を飲もうと思っていたのに、これまた謎の酒を飲んでしまい、なんとも不思議な感覚に。
結局ホテルに戻ってから内沼さんの部屋で、F山さん、Mプロデューサーという業界の大先輩たちと飲み直し。
皆さんのお元気さ加減に圧倒され、お先に失礼しようと思ったところで開きに。
う〜ん、大人だなあ...。
そして、曝睡。


●3月1日

やはり風邪のようです。
どんよりと起床。
朝食後、新機材と格闘。
昼過ぎに両親を呼んで雛祭り昼食会。
またまた機材と格闘し、仮眠を少々。
夜は、ひたすら申告用経理関係に専念。
「スタートレック」を見てから就寝。



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