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猫被り 猫耳 猫の額 猫の目 猫舌 猫撫で声 猫の首に鈴 猫の手も借りたい 猫背 猫の尻尾〜 猫跨ぎ 猫脚 猫糞 |
小判 猫に鰹節 木天蓼 猫は三年の恩を三日で忘れる 猫を殺すと七代祟る |
ふふふふふ、犬ではこうはいくまい。
私は猫を訓練しているのではありません。
猫が私を訓練するのです。ユーリー・ククラチョフ
「ククラチョフの世界でたったひとつの猫劇場」というのがあります。
いや、「猫に仕込まれたニンゲン劇場」と呼んだ方が正しいのかもしれません。
むかし一匹の野良猫を連れ帰ったことから始まったというこの劇場。それが現在、本拠地のモスクワでは、常設の劇場(という名の遊び場)兼快適な居住スペースをニンゲンたちに供出させ、そこを百数十匹もの猫たちが乗っ取っているとのこと。そして、まるで猫が芸をしているかのように見せる、というハイレベルな芸をニンゲンに日々仕込んでいるのです。おまけにそのこと気づかれたとしても喜んで受け入れさせてしまう、という離れ業までやってのけて。
それに仕込まれているのはククラチョフさんたちだけではありません。猫が舞台をただ横切って駈けぬけてゆくだけでも、お客さんは大喜びなのですから。
共演している犬はそのうちグレるかもしれにゃい。
切望するような、うめきのような、けれど欲するものがわからない、それが声になってのび、高まり――
それがとぎれた瞬間の、針先ほどの空間にぼくがとび込んだ。
ニョゴウ!夢枕獏 『猫弾きのオルオラネ』より
猫を弾くといっても、三味線にして弾くわけではありません。生きたままの猫をそのまま弾くのです。右手で猫の体をいじり、左手を喉にあて音を調整します。肛門に小指の先をあて親指でへそをかいてやったりすると、とろけるようや良い音がでるそうです。
ある晩 黒猫をつかまえて鋏でしっぽを切るとパチン! と黄いろい煙になってしまった 頭の上でキャッ! という声がした 窓をあけると 尾のないホーキ星が逃げて行くのが見えた
稲垣足穂 『一千一秒物語』より 黒猫のしっぽを切った話
夜はいったい何をしてるんだと不思議に思わせること。
スージー・ベッカー 『大事なことはみーんな猫に教わった』より
もちろん、ねこまたもしくはまたねこを問題にするに当たって、ここまで猫にこだわるのはほかでもない。これが、生物であることから妖怪であることへの連続を示す唯一の例であり、従って「前・妖怪体」たる猫を観察することによって、妖怪に出会うことのできない多くの人々(才能がないのである)にも、妖怪の何たるかを知ってもらうことができるからである。現在、新大久保にある「妖怪アカデミー」の入口には、「猫に学べ」と書いてある。
別役 実 『もののけづくし』より
はやく妖怪になりたい〜
かつては生物学者は、ネコが絵を描くことに芸術的動機があるとは認めたがらず、本能的な縄張りマーキング行動の一環、もしくは興奮状態のエネルギーを遊戯的に発散する行為であるという説明を好んでいた。……(中略)……しかしながら、こうした方向で一貫した説明を与えるとすれば、人間の芸術からも、アクション・ペインティング系のかなりの数の作品は排除せざる得ないだろう。
H.ブッシュ/B.シルヴァー 『ネコはなぜ絵を描くか』より
内発的還元主義、形態的拡大主義、抽象表現主義、田園ロマン主義、新総合主義、断片構成主義、周辺的リアリズム、超越表現主義、交感印象主義…等々、猫界でも様々な画家達が活躍しているのです。
猫を撮影したビデオテープを、病院の屋上からあげるのです。「このなかの黒猫と、ひらひらしているテープと、どっちが実像なんだろうかと思うことがあるんだ」
「テープのほうだろうな」
「こんなもの、ただのひらひらだよ。実際は、目に見えないところで生き生きと跳躍し、走り、そして、じゃれまわっているものがいる。俺は、こうなふうに生きてきたんじゃないかなと思うんだ」
「見えない部分のほうが実態なのかもしれないな、そう言われてみれば」
長いテープの先端は、薄暗くなった空にまぎれこんでいる。それは千切れもせず、いつまでも気流とたわむれていた。
「ここで、ときどき"猫あげ"をするんだ」薄井ゆうじ 『天使猫のいる部屋』より
…自分が消えるその時は、やっぱりさりげなく消えて行きたい。僕は小さい頃 猫の失踪は 星が消えるようなものだと思っていた
昼だって星は輝いている
ただ陽の光にさえぎられて 僕らに見えないだけだ
夜になれば 当然のように 僕らの上にかえってくる
それと同じで 夜の闇に消えていった猫もまた
平然顔でひょっこり帰ってくるような気がしてならなかった
それほど 僕の愛した猫たちは やさしいまでにさりげなく
僕の視野から消えていった内田善美 『空の色ににている』より
あなたは猫の正しい数(かぞ)え方を知っている? 日本語の助数詞では猫は「いっぴき」「にひき」と「ひき」で数え、象は「一頭」「二頭」と「頭」で数えるが、どこで数えたってかまやしない。しっぽで数えてみたらどうかしら。猫がこっちに3しっぽ、あっちに2しっぽ、あわせて5しっぽ――猫はしっぽで数えるのが正しいのかもしれないよ。実際、おさかなは「一尾、二尾」とも数えるのだから……。
あなたは猫の正しい数え方を知っている?
本当は全部うそ。本当のホントはね……(これは内緒だよ)……猫は数えられない。数えてはいけない。シャーリプトラよ、世界の猫は、「わたし」であり、ル・シャ(the cat)なのだ。猫とは、いきなり黒い山高のウィッチハットのような定冠詞をかぶって登場する魔法使い。
Kids, be hip cats!
ニンゲンという枠をゆるめて、アヤしくうごいてみて。「猫のように柔らかく」とか、「かもしかのようにすばやく」などの形容は、人間が猫より硬く、かもしかよりも鈍重である、という観念がその背後にあって出てきたことばである。はたして人間は猫より硬いのであろうか。
野口三千三 『原初生命体としての人間』より
以前、江ノ島に行ったら、猫の多さに驚きました。後で調べてみると、猫の島として有名とのこと。「猫を撮りにきたんでしょ。みんな置いていかれた猫です。猫を捨てるならここまでこない。ここには猫を置きにくる。猫を捨てるのは命を捨てることです。命は捨てられない。江ノ島に猫を預ける気持ちです。ここは猫にはいいところです。橋を渡って島を出て行く猫も、崖から海に飛び込んで身投げした猫も誰も見たことないです。
猫を置いていく人がいれば、それを写真に撮りにくる人もいる。人はいろいろです。猫の写真たくさん撮ってください。わたしはサザエが売れればうれしいです」
「…日本は島国です。日本中の猫が幸せに暮らせたらいいです。猫が幸せに暮らせる国はいい国です。…」藤田一咲 『猫と写真の時間』より