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ひとりごと
1997年10月
1997/10/02
今、『プリンセスメーカー ゆめみる妖精』(以下、プリゆめ)というゲー
ムをやってます。発売されたのは今年の一月頃でしたっけ? 前作のプリメ2
は98版をプレイしまして、結構はまっておりましたので、ずっと気にはなっ
ていたのですが、なんとなく買いそびれてました。それがたまたま先日近所の
ゲームショップで値引きしていましたので、買って来ました。
で、取り合えず一言。
「プリンセスになれな〜〜〜い!!!」
最初の頃はなかなかうまく育てられなかったものの、既に四回プレイしてま
してかなりパラメータの高い立派な娘を育てられるようになったのですが、な
かなかプリンセスになれません。(^_^;)
王宮で王子さまらしき変なガキとも出会ってるですけどねー。今までに見た
エンディングは吟遊詩人、王宮の侍女、国一番の富豪と結婚、それに執政官な
どでした。
たぶんなにか他にも条件が必要なのでしょうけど……。う〜ん。
さてゲームの内容の方なんですが、プリメ2と比べてみると、なんといって
も武者修行と収穫祭がなくなってしまっているのが一番大きな特徴でしょう。
武者修行や収穫祭は結構手近に目標を持って育成することが出来ましたし、ゲ
ームに起伏を持たせることが出来るということで、私はあってもよかったんじ
ゃないかという気がしています。それがない分、プリゆめはゲームがやや単調
になっているきらいがあるようにも思います。
プレイのテンポは割りとよくなってます。CD−ROMということで読み込
みに弱冠時間がかかるのは仕方ないですが、それを除けばかなりテンポよくプ
レイ出来ると思います。プレイ時間も三時間ちょっとで1プレイが終わるとい
うことで、手軽に遊べる感じです。
『ヒロインドリーム』などもなかなか面白い育成シミュレーションでしたが、
プレイ時間が六時間程度もかかってしまう為、ちょっと手軽にとはいきません
でしたから、三時間くらいで1プレイが終了するというのは、育成シミュレー
ションとしてはちょうどよい程度ではないかと思います。
娘のグラフィックは買う前はちょっといまいちかなぁ、という気がしていた
のですが、いざプレイを始めてみるとやっぱり感情移入してしまいますねー。
「お父さん、大好き!!」
とか言われると他愛も無く顔がにやけてきてしまったりして……。娘の声をや
っている野上ゆかなさんが好きな声優さんだということも影響してるかもしれ
ませんが。(眠夢は『あずきちゃん』のファンなのさ!(^_^;))
あと父親の職業によって最初からタカビー状態や非行状態で始まることもあ
りまして、結構てこずらせてくれます。しかしその分、普通の素直な状態に戻
すことが出来た時の喜びはひとしおでした。
ところでプリメ2ではパソコン版だったこともあって裏ツールみたいなもの
がありましたよね。(見えない服とか・・。(笑))今回はPS版ということ
でそういうのは期待出来ないだろうな、というのはちょっと残念……。(^_^;)
プリゆめもパソコン版が出たらそういうのも期待出来るのかなぁ、判りませ
んけど。
なにはともあれ、プリンセスを目指してもう少し頑張ってみようと思います。
1997/10/02 眠夢
1997/10/06
前回に引き続き、『プリンセスメーカー ゆめみる妖精』の話題なんですが、
なんとかプリンセスになることが出来ました。とは言っても実は少々カンニン
グをしてしまいました。その上、一回失敗してセーブデータをやり直しての結
果です。(^_^;)
カンニングをしたのは電撃PSの攻略を専門に載せてる別冊付録だったので
すが、それによりますと、プリンセスになる為にはいくつかの特定のパラメー
タを上げるとよい、と書いてありましたので、それを重点的に伸ばしていきま
した。
それでとにかく最終日を迎えまして、これならほぼ完璧にプリンセスになれ
るだろうと思って、娘の旅立ちを見守ったのですが、なんと国王の正室、つま
りプリンセスを通り越して王妃なんぞになってしまいました・・。
で、半年ほど遡ってもう一度やり直してみたところ、今度はちゃんとプリンセ
スになることが出来ました。どうやら一回目は王子とのイベントが足りなかっ
たようです。
そういう訳でほっと一息……。あ〜、やっとこのゲームから解放されるわ。
しかしこれってプリンセスになりたいと思ったら非常に難易度高いですね。
カンニングしなければ、私にはどうにもならなかったかも知れません。
それとちょっと納得いかないのが王子さまにプロポーズされた時の娘の態度。
その時点ではプロポーズした彼が王子さまだとは知らなくて、一度は断ってし
まうんですね。で、そのあと彼が王子さまだと判ってプロポーズを受けるので
すが、これって要するに“彼”という人物を評価したのではなくて、“王子さ
ま”という地位に対してプロポーズを受けたということになりますまいか?
じゃあ、王子さまならどんな男でも構わないのか? みたいな話になります
よね。
この辺は私としてはちょっと納得がいきません。勿論、プリンセスになりた
いと言って妖精から人間になった娘でしたので、筋は通っているんですが、も
っとその前に彼となにかエピソードがあって、娘自身が彼を恋するようになっ
ていって、プロポーズを受け入れた後に王子さまだと判った……、とかそうい
う展開にもっていって貰った方が私好みだったかなぁ、という気がします。
やはり父親の立場としては、唯、王子であるというだけでなく、私が納得し
た相手に嫁にやりたいんですよね・・。
ま、ゲームのシナリオにそこまで要求するのもちょっと無理があるかも知れ
ませんね。それにこのゲームは恋愛シミュレーションって訳ではありませんか
ら……。
でも考えてみればこのパターンを使って恋愛シミュレーションも作れそうな
気がします。アルバイト先とか訓練先で男の子と出会うとか、どうせならライ
バルも男の子にしてしまうとかすればよいかも知れません。で、ラストでプロ
ポーズを受ける……、とかね。勿論、プロポーズを断って職業婦人になっても
よいんですけど……。
完全な恋愛シミュレーションという形でなくともよいのですけど、恋愛要素
を強化したプリメというのも面白いかも知れません。
しかし一週間以上このゲームばっかり必死になってやってたところをみると
はまっていた、ということになるんでしょうね。(前回は不満点をいくつか並
べたことを考えるとちょっと悔しい・・。(^_^;))
でもやはりいろいろ変更点はあるものの、育成シミュレーションの秀作だと
思います。
1997/10/06 眠夢
1997/10/09
町に金木犀の香りがたちこめるようになって、運動会のにぎやかな音楽が聞
こえ始めるといよいよ秋本番といった感が強くなってきます。
子供の頃の私は、秋になると漂ってくるこの香りが金木犀の香りだったとは
知りませんでした。そもそも“金木犀”という植物自体を知らなかったのです
から、無理もないのですが……。(^_^;)
しかし運動会の時期になるとこの香りが漂い始めるという認識はありました。
それで、金木犀の香りを“運動会の匂い”というような捉え方をしてました。
「運動会の匂いがし始めるともう秋やなぁ、と思うようになんねん。」
みたいなことを友達にも言ったことがあります。今から思うと自分の無知に赤
面したくなってしまうのですが、でも思い込みとか勘違いとかってのは誰でも
ありますよね?(とか、自己弁護してみたりして……。しかし今でも結構物知
らず、世間知らず、常識知らずなことを言って笑われたりすることはよくある
んですが……。(^_^;))
運動会と言えば青い空に明るい日差し、なんだか気持ちが元気になるような
私にとってはそんなイベントでした。体育の嫌いな人には憂鬱な日ということ
になるのかも知れませんが、私は運動はそんなに苦手ではありませんでした。
(得意という程でもなかったですけど。)
と、言ってもそれは小学校の四年生以降の話で三年生までは毎年運動会の徒競
走ではビリっけつだったんです。それが四年生の時にはいきなり二等賞。なん
で突然走るのが早くなったのかと言いますとそれにはちゃんと理由があります。
その頃、向かいの家に私より一つ年下の遊び友達がおりまして、そいつがあ
る日犬を飼い始めました。彼はその犬に“ジョン”という名を付けて、小犬の
頃は可愛がってよく散歩に連れて行ったりしていたのですが、段々、大きくな
ってくると手に余るようになったのか、犬に対する情熱も覚めてしまったのか、
散歩にも全く連れていかなくなってしまったんですよね。
犬という動物も運動不足になると欲求不満になってしまうというのはよく言
われることですが、ジョンの場合もその例に洩れず段々欲求不満がたまってき
たらしく、人に噛み付くようになっていきました。近所でも何人かの人がジョ
ンに噛まれたらしいという噂を聞くようになりました。
小学校三年生の冬、たまたまその友人の家の前の道路で何人かの友達と遊ん
でいました。
その時、どういう訳かいきなりその家の門からジョンが出て来ました。ジョ
ンはその頃、普段は檻に入れられていたのですが、たぶんなにかの拍子に檻の
鍵が外れたのでしょう。
私は幼い頃から犬は嫌いでした。そもそも元来が臆病者でしたので、犬に限
らず動物ってなんとなく怖いという気持ちがあったんですね。しかもジョンは
悪名高い人に噛みつく犬です。そういう訳で私はジョンが出て来たのに気付い
た途端、全速力で逃げ出しました。しかし犬って奴には逃げるものを追いかけ
たくなるという習性があるようです。
結果、ジョンは一緒に遊んでいた他の友人には目もくれず、私を追いかけて
きました。
後にも先にもあの時程必死になったことってなかったような気がします。本
当に死に物狂いで半分泣きそうになりながら逃げ回りました。あとでそれを見
ていた友人たちに聞いた話ではものすごい早さで走っていたのでびっくりした
と言ってました。
どのくらいの時間走ってたのか、自分でもよく判らないんですが、やがてジ
ョンを飼っている家のおばさんが出て来て取り押さえてくれて、なんとか噛み
つかれずに済みました。
それ以来、瓢箪から駒とでも申しましょうか、それまでずっと運動会ではビ
リで足が遅かったのが、結構、早くなってしまいました。必死に走ったことで
走るコツみたいなものを掴んだのかも知れませんね。運動会もそれまではそれ
程でもなかったのですが、結構好きなイベントになりました。
それと同時に犬恐怖症の方も更にひどくなってしまったようです。今でも道
を歩いていて、前方に野良犬なんかがうろうろしているのを見つけると、引き
返して別の道を行ったりしています。いい年してこちらの方はちょっと恥ずか
しいのですけどね。(^_^;)
1997/10/09 眠夢
1997/10/12
前回は運動会の話題だったので、今回は文化祭の思い出話を書こうと思いま
す。
中学時代、高校時代と文化祭は何度も経験し、特に高校時代は音楽部、演劇
部などに所属していろいろなことをやってたのですが、私にとって一番印象に
残っているのはなんといっても高校二年生の時の文化祭だったと言ってよいで
しょう。
高校二年の文化祭の時、私は体育館の舞台の上で初めて人前でギターを弾い
て歌を唄いました。
ギターを買ったのは中学卒業した直後くらいだったと思います。買った理由
は“なんとなくかっこいい気がするから・・”という割りといい加減なもので
した。それで買って暫くは練習もしていたのですが、すぐに飽きてしまって、
あんまり弾かなくなり、部屋の片隅で埃を被るという状態になってしまいまし
た。
そのギターを再び練習し始めたのは高校二年の夏頃だったと思います。どう
いうきっかけで再び練習を始めたのか、はっきり記憶に残ってないのですが、
その頃好きな女の子がおりまして……、「ギターの音色って好きなんだよね」
というようなことを言ってたような記憶がありますので、たぶんその辺のとこ
ろが関係してたんじゃないかと思います。
で、ギターの練習をするようになって、間もなくオリジナルの歌なんかも作る
ようになりました。しかしその時点では文化祭で唄うことになるなどとは夢に
も思ってませんでした。
それが文化祭に出演するという話になってしまったのはたぶんなりゆきだっ
たんだと思います。たまたま前述の女の子が文化祭で朗読をやる、なんて言い
出したこともあり、それで私もいいとこ見せたくて……、みたいな感じでなん
となく話の流れで文化祭で唄うことになってしまいました。
とはいうものの、その時点ではまだちゃんとギターが弾けませんでした。スト
ロークやアルペジオの曲ならある程度なんとかなったのですが、問題はスリー
フィンガー。練習を始めたばかりだったこともあり、指使いも覚束なくて、失
敗ばかりというていたらく……、ましてや、一曲まるまる全くミスなく弾きこ
なすなんてことは到底出来ませんでした。
しかしやると言ってしまったからには今更後には引けません。文化祭までの
一ヶ月間、それこそ必死になって練習しました。
当時の私は定時制高校に通っていた為、朝、7時過ぎにはアパートを出て、
職場に出かけ、学校が終わってアパートに帰ってくるのは夜の9時半くらい、
というような生活でした。それで練習出来る時間もアパートに帰って寝るまで
のほんの限られた時間しかありませんでした。でもあの時はその限られた時間
の中で本当に一生懸命になってました。
なかなか思うようにいかず大変でしたが、今から思うと毎日がとても充実し
ていたような気がします。
文化祭では四曲くらいオリジナルの歌を唄いました。多少のミスはあったも
のの、練習の成果もあってか、まずまずなんとか無事唄い終える事が出来まし
て、ほっと一息って感じでした。
しかしそれはよいものの、私の作った歌って暗い歌が多かったんですよね。
一曲目に唄った歌は一応アップテンポの明るい歌だったのですが、その後の歌
がひたすら暗い歌だったりしたこともありまして、文化祭の後、あいつはネク
ラだってんで、学校中の有名人になってしまいました。(^^;(ネクラって言葉
は最近はあまり使わない言葉ですが、“根が暗い”というのを縮めた言葉です。
実際、私の性格もその頃考えていたこともとっても暗かったのでした。)
唯、そういう風に言われることもあった反面、あの歌聞いて感動したとか、
涙が出たとか言ってくれた人もいました。それも親しい友人ばかりではなく、
意外な相手に、
「あの歌聞いて涙が出た。一体誰が作った歌?」
とか聞かれたりしまして、その時はびっくりしてしまいました。でも自分の作
った物が、そしてその中に込められた自分の思いが、人に伝わったという実感
を持てたのはなんだか凄く感動的な体験でした。
今、その時唄った歌の歌詞を読み返してみると、はっきり言ってヘタッピで
すし、内容も赤面物で、すっごく恥ずかしかったりするのですが、その年の文
化祭は私にとっては忘れられない一日となりました。
1997/10/12 眠夢
1997/10/15
去る10月12日、京都で二番目の地下鉄となる地下鉄東西線が開通しまし
た。この地下鉄はJR二条駅前から醍醐までの総延長、12.7kmの区間を
結ぶ路線です。
二条駅は私の住んでるアパートから歩いて十分程度の距離にあり、山科、醍
醐方面に出かけたい時などは大変便利になりました。
唯、山科、醍醐方面に行く用事なんて今まで一度もありませんでしたし、こ
れからもたぶんないと思いますので、そういう意味では大してメリットはない
かも知れません。(^_^;)
でも動物園とかに行く時は便利かなぁ。(私はいい年して動物園とか結構好
きなので時々出かけることがあるのでした。でも歩いても一時間くらいで行け
るので、普段は歩いて行くことが多いのですが……。)
ま、とにかく新しい路線が出来たということで、野次馬気分も手伝って開通
した12日の日にちょっと二条駅まで出かけてみました。最初は地下鉄に乗っ
てみようか、という気持ちもあったのですが、開通初日ということで、結構人
が多く混んでいたのでやめにしました。
二条駅周辺には地下鉄へ連絡する出入り口が四ヶ所程あったんですが、通路
がえらく長かったです。こんだけ通路作るならついでに地下街くらい作ればい
いのに、とか、思ったのですが、二条駅に地下街なんか作ったってあんまり人
も集まらないかな?(因みに市役所前駅の地下には地下街が出来ていたようで
す。他の駅にももしかするとあるかも知れませんけど、よく知りません。)
駅の東側の出口から出てみると、開通記念と称して“消費者まつり”とかい
うイベントをやってました。なんで地下鉄開通で消費者まつりなのかよく判ら
ないんですけど、取り合えずめでたいので、なんでもいいからイベントをやろ
う、てな乗りだったんでしょうね。
中ではいろいろ野菜とか肉とか食品の類とかの安売りをしてたりとか、公共
機関とかのブースではなにやらPRしてたり、授産施設での製作品の販売コー
ナーなんかもありました。
NTTのブースではリブレットが置いてありまして、インターネットにアク
セスが出来るようになってました。唯、9600ボーで携帯に繋いでありまし
たのでちと重かったです。
中央にはステージがあり、いろいろなプログラムがあったようですが、たぶ
んこの日の目玉なんでしょう、二時からタレントの石田ひかりのトークショー
なんてのもありまして、それを見ようと大勢の人が集まってました。石田ひか
りって人がそんなに人気のある人なのかどうかはよく知りませんが、とにかく
テレビに出ている有名人が生で見られるってのは一般庶民にとっては大事件な
んですよね。
東西線も工事は随分以前からやっていて、工期が大幅に延びたりとか、工事
費が当初の見積もりを大幅に越えてしまったりとか、いろいろ問題山積だった
ようです。私も一体いつになったら完成するんだろう、と思いながら工事をや
ってるそばをよく歩いていたのですが、とにかく開通に漕ぎ着けたということ
で、その内、機会があれば乗ってみたいと思ってます。
1997/10/15 眠夢
1997/10/17
『ふたりっ子』、というのは昨年の十月から今年の三月まで、NHKの朝の
連続テレビ小説として放送されていたドラマなのですが、今、BSの方で再放
送をやってます。つい半年前に本放送が終わったばかりであるにも拘わらず、
こんなに早く再放送として登場するのは、随分異例なことだと思うのですが、
それだけ人気があったということなんでしょうね。
放送当時にも随分人気があったという噂は何度も耳にしました。ドラマの舞
台となった通天閣や新世界周辺は放送以来観光客が大幅に増えたそうです。
本放送の時には私は最初の方を見ていませんで、中盤から後半にかけてしか
見てませんでした。大体、香子、麗子が結婚する直前あたりからだったでしょ
うか……。
しかしこのドラマの人気が出た理由の一つは最初の一週間、双子の三倉姉妹
の活躍だったという話だったので、見てみたいと思っていたのですが、再放送
が始まったことでそれを見ることが出来ました。
実際、見てみると人気の理由が判ります。双子の女の子、特に香子役の方は
いきがいいというのか、滅茶苦茶というのか、とにかくインパクトがあるんで
すよね。かわいい女の子が柄の悪い大阪弁で怒鳴り散らし、男の子と喧嘩した
り、とにかく天衣無縫に振る舞うのが、見ていてすかっとします。一方の麗子
の方は優等生でおとなしく、いまいち目立たないんですけど、彼女は彼女なり
に複雑な思いを抱えています。
香子の方は優等生である麗子を尊敬とコンプレックスの入り交じったような
ちょっと複雑な気持ちで見ていますが、逆に麗子の方も天衣無縫な香子に対し
て、コンプレックスのようなものを抱いてしまっています。
この辺り、双子という設定をうまく生かしていると思います。双子を主役に
据えた物語というと私が思い出すのはあだち充さんの『タッチ』だったりしま
すが、『タッチ』での達也と和也もそんな感じでしたよね。(ストーリーその
ものはちょっと切り口が違いますけど。)
『ふたりっ子』でも片方をおとなしい優等生、もう一方をやんちゃなガキ、
というように全く違った設定にすることにより、二人の個性を際立たせること
が出来、また本人たちも比較の対象とされることにより、それぞれに思いを抱
えて成長していきます。
第9話からは青春編(?)に入りましたが、“二人はそれぞれに成長して、
容姿、体形、風貌もすっかり違ってしまいました。”というナレーションには
爆笑してしまいました。子供の頃の役をやってた三倉茉奈、佳奈姉妹は実際に
双子なので、うり二つだったのに、成長した二人を演じる菊池麻衣子と岩崎ひ
ろみは似ても似つかないですもんね。
本放送の時には“なんでやねん!”とか思いながら見ていたのですが、ちゃ
んとこういう設定があったのですね。ちょっと無理のある理由付けのような気
もしなくはないですが、面白いのでよいでしょう。(^_^;)
あと『ふたりっ子』を見ていて思ったのは変な関西弁が少ないこと。ドラマ
等で関西を舞台にしたものや関西弁のキャラが出て来た場合、おかしな関西弁
を使うことが多くて、関西人の眠夢としては辟易させられることも多いのです
が、『ふたりっ子』の場合はそれが少ないような気がします。この辺りもポイ
ント高いかも知れません。
1997/10/17 眠夢
1997/10/19
先日、地下鉄東西線に乗ってきました。特に目的地というのはなかったので
すが、新しい路線が出来たことだし、一度乗ってみようという感じで、取り合
えず終点の醍醐まで行って地下鉄沿いに少し歩いてみようとか考えて出かけま
した。
その地下鉄なんですが、流石に新しいだけあって、いろいろ、目につく点が
ありました。例えば、切符の自動販売機では一万円札が使えたりしますし、ホ
ームに降りるとホーム全体がぐるりとガラスの壁に囲まれていて、電車側とホ
ーム側と二つ扉があります。こういうタイプの駅ってニュートラムとかの新交
通システムでは見たことがありますが、地下鉄ではあまり知りません。線路へ
の転落防止の効果を考えてのことなのかな?
車内でも扉の上に電光掲示板があったりして次の駅が表示されてました。車
内のアナウンスも女性の声がテープで流されていて、なんとなくバスを連想さ
せるようなアナウンスでした。
さて、なんだかんだで醍醐に着きました。これからどこに行こうかと少し思
案したのですが、なんか醍醐寺への道案内みたいな貼り紙があちこちに貼って
ありましたし、たぶんこの辺の名所なんだろうと思って、取り合えずそこへ行
ってみました。
暫く歩いて醍醐寺に到着。それで適当にぶらぶらしていたのですが、何時の
間にやら山登りをする羽目になってしまいました。と、いうのも上醍醐寺って
のがあるんですが、それが山の頂上にあるんですよね。最初は適当なところで
引き返そうと思っていたのですが、登り始めてしまうと、途中で引き返すのも
なんだかかっこ悪いですし、ついつい上まで登ってしまいました。
一時間程の山登り……。こんなことならお弁当と水筒を持ってくるんだった、
と思いましたが後の祭りです。ま、日頃の運動不足の解消にはちょうどよいく
らいの行程だったかも知れません。しかししんどかったです。
山から降りた後、ぶらぶら歩いていると小野小町ゆかりの随心院というとこ
ろを見つけましたので入ってみました。醍醐の手前の駅が小野という駅で、随
心院は平安時代に小野小町が住んでいたとこだそうです。
小野小町というと世界三大美人とか言われていて、美人だったらしいという
話は知ってましたが、それ以外のことはあまり知りませんでした。
(余談ですけど、世界三大美人というのはクレオパトラ、楊貴妃、そして小野
小町だそうですが、前二人に比べて、なんで日本みたいなローカルな国の人が
並び称されているのか、ちょっと不思議に思います。)
中には文塚とか小町の化粧井戸なんてのがありました。化粧井戸というのは
小町が化粧に使った井戸なのだそうです。一千年近く前、絶世の美女が使った
井戸だと思うとなんとなくロマンを感じます。
文塚というのは小町に思いを寄せる男たちが寄せた文が埋められている塚な
んだそうです。実際にそこを掘り返してみて、当時の文なんてのが見つかった
らすごいな、と思ったのですが、果たして残っているのかな?
小野小町という人はと思いを寄せる男に対しては非常につれない態度をとっ
た人らしいですね。
なんでも深草少将という人がいて、100日の間、毎日通い詰めれば、思い
に応えようとか条件を出して、少将は毎日通いつめたものの、最後の日につい
に力尽きて倒れたとか……。条件をつけて男を試そうとするとこは、なんだか
かぐや姫を連想させるような人だな、と私は思いました。
なんでそれだけ思いを寄せられながら、決してその恋に応えようとしなかっ
たのか? なにか理由があったのかなかったのか? ちょっと興味をそそられ
ます。“穴無し小町”とか陰口を聞かれることもあったらしいという話は聞い
たことがありますが、なにか肉体的な欠陥でもあったのでしょうか。
だとしたら映画版『風の谷のナウシカ』の中でクシャナが言った「我が夫と
なる者は更におぞましいものを見るだろう」なんて台詞を言ってくれればぴっ
たりくるのだけど……。
或は心に決めた人がいたものの、結ばれることが出来ず、操を守っていたと
か……、こっちの方がロマンチックですね。
小野小町は百人一首などにも歌が入れられていることもあり、歌人としても
有名な人なんですね。美人で教養もあって、才色兼備な人だっただけにすっご
くタカビーな女性で、言い寄ってくる男がみんな馬鹿にしか見えなかった、な
んて可能性もなくはないですが……。(^_^;)
なんだかいろいろ考えているうちに興味が湧いてきました。今度機会があっ
たら実際どんな人だったのか調べてみたい気がします。
随心院を出た後は暫く地下鉄沿いに歩いて、東野の駅あたりまで来たのです
が、いい加減疲れたので、地下鉄に乗って帰りました。
1997/10/19 眠夢
1997/10/24
日本シリーズはヤクルトの優勝で幕を閉じました。私はひいきのオリックス
が出場しない時にはパ・リーグのチームを応援してることにしてるのでちょっ
と残念です。
でも決してヤクルトも嫌いなチームじゃないんですよね。古田や池山は関西
出身の選手ですし、インタビューの時とか関西弁のイントネーションで話して
くれるとなんだか嬉しい気分になります。また野村監督も関西出身ですし、元
々南海で活躍した人ということでパ・リーグ出身でもあるんですよね。
野村監督って人は一部では嫌われているような部分もあるような気もします
が、それも実力があるからこそですよね。ヤクルトって野村監督が就任するま
では万年Bクラスっぽい印象がありましたが、それを優勝常連のチームにまで
育て上げた手腕は見事だと思います。(ライバルチームのファンの人にしてみ
れば確かに憎々しい感じもありますけど……。)
でも来年はオリックスに出場して貰ってヤクルトを倒して欲しいな、とか思
ってますけど。
話変わって、10月22日、京都で大相撲の巡業があり、湊谷さんやその他
二名の方と観戦に行きました。
巡業というのは本場所と違って取り組み自体はやらせ丸出しで面白くないの
ですが、稽古を見たり、しょっきり、甚句、髪結いや綱締めの実演など、いろ
いろな趣向がありまして、相撲ファンにとってはなかなか面白いものです。
そしてそれ以上に普段はテレビでしか見られないお相撲さんを間近に見るこ
とが出来るというのが、最も楽しい部分でしょう。
私も巡業の時には席に座っているよりも、お相撲さんを間近で見れそうない
いポイントはないかと館内や体育館の周りをうろうろしていることが多かった
りします。
で、今年もうろうろしていて見つけたのが京都府立体育館の近所のお風呂屋さ
ん。稽古を終わった力士たちが一風呂浴びにきてましたので、一目見ようと結
構人だかりが出来ていました。
通りがかりの人なども、お相撲さんがいるってんでちょっと足を止めて見物
していく人が多かったようです。お相撲さんってのはテレビに出ている有名人
の中でも他のプロスポーツ選手やアイドル、タレントの類と違って非常に目立
つんですよね。まず体格が常人と違いますし、その上頭のちょんまげ。あんな
髪型はお相撲さん以外ではまず見られません。
「あっ、お相撲さんやわ。」
「あの人名前知らんけど、テレビで見たことあるわ。」
などなど、相撲にはさほど興味がなさそうな会話をしている人もちょっと足を
止めて見物していきます。
琴の若や旭鷲山などは、風呂屋のそばの脇道に座り込んでくつろいでまして、
ファンの人たちに取り巻かれていました。
写真を撮らせてくれだの、サインしてくれだの話し掛ける人がいたり、赤ん
坊をつれてきて力士に抱いて貰ったり……、中には泣き出す赤ん坊もおりまし
たけど……。
しかし若い女の子のファンの人などはなかなか話し掛ける決心がつかずにい
た人もいたようです。なかなかきっかけが掴めずにしかし立ち去り難いといっ
た風情でその場に張り付いていた女の子を何人か見掛けました。
私はと言えばそういう雰囲気を観察していたというか、楽しんでいただけな
んですけど、でもああいう雰囲気ってなんだか好きです。
1997/10/24 眠夢
1997/10/27
NECのPC98−NXシリーズが発売になりましたね。で、早速、パソコ
ンショップへ行って主にノートパソコンのカタログを貰ってきました。
スペック的には今までの98を基本に衣更えしたという感じで、NECがい
よいよDOS/Vに移行したという話題性以外のところではさほどのインパク
トは感じませんでした。(普通の新製品への衣更えって感じで……。ま、それ
が当たり前なんですけどね。)
今、使っているパソコンは今年の五月に11,9800円で買ったPC98
21La7というサブノートなのですが、取り合えずお金がなかったので旧機
種が安売りされてたのを買ったのはいいものの、ハードディスクが既に残り少
なくて新しいソフトをインストールすることが出来ませんし、バッテリーの持
続時間が短いし、画面も640*480では少々狭く感じてしまったり液晶も
DSTNなのですぐにカーソルが行方不明になってしまったりとか、いろいろ
と不満を感じ始めています。あとCD−ROMがなかったり、テンキーがない
のもちょっと使い辛いでしょうか……。
そんな訳で少し前から新機種購入を検討しているのですが、安い買い物では
ないですし、なかなか決心がつかずにカタログばかり集めてたりします。新機
種が発売されて現行機種が安くなったら買おうか、と思ったりもするのですが、
いざ新機種が発売されると旧機種は見劣りしてしまいます。現行機種だった頃
には魅力的なスペックに見えていたのに……。
買うとしたらやっぱりサブノートがいいかなぁ、と思ってます。スペックと
価格を見比べるとコストパフォーマンスでは圧倒的にデスクトップの方がよい
んですが、ノートはノートで色々と使い勝手がよくて便利な点があります。
レジューム機能がありますので、Windowsの立ち上げにイライラしな
くてもよいですし、外に持って出かけることも出来ますし、御飯を食べる時は
机の上からどけることも出来ます。キーボードはサブノートなので、デスクト
ップのものと比べると少々キーピッチが狭いですが、私はさほど指は長くない
ので、慣れてしまえば返ってこっちの方が使い易い気がします。
そんな訳で買うとしたらサブノートがいいな、と思ってレッツノートとかシ
ンクパッド535Eとかその辺をいろいろ検討してまして、NECの新製品に
も期待してました。
HDの容量に余裕があって、電池は長持ちして、軽くて、TFTの800*
600くらいの画面で、CPUは出来るだけ早くて値段は安くて……。
メモリは当然増設しておいた方がよいでしょうし、それに消費税も含めると
……、やっぱり30万くらいはかかりそうです。デスクトップならスペックや
拡張性にもっと余裕のあるものが20万ちょっとくらいで買えそうなんですけ
ど……。
他にCD−ROMも欲しいし、プリンタやスキャナやデジタルカメラも欲し
いし、LDプレイヤーも故障中で買い替えたいところだし、LDボックスやパ
ソコンのソフトでも欲しいものがあるし……。おいおい、そんなお金がどこに
あるんだ?? という状態だったりして……。(^_^;)
1997/10/27 眠夢
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