1998/02/04 1月25日のひとりごとでも書いたワイルドアームズ、漸くクリアしました。 結構、ボリュームありましたね。 基本的にはドラクエ、FF等の人気のあるRPGの世界観やシステムを継承 した極めてオーソドックスな作品でしたが、そのバリエーションの一つとして 完成度はかなり高かったと思います。やはりポポロクロイス物語やアーク・ザ・ ラッド2とともに、それ以前はぼろくそに言われていたSCE製のRPGの評 判を一気に覆した作品だっただけのことはありますね。 ダンジョンや塔の中の仕掛けも工夫を凝らされていましたし、戦闘画面のグ ラフィックスもなかなかかっこよかったですよね。また物語が進むにつれて技 や魔法もレベルアップしていって、新たな移動手段を手に入れて徐々に世界が 広がって行く、その辺のバランスもよく出来ていたと思います。 主人公キャラを三人に絞っていたというのも個人的にはよかった点ではない かと思います。FF7では一度に使用出来るキャラは三人だけであるにも拘わ らず、キャラが何人もいて、その中から選ばなくてはなりませんでした。自然、 使用頻度の高いキャラとそうでないキャラの間に軽重が生じます。 これは自由度の高さである、とも言えるのですが、私の場合は大体使うキャ ラは決まってましたし、一人一人のキャラの印象も薄められてしまう結果にな っていたような気がします。 その上、気に入って使っていたエアリスというキャラは途中で死んでしまい ますし……。RPGってのはキャラを育てるというのも重要な要素だと思うの ですが、その大切に育てていたキャラが途中で舞台を降りてしまうというのは 反則なんじゃないでしょうか……。 それはともかくワイルドアームズに話を戻しますが、セシリア、ザック、ロ ディという三人のキャラ、それぞれに心の中にトラウマと言いますか、さまざ まな重荷を抱えています。そういった一人一人のキャラクターの背景というの はゲームの中の隠し味のようなものかも知れませんが、きちんと作られている ことによってゲームのストーリーに深みを与えるという効果もあるかも知れま せん。 主人公はセシリアかな。セシリアはアーデルハイドのお姫さまで魔法使いで 世界を救う鍵を握る巫女さんですが、ちょっとおてんばでというこれもオーソ ドックスなんですが、基本を押さえてるというか、なかなかよいキャラでした。 やきそばを五人前もぺろりと平らげるなんて変なところもありましたが、キ ャラクターの味付けの一つとして悪くないと思います。それにしても魔法を使 うとお腹が減るんだそうですが、その世界の魔法はカロリーを消費して魔法の エネルギーに変えてるんでしょうか……。(^_^;) ザックはかっこよかったですよね。一番年長でセシリアやロディから見ると 頼りになる兄貴って感じだったでょうか。戦闘で一番頼りになるキャラだった というのも印象が強かった原因の一つかも知れません。 ロディはなんだか印象が薄かったような気がします。戦闘でもあんまり強く ないし、反応は遅いし、アームの改造には無闇にお金が掛かりますし、影が薄 かったですもんね。 設定を見るとロディは一番年下なんですね。私個人としてはもしラブラブに なるなら、ロディとセシリアという組み合わせよりもセシリアとザック、とい う組み合わせの方がよいなと思う。 もう一つこのゲームに関して思ったのはアニメの流用してきたお遊びが結構 あったことですね。一般的にゲームファンの人って同時にアニメファンでもあ ることが結構多いように思うのですが、このゲームの制作者もどうもアニメフ ァンだったようです。 ゼットの「人の命は尽きるとも・・」とか「たった一つの命を捨てて・・」 なんて台詞の出典は判る人には判りますよね〜。他にもセシリアの国の名前は アーデルハイドだったり、バーソロミュー船長の船の名前はスイートキャンデ ィ号だったりとか……。(どうせなら“アンソニー船長”なんて名前だったら もっと気分が出たのに……。(^_^;)) セシリアがロディを夢の中から呼び戻しに行った時には「愛されるにはまず 自分が人を愛することから始めなくては」というような台詞もありましたよね。 言い回しは多少違うものの、ついこの間、ペリーヌのお母さんがほぼ同じ台詞 を言っていたのを聞いたばかりだったりします。(^_^;) 他にも気付かなかっただけでアニメから流用したようなところがあったかも 知れません。これらはゲームの本編とは関係のないお遊びに過ぎないのですが、 私も一応、アニメファンのはしくれでもありますので、こういう制作者のちょ っとしたお遊びが結構楽しかったのでした。(^_^) 1998/02/04 眠夢 |
1998/02/07 数日前から読んでいた司馬遼太郎さんの『花神』という小説を読了しました。 司馬遼太郎さんの作品で今まで読んだものと言えば『竜馬がゆく』をはじめと してあと数冊くらいでそんなに多くはないのですが、古本屋の一冊100円の コーナーでなんとなく物色していて、たまたま手に取ってなんとなく買ってし まったという本なのでした。 一冊100円とかだと割りと手軽に買えますし、もし読んでみてつまらなく ても諦めはつきますので、時々、適当に物色して普段読まないジャンルの本と かあんまり知らない作家の本とか買ってみたりしています。でも結構面白いも のも多いんですよね。 さて『花神』ですけど、この小説は幕末に討幕軍の総司令官になって活躍し た大村益次郎という人を扱った小説です。元々、私は幕末・維新の頃の歴史に はあんまり詳しくなかったこともあってこの大村益次郎という名前、実は知ら なかったんですよね。しかし木戸孝允をして、 「維新は無数の有志の屍の上に出でたってきた。しかしながら最後に出て来た 一人の大村が出なかったとすれば、おそらく成就は難しかったに違いない」 と、まで言わしめた人なのだそうです。 読み終わって思ったのは月並みですけど“歴史の面白さ”でしょうか……。 これは『竜馬がゆく』を読んだ時にも思ったことなのですが、いろいろなとこ ろでいろいろな人がいろいろな思惑でそれぞれに行動していて、それらがある 時はすれ違い、ある時には交錯して作り上げられて歴史というのは作り上げら れていくものだというのが、凄く実感出来る小説でした。 特にこの小説では脇役の登場人物に関してもその人がどういう人でどういう 人生を送ったか、というのが細かく書いてあって余計にそういう感が強かった です。 大村益次郎にしても、それまでは長州藩内でも殆ど名前を知られていなかっ たのが、幕府による長州征伐の際にいきなり歴史の表舞台に登場して、長州を 勝利に導き、やがてそれが幕府の瓦解に繋がってゆくことになる訳ですが、歴 史の表面だけを見ていれば、いきなり登場してきた、という感想になっても仕 方ないのですが、彼自身はそれまでもちゃんと存在していて、様々な経験を積 み重ねてきた歩んできた彼自身の人生があった訳ですよね。そんなことは当た り前なんですけど、改めてこの小説を読んでいて再認識させられました。 この大村益次郎って人、なかなかの変人なんですよね。『竜馬がゆく』の坂 本竜馬も一種の変人だと思いましたが、大村益次郎って人も相当なものだった ようです。 大村益次郎がまだ村田蔵六と名乗っていて生まれ故郷の村で村医をやってい た頃のこと、村人が通りかかって、挨拶代わりに 「今日は暑いですね。」 と、言ったのに対し、 「夏は暑いのが当たり前です。」 と、そんなこと言われなくても判ってる、とばかりに受け答えしていた、とい うエピソードが端的に彼の人柄を現しているのではないかと思います。 村人にしてみれば単に時候の挨拶で言っているのに、蔵六にしてみれば、す でに暑いと判っているのに、なお言葉で説明して暑いというのは無用のことで はないか、と感じてしまうような人だったそうで特に悪意があってこんな返答 をしていた訳ではなかったそうです。 これってよく言えば合理的な考え方と言えなくもないですが、普通の人から みると唯の偏屈にしか映りませんよね。で、医者をやっていても村の人からは 煙たがられてあんまり流行らなかったそうですが、しかしそういう普通の人と はちょっと違う頭の構造をしていたのが、やがて幕長戦争で長州を勝利に導き、 また戊辰戦争においても討幕軍の要となったことの重要な下敷きになっていた とも言える訳ですよね。 蔵六がこんな頭の構造になったことについては蘭学をやっていて西洋的な合 理的な考え方が身についていたとか、いろいろ原因はあるのでしょうが、やっ ぱり蘭学云々以前に生まれついてそういう人だったのでしょうね。だからこそ 蘭学が性に合って大坂の緒方洪庵塾(後の大阪大学の前身なのだそうです)で 頭角を顕し塾頭になったりもしたのでしょう。 まあ一事が万事この調子だった為、戊辰戦争の折りには一部の人の恨みを買 ってしまって、その後刺客に襲われて命を縮めることにもなった訳ですが、で もこういうちょっと規格から外れたような人が、往々にして歴史を動かしたり するってところが歴史の妙とでもいうんでしょうか……。 大村益次郎のこういう一風変わった人物像と司馬遼太郎さんの維新に対する 歴史観なども相まってなかなか読み応えのある小説でした。 1998/02/07 眠夢 |
1998/02/11 今日、2月11日は建国記念日ですね。なんでも今から2658年前に初代 の神武天皇が即位した日だとかで、戦前は紀元節と呼ばれていたそうです。 建国記念日と言えば、天皇制が云々とかで反対集会とかする人とかもいるみ たいなのですけど、私はどっちかというと尊王攘夷的(^^;な考え方の人なもん で、天皇制は別に嫌いじゃありません。 尊王攘夷と言っても別に外国の文物は全て排斥して今から鎖国をしろ、なん てそんな馬鹿なことを思っている訳ではなくて、要は日本人としての自尊心と かアイデンティティを大切にしたいという考え方なんですけど……。 尊王攘夷と言えば幕末に大いに盛り上がった思想ですけど、しかしやはりこ の時も単に外国人を追い出して鎖国を続けようというような単純なことではな かったそうです。 ま、そのように思っていた人も多数いたようですが、あの時代のある程度目 の見える人たちは開国して西洋の文物を取り入れていかなくてはやがて日本は 立ちゆかなくなるというのは判っていたようです。 で、あるにも拘わらず攘夷を旗頭に倒幕勢力が結集したのはナショナリズム、 民族主義のエネルギーを結集して欧米の圧力に抗しようとした、という側面が 大きかったそうです。 幕府の対外的な弱腰外交があり、それ以前に清国での阿片戦争があり、欧米 列強の植民地政策があり……、そういう脅威から日本の独立を守りぬこうとし た運動が即ち尊王攘夷であったということですね。(殆ど前回のひとりごとで 書いた司馬遼太郎氏の『花神』という小説からの受け売りですけど(^^;。) 天皇制を戦争に結び付けて嫌う人も多いようですが、天皇の名を使って国民 の意識をまとめようとした、という側面はありますが、別に戦争を天皇が始め たということではないですよね。 日本の天皇というのは明治以来、いやもっと遡って平安時代の藤原氏の摂関 政治以来、権威の象徴ではあっても権力者ではなかったと思うのです。ある意 味で飾りに過ぎないとも言えるのですが、でも天皇がいなければ幕末に日本が 独立を守りぬけていたかどうかも判りませんし、第2次大戦時にしてもあの時 点で降伏を受け入れるということも出来なかったかも知れません。戦争が更に 長引いて本土決戦なんてことになってもっと悲惨なことになっていたかも知れ ません。 そんな訳で尊王攘夷なんですけど、そんなに大上段に振りかざさなくても、 例えばやっぱり言葉は日本語を使いたいですし、お箸を使ってお米の御飯が食 べたいですし、オリンピックじゃ日本選手を応援したいですよね。 民族のアイデンティティとかってのはやっぱり国際社会の中で生きていくに しても大切なことですよね。 天皇制についても私自身の中では日本の神話伝説に由来する日本の文化の一 つみたいな捉え方をしています。古事記や日本書紀を始めとする神話の時代か らの皇統が今も続いてるってこと自体も凄いことだとも思いますし、文化的な 遺産ということで大切にしていけばいいんじゃないか、みたいなことを思って ます。 1998/02/11 眠夢 |
1998/02/14 今日はバレンタインデーですね。という訳で今回のひとりごとではバレンタ インデーにまつわる思い出話でも書いてみたいと思います。 ・・・と、思ったのですがよく考えるとこれと言った思い出がありません。今 まで**年も生きて来てこれといったバレンタインデーの思い出がないなんて 考えてみると淋しい人生送ってますねー、私・・・。(^_^;) ときメモならパーフェクトバレンタインを経験したこともあるんですけどね。 つまり館林見晴と伊集院レイを除く、女の子全員から本命チョコを貰うことを 私が勝手にそのように呼んでいるのですけど、現実はゲームのようにはいきま せんからねぇ。 ま、所詮バレンタインデーなんてチョコレート会社の陰謀に過ぎませんよね。 最近は他の業種もバレンタイン商戦に便乗しているようですが、こんなのに乗 せられる必要なんてさらさらないですよね。・・・な〜んて単に僻みで言って るだけなんですけど……。(^_^;) しかし始まりはチョコレート会社の陰謀だったとしてもそれがこれだけ広ま ったのは世の中にそれを受け入れる素地があったからかも知れません。 女の子にしてみれば愛の告白の日ということできっかけを得ることが出来ま すし、男の方にしてみれば、例え義理でも女の子からプレゼントを貰えるとい うのは悪い気持ちはしないですよね。 それにこういう日があるというのはロマンチックな感じはしますもんね。少 女マンガやアニメなどでも重要なイベントとして位置付けられていて、この時 期になるとちょくちょくバレンタインネタのお話を見掛けますが、その中で女 の子たちが一生懸命になって、好きな男の子へのプレゼントを作ってたり選ん でたり、また胸の高鳴りを押さえて、勇気を出してそれを渡そうとしていたり という姿はとっても微笑ましかったり、可愛かったり、思わず応援したくなっ たりしますもんね。 (しかしアニメで手作りチョコを作ってる女の子を見ていると、時々直火にか けてチョコを溶かしているシーンなんてのに出くわすことがあります。チョコ は湯煎で溶かさないといけないのに……。) それはともかく、私もチョコを全然貰ったことがない訳でもないんですが、 私の場合はどっちかというと現実よりもアニメやマンガ、或はゲームなどでよ り一層バレンタインデーというものを実感しているって感じですねぇ。ま、そ れはそれでそれでよいことにしましょう。(^_^;) 1998/02/14 眠夢 |
1998/02/18 長野オリンピック、盛り上がってるみたいですが、昨日はジャンプの団体戦 が行われて見事日本チームが金メダルを取りました。 ジャンプの団体戦と言えば思い出すのはやはり四年前のリレハンメルオリン ピック、三人目まで飛んで殆ど金メダルは確実と言われていたところで原田選 手が失敗ジャンプを演じてしまって銀メダルに甘んじてしまうことになったあ のシーンでしょう。私もあの放送は見てましたが、「落ちた〜〜〜〜っ!!」 ってのがとても印象に残ってました。(オリンピック関連の番組等でもさんざ ん話題になってましたね。) 昨日も一回目終わった時点では四位だったそうですね。しかも原田選手がま たも失敗ジャンプ……。勿論、自然条件等いろいろあるので一概に原田選手を 責める訳にはいかないのですが、心中穏やかならざるものがあっただろうと思 います。 二回目のジャンプで逆転して見事金に輝いたのですが、リレハンメルでの失 敗ジャンプという伏線があって、更に一回目終わった時点では四位、金はちょ っとしんどくなったかも……、なんて状況からの逆転の金メダル。結果的には 凄くドラマチックな展開になったようです。 これに関連して思い出したのがサッカーのW杯予選。サッカーのW杯予選で も前回は最後の最後に望みが潰えて、昨年の予選でも途中かなり厳しい状況に なって、監督が交代したりごたごたして、最後のイラン戦でも一旦は逆転され て……。しかし最後の最後にW杯への切符を勝ち取りました。 マンガや作り物のお話では演出の効果としてこういう形はよく使われますが、 実際の競技程にはドラマチックにはなりません。ジャンプやサッカーに限らず 他のスポーツもそうですが、筋書きのないドラマといいますか、こういうとこ ろがスポーツの醍醐味の一つなんでしょうね。 原田選手は泣きながらインタビューに答えてましたが、でもああいう涙はか っこいいですよね。日常生活では泣くほど嬉しいことって滅多にありませんも ん。私も悔しくて泣いたりとか、アニメ見て感動して泣いたりとかはあります けど、嬉しくて泣いてしまうなんてこと殆どありません。涙というのはある意 味で人前で見せるのはみっともないもの、という要素もあると思うのですが、 恥も外聞もなく泣ける程嬉しい体験が出来るってのは凄いことだと思います。 原田選手のことばかり書いてますけど、勿論、他の三人の選手もよく頑張っ たと思います。原田選手の場合は私のような一般人にも判りやすい形でドラマ があった訳ですが、他の選手も一人一人やはりその人なりのドラマがあるんで しょうね。 話は変わりますが、K点ってあんなに簡単に越えちゃってもいいんでしょう か。K点ってそもそもこれ以上飛ぶと危険である、という点ですよね。それを どんどん越えていくってのは当然危険なことですよね。 岡部選手や原田選手は137メートルの大ジャンプってのも出てたみたいで すが、あそこまで飛ぶと着地点は殆ど平地って感じに見えました。 普通はあんな高いところから落っこちてきたら死ぬか大怪我します。ま、ス キーで滑って行くので力が分散されてうまく着地出来るのでしょうけど、やっ ぱり怖いんじゃないかなあ。でも飛んでる最中は気持ちよさそうに見えますね ぇ。 “飛ぶ”というのは人間の古来からの憧れで、それが飛行機だとか気球だと か作り出す原動力になったのでしょうが、ジャンプという競技もそういう憧れ が作り出した競技なのかも知れません。人間って元々は鳥だったそうで、だか ら空に憧れるんだ、なんて訳の判らないことを言ってた人がいたような気がし ますが、自由に空を飛べたら気持ちいいでしょうねぇ・・・。(て、話がずれ てるような・・。(^_^;)) 昨日のジャンプでの金メダルはオリンピック史上日本の100個目の金メダ ルというおまけつきだったそうですね。やっぱり日本選手が活躍してくれると わくわくします。 1998/02/18 眠夢 |
1998/02/21 BSの朝の母と子の名作アニメ劇場で放送されていた『わたしとわたし〜ふ たりのロッテ』というアニメの再放送が18日水曜日の放送で最終回となりま した この『ふたりのロッテ』というアニメ、本放送時はパソ通のアニメ関連のボ ードで噂になっていたのでアニメ化されていたことは知っていたのですが、関 西では放送されていたのかどうかも不明で見るのは今回が初めてです。 でも原作は読んだことがありますし、確か劇団四季だったと思いますが、子 供向けのミュージカルになってたのをテレビで見たこともあります。そういう 訳で細かいところまでは覚えていなかったものの、あらすじは一応知ってる作 品でした。 両親の離婚で引き離されていたロッテとルイーゼというふたごの姉妹が偶然 出会って、お互いに入れ代わりやがて両親を仲直りさせてしまうというシチュ エーションはなかなか面白いですよね。 前半は二人が入れ代わった為のドタバタみたいな話がメインで、後半は二人 がなんとか両親が仲直りしてくれるようにと心を砕く様子が描かれています。 しかしいろいろと障害があって、なかなかうまくいかないんですよね。お父 さんとお母さんにはそれぞれに新しい恋人候補みたいな相手がいましたし、昔 のわだかまりも残っていました。最後にはハッピーエンドになることを知って はいたのですが、どうやってそこに辿りつくんだろうか、と結構ハラハラしな がら見てました。 でも行き違いはあったものの、お父さんとお母さんは実は今でもお互いのこ とを嫌ってしまった訳じゃなかったんですよね。離婚してしまったのもほんの ささいな誤解と行き違いからでした。 引き離されたふたごたちが偶然出会うことにより、その誤解や行き違いを解 消するきっかけを作って、両親のキューピット役になったのはなんだか素敵で したねー。ロッテとルイーゼ、この子たちがまたかわいかったですし、お父さ んとお母さんも少々くせがあるものの、魅力的に描かれていて……。 意地悪なイレーネさんが最後にはいい人になっちゃったのはちょっと唐突な 感もありましたが、なんにせよいろいろ悩んでいた両親とふたごの四人が最後 には幸せな笑顔を見せてくれて安堵しました。 この作品もなかなかよい作品だったと思います。まだまだ私が見逃している 名作っていろいろあるんだなぁ、と実感させてくれる作品でした。 『ふたりのロッテ』が終わって今度は『トム・ソーヤーの冒険』が始まりま した。この作品のアニメ版は今までちらっとしかみたことないんですが、原作 は大好きで子供の頃殆ど本がぼろぼろになるまで繰り返し読んでました。 原作が好きな作品のアニメ化って嬉しい反面、自分が持っているその作品に 対するイメージが崩されてしまうことも結構ありますので、あんまり見たくな い、という気持ちも心の中には生まれてしまうんですよね。 例えば『私のあしながおじさん』。原作は正編、続編ともに大好きでジュデ ィやサリーは子供の頃の私にとって理想のお姉さんみたいな存在だったのです が、アニメではガキンチョにされてしまって……。サリー・マックブライドな どは続編の方ではジョン・グリア孤児院の院長になってなんだか凛々しいイメ ージを持っていたのに、あんなおどおどした女の子にされてしまったのは無茶 苦茶不満に感じてました。 『愛少女ポリアンナ物語』も原作は大好きだったんですよね。しかし私の大好 きなパレアナがあんな豆狸になっちゃってたのは悲しかったです。 『アニメ三銃士』なんかもそうですね。アラミスが女にされてしまったことに ついてはアニメスタッフの気持ちは判らないでもないですが、私は嫌でしたし、 子供向けのアニメということで健全になり過ぎてたのも大いに不満でした(仕 方ないとは判ってるんですが)。 原作の『ダルタニャン物語』は全11巻もあって一冊一冊も結構分厚いんで すが、全巻通して今までに4〜5回は読み返してたりする大好きな作品だった んですよね。 これらの作品、アニメ単体としてはよい作品なのかも知れないのですけど、 やはり原作にこだわりがあると素直には見れなくなってしまいます。 トム・ソーヤーも取り合えず第一話と第二話は見ましたが、「なんでハック ルベリー・フィンがジムシーなんだよぉぉぉ!!」とかテレビの前で悪態をつ きたい気分になっちゃいましたねー。アニメのスタッフの気持ちは判らないで もないですが、ハックはもっとかっこよくして欲しかったんですよね。ジムシ ーが嫌いだという訳じゃないですし、魅力的なキャラだったとは思うのですが、 ハックとイメージを重ねてしまうことには抵抗を感じます。 以前『ハックルベリー・フィンの冒険』というアニメもありましたが、その 時のハックはなかなかかっこよかったですよね。(唯、その時のハックはトム とハックを混ぜてしまったみたいなキャラになってて、私の持ってたイメージ とはやっぱり違ってはいたんですけど……。) で、トム・ソーヤーですけどなかなかよいなと思えるようなところもあるんで すが、今のところ別に無理して見る必要はないかな、というように気持ちが傾 いてます。(^_^;) 逆に原作の持ち味を損なうことなく見事に再現して見せた作品と言えば、な んといっても『赤毛のアン』でしょうねぇ。高畑監督、別に映画なんか作らな くていいから、またハイジやアンのような仕事をして欲しいな、と思う眠夢な のでした。 1998/02/21 眠夢 |
1998/02/25 カールのお好み焼き味というのを食べました。私は大抵、スナック菓子でも ポテトチップスならば塩味、カールもチーズがけとかうすあじとか昔から馴染 みのあるシンプルな味のものの方が好きなもんで、次から次へと出てくるどん な味がするのか想像もつかないような訳の判らん新製品にはあまり手は出さな い人なのですが、何故、カールのお好み焼き味、なんて変なものを買ったのか と申しますと、単に近所のスーパーで安売りをしていたから、という理由だっ たりします。 だって一袋58円だったんですよぉ。カールって最近はあまり買ってません のでよくは知りませんが、普通は100円以上はしますよねぇ。私は買い物す る時でもビンボーが身に染みてしまっているせいか、それとも単に生まれなが らにけちな性分なのか、とにかく安いものを買い揃えようとしてしまう傾向が あります。そんな私にとってカールが58円というのは大変魅力的な価格設定 だったのでした。 カールと言えば、子供の頃から馴染みのお菓子だったんですよね。当時はま だカルビーのポテトチップスは発売されていなくて、スナック菓子と言えば、 カールや仮面ライダースナックやサッポロポテトでした。その中でもカールは 好きで一番よく食べていたんですよね。 子供の頃、私はスイミングスクールに通っていたんですが、泳いだ後ってお 腹がすきますよね。で、スイミングスクールの帰りによくカールを買って弟と 一緒に食べてました。カレーがけ、チーズがけとあったんですが、どっちも好 きでした。裏面に印刷されてあるとうもろこしをどうにかしてチーズやカレー をどうにかして作るという説明書き(細かいとこまで覚えてませんけど(^^;) を見て「おおっ、カールのこの味はこんな風にして作るのか・・。」とか感心 してたりしました。 で、話を最初に戻して、カールのお好み焼き味なんですが、確かにお好み焼き っぽい味がしました。お好み焼きっぽいソースの味が口にひろがりますし、表 面には青のりらしいつぶつぶが吹き付けてあります。確かにこれはお好み焼き だ、と納得しましたし、お好み焼きの味をカールで再現するとは凄い! とか も思いました。 しかし……、おいしいかどうかと聞かれると思わず首を傾げざるを得ないと いう感じで・・・、はっきり言ってあんまりおいしいとは思いませんでした。 (明治製菓の関係の方がもし見ておられたらごめんなさい。でもカールをけな そうという意図で書いているのではなく、消費者の率直な感想として書いてい ますので御了承下さい。(^_^;)) お好み焼き自体は結構好きで時々うちでも作ります。御飯がなくてキャベツ が余っている時とか手軽に作れますし、お腹も膨れますもんね。ま、自分で作 ったお好み焼きって味の方はあんまり自信はありませんけど、そこそこおいし いです。 しかしその味をカールに応用するというのは、発想はおもしろいですけど、 私の好みには合わなかったです。やっぱり私は昔から馴染みのあるシンプルな 味がいいですねぇ。カールのみならず、ポテトチップスもやっぱりうすしおが 一番好きですし……。 1998/02/25 眠夢 |
1998/02/28 先日、図書館で借りてきた『牧場の少女カトリ』の原作本を読み終えました。 カトリと言えば、世界名作劇場でアニメ化されたことがあり、アニメの方は個 人的にはとても気に入っている作品です。原作があんまり有名でないので、知 らない人も多いかと思いますが、名劇の中でも五指に入る名作と言っても過言 ではないでしょう。私の好みで言えば、一番はペリーヌなのですが、その次に 来るのがハイジやアン、セーラと並んで、カトリ、という感じになります。 で、その原作なのですが、フィンランドの女流作家アウニ・ヌオリワーラとい う人が書いた小説で、前から読みたいとは思っていたものの機会がなかったの ですが、よっきぃさんのホームページのカトリの部屋の掲示板や獻篌鐇篌さん のホームページで原作本のことが話題になっていたので、読みたいという気持 ちがまたぶり返してきて、図書館で探してみたところ見つけることが出来まし た。と、言っても完訳ではなく子供向けの抄訳本だと思いますけど……。私が 読んだのはいのちのことば社刊で森本ヤス子さんという方が翻訳されたもので す。 読んでみた印象なのですが、アニメとは随分違ったところが多いですね。話 の流れを見るとアニメは原作に沿って作られているなという感じもあるのです が、設定とかその他いろいろな部分で随分違っているようです。 一番違うのがカトリの母の境遇とクーセラ屋敷の奥様のロッタの境遇でしょ う。アニメでは第一次世界大戦の勃発によりドイツに出稼ぎに行っていた母は カトリのもとへ帰れなくなったという話になっていましたし、ロッタの場合も 夫は戦争に出かけていたという話になってましたが、原作では夫婦間の不和と か家庭内の問題でいろいろ心を悩ませていて、それによって現在の境遇がある というような話になっているようで、この辺は随分違っていました。 夫婦間の不和とかこれは確かに子供向けのアニメ向きのエピソードではない かも知れない、という気はしますけど……。 それとカトリに妹がいたのにもびっくりしましたし、終盤の展開やラストシ ーンも全然違ったものでした。 唯、私が読んだのは抄訳本でしたので、原本を読めばまた違った印象を持つ かも知れません。アッキさんとかペッカとかマルティーとか私が読んだものに は出て来ませんでしたが、原本ではどうなのでしょう? 第一次大戦とかフィ ンランドのロシアからの独立云々、それにフィンランドの国民的な叙事詩と言 われるカレワラについての記述も出て来ませんでした。これらのキャラももし かすると抄訳本だから盛り込まれなかったものの、原本には存在しているとい う可能性はありそうな気がしてます。 しかしそもそも日本で完訳版って出版されているのでしょうか? アニメの スタッフの人は一体どこからこんな原作を見つけてきたのだろう、とちょっと 不思議に思えてしまうところでもあります。もしかするとアニメ制作の資料用 に翻訳されたものがあったのかも知れませんが……。 原本を読んでみたい気持ちもありますが、まさかフィンランド語の原本を読 む訳にもいかないですし……。(^_^;)(英語も満足に出来ないのに、今からフ ィンランド語を勉強しようなどという根性は私にはありません。(^_^;)。 とはいうものの、原作とアニメは随分違った印象もあるのですが、アニメは原 作という素材を生かして見事にアレンジして新しい作品を作り上げた、という ことは言えるんじゃないかと思います。『牧場の少女カトリ』というアニメの ルーツをある程度知ることが出来たというだけでも読んだ価値はあったかな、 という気がしています。 図書館でたまたま見つけることが出来たのはラッキーでした。 それにしてもうちの近所の図書館には岩波文庫の『家なき娘』(ペリーヌ物 語の原作です)の完訳版も置いてありますし、私にとってはとってもよい図書 館です。(^_^)(アニメの原作本が沢山置いてあるか否かというのが、私にとっ てはよい図書館か悪い図書館かを判断する重要な基準なのです。(笑)) 1998/02/28 眠夢 |