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ひとりごと

1999年1〜2月




1999/01/01

 眠夢 新年、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

と、いう訳でお正月ですね。私にとってはお正月だからといって、子供の頃と
違ってお年玉が貰える訳でもありませんし、特に感慨がある訳でもないのです
が、人為的に作られたものとは言え、区切りがあるというのはなんとなく新た
な気分にさせられるような気がします。

 今年の干支はウサギですね。私はウサギ年なもんで、今年は年男であります。
自分がウサギ年なもんでウサギって結構好きです。子供の頃はうさこちゃんの
絵本(ミッフィーちゃんとも言いますが、私が子供の頃読んだ絵本ではうさこ
ちゃんとなってました。)とか好きでよく読んでましたし、昔話でもウサギが
活躍するかちかち山とかは好きでした。逆にウサギとかめなんかはウサギが悪
く描かれているので嫌いです。(^_^;)
 ウサギ年生まれだからウサギが好き、なんてのはちと単純過ぎるような気が
しますが、人間なんてそんなもんですよね。なんとなく自分に縁があるような
気になっちゃうのです。
 しかも干支の中ではウサギって一番かわいい動物ではないでしょうか? 勿
論、犬がかわいいと思う人もいるでしょうし、ねずみや猿だってかわいいのも
います。その他の干支の動物もかわいいと思う人もいるでしょうが、やっぱり
一般的に見てウサギは一番かわいいような気がします。
 しかし昔話等ではどちらかと言うとかわいいイメージよりも悪知恵の働くよ
うなイメージが強いようです。先述のかちかち山やウサギとかめ、それに因幡
の白兎等でも悪知恵が働いたり怠け者だったりするようです。
 昔話で悪知恵が働くと言えば、キツネが一番そんなイメージがありますが、
ウサギもあまりよくは描かれてはいないようですね。
 なんでかはよく判りませんが、私の思うにウサギもキツネも猟師に獲物とし
てよく狩られる動物だと思うのです。それで首尾よく捕らえられる時もあるで
しょうし、逃げられる時もあるでしょう。ウサギやキツネだって死ぬのはイヤ
でしょうから、必死でしょう。
で、首尾よく逃げ仰せられた時に猟師の側からすれば、悪知恵が働くという印
象を持ってしまうのではないか? それで昔話ではそういうように描かれてい
るのではないか? と、そんな風に思うのですがどうでしょうね。
 ウサギなんて弱い生き物ですからね。逃げる為のノウハウは相当に蓄積して
いるのではないかという気がします。

 さて、話は変わりますが、今年はいよいよ西暦で数えると1999年ですね。
1999年と言えば、言わずと知れたノストラダムスの大予言の年です。今年
の7月に一体何が起こるのか? それとも起こらないのか? というのはとっ
ても興味をそそられます。
 子供の頃は漠然と1999年の7月か……、自分が36歳になる頃だなぁ、
と漠然と思ってはいましたが、ずっとずっと先のことのように感じていたので、
ふうん、そんなことがあるのか……、みたく思って特に深刻に考えてはいませ
んでしたが、そのずっと先だった筈の年がいよいよ訪れてしまいました。
 世の中不況ですし、少し前には阪神大震災、オウム事件、などあり、昨年も
カレー事件などいろいろ世の中を騒がせています。少年犯罪とかも増えていて、
暗い話題も結構多いのは、暗い予感を連想させるってのはありますよね。

 ま、私自身は人類が滅亡したって別に困らないですけどね。死後の世界とか
本当にあるのかどうかよく判らないので、一概には言えませんが、一般的に信
じられているように死後、無になってしまうというのであれば、一人で死のう
が人類みんなで一緒に死のうがあんまり変わらないような気がします。
 それにもし人類が滅亡したとしても、生物が全部死に絶えるってことはない
と思いますし、数億年もすればまた進化して新しい人類が生まれてくるんでは
ないかしらん?
とは言っても今のところ取り合えず私自身死ぬのは嫌なので、大予言も外れる
か、針小棒大に誇張して言われているだけで、実際には大したことはないって
ことになるとよいなぁ、とは思ってますけどね。

 そんなこんなですけど、取り合えずよい年になってくれるといいですね。

                      1999/01/01 眠夢


1999/01/08

 ミクロマンの復刻版を買ってきてしまいました。復刻版は一体1800円と
結構、高いですし、個人的には初代のよりも二台目以降の人形の方が好きだっ
たので、どうしようかな〜、と迷っていたのですが、でも結局やっぱり欲しい
ということになっちゃったのでした。う〜ん、金もないのにこんなもん買って
る場合じゃないのに……。(^_^;)
 この初代のミクロマンというのは半透明のボディといい、お腹のメカっぽい
部分といい、それに裸足で裸ってとこなど、ミクロマン以前にタカラの人気商
品だった変身サイボーグの影響が色濃く残ってますね。
 子供の頃、最初にこれを見た時には“変身サイボーグの小型版だな”という
印象が強かったのですが、二台目以降は前記の特徴はなくなって、段々とミク
ロマンの独自の形というのが出来ていった気がします。

 変身サイボーグとミクロマン、サイズが違うだけで、基本的には似たような、
関節可動式の人形です。でもサイズが違うだけに遊び方は随分違っていたよう
に思います。
 変身サイボーグというのは基本的には男の子向けの着せ替え人形みたいなも
のだったんですよね。仮面ライダー、バロム1、変身忍者嵐とかライオン丸と
かマジンガーZなど、当時の特撮やアニメの人気ヒーローに変身出来る“変身
セット”というものがあって、それを着せ変えて遊ぶ、というのがメインだっ
たような気がします。
 それに引き換えミクロマンは小さいだけにミクロマン専用の乗り物みたいな
ものがあって、それに乗せて遊ぶという遊び方がメインだったように思います。
この乗り物も部品を付け替えたりしていろいろな形に作り替えることが出来て、
これもまた面白かったのでした。出来れば乗り物も復刻して欲しいなぁ、と思
う今日この頃。(買えるかどうかは別の問題ですが。(^_^;))

 買ってきた復刻版ミクロマンですが、なんだかお腹の機械部分と手の先がえ
らく取れやすいような気がします。昔はお腹はともかく手の先ってこんなに取
れやすくはなかったような気がするのですが……。ちと作りが甘いんでしょう
か……。手の先なんて小さいので取れてしまうとすぐに失くしてしまいそうで
不安です。
 ま、でも懐かしいおもちゃを手に入れることが出来たというのはやっぱり嬉
しいんですよね。別に私はマニアという訳ではないんですけど、昔馴染んでい
たもの対しては今もやっぱり思い入れみたいなものが心の中に残ってるんです。
ま、いい年してそういうものを欲しがるところが実はマニア的な資質を持って
いるということにもなるのかも知れませんが。

 昨年、12月26日に発売された新型ミクロマンの方はミクロマンとアクロ
イヤーと一体ずつ買って来ました。昔のミクロマンと比べると少しサイズが小
さいんですね。
 それと胸と手足に磁石がついていて、くっつけることが出来るという……。
手の磁石でアクロイヤーの胸についてる磁石とくっつけて持ち上げたり、足の
磁石で鉄で出来たものにくっつけたりして遊ぶんだそうな。
 磁石と言えば、昔タカラは磁石を利用した、鋼鉄ジーグやゴワッパー5ゴー
ダムの人形を作ってましたし、その流れでミクロマンにも磁石を利用しようと
いう発想が出て来たのかも知れません。昔のミクロマンでもタイタンのように
ジーグと同じ仕組みの人形がありましたし、新型ミクロマンでもロボットマン
とかはジーグと似たような仕組みのようです。
 今のところロボットマンは買うつもりはないのですけど、でもアクロボット
マンは少し欲しいかも……、という気がしてます。ちと高いので買うとしても
もう少し先になりそうですが……。

 ミクロマンのアニメも始まったそうですね。私はテレビ大阪が受信出来ない
ので見れないのですけど、某HPに書き込んでおられたミクロマンファンの人
の書き込みを見るとなかなかよさそうな感じです。いずれビデオが発売された
ら見てみたいと思ってます。

                      1999/01/08 眠夢


1999/01/16

 黒柳徹子さんの『窓ぎわのトットちゃん』という本を読みました。この本は
発売当初は話題になってましたよね。文庫版のあとがきには発売して一年後に
は450万部も売れて、文庫版を出版する頃には600万部に近づこうとして
いたそうです。唯、女性にはよく読まれていたものの、男性は『表紙が女っぽ
い』『タレントが書いた』『ベストセラーになった』というような理由で敬遠
勝ちな人が多かったそうです。
 言われてみれば私も黒柳徹子さんって“タマネギ頭の派手なおばはん”みた
いな印象しか持ってませんでしたし(失礼な言い方ですみません)、タレント
が書いてベストセラーになった本ということで、それが今まで読む機会がなか
った原因の一つだったかも知れません。
 唯、以前、同じ黒柳徹子さんが書いた『トットチャンネル』という本は読ん
だことがあるんですよね。それから考えると必ずしも“黒柳さんの本だから…
…”、という理由で敬遠していたという訳でもなさそうな気もするのですが、
でも『トットチャンネル』は映画化されましたよね。で、私は主演した斉藤由
貴さんのファンだったので、こちらはそういう理由で読んだのかも……、とい
う気がします。
 ま、そんなこんなで今まで読む機会がなかったのですが、先日たまたま古本
屋さんで目に留まりまして、『トットチャンネル』は結構面白かったよな、と
いうのを思い出して、買って読んでみることにしました。

 この本を読んで、一番感じたことは
『子供の頃に本当に尊敬出来る人と出会えたということは、すっごく貴重な体
験だし、人生に大きな影響を与えるものなのだな。』
ということです。
 黒柳さんは幼い頃、少女時代、結構問題児だったそうです。それもあって一
度小学校一年生で学校を退学になってしまったそうです。本人は別に悪いこと
と思っていた訳でもなく、本で読んでいる限りでは微笑ましいというか、少し
変わった子だな、という印象にもなるのですが、しかし学校生活を営んでいく
上では教師の目から見ると、大変な問題児だったんだな、というのも確かなん
ですよね。
 たぶん、集団生活の規律みたいなものからはみ出したような個性を持った子
供だったのだと思いますが、もし、私が学校の先生だったとしてもトットちゃ
んみたいな子がいたら、うんざりするかも知れない、という気がします。
 それが原因で結局退学になってしまった訳ですが、新しく移った『トモエ学
園』という学校で前述の“本当に尊敬出来る人”、校長先生をしておられた小
林宗作先生という人に出会います。
 この人は自分の理想とする教育を行う為に、私財をなげうって学校を作った
人だそうで、トットちゃんのような問題児や体に障害を持った子供などを受け
入れて、学校を作っておられたそうです。
 初めて学校に行った日、この先生はトットちゃんの話を四時間も退屈するよ
うな様子も見せることもなく、ちゃんと聞いてくれたのだそうです。
“そのとき、トットちゃんは、なんだか、生まれて初めて、本当に好きな人に
逢ったような気がした”
と、文中には記述されてました。

 そしてトットちゃんはこの学校の生徒になり、様々なユニークな授業や学校
生活を経験して行くことになります。この学校の授業は普通の学校から考える
とかなり風変わりなのですが、トットちゃんはこの学校で本当に生き生きと楽
しそうに生活している様が描かれています。
 トモエ学園で実践されていた教育が本当に理想の教育と言っていいものかど
うかは、必ずしも私には判断出来かねる部分もあるのですけど、唯、本当に子
供にとって何が一番よいことかを考えて、真摯に情熱を持って教育に取り組ん
でいた人だったんだな、というのは実感出来ました。
 トットちゃんがこの学校で過ごしたのは第二次世界大戦が終わるちょっと前
だったのだそうですが、こんな人がいたんですね〜・・・。

 この本を読んで送られていた感想の中に少年鑑別所からの高校生の女の子の
手紙で、
『トットちゃんのお母さんのような人や、小林校長先生がいてくれたら、私は、
こんなところに入っていないと思います……。』
と、いう感想があったそうです。これって実は私も似たようなことを感じてい
たんですよね。トモエ学園で生き生きと過ごしているトットちゃんや他の生徒
たちの姿を見ていると、子供の頃に世の中の大人から“非行”だとかというレ
ッテルを貼られるような境遇を体験した人にとっては本当に理想の学校に思え
ますし、自分もこんな風な子供時代が送れていたら……、という気持ちになる
のも当然かも知れないと思います。
 私ももしこんな学校に通っていたとしたら、登校拒否少年なんかにならずに
済んだかも知れません。

 この本、黒柳徹子さん自身は“教育書”とか“子供の為の本”とかってつも
りで書いた訳ではなく、大好きだった校長先生と絶対に忘れることの出来ない
トモエ学園での生活のことを書き残しておきたい、という強い思いで書いたも
のだそうです。
 しかし出版してみると、小学生からの手紙が随分多かったことに驚いたそう
で、また“教育書”みたいな読まれ方をしているということにも驚いておられ
たようです。
 唯、現在も学級崩壊だとか少年の犯罪みたいなものがいろいろ話題になって
いますし、この本が出版された当時(1981年)も校内暴力だの青少年の非
行だの、いろいろとニュースになっていました。
 教育問題というのはいろいろと難しいと思うのですけど、そういう中に一石
を投じる役割を果たしていたのかな、と思います。子供というのは持って生ま
れた個性というのもあるのかも知れませんが、やはり親や周りの大人の影響が
大きく人間形成に作用するものですもんね。

 なんだかんだと書いてきましたが、この本、まだ読んでいない人がいたら是
非読んで欲しいです。教育問題云々というのは抜きにしても、トットちゃんの
生活ぶりは読んでいてとっても楽しいです。

                      1999/01/16 眠夢


1999/01/23

 昨日のニュースで聞いたのですが、阪急電車が全席を優先座席にするのだと
か。優先座席というとお年寄りや体の不自由な人を優先的に座らせてあげる為
の席、ということなのですが、それなら優先座席でなければ、席は変わらなく
てよいのか? みたいな理屈も出てくるかも知れませんし、考えてみるとこれ
ってある意味で不合理であるという見方もあるんですよね。それに京都の市バ
スなどの場合だと、逆にかなり混んでいてもお年寄りや優先座席の対象でない
人たちはシルバーシートには座らず、席が空いているということもよくありま
す。何人か座れば立っている方の混雑も緩和されそうな気がするのに、これも
また逆の意味で不合理です。
 そういう意味からすると阪急電車の方針は悪いことではないと思います。唯、
全部が優先座席ということになると、全部が普通の座席というのと同じことに
なってしまいそうな気もしますので、乗客のマナーとかが問われることになる
というのは、ま、仕方のないところでしょうか……。

 しかしマナー云々以前に座って下さいと声をかけるのはちょっと勇気がいる
とか、タイミングよく立てればよいけど、タイミングを逃すと立ちづらくなっ
たりとか、そういうこともありますので、なかなか難しい部分もあるのですけ
ど……。
 それに自分が疲れている時などは席を替わりたくないという気持ちになる時
もありますし……。

 私自身もその時々の状況で替わる時も替わらない時もあります。あんまり疲
れてなくて、タイミングがよかった時には席を譲ることもあるんですけど、逆
に疲れている時とかなんとなく気分が乗らない時などは、タイミングを逃して
しまう、みたいなことがあります。
 席を譲ろうとすると「自分はそんな年じゃない!」とか言って断られて嫌な
思いをするということもあるそうですが、私はそういう経験はないです。
(「次、降りますから。」と言って断られたということはありますけど。)
 でもやっぱり年を取ったと自分で自覚するのは嫌なものだというのは判りま
すし、そういう人もいてもおかしくはない気がします。もしかすると私も微妙
な年齢になって、席を譲ってくれようとする人が現れたら……、たぶん、断っ
たりはしないと思いますけど、心の中では忸怩たる思いになるかも知れません。

 ずっと前にお腹の大きな女の人が乗ってきたので、席を替わった時にはちょ
うどその時一緒にいたその人の旦那さんに思いっきり感謝されてしまって、こ
っちの方が恐縮してしまったなんてこともありました。こういう時はなんか凄
く心楽しい気分になりますね。
 席を譲って気持ちよく座って貰えると、やっぱり嬉しい気分になりますよね。
 こういう経験をすると席を譲るというのは楽しいもんだな、という気持ちに
もなるのですが、唯、席を譲られることに対して引け目を感じる人、というの
もいても当然だと思いますし、この辺は難しいところなのかも知れません。
 譲る方も譲られる方も両方が気持ちよくいけば、それが一番いいんですけど
ね。

                      1999/01/23 眠夢


1999/01/31
 先日から伝説のオウガバトルというゲームをプレイしていたのですが、取り
合えず終了しました。何年も前にスーファミで発売されて話題になって、PS
にも移植されて、更に今はザ・ベストになってます。
で、なにかやるゲームないかなぁ、と思っていて、ザ・ベストなので安いです
し、昔、それなりに評判になってたソフトだったので買って来ました。

 しかし終わったはいいもののバッドエンディングみたいです。クリア後にナ
レーションみたいのが流れて、一年後、あなたの軍は反乱軍に破れて崩壊した
とかなんとか……。
 う〜ん、折角、手間暇かけてクリアしたのにそりゃないよみたいな展開でし
たね〜。

 このゲームはシミュレーションRPGですが、ターン制ではなく、リアルタ
イムで移動するタイプで大戦略3のシステムに近いものですね。
 他にもカルネージハートもシナリオモードではこういうタイプのシステムに
なってましたし、今までに何度か似たようなシステムのゲームは経験がありま
すので、システム自体は特に戸惑うということはありませんでした。

 しかしマップを一つクリアするのに随分時間がかかります。一つのマップに
二時間や三時間、平気でかかってしまう……。
 ま、その気になれば比較的短時間で攻略してしまうことも出来なくはないの
ですけど、キャラを成長させなくてはまずいですし、その為には沢山戦わなく
てはなりません。
 敵は次から次へと殆ど途絶えることなく出てくるみたいなので、やろうと思
えば一つのマップでかなり成長させることが出来そうです。唯、あんまり成長
させると出撃する時に沢山お金がかかるので、この辺は少々思案のしどころで
しょうか……。
 戦闘のシステムとかは結構楽しいのですけど、一回の戦闘に随分時間がかか
ってしまうので、これがマップ攻略に時間がかかる一番の原因かも知れません。
 都市も出来るだけ多く沢山制圧しておいた方がよさそうなので、結果、長時
間になってしまうという感じです。
 PS版ではマップの途中でセーブ出来ますが、SFC版ではそれが出来なか
ったそうで、これでは余程時間の余ってる人でないと最後までプレイするのは
大変だったでしょうね。

 ウォーシミュレーションの部分はそんなに難しいシステムではありませんし、
戦闘も時間がかかるのが難点ですが、結構楽しいので、マップ攻略という点で
は結構楽しんでいます。
 唯、その他の部分でなんかよく判らんところがありまして……。まずカオス
フレームというものがあって、これの値で民衆の反乱軍に対する支持率を表し
ているらしいのですが、これがゲームを始めて暫くするとあっと言う間に最低
まで下がってしまいました。で、その後殆どあげることが出来ず、バッドエン
ドになった最大の要因はこのカオスフレームが低かったことでしょう。
 またレベルが同じでもクラスチェンジ出来るキャラと出来ないキャラがいる
……、あとでマニュアルをよく読むとカリスマが低いとクラスチェンジ出来な
くなると書いてありましたが、随分、経ってから気付いてなんとかしたいと思
ったのですが、ちっとも上がらないのでした。
で、昔買った電撃プレイステーションを引っ張り出して、オウガバトルの記事
が載ってるものがないか、探してみたら、取り合えず、一冊だけ見つけること
が出来ました。
 それによるとカオスフレームを下げずに済ますには、都市の攻略は“アライ
メント”というパラメータの高いキャラのユニットにやらせないといけない、
みたいなことが書いてありました。言われてみればなるほど、という気もする
のですが、しかしそんなの攻略本とか雑誌の攻略記事とか見ないと判らないで
すよね。攻略本見ないと完全クリア出来ないゲームというのは割りとよくある
んですけど、あまりに難しいのは反則みたいな気がしてしまう……。

 ゲーム自体は結構面白かったので、攻略本買ってきてまた最初からやり直し
てみたいという気持ちもあるのですが、いかんせんこのゲーム、時間がかかり
過ぎるのでちと躊躇しています。それに攻略本自体、少し探してみたのですが、
随分前のゲームでもありますし、なかなか見つからないってのもあります。
 そのうちまた失業して暇が出来たらやってみることにしましょうか。(^_^;)

                      1999/01/31 眠夢


1999/02/14

『BASARA』の最終巻を読みました。

 表紙の緑の丘で二人で佇む朱理と更紗の後ろ姿、この表紙での二人の姿が既
に結末を暗示した感じもありましたねぇ。
 前巻で既に国王の政権はほぼ瓦解してましたし、タタラたちの革命もほぼ成
就するに近い状態になってましたが、最後に残った一番重要な問題は更紗と朱
理の関係でしたもんね。
 『BASARA』というのは横暴な国王一派の政権に対する革命のストーリ
ーではありましたが、そんな中で敵対する立場にありながら、お互いに惹かれ
合ってしまった、更紗と朱理のラブストーリーという側面も大きな要素となっ
ていた訳で、国王を倒すだけではなく、やはり二人が生き残って結ばれてなく
ては本当の大団円には到達出来ない、みたいなところもありましたしね。
 最後には二人はタタラであり、赤の王であるという桎梏から解放され、唯の
更紗と朱理に戻って、二人手を携えて、何処へとも無く旅立って行った、とい
うことになったのでしょうか……。
 共に“運命の子供”という予言を受けて生まれてきた二人でしたが、その運
命とはなんだったのか……、革命の指導者となっていくことが運命だったのか、
二人が出会って惹かれあっていったことが運命だったのか……。
 更紗にとっても朱理にとっても赤の王やタタラは憎むべき不倶戴天の敵であ
った訳ですが、それと知らず知り合い、惹かれ合っていったことで、憎むべき
相手が単なる鬼のような人物ではない、それぞれに生身の血の通った人間であ
り、自分たちの信じる道を行こうとしたことで、摩擦を生じて敵同士になって
しまったに過ぎない、ということを知ることになり、それが物語に深みを与え
ていたのではないかと思います。

 本編終了後、外伝が2本収められてましたが、揚羽の話と浅葱の話でした。
この揚羽と浅葱という二人のキャラは本編の中でも、特別に作者にひいきされ
ていたキャラだったようで、かなり描写も多かったですし、重要な役割を果た
していたように思います。
 それぞれに複雑な過去を与えられて、時代の波の中で自分自身の本来の姿を
探そうともがいているようなキャラでしたが、更紗との出会いによって大きく
運命は変転して行くんですね。
 勿論、この物語の全てのキャラは好むと好まざるとに拘わらず、更紗と朱理、
二人の運命に巻き込まれていくことになっていたのですけどね。
 揚羽は予言された運命の女を見つけ、そして予言の通りに命を賭ける……。
浅葱の方は生き残りましたが、自分を縛っていた出生の秘密……、白の王の呪
いともいうべき桎梏から解放される……。
 朱理がいなけりゃ、この二人も更紗と結ばれるチャンスがあったのかも知れ
ないんですけど、その辺はちょっと気の毒だったかも……、みたいな気もした
りして。(^_^;)
 結局、運命の子供の物語の中では脇役に甘んじさせられたということになっ
ちゃったのでしょうか……。

 最後にナギの正体が謎のまま残されたってのは少々残念だったかな〜。私は
ナギは国王に殺されたと思われていた蒼の王の兄だったんじゃないか、という
気がしていたのですが……。

                      1999/02/14 眠夢


1999/02/20

 昨日、自民党の推す明石康氏が東京都知事選に正式に立候補を表明したそう
で、都知事選も役者が大体出揃った感がありますね。
 私は京都市民なので、東京都知事選はあまり関係ないんですけど、既に有力
な候補が5〜6人も出ているようで、いろんな人が出馬するのは羨ましい気が
します。
 京都府知事選とかでは、大抵の場合、共産党VSその他全部みたくなっちゃ
って、選択の幅が狭いこともあって、あんまり面白くないんですよね。

 しかし自民党はなんだか今回もゴタゴタしてたみたいですね。民主党の鳩山
氏に相乗りすると言ってみたり、柿沢氏に決まりかけていたのが、急転直下明
石氏を推すことになって、柿沢氏が拗ねてしまったり……。
 あんなことしてるからあんまり好感を持たれなくなってしまうのだと思うの
ですが、自民党からしてみると、なんとか勝ち馬に乗りたい、という気持ちも
強いのでしょうし、その辺で、いろいろな思惑が絡み合ってこういうことにな
ったのでしょうけど……。

 前回、青島氏が当選したことで政党色はあまり出さない方がいいんだ、とか
いう話もあるみたいですけど、私はそれは違うような気がします。
 前回、石原氏が敬遠されたのは、政党色がどうとかでなく、共産党以外の殆
どの正当が相乗りしてしまった為、逆に政党の特色が消えてしまった為ではな
かったかと思うのです。
で、それ以外に選択肢がなければ、どうしようもないのですが、前回の都知事
選の時には政党相乗り候補以外にも、都民が信頼出来ると感じた候補がいた為、
そちらに票が流れたのでしょう。
 民主党の鳩山氏も離党して出馬するそうですが、これもなんだか私は疑問に
思ってたりします。無党派層の支持を期待しようという下心が見え見えですし、
なんで堂々と民主党という旗の下で戦えないのか? 民主党という看板に自信
がないのか? みたいな気がしてしまうんですよね。

 首相公選制というのも以前から話題に出てますが、こんな状態だと首相を直
接選挙で選べるようになったとしても、どうなることかと不安も感じてしまい
ます。
 私としては首相を直接選挙で選べるようになった方がいいな、とは思ってい
るのですが、首相公選制になったとして、そこで知事選等でよくあるように、
共産党の候補と共産党以外全部相乗りみたいな候補しかいなかったりしたら目
も当てられませんもんね。
 実際にはそんなことにはならないとは思いますが、では何故、地方の首長選
の場合は政党を離党しなくてはならなかったり、相乗り候補が数多く登場した
りするのか、どうもよく判りません。
 国の政治と地方の政治は違う、という論もありますけど、知事選というのは
首長を直接選挙で選ぶという意味では首相公選やアメリカの大統領選と同じ物
と言ってもよいものですよね。
 なんで地方の政治は別、ということになるのか……。政党が政党として、自
分たちの主張を展開して何故いけないのか? やっぱりよく判らないです。

 無所属になった方が多くの人の支持を集めやすい? そうなんですかね〜。
しかし鳩山氏などは今まで民主党という看板を背負ってきた人だということは
誰でも知ってますし、共産党の推す候補も名目上無所属でもやっぱり共産党の
看板を背負っているのだという印象を受けるのは当然でしょう。
 そういう意味で鳩山氏が離党する意味があるのかどうか、少々疑問に思いま
す。

 ま、どっちにしても私には東京都知事選の投票権はないので、関係ないので
すが、一応、わが国の首都でもありますし、いろんな候補が出ていて、イベン
トとしてみると面白い気がしてますので注目してます。(こんな言い方すると
候補者の方々には不謹慎だと思われるかも知れませんが……。(^_^;))

                      1999/02/20 眠夢

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