超時空要塞マクロス


早瀬美沙 SF、メカ、美少女がアニメファンの好む三大要素というように言われ始めたのがいつ頃からなのか、私はよく知らないのですが、この『超時空要塞マクロス』というアニメは、文化を知らない宇宙人ゼントラーディの設定、リン・ミンメイ、早瀬美沙といったタイプの違う二人のヒロイン、そして三タイプに変形するバルキリー、などでもろにその三つの要素を満たしています。
 そういう意味でもしかするとこの作品はこれらの三要素をアニメファンに強く印象付けた作品だったのかも知れません。

 この作品が放送されたのは1982年頃だったと思います。(手元に資料がないのではっきり判りませんけど、たぶんこの頃です。(^_^;))
 当時、私の部屋にはテレビがなかったもので、本放送時は見ることが出来ませんでした。しかし友人がマクロス、マクロスと言って騒いでいたので、名前は知ってました。私が見たのはその二〜三年後の再放送の時でした。で、しっかりはまってしまいました。

 宇宙から飛来し、地上に落下した巨大な宇宙戦艦、それにより地球外知的生命体の存在を知った人類は国家間の利害を越えて人類の統合政府の樹立を決意した。そしてその為の様々な障害を取り除く為に始まった統合戦争、その戦争も漸く終わり、人類は異星の墜落船を巨大戦艦マクロスとして蘇らせた。
 そして物語はマクロスの進宙式で賑わうマクロス建造の島から始まります。
 その日、突然襲って来た謎の宇宙人ゼントラーディの襲撃をかわす為に、フォールドシステムを作動したマクロスは意図した月の裏側とは全くかけ離れた冥王星軌道のやや内側でデフォールドしたのでした。しかもマクロスのあった島や島の住民まで巻き添えにして……。そうしてマクロスとその乗員たちの長い旅が始まるのです。
 マクロスに収容された民間人たちは、やがてマクロス艦内に街を作り始めます。例えどんな境遇に置かれても、自分たちの生活しやすい環境を作り上げていこうとする、人々のバイタリティーには目を見張るものがあります。
 そしてそんな中でそれぞれの登場人物たちも、それぞれの思いを抱えて生きていきます。

 文化を知らない巨大な宇宙人ゼントラーディ。この設定にはうならされました。文化も恋愛も知らず、唯、戦うことのみに生きる意味を見出している宇宙人、そして彼らの社会に昔から伝わるプロトカルチャーの伝説。
 ゼントラーディ軍と戦いつつの地球への帰還の旅、その中で徐々に敵、ゼントラーディの姿が明らかになっていきます。
 ミスマクロスコンテストの映像や、輝と美沙のキスシーン、ミンメイの歌など様々な事象に接して、ゼントラーディ人たちは大きなカルチャーショックを経験します。
 輝と美沙のキスシーンをまのあたりにして、大きな衝撃、心理的ショックを受けるゼントラーディ首脳の面々の姿は我々から見ると非常に滑稽に映ります。
 更にそれに輪をかけてワレラ、ロリー、コンダのおとぼけ三人組の活躍で、ゼントラーディ人たちに与えたショックの大きさがより一層明確になっていきます。
 これらのことは異文化同士の接触時における、文化の違いからくるカルチャーショックを誇張して描いたものということも出来ると思います。我々にとって当たり前のことが別の文化的背景の中で生活している人にとっては、非常に衝撃的なことだったりするのは実際の人間社会の中でもよくある話ですよね。

 彼らは歌や恋愛などの文化を無くし戦うことのみを目的に生きている種族ですが、それでも心の奥、潜在意識の底、或は遠い祖先の記憶、というようななんらかの形で文化に対する憧憬のようなものを持ち続けていたんですね。プロトカルチャーに作られた時に削ぎ落とされた筈の感情が脈々と長い時を経て蘇る……。
 だからこそ地球人の持つ文化は彼らの価値観を根底から揺るがす衝撃的なものだったのかも知れません。
 そこには文化の力を持ってすれば争いを避けることも出来るのではないか? というようなメッセージのようなものも含まれていたのかも知れません。
 そもそも文化というのはそして戦いというのはなんでしょう? 人間の歴史の中には戦いが満ち溢れているというのはよく言われることです。私の思うに戦争とまでいかなくても他人と競い合うというのは人間の本質的な欲求の一つである、とも言えるのではないでしょうか?
 しかしその欲求の為にいちいち殺し合いをしていては安心して生活出来る社会は成り立ちません。その代償行為として文化というものが生まれてきたのではないか? という考え方も出来るのではないかと思うのです。
 勿論、これは一つの考え方であって、これが絶対のものだというつもりはありませんが、文化というものは争いを避けるために人間が生み出した智恵の一つということは出来るかも知れません。
 マクロスの中で語られている文化と戦いの対比を見ていて、そんなことを感じました。

 リン・ミンメイの歌が流れる中で繰り広げられる、ゼントラーディ軍とマクロスの最終決戦は圧巻です。戦いのシーンで普通に流れるBGMとは一味違う、リン・ミンメイの歌、まるで歌が全ての人々を包み込むような、戦っている人々を励まし、そしていたわっているような、不思議な情景を醸し出します。

 もう一つ、一条輝をめぐるラブストーリー、リン・ミンメイ、早瀬美沙との三角関係もマクロスを語る上で忘れることは出来ません。SF的要素の中に織り込まれて展開していく、それぞれの物語、心の動きはSF設定が縦糸だとすれば、このラブストーリーは横糸となって物語の中核をなしていきます。

 リン・ミンメイは女性から見ると嫌われるタイプなのだそうです。確かにわがままでぶりっこで男を振り回すようなタイプなのですが、男の目から見るとそんな彼女の天真爛漫である種小悪魔的な性格が非常に魅力的に映ります。そしていつの間にか彼女のペースに乗せられてしまいそうな、扱いにくくて振り回されてしまいそうだけど、そうだけどやっぱり魅力的な……、彼女はそんな女の子だと思います。
 一方の早瀬美沙はどっちかというと自分の気持ちを素直に言えないタイプですよね。そういう意味では天真爛漫なリン・ミンメイとは対称的です。
 彼女は幼い頃から優等生というレッテルを張られてそのイメージに縛られて任務のみを至上として生きている、色恋沙汰とは縁遠い女性というイメージで登場します。
 また性格的には少々暗めできついところもありますが、落ち着いた大人の女性といった印象を与えるキャラでもあります。
 しかし彼女の心の中にはいろいろな迷いや悩み、そして精神的な脆さがが潜んでいます。
 それは初恋の人との悲しい別れの思い出という形で、また一条輝とのいさかいや触れ合いを通して、徐々に語られていきます。
 彼女が任務のみに人生を捧げているような印象を与える女性になってしまった背景には彼女なりの悲しみがあった訳です。彼女はしっかりしているように見えながら非常に危なっかしく脆い一面が感じられます。彼女自身がそのことを知っていたからこそ、それを押さえつける為にも強い女性であるかのような仮面を被り、任務に没頭して生きていかざるを得なかったのでしょう。

 輝はリン・ミンメイへの思いを心の中に抱きながらも、段々と早瀬さんに惹かれていきます。最初は“怖そうなおばさん”という印象だったのが、少しづつ彼女の脆い面、淋しい心に触れることにより、彼女に対する認識は変わっていきます。逆にリン・ミンメイとは段々とすれ違ってしまうことが多くなってしまいます。
 見掛けとは違って、リン・ミンメイは自分一人で自分の人生を切り拓いていける強さを持った女性です。逆に早瀬さんはしっかり者であるように見えて、実は守ってあげたくなるようなキャラとして描かれています。
 輝の気持ちも二人の間で揺れていましたが、決定的な要因になったのはそういう早瀬さんの持っている弱さだったかも知れません。
“この人は自分を必要としてくれている・・。”
 その思いがあって、またリン・ミンメイは自分の足で自分の翼で大空を自由自在に駆け巡ることが出来るようなそんな少女だったため、自分の手に余る存在であるような認識が徐々に出来上がっていったのでしょう。
 輝自身が元々派手なキャラクターではありませんでした。パイロットとしての腕前は人並み以上のものを持っていますが、どちらかというと優柔不断な、誰かに支えて貰いたがってるようなキャラではなかったかと思います。だからこそ自分のそばにいてくれそうな早瀬さんを選んだのかも知れません。

 『超時空要塞マクロス』はSF・メカ・美少女というアニメファンの好むと言われる三つの要素を含みながら、決してそれだけの作品ではなく、しっかりしたSF設定とドラマ性が盛り込まれた作品です。だからこそ今も尚、私にとっても多くのアニメファンにとっても心に残る作品となっているのでしょう。

 その後、OVA、またテレビシリーズで色々、続編のようなものも作られましたが、私はそちらの方は見ていません。(映画の『愛・おぼえていますか?』は別ですけど。)
 テレビで放送されたマクロス7は最初の2〜3回は見たのですが、なんだか違和感を感じてしまって見るのをやめてしまいました。
 私の中で今も尚、初代のマクロスがそれだけ大きな存在だったため、そのイメージが壊されるのを恐れたんだと思います。
 唯、サーチエンジンでマクロスをキーワードに検索してみたところ、若い人の中にはマクロス7は知っていても、初代のマクロスは知らなかったりとか、最近見たという人も多いようで、なんだか時代の流れを感じてしまいます。


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