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魔法のプリンセス
ミンキーモモ


ないふさんから頂きました。(^_^) 魔法のプリンセスミンキーモモは昭和57年3月18日〜昭和58年5月26日まで全63本、テレビ東京系で放送されたアニメです。

 昔、地上に存在していた夢の国フェナリナーサ。しかし人々が夢と希望を失って行くにつれていつしか地上を離れて遠い宇宙の彼方に漂っていました。
 フェナリナーサのプリンセスだったモモは地上の人々に夢と希望を取り戻させ、フェナリナーサを再び地上に戻す為に犬、猿、鳥の三匹のお供を連れて地上にやってきます。
 モモがよいことをすれば、モモのペンダントが光り、四回ペンダントが光るとフェナリナーサの王宮の王冠に宝石が一つはまります。そしてその宝石が12個はまるとフェナリナーサは地上に戻ることが出来るのです。
 しかし人々が夢と希望を信じなくなってしまった為、フェナリナーサの魔法は地上では殆ど効果を発揮できません。モモが地上で使える魔法は自分にかける魔法、自分が大人になる魔法だけ。しかしその魔法でモモはあらゆる職業のエキスパートになることが出来たのです。

 こういう設定でモモは地上にやってきました。それまでのいわゆる魔女っ子アニメでは魔法や魔法の国というのは単に不思議なもの、便利なものみたいな扱いがされていたケースが多かったように思いますが、ミンキーモモでは夢の国フェナリナーサの存在理由やモモが地上に来た理由、その辺の設定がしっかり作られています。
 モモの世界の魔法というのは人間の持つ夢の力に依存するものなのですね。人間たちが持つ夢と希望、それがフェナリナーサの魔法の力の源だったのです。

 モモは地上にやってきて様々な職業の大人に変身していろいろな事件を解決していきます。毎回、モモが何に変身するか、そしてどんなコスチュームでどんなスタイルに変身するのか、これも楽しみでした。
 競馬の騎手、婦人警官、レスキュー隊員、看護婦さん、スチュワーデス、テニスや野球のプレイヤー、歌手、花嫁さん、宇宙飛行士、学者さん、画家さん、普通の女の子、ハードボイルドな私立探偵、果ては怪盗レッドキャット、西部劇の保安官、女ターザン、宇宙人、etc、etc・・。
 またモモの性格も明るくて元気で一つ一つの事件を軽快に解決していくんですね。じめじめと落ち込むなんてことは滅多にありません。このモモっていう少女の個性がこの作品の最大の魅力だったかも知れません。
 大人になったモモもキュートでかっこいいですよね。なんせ変身するとその職業のエキスパートになれる訳ですから。自分の仕事に自信を持って打ち込んでいる人って現実の世界でもやっぱりかっこいいですもんね。
 中盤以降は怪獣やロボットが出てきたり、西部に行ったり、地下の世界に行ったりと結構やりたい放題な感じもありましたが、それがまたモモの魅力を引き立てていて、一段と楽しかったです。

 モモの使う魔法は子供が大人になるという魔法です。モモは魔法で大人に変身してあらゆる職業のプロフェッショナルになることが出来ます。
 でも考えてみるとこれって実はモモだけの魔法ではありません。どんな子供もたった一度だけ、モモと同じ、大人になるという魔法を使うことが出来るんです。
 大人になったらなにになりたい? 誰でも一度は子供の頃にこういう問いを投げかけられた経験があるんじゃないでしょうか? 私の幼稚園の時の卒園アルバムにもそういうページがあって、みんなそれぞれにいろいろな夢を載せていました。
 因みに私のスペースには“コックさん”なんて書いてありました。どうも今は全然違う方向に行っちゃってますけど、コックさんなら今からでもその気になればなれるかしらん? 当時、私を好きだった女の子のスペースには“お花屋さん”なんて書いてありました。
 大きくなったらなんになる? これって子供にとっては最大の夢なのかも知れませんね。そして子供が大人になるってこと自体が一種の魔法であるかのようにも思えてきます。
 子供という存在は可能性に溢れた存在なんですよね。子供はどんな夢でも見ることが出来ます。しかし年を重ねるにつれて人間は一つずつ夢を諦めていかなくてはならない……、とはよく言われることです。夢の世界で生きていられた子供時代から現実に直面せざるを得ない大人に変わっていく……。
 また現代の子供たちはそんな大人の姿を見て、自分の夢にも疑問を持ち始める……。
 親たちはいい学校へ行っていい会社に入れと子供の尻を叩きます。いい会社と言われても漠然としていますが、つまりはサラリーマン、どんな仕事がしたいか、ではなくいい会社に入ってしまえば取り合えずは安泰、という発想で会社を選ぶことを母親たちは期待します。
 私はサラリーマンってどんな仕事をしてるのかよく知りませんが、でもサラリーマンって仕事は“夢”という言葉とはイマイチ繋がらないような気がします。
 現代の社会はある意味で希望に溢れた社会です。昔は家の仕事を継ぐというのが当たり前で職業選択の自由なんて殆どなかったでしょうし、あっても限られていましたが、現代は誰でもどんな人でもどんな職業でも目指すことが出来ます。勿論、家庭の事情とか才能などで制限されることはありますが、職業選択という点では昔に比べると格段に自由度が高い時代です。
 しかしそれだからこそ自分のやりたいことが見つからない、自分が何をやりたいのか判らないという人も増えているのかも知れません。昔なら自分の目の前に道ははっきりと敷かれていたものが、今は複数の道の中から自分で道を選ばなくてはなりません。そしてどの道を選んだらいいのか判らないままに漠然と高校に入り、大学に入って就職していく……。
 また夢を持って追いかけている人でも、自分の能力の限界に気付かされることもまた多いのだと思います。どんな仕事でも目指すことは出来ても誰でもがその夢を叶えられる訳ではありません。職業によっても違いますが、成功するのは一握りの才能と幸運に恵まれた人のみ、ということは多々あります。
 でも夢というのは勿論、叶えばそれに越したことはありませんが、叶える為というよりも追いかける為にあるものじゃないかという気がします。
 ミンキーモモはそんな夢を持てない人や夢を諦めてしまった人々に、もう一度夢や希望を取り戻して欲しいと、そんなメッセージの込められた作品だったのかも知れません。


 様々な姿に変身して様々な事件を解決してきたモモですが、やがてモモにも試練の時が訪れます。実質的な最終回と言ってもいい第46話に至る一連のストーリーは大変ショッキングなものでした。この展開があったからこそ今もミンキーモモという作品がより強く私の心に焼き付けられる結果になったと言ってもよいでしょう。
 第43話『いつか王子さまが』で普通の女の子としての恋を経験して、しかし夢の国のプリンセスであるがために諦めなくてはならなかったモモ、第44話でのペットショップのママさんへの受胎告知、と続いて第45話ではグルメポッポのドリームエネルギーが切れてしまい、大切な魔法のペンダントも拳銃で撃たれて粉々になってしまいます。そして……。
 あのまま普通にストーリーが続いて、王冠に全ての宝石がはまり、フェナリナーサが地上に降りてくるというような話になっていたとしたら、あまりにも当たり前のハッピーエンドになってしまって、作品としての印象度は薄くなっていたでしょう。少なくともこれほど思い入れの持って思い起こす作品にはならなかったかも知れません。
 自分の夢が見たいとフェナリナーサのパパとママに告げるモモ、夢は自分が見る物で決して人から与えられるものじゃないのだと……。
 赤ん坊になったモモはいつの日かきっと来るであろう地上にフェナリナーサが降りてくる日の光景を夢に見る事になります。
 生まれ変わったモモの夢は無限の可能性に溢れています。そしてそれは全ての人間が持つことの出来る夢でもあるんですよね。
 夢と現実、それはある意味で対立するものなのかも知れませんが、現実があるから夢を持つことも出来るんですよね。そして夢は自分で見つけて自分で追いかけていかなくてはいけないものだと、モモ自身が気付き、魔法の力ではなく自分の力で自分の夢を見ようと決意する……。
 モモ自身地上に来てから、いろいろな夢を持った人と出会い、また夢を諦めかけていた人に夢を思い出させる過程で得た、自分も自分の夢を持ちたいとそれがモモ自身の夢になっていったのかも知れません。

 そして『魔法のプリンセスミンキーモモ』という作品もまた、私にとってはファンタジーの形を借りて、もう一つの夢を見せてくれた作品だったような気がします。

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