デビルマン

作 永井豪

 このマンガ、小学校の頃、クラスで大変流行っていました。アニメ版はアニメ版で放送されていましたが、永井豪が少年マガジンに連載していた原作はアニメとは全然違ったストーリーでしたし、かなりショッキングな内容だったのが原因でしょう。
 それで私も他の連中に影響されまして、読むことになりました。マンガの単行本ってそれまで殆ど買ったことがなかったのですが、たぶん『デビルマン』は私が自分で買った最初のマンガ単行本だったと思います。
 これは子供心には怖いマンガでした。悪魔が復活して人間から地球を奪いかえそうとする……。アニメの方ではデビルマンというヒーローがデーモン族という人類の敵と戦ってかっこよくやっつける、というイメージの方が強くて“かっこいい”はあっても“怖い”なんてイメージはなかったと思います。

 原作の方ではデーモンという言葉に“悪魔”という漢字が当てられています。デーモンというのは悪魔のことだというのは知識としては知ってはいましたが、言葉の持つイメージとしては実感の湧く言葉ではありませんでした。ショッカーやダーク、ギャラクターなどと同じような悪の組織、ヒーローの敵になる存在の取り合えずの名称という認識しか抱けませんでした。
 しかし原作で使われるこの“悪魔”という言葉はデーモンという耳に馴染みのない言葉とは違うもっと具体的な恐ろしいイメージを感じさせる言葉でした。

 アニメ版にはいない飛鳥了というキャラも原作の不気味な印象に花を添えていたでしょうか……。なにしろこいつ暗いもんね。ま、明を地獄へ招待するなんて役割で出て来たキャラですから、あのくらいで当然なんでしょうけど。
 合体能力を持った為に千差万別の姿や能力を持った悪魔という種族、という設定もよく考えると荒唐無稽ですけど、当時の私はなんだかすごく斬新で説得力に満ちた設定に感じました。現実的に考えると荒唐無稽でも物語の中では説得力を感じてさせられてしまう設定というのはSFやファンタジーを書く上では大事なことですよね。
 そしてこの設定がかなりうまく物語にはまっているんですよね。世界の神話伝説に残る悪魔という種族をひとくくりに説明出来る、そして千差万別の異様な姿異様な能力を持っているという点の理由付けにもなっています。また明がデビルマンになる為にも欠かせない設定だった訳です。

 人類から地球を取り戻す為に氷の世界から悪魔たちが復活するという神話的な設定。悪魔と合体し、次第に狂暴さを増していく了の父のエピソード。
 登場する悪魔、そしてデビルマンとなった明自身もアニメとは違った野獣を思わせるような恐ろしい姿をしています。

 二巻の妖鳥死麗濡編では単行本一冊まるまる使って明とシレーヌの壮絶な死闘が描かれます。腕はちぎれるはシレーヌの羽はもぐは、残酷描写バリバリでしたが、でもあの描写は陰湿はなかったですし、“怖い”という感じはあまりなかったように思います。
 しかもシレーヌってのは美しいんですよね。頭の羽や鋭い爪などの要素を除けば基本型は裸身の美しい女性の……。で、少しだけ股間にだけ毛が生えてるのがなんとも……。(^_^;) 因みにテレビ版では胸まで毛に覆われていてがっかりでした。(おいおい)

 三巻の魔獣人面編、さっちゃんのエピソードもショックなエピソードでした。明の可愛がってた可愛い女の子として登場したさっちゃんが、死の恐怖をそのまま残したまま人面の甲羅に刻印されてしまう。そして無抵抗になった明に「おにいちゃんこいつを殺して! 私は死人よ!」と叫ぶさっちゃん、そして目を閉じて拳で人面の甲羅に貫き通す明……。戦いの後、その場にたたずむ明の姿は印象的です。

 しかしかなりきついエピソードもありましたが、ここらへんまでは一応はデビルマンとなったヒーローとしての不動明の活躍が描かれていて、まだテレビ版との共通性もまだ確保されていたと言ってもよいと思います。

 この後、ストーリーはススムくんのエピソードから読者に語りかける不動明、体が変化した女学生のエピソード、化けて死ぬ奇病、と不気味さを増し一気にストーリーは佳境に入っていき、この辺りから一気にアニメ版とは全く一線を画した展開になっていきました。そして大魔王ゼノンの出現と人類に対する宣戦布告により、第一の山場を迎えます。
 悪魔が人類の前に姿を現し、公然と宣戦を布告する。そしてそれは人間たちの根源的な恐怖を呼び覚まし、人類を破滅に導くシナリオの幕開けでした。

 悪魔との戦争、その後の悪魔狩り、と一気に物語は核心に迫っていきます。人間たちは悪魔の正体を解明すべく必死の努力を重ねた結果、とんでもない結論を導き出してしまい、十六世紀の魔女狩りの時代を凌ぐ暗黒時代を迎えます。

 飛鳥了による明の正体の暴露、そして悪魔狩り本部襲撃、と、並行して語られる牧村美樹の死。

『外道!! 貴様らこそ悪魔だ!!』
 叫ぶ明の絶叫は悲しみに満ちています。人間は恐怖に弱い。それは確かに真理なんですよね。自分の身に置き換えてみればよく判ります。恐怖に直面した時、自分はどんな態度を取るだろう、他の人間のことなど省みずになんとしても自分だけは生き残ろうとするのではないだろうか? そういう自分自身の醜さ、弱さを目の前に突きつけられているような恐ろしさを感じさせられます。
『これが俺が身を捨ててまで守ろうとした人間の正体か!!』
叫んで怒りに身を任せて人間たちを殺してしまう明。彼の心には絶望だけが残されます。しかしたった一つだけ光明を見出すんですね。美樹。この時初めて彼は自分の心の中でいつの間にか芽生えていた美樹を大切に思う感情に気付いたのかも知れません。
 しかし時既に遅く……。

 牧村美樹なんてキャラはそれまでの私の常識では絶対に死ぬ筈のないキャラでした。その美樹が暴徒となった群集に惨殺されてしまう……。仮にも物語の中でヒロインと位置付けられる女の子があんな殺され方をしてしまう……。恐怖に震えながら狂った群集により、体を切り刻まれてしまう……。
 首だけになった美樹を抱きしめてサタンとの決着を心に誓う明。これは人類を滅びに導いたサタンへの復讐の気持ちというよりも、愛する美樹を死においやったことに対する個人的な恨みだったのかも知れません。

 大魔神サタンの愛憎、飛鳥了の正体については永井豪自身はそのように考えてはいなかったという話も聞きました。それでいてしっかりはまってるんですよね。ここらへん作家の潜在意識とでも言いましょうか、なにげなく思い付いて書いたものが後になっていつの間にか物語の伏線になっていたり……、こういう経験って私にもあります。私の書いたものなんて大したことはないですけど、それでも作家の持つ潜在意識の不思議さってのは理解出来るつもりです。

 神である筈のサタンが唯の人間でしかない明に恋愛感情を抱いてしまう、というのもちょっとぶっとんだ設定ですよね。“神”という存在を作者自身がどのようなイメージで考えていたのか、それはちょっと判りにくいんですが、自分の失敗作を恥じて悪魔を滅ぼそうとした点を見ても、かなり人間的な面も持った存在だったのでしょう。
 滅び行く人類、そして最終戦争。上半身だけになった明と語り合うサタン。勇者アモンを犠牲にしてまで不動明が新世界で生き延びることを願ったサタン。しかし結局、最後まで片恋のまま終わってしまったサタンの想い。もし美樹がいなければ、その想いは成就していた可能性もあったのでしょうか……。


 私自身、この作品には大きな影響を受けましたし、大変印象に残る作品でもありました。この作品は永井豪の作品の中でも最高傑作と位置付けてもいい作品だと私は思ってますし、日本のSF史上に残る作品でもあると思います。


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