お相撲ファンタジー小説

魔法のお相撲さんミンキーネム


第一章 ミンキーネムデビューの巻



1、ネムの旅立ち


「ひがぁ〜し〜、たに〜か〜ぜ〜。にぃ〜し〜、ふたば〜や〜ま〜〜。」
 呼び出しの声に合せて、東西から二人の堂々たる力士が土俵に上がってきま
した。片や江戸時代の大横綱谷風梶之助。片や、昭和の大横綱69連勝の双葉
山定次。お相撲ファンなら誰もが一度は見てみたいと夢見るであろう、別の時
代に生きた大横綱同士の、夢の対決がここでは行なわれているのでした。
 土俵の周りにも雷電、梅ヶ谷、常陸山、太刀山などのそうそうたる歴代の大
横綱、名力士が並んでいます。
 ここは神々が住むと言い伝えられる天空の都アスガルト。そのアスガルトの
中にある地上で英雄と認められた者たちが、死後、戦いの乙女ワルキューレに
よって運ばれると伝えられる伝説の園ワルハラです。
 今、夢の対戦が行われているのはそのワルハラの中に歴代大相撲界で英雄と
認められた大横綱、名力士たちが集う一画なのです。
 ここでは毎日、力士たちが相撲を取ったり、ちゃんこをつついて談笑したり
して、楽しく暮らしていました。

 土俵上の対決は2分を越える熱戦の末、上手投げで谷風が勝ち、二人の通算
成績は谷風の256勝248敗になりました。土俵下では力士たちがやんやの
喝采です。
「御両人ともお見事です。」
 力士たちにまじって熱戦を観戦していた、金髪碧眼の堂々たる体格した人物
が両横綱に拍手を送りながら声をかけました。
「力の入ったいい勝負でした。流石は地上界でそれぞれの時代に名を成した名
横綱だけのことはありますね。」
「これはこれは雷神トール殿。お言葉痛み入ります。」
 谷風が礼儀正しく言葉を返しました。その人こそアスガルトの主神オーディ
ンの息子、アスガルトでも英雄として名高い雷神トールだったのです。
 トールはシコ名の似ている雷電などと仲がよく、よく相撲観戦に訪れるので
す。また、自身武芸百般に通じていることもあり、東洋の格闘技“SUMO”
に対しても並々ならぬ関心を持っていたのでした。
 今ではアスガルトの神々の中でも一番の相撲通です。マワシをつけるのが恥
かしいという理由から自分では相撲を取ることはありませんが、相撲に関する
知識はかなりのものです。
「トール殿どうぞこちらへ、一杯やりましょうや。」
 トールと仲のよい雷電が声を掛けました。相手が“神”ということで、他の
力士は多少遠慮勝ちなところもあるのですが、雷電はトールとは殆ど親友とい
う間柄であるため、言葉使いもざっくばらんです。
「これはどうも。」
 英雄の常、トールもお酒には目がない方だったので、雷電の杯を快く受けま
した。

「時にトール殿。息子さんのネムくんはお元気ですか?」
「はぁ、ネムですか。おかげさまで。」
 ネムというのはトールの一人息子でかわいい男の子です。ネムの話になると
いつもは厳しい顔つきを崩さないトールも思わず表情が弛みます。
 それはいいのですが、アスガルトでは豪傑として通っている雷神トールも一
人息子ということもあり、ネムに対しては甘い父親で、思い切り甘やかして育
ててしまいました。
 その結果ネムはあまえんぼで、わがままで、泣き虫で、その他色々で、子供
のままならそれでもかわいいで通るのですが、このまま大人になったら、ろく
な奴にはならんだろうとアスガルトの神々の間でも噂されているようなろくで
もない子供に育っていたのでした。
 この点はトールとしても気になっているところで、なんとかしっかりした子
供になって欲しいと思ってはいるのですが、ついついネムの顔を見ると甘い父
親になってしまうのです。
「私も雷神としての仕事がありますので、なかなか家には帰れませんし、妻も
一人息子を大層可愛がって、甘やかしてしまってます。このままでは私の後を
継がせるには不安なのですが、どうしてもネムの顔を見ると可愛くて仕方なく
なってしまうのです。」
 トールは目に憂いを湛えて言いました。
「なるほど。確かに一人息子はかわいいものですからな。」
 雷電はそう言葉を返すと暫く考え込んだ後、ぽんと手を叩いて言いました。
「それならいっそ地上の相撲部屋にでも入門させてみてはどうでしょう?」
「え? 相撲部屋に?」
「そうですよ。可愛い子には旅をさせろという諺もありますし、相撲部屋なら
厳しい稽古もありますから、鍛練させるならもってこいですよ。」
「ふーむ。なるほど。」
 トールは考えこみました。一人息子を手放すにはしのびないのですが、かと
いってこのままではろくな大人にならないことは目に見えてます。雷電の提案
は最初、突拍子のないもののようにも思われましたが、これはもしかすると妙
案かも知れない、一度ネムも親元から離れて苦労させてみるのもいいかも知れ
ない、とトールは思い始めたのでした。

 さて、お家に帰ったトールさん。早速妻と息子にその話をしてみました。
「わぁ、お相撲さん?」
 ネムは目を輝かせて言いました。ネムも父に連れられて、何度かワルハラの
お相撲さんたちを見に行ったことがありますし、遊び仲間のエルフたちと相撲
を取ったりして、お相撲は大好きなのでした。
 しかし目の中に入れても痛くない程、ネムくんを可愛がっている、妻のシフ
は案の定反対しました。
「冗談じゃありませんよ! ネムを相撲取りにだなんて……。あんなお尻丸出
しの恥かしい格好して、ぶくぶく太って、女の子みたく髪を結って……。みっ
ともないったらありゃしない!」
「いや、それはお前の偏見だよ。ワルハラの力士たちを見てみるがいい。皆、
堂々としていて、礼儀正しいし、なにより相撲には礼を重んじるという伝統が
あるので、決して野蛮な競技でもないんだ。」
「駄目と言ったら駄目です!大体、ネムはまだ子供ですよ! 相撲取りになん
かなれる訳ないじゃないですか!」
「その点なら大丈夫。」
 そう言うとトールは懐からペンダントを取り出しました。ペンダントの先に
は相撲の軍配のような飾りがついています。
「これは帰りにちょっと黒小人のところに寄って作って貰った魔法のペンダン
トなんだが、これを天にかざして“ピピルマ、ピピルマ、ハッケヨ〜イ”と唱
えると力士に変身することが出来るという代物なのさ。」
 トールは自慢気に言いました。それを聞いて
「へえぇ、じゃ、どんな力士にでもなれるの?」
 それまで黙ってトールとシフのやり取りを聞いていたネムが目を輝かせて訊
ねました。
「なれるとも。黒小人のところへ行って調整してもらえば、好みの体形の力士
に変身することが出来るようになる。」
「じゃ、僕、貴乃花みたいな力士がいいなぁ。」
 貴乃花といえば、甘いマスクとスラッとした体形で力いっぱいの相撲を取り、
歴代の関取の中でも人気の点では随一だった名大関です。そんな力士になれた
ら絶対女の子にもてるぞぉぉ、とネムはわくわくしていたのでありました。
「勿論なれるとも。明日にでも黒小人のところへ行って調整して貰ってこよう。
どうだネム、相撲取りになってみるか?」
「うん、なるなる!」
 ネムくんはすっかりその気です。
「いけません! 大体ネムみたいな甘えんぼが相撲取りなんかになっても、長
続きするはずがありません!」
 母親のシフはまだ強硬に反対しています。しかし当のネムは乗り気ですし、
トールの懸命の説得で、彼女としてもしぶしぶながら承知せざるを得ませんで
した。

 いよいよ、出発の日。両親やワルハラの力士たち、それに遊び友達のエルフ
たちに見送られて、流石のネムも少々気後れしてしまいました。父から話を聞
いた時はわくわくしてしまったのですが、やはり今までとは全然違った世界に
たった一人で飛び込んで行く訳ですし、不安が心の中に広がるのはどうしよう
もありません。しかし、既に地上でのネムの受入れ準備も整っておりますし、
今更後へは引けません。
 母のシフは未練を断ち難い様子で、出発準備を整えたネムに、「体には気を
つけるんだよ。」とか「親方の言うことをよく聞いて頑張りなさい。」とか、
頻りに気遣う言葉をかけています。
「大丈夫だよ。自分で決めたことだもん。きっと立派な力士になって帰ってき
ます。」
 ネムは母親を励ますように言いました。けれどこの台詞は本当は自分で自分
を励まそうとして言った言葉だったのかも知れません。

 ビフロストの橋(虹の橋)の入口に立ったネムは大きく深呼吸をしました。
そして見送りのみんなを振り返ると
「それじゃ、行ってきまーす!」
と、大声で元気よく挨拶をすると、威勢よくビフロストの橋に飛び乗り、あた
かもすべり台をすべるようにして、地上へと出発したのでした。


2、ネムくんの初土俵 「“眠希眠”? これがシコ名なん? なんて読むの?」 「えっとね、“ミンキーネム”って読むんだよ。」  ネムはおかみさんのアッコさんに得意そうに言いました。  ネムが入門することになったのは“八十通部屋(ぱそつうべや)”という相 撲部屋でした。実はこの部屋のおかみさんのアッコさんという人は、愛と美の 女神フレイヤの妹さんだったのです。  なぜ、女神の妹ともあろうお方が相撲部屋のおかみさんになっているのかと 言いますと、この人はその昔、ネムと同じように地上に修業にきていたのです が、その時、現、八十通親方の元関脇二九の花(にくのはな)関と恋に落ちて しまい、地上で結婚して相撲部屋のおかみさんにおさまってしまったという変 わった経歴の持主なのです。  そのこともあって、ネムが相撲取りになる、という話が持ち上がった時から、 入門する部屋はここがよいだろうと決まっていたのでした。 「ミンキーネム?」  おかみさんは目を丸くして聞き返しました。これって本当にお相撲さんのシ コ名なんだろうか……。 「悪いとは言わないけど……、でももう少しお相撲さんらしいシコ名にした方 がいいんじゃない? こんな変なシコ名じゃ……。」 「いいじゃない、僕が気にいってるんだから。」  おかみさんが難色を示している様子にネムは少し拗ねたような表情で言いま した。 「でもこのシコ名、ちょっとまずいよ。部屋のイメージにも関わるし……。親 方がロリコンだとか二次コンだとかって誤解を受けたら困るでしょう?」 「やだい、やだい、この名前がいいんだい!」  ネムくんはだだをこねるように言いました。おかみさんとしても困ってしま ったのですが、仮にも相手は雷神トールの一人息子です。姉のフレイヤからも くれぐれもよろしくと頼まれている手前もあり、あまり邪険に扱う訳にも行き ません。 「それ程までに言うなら……。」  しぶしぶながらもおかみさんはこのシコ名で承知せざるを得ませんでした。 「シコ名も決ったことだし、稽古場に行ってみる?」 「うん、じゃ、お相撲さんスタイルに変身します。」  そういうとネムは首からぶらさげた、魔法の軍配ペンダントを取り出しまし た。 「ピピルマ、ピピルマ、ハッケヨ〜〜〜イ・・・アダルトタッチで、ミンキー ネムにな〜れ!」  ネムが呪文を唱えると、七色の光がきらきらと軍配から溢れ出してネムの体 を包み込みました。光の中でネムの体が次第に大きくなって行きます。暫くし て光が消えるとネムはお相撲さんとしてはスリムな体形で、綺麗な顔だちをし た力士に見事に変身していました。  ミンキーネムの体形は歴代関取の中でも人気No1と言われている貴乃花の 体形と甘いマスクがモデルになってます。またネムの母親はアスガルトでも愛 と美の女神フレイヤ、大神オーディンの妻フリッグに次ぐ美しい女神として評 判の高い女神です。どちらかというとお母さん似のネムはもともと美しい顔だ ちをしており、それが貴乃花型にプラスされている訳で、ミンキーネムは殆ど 絶世の美男力士と言っても過言ではない程の美しいお相撲さんとなりました。  おかみさんもミンキーネムの姿を見て思わずごくりと唾を呑み込みました。 『う〜ん、かっこだけやったら、人気力士の素質十分やね。女の子がほっとか んやろな。でも中身がそれについて行くかどうか……。』  おかみさんはミンキーネムを見ながら思案しました。アッコさんとしても、 “あまえんぼでわがままで根性なしでどうしようもないやつ” というネムのアスガルトでの評判は、時々姉のフレイヤなどからくる便りで知 っていましたし、見掛けだけは人気力士の素質は十分でも内容がそれに伴うか どうか一抹の不安を拭い切れないのでありました。  しかももともとネムの相撲部屋への入門はネムの性格を叩き直す為というこ とだったにも拘らず、ネムの初土俵の地位は“幕内付け出し”という最初から 日の当る地位になっています。本来なら前相撲から取らせるべきなのですが、 例によって甘い父親のトールはそれではかわいそうだ、などと言い出しまして、 “幕内付け出し”などというあんまり聞いたことのないような地位をネムの為 に要求してきたのでした。 『アスガルトきっての豪傑と言われている、雷神トールともあろうお方が……。 でもこの子がどんな風に成長していくか楽しみではあるけどね。』  いよいよ、ネムの初土俵の日がやってきました。真新しいマワシを締めてネ ムは御機嫌です。初日の対戦相手は幕内最年長力士の三子山部屋(みつごやま べや)の貴一気(たかいっき)。  かつては大関まで後一歩のところまで行った実力派なのですが、やはり寄る 年波には勝てず、最近は幕内下位あたりにやっとの思いで踏みとどまり、なん とか十両落ちを免れているという力士です。 『この相手なら軽い軽い。なんせ僕は大関の実力があるんだもんね。』  ネムの体格、筋力その他は大関貴乃花の全盛期と同等に設定されている訳で すし、アスガルトでも遊び仲間のエルフ達と取った相撲では殆ど負けたことが ありません。ネムは既に相手を呑んでかかってます。  幕内力士の土俵入りに引き続き、横綱千夜の富士、象乃国の土俵入りも終り、 いよいよネムの出番がやってきました。幕内付け出しのネムは今日は幕では一 番最初に相撲を取るのです。  東方から貴一気が土俵に上がってきました。ネムは大きく深呼吸をして、西 の土俵にあがりました。大勢のお客さんの見ている前で、憧れの幕内の土俵に あがるということで、ネムはいささか興奮気味で、顔面が紅潮しています。 「ねむちゃ〜〜ん!」  時々、お相撲ギャルさんの声援が飛んできます。貴一気も小柄ではあります が、年を思わせない元気のいい相撲を取り、館内を沸かせる人気力士なのです が、今日ばかりは絶世の二枚目、眠希眠に声援が集ってしまって、貴一気には ねむちゃん人気にやっかみ半分のおじさんの声援しか飛んでこないようです。  いよいよ制限時間一杯になりました。貴一気は土俵に手をついて鋭い目つき でネムを睨みつけています。一方のネムも相手をなめてかかっているため、臆 した風もなく、貴一気を睨み返しました。 「見あって、見あって! はっけよ〜〜〜い!」  行事の声が掛かりました。ネムは両手をついて構えました。  ネムの今日の作戦はもう決まってました。アスガルトでエルフを相手に相撲 を取っていた頃得意にしていた、“空中二段上手投げ”という技を決めて華麗 にデビュー戦を飾ろうと考えていたのです。 「のこった〜〜〜〜!!!」  貴一気は勢いよく、突っ込んできました。ネムは少し変わり気味に立ち、左 の上手を狙います。空中二段上手投げを決める為にはとにもかくにも左上手を 取ることが必須です。 『しめた!』  ネムの左手が貴一気の上手にかかりました。ネムは一気に貴一気を空中に投 げあげようとしました。しかし……、全然持ち上がりません……。  そもそも空中二段上手投げなどという技は身の軽いエルフを相手にしていた からこそ可能な技であった訳で、地上の相撲界で通用するような技ではなかっ たのです。現に地上の相撲界でそのような技を使った力士は史上誰もおりませ ん。  しかし世間知らずのネムはそんなことは全然知りませんでした。しかもエル フたちは雷神トールの息子であるネムに対する遠慮もあり、またネムは負ける とすぐにいじけて拗ねてしまうという厄介な性格をしていた為、いつもわざと 負けてくれていたんですね。そんなこともネムは全然知らずにいたのでした。  いつものようにうまく技が掛からない為、焦り気味になってネムが態勢を崩 したところを老練な貴一気は見逃さず、すかさず上手を切ると一気に寄って行 き、あっと言う間にネムを土俵の外へ弾き飛ばしてしまいました。  ネムは呆然と土俵の上を見上げていました。土俵上では貴一気が勝ち誇った ように悠然とたたずんでいます。  ネムはしょんぼりと花道を引き上げて行きました。鮮やかに初戦を白星で飾 って脚光を浴び、あたかもあっという間に大関、横綱に上がれるようなつもり でいた、ネムの目算は初日から早くもつまづいてしまったのです。ネムは幕内 力士の華やかな活躍のみに目を奪われていて、相撲の世界の本当に厳しさなど 何も判ってはいなかったのです。  二日目も三日目も黒星が続きました。  ネムが貴乃花タイプの体形を選んだのも失敗の原因だったようです。貴乃花 という力士はその持ち前の根性と努力で体格の不利を克服して、大関にまで昇 りつめ、人気力士となった人です。それをネムのような根性無しが、女の子に もてる人気力士だった、という理由だけで、その外見だけを真似しても勝てる 筈がなかったのです。  結果……、ネムは連敗を重ね、見事、中日負け越しを決めてしまったのでし た。(うーん、哀れな奴・・・(^^;)
3、ネムくんの初白星  ヒラヒラと白い小さな翼をはためかせて、青い空を小鳥のようなものが飛ん でいます。いや、よく見ると小鳥ではありません。翼は鳥のようですが、姿は 人間の女の子にそっくりです。 「えっと・・・」  彼女は空中で静止すると手をかざして地上を眺めました。 「確かこの辺のはずなんだけどなー。」  ごちゃごちゃと家が立ち並んでいる為、地上にあまり来たことのない彼女は 目指す場所がどこだか判らず、途方に暮れているようです。暫く空中から地上 の様子を眺めていましたが、やがて目的の場所を見つけたらしく、 「あ、あれかな?」 と、呟くと彼女はスィーッと空中滑るように降りて行きました。その建物には 八十通部屋と看板がかかってます。 「うん、ここだ、ここだ。確か八十通部屋って言ってたもん。ネムくんはここ にいる筈……。」 と、その時……。 「アホかあんたは!いい加減にしときや!」  建物の中から、女の人の怒鳴り声が聞えてきました。恐る恐る中を覗いて見 ると、髪の長い美しい女の人が男の子を睨みつけています。男の子はしゅんと なって今にも泣き出しそうな表情です。 「あ、あの女の人、確かフレイヤ様の妹さんだ。それにあの男の子ネムくんじ ゃないの。」  そう確認すると、彼女はちょうど開いていた窓から部屋の中に入って行きま した。 「あのう、お取り込み中失礼ですが……。」 「へ?」  彼女が声を掛けると、二人は同時に振り向きました。 「あら、ワルキューレじゃないの? あんた。」 「はい、私は地上のネムくんの様子を見てくるようにとトール様に言われまし て、お伺いしました、ワルキューレのユナと申します。」  ユナは気取って挨拶をしました。しかし愛と美の女神フレイヤの妹アッコさ んの前ということもあっていささか緊張気味なところもあるようです。  彼女はまだ少女である為、ワルキューレの本来の仕事である、地上の英雄を 迎えに降りるということは出来ませんでしたが、時々、雷神トールの使い走り などをしているのでした。トールの息子のネムともアスガルトでは顔見知りで す。  ユナの言葉を聞いてネムはユナの方に駆け寄って言いました。 「ちょうどよかったよ、ユナ。僕はもうお相撲なんかやめることにしたんだ。 アスガルトに帰る!!」 「へ!?」  ユナは唐突にネムがこんなことを言い出した為、目をパチクリさせました。 ユナはトールとシフから、ネムを励まして、横綱を目指して頑張ってくれと言 うように言付かってきたのです。それなのに……、ネムは相撲をやめるなどと 言っています。 「聞いた?ユナちゃん。この子の根性なしには呆れはてるわ。ほんの少し自分 の思う通りに行かんかっただけですぐにこんなことを言い出すねんから……。 アスガルトでの噂は伊達やなかってんな。」  アッコさんが呆れ返ったような表情でユナに言いました。ユナはなんと言っ ていいのか、判らず困惑していました。  実はネムは初日から既に10連敗を喫してしまっており、すっかり相撲に嫌 気がさしてしまっていたのです。 「で、ユナちゃんはトール様になんて言ってことづかって来たん?」 「あ、は、はい……。」  アッコさんに問われてユナは慌てて答えました。 「あのネムくんの様子はどうか見てくるようにと……。トール様もシフ様もネ ムくんの活躍を非常に楽しみにしておられまして、横綱になれる日を楽しみに しておられます……。」 「ふーん、それやったらネムが全然勝てへんで、もう相撲やめて帰るなんて言 ってんのが判ったらさぞかしがっかりしはるやろね。」 「それはもう……、お二人とも楽しみにしておられますから……。」 「どないや。聞いたか、根性なし。あんたがこんなことくらい我慢できんとア スガルトに帰ったりしたら、お二人はどない思わはるやろね。」  アッコさんはネムを振り返ると思いっきり皮肉をこめた口調で言いました。 それをネムは精一杯の反抗を込めたまなざしで、キッと睨み返しふてくされた ような口調で言いました。 「どうせ僕には相撲は向いてなかったんだよ。もうまっぴらさ、ばかばかしい。 相撲なんて大嫌いさ。こんな野蛮なことやってるより、僕にはもっと繊細な芸 術とかが向いてるんだ。アッコさん、お世話になってどうもです。でも僕がア スガルトに帰ったら覚悟しといた方がいいよ。あんたのことは全部父さんに言 い付けてやる。この僕にそんな暴言を吐いたって聞いたら父さんは黙っていな いよ。」 「甘ったれてたらあかんで!!」  おかみさんがネムを一喝しました。ネムは思わず縮み上がってしまいました。 「あんたはどこまで根性腐ってんねん!! 自分のことしか考えられへんのか いな。私かて、あんたの顔なんて見たないわ! 帰ってくれたら清々するわ!」  おかみさんは鬼のような形相でネムを睨み付けています。 『うーん……。』  ユナは思いました。この人フレイヤ様の妹さんだけあって美貌はなかなかの ものだけど、中身は全然違うのね。おしとやかで女性の鏡と言われているフレ イヤ様とは正反対……。なんて柄が悪いんだろう。  しかもおかみさんは関西で日本語を覚えたらしく、普段は標準語に近い言葉 使いなのですが、怒ると関西弁が出てしまうようです。それが一層柄の悪さを 引き立てていました。 「そやけどな。あんた御両親の気持ちを考えたことがあるか? シフ様は入門 の時大反対やったそうやないか。それを押し切って地上に来たんやろ? それ にトール様も息子が立派にやり遂げるのをどんなに楽しみにしてはるか……。 あんたかて男やろ? ****ぶらさげてるんやろ? 帰るんやったら帰った らええけど、せめて一つ勝ってからにしたらどう? このまま一つも勝てんと 帰ったりしたらいい笑いもんやで。みんなあんたを馬鹿にするやろし、いくら トール様でも呆れ返りはるわ。それにトール様の評判にも傷がつくで。あんた にかてプライドがあるやろ。」  アッコさんの言葉をネムは反抗的な目をして聞いていました。ユナはハラハ ラしながら二人のやり取りを聞いていました。 『なにもそこまで言わなくても……。』 と、何度も言おうとしたのですが、おかみさんの迫力に押されて口にすること が出来ませんでした。 「判りましたよ。勝てばいいんでしょ? 勝てば……。だけど一つ勝ったら本 当にアスガルトに帰るからね。そしてあんたのことは父さんに言いつけてやる よ!」 「どうぞ、御自由に。あんたが勝てたらの話やけどね。」  おかみさんはすました顔で言いました。  その日からネムはおかみさんに対する憎しみとなんとか見返してやりたい、 という気持ちだけで土俵に立ち、ガムシャラに相撲を取りました。しかし……。 やはり勝てません。そして一つも白星を上げられないまま、いよいよ千秋楽を 迎えました。 「今日の中入り後の放送は正面解説小川山親方、実況担当は吉岡でお送りいた します。さて小川山さん、千秋楽の土俵、幕内最初の取り組みは眠希眠と有品 山の対戦ですが……、小川山さん!?」 「ZZZZZZ・・・・・」 「小川山さんっっ!!」 「・・・・え、はい、あ、失礼致しました。」 「放送中に居眠りしないで下さいよ!」 「申し訳ない……。」 「で、眠希眠と有品山の対戦ですが……。眠希眠は幕内付け出しという異例の デビューを飾ったものの今日までずっと黒星続きですね。一方の新入幕の有品 山は12勝の勝ち星を上げており、殊勲賞、敢闘賞、技能賞の三賞独占が既に 決まっております。」 「そうですね。そもそも眠希眠なんて力士は私は気にいらなかったんですよ。 どこの馬の骨とも知れないのに、顔がいいというだけでいきなり幕内付け出し なんぞでデビューして……。ま、相撲の世界の厳しさを思い知らされたってと こでしょうね。それに引き換え有品山は立派です。まだまだ力強さには欠けま すが、技の切れは見事なものです。将来有望な力士ですね。」 「あれ?小川山さん。今、どこの馬の骨とも知れない、とおっしゃいましたが、 眠希眠は八十通親方の息子さんですよ。」 「あ、そういえばそうでした。でも八十通親方には息子さんなんていましたっ け? なんだか記憶が曖昧なのですが……。」 「そりゃ、今いるんだから昔からいたんじゃないですか? 何故か私も記憶が 曖昧なのですが……、ま、いっか。あ、いよいよ時間一杯ですよ。」 「ネムくん……、大丈夫かしら……。」  ユナは国技館の吊り屋根にぶら下がって土俵上を見降ろしていました。(因 みにユナは妖精みたいなものですので、おかみさんやネムのようなアスガルト にいた人以外の普通の人間には彼女の姿は見えません。)  おかみさんには売り言葉に買い言葉で“勝ってやる”と言ってましたが、そ の後も全然勝てずにかなり落ち込んでいた様子です。おかみさんと喧嘩をした 次の日は凄い気迫で相手にぶつかっていったものの、気迫だけが空回りした形 で自分で墓穴を掘ってしまいました。そして更に連敗を重ねて精神的にもかな り参っていたようです。今朝などは思いっ切り悲壮な顔つきをしていました。  おかみさんはと言えばあれ以来ネムとは口をきこうともしません。今日も椅 子席から土俵を見つめていますが、近寄り難い程の厳しい表情で土俵を見つめ ています。もしこのままネムが一度も勝てないままで終ってしまったら……。  場内からは頻りに新進気鋭の有品山に声援が飛んでいます。最初の内こそお 相撲ギャルの人気の的になったミンキーネムですが、連敗街道を驀進している こともあって、最早、愛想をつかされた様子で、ネムへの声援はどこからも聞 えてきません。 「ネムくん!頑張って!」  ユナは天井から思わず叫んでいました。その声は果たしてネムに届いたでし ょうか……。やがて制限時間が一杯になり土俵上の取り組みが始まりました。  ネムは無我夢中で相手にぶつかって行きました。最早なりふり構っている場 合ではありません。相撲巧者の有品山はひらりと立つと気負いこんで突っ込ん できたネムの突進をかわして突き落とそうとしました。ネムの体が一瞬ぐらり とよろけました。が、ネムは必死に踏ん張って、有品山の懐に飛び込み前マワ シを掴んで頭をつけました。有品山はネムをなめてかかっていたのですが、意 外なしぶとさを見せられて、気を引き締めなおした様子で、ネムと組み合いま した。そのまま30秒、40秒、一分と時間が経過して行きます。  ユナははらはらしながら土俵上の勝負を見つめていました。でも、ネムくん 頑張ってる……、いつものネムくんとは違うわ。  やがて……。  勝負がついた時、ネムは何が何やら訳が判りませんでした。それ程無我夢中 になっていたのです。有品山が辛抱仕切れなくなったのか、強引に前に出てき たのは覚えています。そこをなんとか投げを打って残して……。気がつくと有 品山は土俵上に這いつくばっており、ネムは勝ち名乗りを受けていました。頭 の中は真っ白で全然実感というものが湧いてきません。  ぼお〜っとしたまま勝ち名乗りを受け、ファンの歓声を聞いているうちにじ わじわと嬉しさがこみあげてきました。それは今までネムが経験したことのな いようななんとも言えない感動を伴って胸に迫ってくるのでした。 「ネムくん、おめでとう!」  控えに戻ろうとするネムにユナが声を掛けました。 「本当によく頑張ったわ。」 「ユナ……。僕、僕……、本当に勝ったんだね。」 「そうよ、勝ったのよ。それより……。見て。あそこ。」  ユナが指さした方を見てみるとそこにはおかみさんが座っていました。でも なんだか様子が変です。 「あれ?? もしかすると、おかみさん……、泣いてる??」  ネムは自分の目を疑い、ゴシゴシと目をこすってもう一度見直しました。や はり見間違えではないようです。  信じられない光景でした。でも、確かにあれはおかみさんです。なんだかと っても嬉しそうに涙を持て余しているように泣き笑いしています。 「でもどうしておかみさんが……。」  驚くネムにユナが言いました。 「私もびっくりしちゃったわ。まさかあのえげつないアッコさんがって。でも あの人怒ると物凄いけど、きっとネムに頑張って欲しくて、あんな風に言った んだと思うわ。」 「うん……、そうだね。おかみさんがあんなふうに言ってくれたから、今日や っと勝てたのかも知れない……。」  ユナの言葉を聞いてネムは頷きました。ネムもなんだか涙ぐんでいるようで す。 「ねぇ、ネムくん、やっぱり相撲やめるの?」 「えっ?」 「だって一つ勝ったらやめるっておかみさんに言ってたじゃない。」 「それはそうだけど……、でも……。」  ネムはちょっと戸惑ったようにそう言いました。負け続けていた時には相撲 なんてもういやだと思っていたのですが、今日の勝ち、そしてその感激を味わ って、もっと相撲を続けてみたい、もっと勝てるようになりたい、という気持 ちがネムの心の中に湧きあがっていたのでした。 「おかみさんはどう言うだろう? 僕が相撲を続けたいと言ったら……。」 「そりゃ、怒鳴りつけられるでしょうね。でもその後は笑って許してくれるん じゃないかしら? きっとアッコさんってそういう人だと思うわ。」 「うん、そうだね。今日帰ったらおかみさんに謝って、もっと相撲を続けさせ てくれるように頼んでみるよ。」  ネムは晴れ晴れとした顔をして言いました。ユナはそんなネムを見て、安心 したような笑顔を見せました。 「それじゃ、私はアスガルトに帰るわ。トール様たちにもいい報告が出来そう だし……。ネムくん、頑張ってね。」  そう言ってユナは翼をはためかせて静かに上昇して行き、国技館の窓から外 に出ました。 「一時はどうなるかと思ったけど。アッコさんってやっぱり血は争えないわ。 流石はフレイヤ様の妹さんだけのことはあるわね。あの人がついてれば、ネム くんも心配ないでしょ。」  ユナはこう呟くとアスガルトを目指して暮れ始めた空の彼方に消えて行きま した。                            <つづく>
  初出 1989年4月4日〜4月22日   PC−VAN 大相撲ぱそ通場所   #3−1肩入れさじき席 #2010、#2082、#2146   この小説は上記のボードに掲載されたものに、一部加筆修正を加えたもの   です。

あとがき


 どうも、あとがきです。この小説はもう8年も前になりますが、PC−VA Nの大相撲ぱそ通場所というSIGで12回に渡って連載した小説です。今回、 UPした第一章はその内の最初の三回分に一部加筆修正を加えたもの、という ことになります。  しかし連載当時のぱそ通場所での書き込みや参加してた人のエピソードなど の内輪ネタをいくつか使っており、そういう意味ではこういう場所で公開する のが適当かどうか少々迷ったのですが、このHPは私のプライベートな空間で もあり、この小説も私にとっては大切な作品であるということでUPすること にしました。  それに合わせて加筆修正を加えようと思ったのですが、なかなか一度書き上 げたものに手を入れるというのは難しいものですね。本当はもう少し早くUP 出来るつもりだったんですが、随分ずれこんでしまいました。まだ納得のいか ない部分も残っているのですけど、きりがないのでこのくらいにしてUPする ことにしました。  この小説は北欧神話を設定に使っております。なんでお相撲の話に北欧神話 なんぞを出して来たのかと申しますと、単なる私の趣味です。 で、取りあえず北欧神話についてあまり詳しくない方のために解説をしておき ます。  ワルハラ(本によってはヴァルハラ、バルハラ等と書いてあるものもありま す。)というのは北欧神話の主神オーディンの宮殿の中に、地上の英雄を死後 迎える為に作られた大広間でして、転じて、地上の英雄たちが死後集う場所と いうように解釈されてます。で、それなら大相撲界の英雄がいても別におかし くはないだろうと考えましてこういう設定が出来ました。  ネムの父親に関しましては別に誰でもよかったのですが、雷神トールは北欧 神話中でも最も活躍する神ですのでトールをネムの父親ということで借用しま した。神話中ではトールには別に息子がいたようですが、私の都合で勝手に無 視しました。  ワルキューレというのは『戦いの乙女たち』というように言われている、妖 精みたいなものでして、北欧神話中では戦場で倒れた勇敢な戦士たちをワルハ ラに運んでくるというような役目をしています。  駿足の馬に乗って空を駆けて来る、とか白鳥の姿をしているというように言 われておりますが、今回登場したワルキューレはまだ少女のワルキューレです し、例えていえば、ピーターパンのティンカーベルみたいなのを想像して頂け れば近いと思います。唯、あんなに性格は悪くありませんし、もっとかわいい 感じの女の子を想像して下さい。  あとビフロストの橋というのは虹の橋のことです。  タイトルに関しましてはこれはアニメファンの方なら言わなくとも判ると思 いますが、『魔法のプリンセスミンキーモモ』をもじったものです。最初は “魔法の横綱”としようと思ったのですが、横綱としてしまうとうまい設定が 思いつかなかったので、“お相撲さん”としました。  また文中に“大関貴乃花”という名前が出て来ますが、これは先代の貴乃花、 現在の二子山親方のことで、現横綱の貴乃花ではありません。現横綱の貴乃花 は当時はまだ序二段か三段目くらいで相撲を取っており、四股名も貴花田と名 乗っていました。  しかし貴乃花の四股名を襲名し、紛らわしいこともあり、大関貴乃花の記述 は他の力士に変更することも考えたのですが、適当な力士を思い付かなかった のでこのままにしました。  本文中、小川山親方と吉岡アナウンサーの会話の中でも出てきましたが、ネ ムは地上では一応八十通親方夫妻の息子という名目になっています。その時、 地上の人々の記憶にはアスガルトからの操作で改変を加えられており、その為、 あのような会話となった訳です。この辺りの設定はミンキーモモを参考にして います。  ネムが子供のネムとお相撲さんのミンキーネムという二重生活をしていると いう点につきましては、果たしてその必然性があるのかどうか、作者としまし ても疑問に感じてたりするのですが、後々のストーリー展開の中で、重要な意 味を持ってくる予定です。  うっ、あとがきが随分長くなってしまった・・・。(^_^;)  ではでは読んで下さったみなさん、どうもありがとうございました。続きを お楽しみに。(いつ頃UP出来るかまだ判りませんが……。)                       1997/08/10 眠夢
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