お相撲ファンタジー小説

魔法のお相撲さんミンキーネム


第三章 親子力士の巻



1、親子力士

「よおし、もう一丁!」
 土俵上の力士の大きな声が響きます。三子山部屋の稽古場は活気に溢れてい
ました。場所を前にして力士たちは稽古に余念がありません。稽古場の空気は
力士たちの熱気で充満しています。

 我等が主人公ネムくんは初土俵の場所では1勝14敗と負け越したものの、
十両に落ちた次の場所9勝6敗、その次の場所は10勝5敗と好成績を上げ、
今場所は十両筆頭の位置まで番付を上げてきて張り切っています。今日は部屋
の兄弟子房亜梨州とともに三子山部屋へ出稽古です。
 三子山部屋には大関の貴乃姫(たかのひめ)をはじめ幕内には蘭若(らんわ
か)、幕内最古参の貴一気などの力士もおりますし、十両では貴一気の息子で
関取最年少の若一気が二枚目まで番付を上げてきており、次の場所に史上初の
親子同時幕内力士の期待が掛けられています。
 また同門の花駒部屋の横綱象乃国なども出稽古に来ており、今、最も活気の
ある部屋といわれています。

 初めての場所では気負いと相撲に対する認識の甘さから、惨憺たる成績に終
わってしまったネムも、その後親方やおかみさんの励まし、また部屋の力士た
ちと稽古をしていく中でどうやらネムなりの相撲勘を掴んできたようです。
 そしてそれなりに白星が重なるようになり、相撲を覚えてきたこともあって、
今ネムは相撲を取るのが楽しくて仕方がない状態でした。当然稽古にも熱が入
ります。
 特に番付の近い若一気との稽古となると同じ若手同士ということもあり、一
層熱が入るようです。二人の三番稽古となるとどちらもライバル意識を剥き出
しにして向かっていくため、誰かが止めに入るまで延々と続く有様でした。

「眠希眠もなかなか頑張ってるやないか。」
 息子の若一気と稽古をしているネムを見て、貴一気が房亜梨州に声を掛けま
した。「初土俵でわしと対戦した時は、相撲の取り方なんぞ全然判らんと取っ
てた感じやったけどな。」
「でもまだまだですけどね。」
「いや、あいつは将来大物になるかも知れんで。」
「息子さんも頑張ってるじゃないですか。十九歳になったばかりでもう幕内を
目の前にしてるんですから。」
「ああ、あいつもわしにしたら出来過ぎの息子や。」
 貴一気は目を細めて言いました。やはり息子のことを褒められると嬉しいよ
うです。
「なんにしても若い連中は見ていて気持ちがええなぁ。もうそろそろわしの出
番はなくなるかな。」
「そんなことはないですよ、貴一気さんだって・・・。」
とは言ったものの、房亜梨州としても貴一気の引退が近いんじゃなかろうか?
と、いうのは感じていました。
 ここ数年どうにかこうにかぎりぎりのところで十両落ちを免れていた貴一気
も、先場所の負け越しでこの場所の番付は幕尻までさがっていました。特に先
場所の相撲はこれまでの粘り腰が影を潜め、あっけなく土俵を割るケースが多
かったのです。
「どや、今晩一緒に飲みに行かんか? 眠希眠も一緒に・・。わしの奢りや。」
「わお、流石貴一気さん!太っ腹!」
 お酒に目がない房亜梨州は奢ってくれるという貴一気の言葉に大喜びして、
稽古を終わって一息ついていたネムを呼びに行きました。

「ちょっとネムくん、まずいよぉ。お酒なんて……。私がおかみさんに怒られ
るじゃないの……。」
 ネムの監視役を言い付かっているユナは不平そうに言いました。
「だって、貴一気さんが誘ってくれてるのに断るのは悪いだろ?」
とかなんとか言いつつネムは一度お酒を飲んでみたかったのでした。
「大丈夫、ばれやしないって。もしばれたら貴一気さんに無理矢理誘われたっ
て言えばいいさ。僕だって、変身した時は二十歳なんだからお酒くらい飲んだ
っていいんだい!」
「何、馬鹿言ってるのよ! おかみさんの恐さを知ってるくせに……、あ、ち
ょっと待ちなさいよ! ネムくんってば!」
 ユナが止めるのも聞かずネムはすたすたと房亜梨州について行ってしまいま
した。
「もう、ネムくんったらぁ・・・。どうなっても知らないから!」

 次の朝・・・。
「いてててて・・・・。」
 ネムはズキズキする頭を抱えて、寝どこから這い出してきました。なんだか
胸がむかむかして気持ちが悪い・・・。うーん、うーん。あ、そう言えば、昨
日は貴一気さんに誘われて……。
「あ、ネムくん、起きたの? おかみさんが呼んでるよ。」
 フラフラと起き上がって取り合えず顔を洗っているとユナに声を掛けられま
した。
「え?アッコさんが?何の用だろ?」
「何の用もないもんだわ。おかみさんかんかんよ。」

「こおら!ネムっ!」
 おかみさんの部屋に入った途端ネムは怒鳴りつけられました。
「いててて、ちょっとあんまり怒鳴らないでよ。あ、頭に響く……。」
 ネムは完璧に宿酔いです。
「何を言ってんの。いっちょまえに……。ネム、一体歳いくつや?」
「えっとえっと……、二十歳・・・・・。」
「アホか!」
 ネムはコツンとおかみさんにこづかれました。
「何が二十歳や。ほんまの歳を聞いてるんや。あんたは変身したらそら二十歳
かも知れへんけど、実際は小学生やねんからな。」
「そんなこと言ったって貴一気さんが……。」
「誘われたかて、おかみさんに止められてるからとでも言えばいいやんか。そ
れに……。」
 そういうとアッコさんはユナの方を振り返りました。
「ユナちゃんもユナちゃんや。ネムがお酒飲むなんて言ったら止めんとあかん
やんか! なんの為の監視役や!」
「そ、そんなこと言われたって……。私は止めようとしたんですよ! でもネ
ムくんったら聞かないですもん。それに貴一気さんと房亜梨州さんが無理矢理
引っ張って行ったし……。」
 ユナは慌てて言い訳をしました。やっぱりこっちにとばっちりが来たじゃな
いかぁ!
「なるほど。房亜梨州にも後で釘を刺しとかなあかんやろな。それにしても貴
一気さんにも困ったもんやな。あの人の酒好きは筋金入りやから……。」
「そそ、貴一気さんって凄いんだよ〜。五升もお酒飲んでけろっとした顔して
んだもん。」
「ご、五升?!」
 おかみさんは呆れ果てて聞き返しました。
「貴一気さんも昔から飲んだくれやったけど、五升も飲んではったん? 場所
前やゆうのに……。若い頃はともかく最近はセーブして二升くらいでやめとか
はるって親方は言ってはってんけど……。」
 おかみさんは考えこみました。
「貴一気さんも幕尻まで下がって今、ぎりぎりのとこやからね。それに親子で
同時に幕内になれるかどうかで騒がれてるし……。いろいろ気になってそれで
お酒の量が増えてるんやろか……。」
「そういえば……、なんだか貴一気さん淋しそうだったのよ。豪快に笑ってる
んだけど、時々ふっとね。淋しそうな顔になるの……。」
 ユナが口をはさみました。
「あれ?そうだったっけ?」
「あんたは前後不覚になってたから気がつかなかっただけよ。」
 ユナは軽蔑するようなまなざしをネムに向けて言いました。
「息子さんの話が出たりすると凄く嬉しそうな顔つきになるんだけど、それで
いて目は笑ってないのよ。なんだか遠くを見つめるような目で……。」
「あの人も今場所負け越して十両に落ちるようなことがあったら引退するかも
知れへんって噂もあるし……。若一気の活躍が嬉しい半面……。うちの親方も
引退前は大変やったもん……。それはともかく・・。」
と、いうとおかみさんはネムをもう一度睨み付けました。
「今度、お酒なんぞ飲んだらただでおかんからな!」

「こんにちは。今日、初日の正面実況は吉岡です。解説はおなじみの小川山さ
んです。さて、小川山さん、この場所は色々と話題の豊富な場所ですね。」
「そうですね。横綱千夜の富士の5連覇なるか? また先場所不本意な成績に
終わったもう一人の横綱象乃国の復調がなるかどうか。場所前は毎日、三子山
部屋に通ってなかなか意欲的な稽古をしていたという話です。大関副錦が横綱
への足掛かりを掴めるかどうかということもありますし、上位初挑戦の元学生
横綱の期待の若手、有品山の活躍も見どころです。また、幕内付け出しのデビ
ューで話題になった眠希眠の再入幕なるかどうかも注目ですね。」
「それになんといっても貴一気、若一気の親子ですね。」
「そうです。史上初の親子幕内が果たしてなるかどうかというのはこの場所の
最大の話題といってもいいでしょう。四十歳を目前にしながら、幕で相撲を取
り続けている貴一気も立派ですし、若一気も十両二枚目まで番付を上げてきて
おりますし、久々の十代の幕内力士誕生も夢ではありません。まだ十九歳です
からねぇ。是非とも夢の親子幕内を実現させて欲しいところです。」

 再入幕を目指して、ネムの気持ちは高揚しています。体調も絶好調で眠希眠
は初日から三連勝と好調な滑り出しを見せました。
 対する若一気も持ち前のはつらつとした取り口で若さ漲る相撲を取り……、
三連勝。幕内に一歩一歩確実に近付いていく相撲を取っています。
 しかし……、話題のもう一方の主役である貴一気は初日から三連敗を喫して
しまい、親子幕内には序盤で早くも赤信号がともってしまったのでした。

2、頑張れ!貴一気の巻 「さて、中日の十両最後の一番は全勝で十両の優勝争いのトップを走っている 眠希眠と一敗でそれを追う、若一気の対戦です。これは面白い取り組みになり そうですね。」 「はい、眠希眠は場所前、三子山部屋に出稽古に行っていて、若一気とは闘争 心丸出しの激しい稽古をしていたそうです。年齢も近いですし、若手同士好ラ イバルになって、上を目指して欲しいところですね。」 「先場所、先々場所も対戦があって、一勝一敗ですが、今場所の対戦はどうな るでしょう?」 「やはり相四つですし、どちらが先に左の上手を取るか、それが勝負の鍵とな るでしょう。」 「さて、いよいよ、制限時間一杯です。」  貴一気は通路の奥で息子の対戦を見つめていました。引退という二文字が目 の前にちらつき始めて、若い力士の相撲を見る目にはなにがしかの淋しさは隠 せないようです。  この場所も初日から三連敗……。それも負け方が悪い……。かつての鋭い出 足も、土俵際での粘りも影を潜め、あっけなく土俵を割ってしまいました。自 分でも闘争心が萎えつつあるのを感じます。  なんとか二つは勝って2勝5敗の星でここまで来たものの勝ち越しはかなり 苦しい状態です。 『わしもあの頃は・・・。』  貴一気は自分が若一気と同じ年頃の頃のことを回想していました。19の時 と言えばわしはまだ幕下だったっけな。苦しいこともあったけど、無我夢中で ……。今のかみさんと出会ったのもあの頃だったっけ? 子供が出来てしまっ たものの、幕下の身では妻子を養っていくことなんて出来る訳なくて、関取に なったら結婚しようと約束して……、一年以内に関取になるなんて約束してお きながら結局三年掛かりで、やっと関取に上がって……。彼女にも苦労をかけ たもんだ。その時の子供が今やあの頃のわしと同じ年頃に成長して土俵にあが っているなんて……。わしが歳を取る筈だ。 「はっけよ〜い、のこった〜〜〜!!」  眠希眠と若一気は行事の声とともに鋭く当たりあいました。立ち合いは五分 と五分・・・。両者とも取り口は知り尽くした相手だけに丁々発止の攻防が続 きます。突っ張りあいから、四つに組んでの激しい攻め合い。ネムが前みつを 引きつけて一気に出て行こうとすれば、若一気は投げを打ってなんとか残し、 反撃に転じます。若一気が吊り合いから攻勢に転じようとすれば、ネムも負け じと外掛けで残し、また土俵の中央に戻ってがっぷり組んで相手の隙を伺って います。  どちらもこの相手にだけは負けたくない、という意識が強くそれだけに闘争 心が剥き出しの、好勝負を展開していました。そして二人とも若いだけに相撲 にはまだまだ稚拙な面もありますが、溌剌とした動きで、館内を沸かせます。 勝負は結局1分30秒の熱戦の末、ネムが強引に投げを打とうとして態勢を崩 したところに若一気がつけこんで、一気に寄り切ってしまいました。  貴一気は目を細めて土俵上の勝負を見つめていました。貴一気にも何人も好 敵手がいました。小柄なこともあって、なかなか思うようには勝てませんでし たが、それだけに闘志をあらわにして相手に向かって行ったものです。  あの頃のライバルたち……、土俵上では激しく戦いあいましたが、土俵を離 れるとみんな仲よしで一緒に飲みに出掛けてどんちゃん騒ぎもやりました。貴 一気は同期の中ではどちらかというと関取に上がったのは早い方でしたし、結 婚したのも一番最初でした。みんなが祝ってくれたのも今では懐かしい思い出 です。  その仲間たちも次々と引退したり廃業したりで、今も現役で残っているのは 貴一気唯一人になってしまいました。十両の取り組みが終わり、幕内土俵入り で一番先頭を歩きながら貴一気の胸には一抹の淋しさが拭いきれませんでした。  館内からは、 「たかいっき〜〜!」 と、いう声援も時々飛んできます。しかしその声もやはり若い頃に自分に向け られた声援とは意味あいがかなり違っているように感じられます。この場所勝 ち越せば史上初の親子同時幕内が実現することも、負け越したら貴一気が引退 を覚悟していることもファンはみんなが知っています。  体格には恵まれませんでしたが、闘志と頑健な体だけは誰にも負けないとい う自負がありました。一時は大関候補の最右翼と呼ばれたこともありました。 結局大関には上がれませんでしたが、精一杯頑張ったということで、貴一気は 悔やんではいませんでした。  しかし……、その貴一気にしてこの場所程勝ち越したいと切望したことが過 去あったでしょうか……。関取を目の前にしていた時……、三役を5場所連続 で維持して、大関を目指していた時も勿論、勝ち越しを切望したものですが、 それでも今のこの思いと比べると雲泥の差があるような気がしてなりません。 あの頃は例えその場所負け越したとしてもまだまだ前途洋々たる未来が自分の 前には開けていました。例えその場所は挫折したとしてもその経験を糧にさら に立向かって行くべき未来がありました。  しかし、今度ばかりはそれとは全然意味合いが違います。ここで負け越した ら最早自分には未来はないのです。  土俵入りが終わり、中入り後最初の一番で貴一気は土俵に上がりました。今 日の対戦相手は幕内では貴一気に次いで年長の婆々乃犬。なんとか勝って少し でも星をよくしたいところです。 「ねー、ミキコ。なんでネムくんは来なかったんだろ?」 「なんか忙しいんだって。場所中は色々部屋の用事とかあるんじゃない? よ く知らないけど。」 「ね、ね、それよりさ、タカコ先生今日は彼氏と一緒に来るって言ってたでし ょ? どんな人なのかなぁ。楽しみだわぁ。松田先生と噂されてたけど、松田 先生振らちゃったのかしら?」 「案外、松田先生と一緒に来るのかもよ。」  今日は千秋楽です。ミキコちゃんはネムにマス席の招待券を貰っていたため、 タカコ先生やお友達のセイコちゃんと一緒に今日は国技館までお相撲観戦にお 出掛けです。お相撲部屋のお友達を持ってたらこういう時得だなぁ。マス席な んてとっても高くて滅多に座れるチャンスなんてないもんね。 「あ、見て見て!タカコ先生よ! あれ〜〜っ!タカコ先生子供連れてる〜〜 〜!」 「え?!まさか・・・。」  セイコちゃんの指さした方向を見てみると確かにタカコ先生が幼稚園くらい の男の子と一緒に歩いてきました。 「タカコ先生、結婚なんてしてないよね? もしかして隠し子とか……。」 「そ、そんな……、タカコ先生に限って……。」 「ミキコちゃん、セイコちゃん、お待たせ!」  ミキコちゃんたちの戸惑いとは裏腹にタカコ先生は明るい笑顔を見せて言い ました。 「あ、こんにちは・・・。」  取りあえず、挨拶したものの……、疑惑の色は拭い切れません。 「あのぅ、その子は・・。もしかして先生の子供だったりするんですか?」 セイコちゃんが思い切ってタカコ先生に聞きました。 「えっ?まさか。」  タカコ先生は目を丸くして、くすくす笑いながら答えました。 「この子は甥のシュンくんよ。目下のところ私の彼氏なの。」 「か、彼氏って・・。なーんだ。先生が連れてくるって言ってた彼氏ってこの 子のことだったのかぁ。」 「そうよ。私たちとっても仲よしなの。この間は一緒にお風呂にも入ったし… …、男の人と一緒にお風呂に入るなんて20年ぶりだわ!」  タカコ先生は楽しそうな口調でそんなことを言っています。そりゃあ、男の 人には違いないでしょうけど……。 「おやぶ〜ん。こんな席じゃ、土俵がよく見えませんよ〜。」  マサオが不平そうに言いました。 「うるさいっ!仕方ねーだろ。いちいち文句を言うなっ!」  ユーサクは子分のマサオを怒鳴りつけました。ユーサクは今日はミキコちゃ んがタカコ先生たちと一緒に相撲観戦に来るというのを聞きつけて、自分も国 技館に来ていたのでした。と、言ってもミキコちゃんたちのようにマス席に座 れる筈などなく、朝から並んでやっとのことで当日券の椅子席を手に入れて… …、向う正面の一番後ろ、壁と背中合わせになっての観戦です。  実はミキコちゃんは四人席のマス席の招待券をネムに貰ったものの、弟のア キヒコが用事があって観戦に行けないと言うので、ユーサクも一緒に観戦に行 かないかと誘ってはみたのです。でもユーサクはこういう性格をしております から、ミキコちゃんたちと一緒と言うのが気恥かしいとか、恋敵のネムの招待 券で相撲観戦など出来るか!、とかってことで断ってしまったのでした。しか し、ネムの招待券……。ネムは用事でミキコたちとは一緒に観戦出来ないとい う話だったものの、下手すると抜けがけしてミキコとよろしくやってるんじゃ ないかと、心配になってこうして国技館にやってきたのです。 「ねーねー、タカコ先生は優勝するのは千夜の富士と副錦とどっちだと思いま す?」 「そうねぇ。私としては副錦に優勝させてあげたいところだけど……。場所前 に婚約を発表して張り切ってるし……。」 「うーん、私は千夜の富士を応援しちゃうなー。ねー、ミキコはどう思う?」 「私は……、うーん、そうだなぁ。やっぱり千夜の富士かなぁ。副錦にも優勝 させてあげたいけど……。それよりも先に眠希眠と貴一気の相撲が気になるな ぁ。」  今日はネムは幕で貴一気と対戦することになっているのです。 「あ、そうか。ミキコはネムくんと仲がいいもんね。眠希眠はネムくんのお兄 さんだし、やっぱり気になるんでしょ!」 「そんなんじゃないよぉ。」  ミキコは少し赤くなって言いました。 「セイコちゃん、あんまりからかっちゃいけませんよ。」 「は〜い。」  セイコちゃんはぺろっと舌を出して答えました。 「ところで先生は眠希眠と貴一気とどっち応援するの?」 「そうねぇ。眠希眠はネムくんのお兄さんだし、応援してあげたい気持ちはあ るんだけど、実は貴一気も好きなのよね・・。なんだか優しそうなおじさまっ て感じで素敵じゃない。」 「先生っておじさんが趣味なんですかぁ?」 「ん、別にそういう訳でもないけど・・。それに貴一気は7勝7敗だし……。 今日勝てば、若一気と親子同時幕内だけど、負ければ十両陥落で、引退しちゃ うかも知れないのよね。中日から後の貴一気の頑張りはなんか悲壮感が漂って たもんね。ネムくんには悪いけど今日は貴一気を応援してあげたいな。」 「ひがぁ〜し〜、たか〜いっき〜〜。にぃ〜し〜、みんき〜ね〜〜む〜〜。」  呼び出しの声とともに貴一気と眠希眠が土俵に上がりました。7日目までは 土つかずと好調だったネムも中日若一気に負けてからの四連敗が響いて、今日 までに9勝5敗。十両の優勝戦線からは完全に脱落してしまいました。十両優 勝は12勝を上げている若一気が既に決めています。当然、十両二枚目の若一 気の来場所の新入幕は確実です。 「貴一気さん。明日僕と対戦だけど、7勝7敗なんだよね。僕、どうしたらい いだろう……。」 「どうしたらって?」 「うん、なんだか勝ったら悪いみたいな……。僕はもう勝ち越しを決めてるし、 来場所の再入幕は確実だしさ。」 「まさかネム、貴一気さんに負けてあげようとか思ってるんとちゃうやろね。」 「そうした方がいいんじゃないかなー。」 「アホか! 何を思い上がってるんや。そんなことしたら貴一気さんに余計失 礼になるよ。」 「だって……。」 「そんなことしたって貴一気さんは絶対喜ばへん。そりゃ、勝ち越したいのは やまやまやろけど、同情されて勝たせて貰ったかて嬉しい筈あらへんやんか。 それにネムが全力を出しても、貴一気さんに勝てるかどうかわからんでしょう? 貴一気さんのこと思うんやったらネムは精一杯の相撲を取らなあかん。それが 礼儀とちゃうか?」  ネムは仕切りながら、昨日アッコさんと交わした会話を思い起こしていまし た。確かにアッコさんの言うことはもっともです。唯……、やはりネムには何 か割りきれないような気持ちが残っていました。 「ネムくん、まだ負けてあげようとかって考えてるんでしょ?」 「え?」  最後の塩を取りに行った時、ユナが近寄ってきてネムに声を掛けたのでした。 「うん……、やっぱり判る?」 「判るわよ。ネムくんの態度を見ていたらね。でもだめよ。ちゃんと精一杯の 相撲取らなきゃ・・・。いつだかのちびっこ相撲大会の時だって、ネムくんが 気のない相撲取ったっていうんでユーサクくん、物凄く腹を立ててたでしょ? それと同じよ。ネムくんが気のない相撲を取ったりしたら、貴一気さんにも見 てる人にもすぐに判ってしまうし、貴一気さんは同情されて喜ぶような人じゃ ないわ。それに今日はミキコちゃんやタカコ先生も見に来てるんでしょ?」 「うん、そうだね。やっぱりアッコさんの言うことが本当だよね。判った。勝 っても負けても貴一気さんに恥かしくない相撲を取るよ。やっぱりそうするべ きなんだよね。」  時間一杯。場内の歓声ははいやが上にも盛り上がります。 「見合って見合って。」  行事の声が掛かります。 「思い切って来いよ。遠慮はいらないからな。」  貴一気がネムに囁きました。ネムはそれに応えるかのように闘志を湛えた瞳 で貴一気を睨みつけます。 「はっけよ〜い、のこった〜〜〜〜!!!」  行事の声とともに立ち上がった二人は真正面から激しくぶつかり合いました。 ネムは貴一気の当たりの強さに驚きました。ネムも思いっきり行ったつもりで したが、貴一気の方が気迫が勝っていたようです。貴一気のこの一番に賭ける 気持ちの強さがそのまま乗り移ったような立ち合いでした。  貴一気の押しの強さにたじたじとなりつつなんとか食い下がっていたのです が、やがて我慢しきれなくなり、ネムは引いてしまいました。そこをしめたと ばかりに貴一気が押し込んできてネムは完全に体が浮いてしまいました。  確かにアッコさんやユナに言った“負けてあげた方が……”と言った自分の 言葉は思い上がりだった、と改めてネムは感じていました。貴一気は老いたり と言えども、長い間幕での土俵を努めて来た海千山千の力士です。ネムが全力 を出して戦っても簡単に勝てるような相手ではなかったのです。  とはいうものの、簡単に負けてたまるかとばかりに、ネムは土俵際に追い詰 められながらもなんとか残そうとして回りこもうとしました。俵伝いに回りこ んでなんとか形勢の挽回しようとしたのです。例え負けるにしても貴一気さん に恥ずかしくないような相撲を取らなくちゃ・・、そんな思いで必死に防戦に 努めます。  しかし貴一気も更にとどめを差すべく攻撃の手を緩めません。結局、粘りは したものの凌ぎきれずネムの体は土俵から飛び出してしまいました。  ふと行事の軍配を見ると、なんとネムの側に上がっています。なにかの間違 いじゃないかと、目をごしごしこすってもう一度軍配を見直してみましたが変 わりません。  実は貴一気はネムを土俵際に押し込んだのはいいものの、足がついて行かず、 ネムが土俵を飛び出す前にばったりと土俵に手をついてしまっていたのでした。 「強くなったな。土俵際の粘りは見事やった。」  土俵上に立ち上がった貴一気がさばさばとした表情で、土俵下でぼお〜っと していたネムに右手を差し出してきました。 「貴一気さん・・。」  ネムは貴一気の右腕に掴まりました。ぐいっと力を入れて土俵上にネムを引 っ張りあげます。場内からは二人の健闘を称えるように歓声が湧きあがりまし た。                            <つづく>
  初出 1989年5月27日〜6月3日   PC−VAN 大相撲ぱそ通場所   #3−1肩入れさじき席 #2601、#2636   この小説は上記のボードに掲載されたものに、一部加筆修正を加えたもの   です。

あとがき


 お待たせしました。第三章です。  この第三章の背景をちょっと書いてみますと、ボードでの連載当時、逆鉾、 寺尾の兄弟が兄弟同時関脇というので話題になっていたんですよね。また逆鉾、 寺尾を始め若花田、貴花田、小城ノ花、小城錦など二世力士も話題を呼んでま した。この人たちは親子での関取なんですよね。 で、私は考えました。親子での関取、幕内力士はかなり一般的になってきてい るけど、親子同時での関取、幕内力士というのはどうだろう? 年齢的に考え ると40歳過ぎまで相撲を取り続ける力士も過去にはおりましたし、十代で入 幕する力士もおりました。ならば結婚が早くて二十歳前後で子供を作っていた としたら、親子幕内というのもあながち絶対ありえないことではないですよね。  そんなところからこの貴一気、若一気のエピソードが生まれました。  今回HPに再録するにあたって久々に読み返してみてなんだかとってもしみ じみとした気分になりました。自分で書いておいてこんなことをいうのは変か も知れませんけど、やっぱり小説を書くからにはまず自分が感動出来るものを 書きたいってのは一番にありますので……。   唯、私自身の文章表現力は大したことありませんので、読んで下さったみな さんにどの程度伝えられたかは判りませんけど。  読んで下さったみなさん、どうもありがとうございました。いよいよ、次回 が最終回です。                       1997/09/17 眠夢

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