お相撲ファンタジー小説

魔法のお相撲さんミンキーネム

最終章 いつかきっと・・の巻



1、一年が過ぎて


「おいっ、雷電! 相手はおまえの孫より若いんだぞ! 負けたら笑いもんだ
ぞ!!」
「ばかやろ。ここで年なんて関係あるかい。そういうてめーだって曾孫より年
下の双葉山によく負けてるじゃないか!」
 土俵下で囃したてる谷風に雷電が悪態をつきました。ワルハラは今日も活気
に満ちています。土俵上にいるのは谷風、小野川らととも江戸時代の大相撲の
全盛期を支えていた名大関雷電と明治から大正にかけて無敵を誇った横綱太刀
山の二人です。
「はっけよ〜い、のこった〜〜!!」
 行事の声とともに二人は勢いよくぶつかりあいました。が、太刀山の踏込み
が一瞬早く、“四十五日”と称された太刀山の十八番の猛烈な突っ張りで雷電
はあっけなく土俵の外に飛ばされてしまいました。

「雷電さん、残念でしたね。」
 声をかけたのは雷神トールでした。
「おや、トール殿、見ておられたのですか……、面目ない。このところちょっ
と調子が落ちているようで……。」
 雷電はトールが差し出した右手に掴まって立ち上がると、頭を掻きながら言
いました。
「調子もなにもここには天下の大力士が揃ってるんだぞ。酔っ払ってて勝てる
わけがなかろうが。」
 谷風が笑いながら近づいてきた二人に声をかけました。どうやら雷電は取り
組み前にちょっと一杯引っ掛けていたようです。
「それにしても随分お久しぶりですね、トール殿。」
「ええ、色々と忙しかったもので・・・。」
「そういえば、ロキ殿がまたなにか……?この間ここにも見に来ておられまし
たが、トール殿の悪口を散々口にしておりましたが……。」
 谷風は心配そうに言いました。
「そうですか。やはり……。しかし谷風殿に御心配頂く程のことではありませ
んが……。」
「それならよいのですが……。」

「時にトール殿、ネムくんの様子は如何ですか?」
 雷電が口をはさみました。息子のことを聞かれてトールは少し曇り気味だっ
た表情をほころばせました。
「ネムですか。なかなかよくやっているようですよ。ワルキューレの少女を一
人、監視役につけて、様子を報告させているのですが、その話だと最初の場所
は全然勝てなくて落ち込んでいたらしいですけど、その後は立ち直ってなかな
かの成績を残しているそうです。幸い地上にはアッコさんもおりますし、かな
り力になってくれているようですし……。」
「なるほど。それはなにより。」
 雷電はネムを力士にと自分が勧めた手前もあり、その後、どんな様子か気に
かけていたのですが、トールの話を聞いてほっと胸をなでおろしました。
「トール殿の息子さんなら、その位のことは当然でしょうな。」
「いやいや、あいつも根性なしですから、相撲部屋に入門させはしたものの、
内心ひやひやだったのですよ。妻には反対されましたしね。結果が悪かったり
したら、何言われるか判ったもんじゃありませんから……。」
「ははは、天下の雷神トールも奥さんには形無しですなー。」
 ワルハラに笑い声が響き渡りました。

 ネムが地上に来てから一年が過ぎようとしていました。この一年、振り返っ
てみると色々なことがありました。最初の場所での惨敗、アッコさんの叱咤、
アスガルトからネムの様子を見にやってきたワルキューレのユナ、親子での幕
内を目指していた貴一気、若一気、兄弟子の房亜梨州をはじめとする力士たち、
学校で出会ったミキコちゃんやユーサク、タカコ先生……。その他様々な人々
がネムの周りにはいました。ある時はネムを支えてくれて、またある時は反発
しあって・・・。
 ネム自身これ程充実した一年間を過したことは今までなかったような気がし
ます。アスガルトにいた頃は両親に甘やかされて、ぬくぬくと温室の中で育っ
ていたようなものです。エルフたちを始め遊び友達はいましたが、地上に来て
出会った人々のように強い愛着を覚える相手はいなかったような気がします。
 地上に来たばかりの頃のネムは、本当に何も知らない子供と一緒でした。相
撲取りになるということにしても、元々は幕内力士の華やかな活躍に憧れてい
ただけでしたし、漠然とした甘い夢の延長上に思い描いていただけでした。
 実際、ネムはこの世の中に苦労なんてもんがあるなんて頭の中では判ってい
ても、実感としては全然知らずにいました。アスガルトにいた頃は両親の盲目
的な愛情に包まれて、またアスガルトでも主神オーディンに次ぐ地位にある雷
神トールの息子という家柄に生まれたこともあり、知らず知らずの内に世界は
自分の周りを回っているような気持ちになっていたのです。
 しかし地上に来てから、生まれて初めて挫折を味わい、様々な人々と出会い、
交流する中で自分以外の他の人々も生きて呼吸をしていること、それぞれの思
いを内に秘め、生きていることがおぼろげながらネムにも理解出来るようにな
ってきたのです。

「今日の正面解説には元関脇貴一気の岡崎親方に来て頂いております。親方、
どうぞよろしくお願いします。」
「よろしく。」
「髷を切っての御感想は如何ですか?」
「いやはや、かれこれ20年以上も頭に髷を乗っけて生活してきた訳ですから
ね。なんだか頭が軽くなったような気分です。中身の方はもともと軽いですけ
ど……。」
 元関脇貴一気の岡崎親方が冗談めかして言いました。貴一気はネムとの相撲
の後、引退を決め、つい先日断髪式を行ったばかりなのです。
「ははは、そんなことはありませんよ。さて、土俵上には大関朝島津とこの場
所が上位初挑戦ということになる、眠希眠が上がっている訳ですが、岡崎さん
は両者ともに対戦がある訳ですね。」
「そうです。」
「特に眠希眠とはたった二度の対戦でしたが、最初の対戦が眠希眠の初土俵の
時でしたし、二度目の対戦は貴一気としての最後の土俵になった訳で、岡崎さ
んにとっても感慨の深い力士なのではないですか?」
「はい、本当にその通りです。やはり最後の土俵というのは強く印象に残って
ます。」
「テレビの画面ではその貴一気関の最後の相撲となった眠希眠との一番のビデ
オが流されていますが、今、見ても印象に残る激しい一番でしたね。」
「そうですね。私も必死でしたし……、眠希眠も7勝7敗の私に遠慮なく全力
でぶつかってきてくれました。」
「この相撲に破れて、貴一気さんは引退を決意された訳ですが、若一気との親
子同時幕内がかかっていただけにファンの人たちの中には残念な気持ちを持っ
ている人も多いと思うのですが、親方自身の気持ちとしては如何ですか?」
「そりゃあ、私としても残念な気持ちがないと言えば嘘になりますが、やはり
最後にいい相撲を取れたということで満足してます。それにいい相撲を取らせ
てくれた眠希眠に対しても感謝しております。」
「そうですか。ところで今夜のサンデースポーツタイムでは作家の森野司郎さ
んをお招きしまして、いろいろとお話を伺う予定です。なんでも森野さんは凄
い特ダネを披露して下さるとのことです。どういう特ダネかは実は詳しくは教
えて頂けなかったのですが、土俵上の眠希眠にも関係のあることだとか……。
みなさん、お楽しみに。さて土俵上はいよいよ制限時間が一杯です。」

「ねむちゃ〜〜〜ん!!」
「みんきーねむ〜〜! がんばって〜〜!」
 館内にはネムに対する声援がひっきりなしに飛び交っています。最初の場所
ではボロボロに負け越してしまって、ファンにも愛想をつかされた形になって
いたものの、その後は多少の波風はあれ、順調にこの位置まであがってこれま
したし、元々のルックスのよさも手伝って眠希眠は今や幕内力士の中でもトッ
プを争う人気力士となっていました。そして今日のネムは大関初挑戦。二日目
は横綱初挑戦ということで千夜の富士との対戦が組まれています。ファンの声
援もいやが上にも盛り上がります。

「はっけよ〜い、のこった〜〜!!」
 行事の声とともにネムは鋭く仕切り線から飛び出しました。相手は天下の大
関です。自分は幕内上位に上がってきたとはいえまだまだ掛け出しの若造……。
あくまで胸を借りるつもりでどーんとぶつかって来い、と親方にも言われてま
したし、ネムもそのつもりでした。一方の朝島津は初顔の相手ということもあ
り、また場内のネムに対する歓声にも気圧されたのか、慎重に相撲を取ろうと
いう気持ちが先に立ち過ぎてしまい、中途半端な立ち合いになってしまいまし
た。

 無我夢中で相撲を取って、漸く我に返った時……、朝島津は土俵の外に飛び
出しており、ネムは自分が勝ち名乗りを受けているのを夢のような心地で聞い
ていました。
 館内は割れるような大歓声です。ネムは得意の絶頂でした。その日のネムの
目には世の中の全てのものが輝いているように見えました。

『この光景を目に焼きつけておこう・・。』

 ・・・・・・なぜそんなことを思ったのか、その時のネムにはよく判りませ
んでした。唯、今日のこの感激を絶対に忘れちゃいけないんだと、強く感じて
いたのです。
 後から思えばネムは虫の知らせのようなものを感じていたのかも知れません。
しかしこの時のネムは明日も明後日も今日に続く未来が待っているだろうとい
うことを信じて疑いませんでしたし、突然、自分の目の前から道が消失してし
まうことなど想像もできませんでした。

2、ミンキーネムの秘密の巻  大関戦初挑戦初勝利をあげたその日の夜、ネムは部屋で房亜梨州や幕下の古 森昔、郁城号などと一緒にテレビを見ていました。 「今日のサンデースポーツタイムはスタジオに元大関小川河の小川山親方に来 て頂いております。小川山さん、どうぞよろしくお願いします。」 「どうぞよろしく。」 「さて、早速ですが、今日の注目の一番。大関の朝島津と眠希眠の対戦を見て 頂くことに致しましょう。」  テレビの画面は切り替わり、ネムと朝島津との一番が映し出されました。 「おーお、おまえもいっぱしの人気力士じゃないか。俺なんてこおいう番組の トップで名前を出して貰ったことなんて殆どないぜ。」  房亜梨州がネムを冷やかすように言いました。 「でもなんてったって初挑戦で天下の大関を破ったんだからな。大したもんだ。 兄弟子の俺も鼻が高いや。」 「房亜梨州さんってば……。」  ネムは照れながらも褒められて悪い気持ちはしませんでした。 「ふん、いい気なもんだわ。」  部屋の片隅にふてくされたような表情で座っていたユナが呟きました。どう やらネムが活躍するのは嬉しい半面、ミーハーなお相撲ギャルにちやほやされ ているのが気にいらないようです。 「いやー、眠希眠の見事な相撲でしたねー。小川山さん。ずばり、眠希眠の勝 因はなんですか?」 「それはやっぱり思い切りのいい相撲を取ったことでしょうね。相手が大関だ ということで萎縮することなく、自分の相撲を取り切ったというのが最大の勝 因でしょう。対する朝島津の方がどうやら、初顔の相手、しかも人気力士だと いうことで固くなってた様子が見受けられます。」 「なるほど。最近のミンキーネムフィーバーは凄いですからね。なにしろ絶世 の美男力士ですし、男の私などから見ても彼ほどの美貌ともなると対抗意識よ りもなによりも感嘆しか出てこない……、まさに浮世離れしていると言いまし ょうか……、女性ファンが夢中になるのも無理はないような気がします。花道 でも多くのファンから花束が贈られていたようですね。」 「そうですね。私なども最初はきれいなだけで内容の伴わない力士のように見 えてよい印象を持っていなかったのですが、どうやらそれは私の思い違いだっ たようです。最初の場所ではひどい成績だったものの、その後の頑張りはなか なかのものですからね。」 「さて、その眠希眠ですが、明日はいよいよ横綱初挑戦。優勝回数20回を数 え、現在の角界の第一人者と誰しもが認める千夜の富士との対戦となる訳です が、小川山さん、ずばり予想をお願いします。」 「うーん、そうですねー。今までの実績から見ると当然千夜の富士の優勢は固 いところだと思いますが、今日、大関を破って波に乗る眠希眠がどのような相 撲を取るか・・・。このまま勢いに乗れば或いはということもあるかも知れま せんね。それになんだか今場所の眠希眠には実力以外の運というか、プラスア ルファがあるような気もします。その意味でも明日の千夜の富士戦は面白い一 番となることは間違いないでしょう。」 「ふーん、眠希眠、手放しで褒められてる感じだね。姉ちゃんも鼻が高いだろ? なんたって弟のネムさんと同じクラスなんだからなー。」 「んー、そんなこともないけどさ。でもやっぱり嬉しいかなー。」  ミキコちゃんは弟のアキヒコと一緒にテレビを見ていました。 「ミンキーネムを見てるとネムくんとイメージがだぶっちゃうもんね。兄弟だ から当然だけど、顔もそっくりだし……、性格も似てるような気がするのよ。 なんだか兄弟っていうより年の離れた双子みたいな感じ……。」 「そんなのあるわけないじゃないか。」  アキヒコは呆れ返ったようなまなざしでミキコちゃんを見ながら言いました。 「だって、そんな感じがするんだもん!」 「さて、ここで今日の特別ゲストで作家の森野司郎さんに入って頂いて、お話 を伺いたいと思います。」  アナウンサーがそう言うと、スタジオに一人の若い男が入ってきました。中 肉中背でどちらかというと整った顔立ちをしているものの、それほど目立つ程 の美男子という程ではありません。唯、彼の眼光にはどこか人をぎょっとさせ るようなところがありました。 「ようこそ、森野さん。よくいらっしゃいました。どうぞよろしく。」 「よろしくお願いします。」 「あ、あれは……、もしかしてシローじゃないか?!」  ネムは驚いて画面を食い入るように見つめて思わず叫びました。 「なんだいミンキーネム、知り合いか?」  房亜梨州が不審に思って訊ねました。 「い、いえ、そういう訳じゃないですけど……、ちょっと見たことがある気が したもんで……。」 「そりゃ、そうだろ。森野司郎と言えば、最近はちょっとした有名人だからな。 半年前くらい前から急に名前の売れ出した作家だよ。“エフタルの黄昏”とか って小説でなんとかの新人賞を取ったんだ。」 「ふーん、そうなんですか……。」  房亜梨州の言葉に答えつつもネムは上の空でした。姿形は変っていますが、 ネムにははっきりと判りました。あれは確かにアスガルトで遊び友達だった、 エルフのシローだ……。  ネムは部屋の隅にいたユナの方を思わず振り返りました。どうやらユナもシ ローが地上に来ていたことは知らなかったらしく、驚いた表情をしています。 シローもネムと同じように大人になる魔法を使って、作家の森野司郎という名 前で地上で暮らしているのでしょう。  アスガルトを離れて既に一年……。意外なところで古い知り合いを目にして ネムの胸には懐かしさがこみ上げてきました。それにしてもシローも地上に来 ていたなんてちっとも知らなかった……。 「さて、早速ですが、森野さん。今日は私どもに凄いビッグニュースを聞かせ て頂けるとかという話でしたが……。」 「はい。そうです。このニュースがこの番組で流れれば世間は大騒ぎになるだ ろうことを保証します。」 「ふーむ、わくわくしますね。内容については極秘ということで私もまだ知ら ない訳ですが、眠希眠に関することだとか?」 「そうです。ミンキーネムに関する秘密です。」 「秘密ですか……、秘密などと言われると私などは、眠希眠に隠し子がいたり とか、そういうことを想像してしまう訳ですが、そうでもないんですか?」 「そんな甘いものではありません。取りあえずこのビデオを見て下さい。」  シローは軽薄そうなアナウンサーを一瞬ギロリと睨みつけて、カバンの中か らビデオテープを取り出しました。 「はい、では早速拝見することに致しましょう。」  ビデオの画面にはネムが映っていました。子供の姿のネムです。 「おや、これは眠希眠関の弟さんですね。」 「そうです。これから画面に映し出されることをしっかりと見ていて下さい。」  シローはアナウンサーの言葉に陰気な口調で答えました。  画面の中のネムは手に小さな軍配のようなものを持っていました。魔法の変 身ペンダントです。そして軍配を天に高くかざすと叫びました。 「ピピルマ、ピピルマ、ハッケヨ〜イ・・・、ミンキーネムにな〜れ!」  ネムが呪文を唱えると、七色の光がきらきらと軍配から溢れ出してネムの体 を包み込みました。光の中でネムの体が大きくなって行きます。テレビの画面 には子供のネムがミンキーネムに変身する様がしっかりと映し出されていたの です。  映像が消えて、暫くの間、スタジオの中を沈黙が支配していました。が、漸 く我に返ったアナウンサーが口を開きました。 「い、一体、今のはなんだったんですか・・?」 「何って見ての通りですよ。」  驚いた表情でアナウンサーが口にした言葉にシローは平然と答えました。 「あの、見ての通りと言われても・・、これは特撮か手品かなにかで・・。」 「いえ。事実です。特撮などではありません。魔法の力です。今の映像は現実 にあったことなのです。子供のネムと力士のミンキーネムは同一人物なのです。 はっきり言いましょう。ミンキーネムは人間ではないのです。」 「そんな馬鹿な話が……。」 「あなたがそう思われるのも無理はありません。あなたがたにすればいかにも 突飛な話でしょうからね。しかしこれは特撮でも手品でもなんでもないのです。 私はある偶然からこの情報を掴み、ミンキーネムをマークしていました。そし て漸くその証拠の映像をビデオに収めることに成功したのです。」 「信じられない・・・。」 「信じようと信じまいと事実は曲げられません。それにこれを裏付ける間接的 な証拠ならいくらでもあるのです。考えてもみて下さい。ミンキーネムはなぜ 幕内付け出しなどという異例のデビューを飾ることが出来たのでしょうか?  彼のデビュー以前の相撲雑誌その他には彼の名前などどこにも出てきません。 それどころか八十通親方に子供がいたという事実さえどこにも発見することは 出来なかったのです。少し考えてみれば判ることです。しかしあなたがたはそ れを全く疑問にも思わずに平然と受け入れています。これはなぜだと思います か?」 「言われてみれば……。」 「彼は魔法の力、悪魔の力を使って、我々に錯覚を起こさせているのです。彼 の力は人間の心の中に入り込み、巧妙な詐術で我々に錯覚を起こさせ平然と人 間の世界に居座っているのです。繰り返して言いますが、ミンキーネムは人間 ではありません。彼の顔立ちについてさっきあなたは“浮世離れしている”と 言われましたが、その言葉は真実の一端を衝いています。そう人間離れしてい る……、まさに彼の美貌は堕天使ルシファーそのものではありませんか!!」  シローはギラギラと燃えるような色を瞳ににたたえながら、一気にそれだけ のことを喋りました。  テレビの画面を見ていたネムは呆然としていました。なぜ? 一体シローは 何を言ってるんだ?! 「眠希眠。おまえ、まさか……。」  房亜梨州に声をかけられてネムははっと我に返りました。房亜梨州の目には 疑惑の色がありありと浮かんでいます。 「そういえば俺も眠希眠さんがネムくんと一緒にいるところを見たことがない ぞ。今まで不思議に思ったことはなかったけど、考えてみればおかしいよな。」  郁城号が横から口を挟みました。それは部屋にいた力士全員の思いを代弁し た言葉でした。確かに眠希眠の弟のネムも一緒に暮らしていた筈です。八十通 部屋の建物はそれ程広い建物ではありません。で、あるにもかかわらず二人が 一緒にいるところを見たことがない……。そしてそれを誰もおかしいとは思わ ずに暮らしてきたのです。力士たちの目は詰問するようにネムを見つめていま した。 「おいっ、おまえはなんだ! おまえは人間じゃないのか!」  房亜梨州はネムに詰め寄って言いました。ネムは思わず後ずさりしました。 「ち、ちがう・・、ぼ、僕は……。」 「じゃ、今、テレビで映っていたのはなんだったんだ! 思い出したぞ。確か に親方には子供なんかいなかった。おまえは突然現れたんだ。そして、何故か 俺たちは不思議に思ったりしなかった。それもおまえが悪魔の力で俺たちを騙 していたのか?!」  一度、心に疑惑が生まれてしまうとアスガルトからの操作で改変を加えられ ていた、嘘の記憶は脆くも崩れさってしまったようです。元々、記憶を改変す ると言っても人間の記憶を全て消し去って新しい記憶を植え付けるというよう なことが出来る訳ではなく、人々の錯覚を利用して、疑似的に記憶を誤魔化し ていただけなのです。強い疑念が生まれればひとたまりもなく崩れてしまうの は当然のことでした。そしてシローはそれを利用したのです。 「眠希眠! 反論出来るならはっきり言ってみろ! あんな子供が突然大人に 変身してしまうなんてことが、尋常では有り得る筈がない。おまえはなんだ。 化け者なのか? 妖怪なのか? それとも宇宙人か?!」  ユナもテレビを見て呆然としていたのですが、部屋の空気が険悪になってき たのを見てとって、慌ててアッコさんを呼びに行きました。
3、妖怪人間ネムの巻  ミキコちゃんはテレビの前で放心したように座っていました。そんな馬鹿な 話が本当にあるんだろうか……。 『ネムくんが人間じゃない、なんて……。』  ネムは確かにテレビの中でも言っていたように美少年でした。時に人間離れ していると思ったこともない訳ではありません。でも……、ネムくんはあたし の隣の席に座っていたのよ。よくお喋りもしたし、時々変なことを言うことも あったけど、でも、人間じゃないなんてそんなこと信じられない! 「そういえば・・・。」  アキヒコがポツリと言いました。 「思い当たるところがない訳でもないな。いつだかのお相撲大会の時、ミンキ ーネムは姉ちゃんを一目で見分けただろ。あの時はネムさんが家に帰ってもよ く姉ちゃんの噂をしていて、ミンキーネムも姉ちゃんのイメージをよく把握し てたからだと思ったんだけど……。」 「そんなの証拠にならないわ。ネムくんはネムくんよ。あたしはネムくんを知 ってるし、人間じゃないなんて、絶対信じられない!」 「姉ちゃんの気持ちは判るけどさ。でもさっき姉ちゃんだって言ってたじゃな いか。ネムさんはミンキーネムと年の離れた双子みたいだって。考えてみれば、 もし今テレビで言ってたみたいに同一人物なんだとしたら、それって当然のこ となんだよなー。」 『それにしてもなぜ、シローがあんなことを・・・。』  布団の中に入ってもネムはなかなか寝つけませんでした。部屋の力士たちに 詰め寄られて進退窮っていたネムですが、アッコさんがやってきてなんとかそ の場はとりなしてくれました。で、無理矢理布団の中へ追いやられた訳ですが、 ネムはとても眠ってしまおうという心境にはなれませんでした。  アスガルトにいた頃はシローをはじめとするエルフたちは仲のよい遊び友達 で、毎日、暗くなるまで遊びほうけていたものです。お相撲ごっこなどもよく やりました。 『まさかあいつ、僕が地上の大相撲で活躍してるのを見て焼き餅焼いてそれで あんなことをしたんじゃ……。』  ネムはそう思ってもみましたが、けれどたったそれだけのことでわざわざ地 上まで来て自分を陥れようとするだろうか……。それに、シローはどうやって 変身の魔法を手に入れたのだろう……。とにかくなんとかあいつを捕まえて問 い質してやらなくては……。 「え?! 休場?」  次の日、親方に呼ばれたネムは、意外な言葉を聞かされて呆然としてしまい ました。 「うむ。今朝早く理事長から、電話があってな。昨夜のテレビの一件以来、世 間は大騒ぎしているし、今場所はこれ以上出場して貰っては困ると言われるん だ。」  親方は重い口調でそうネムにそう告げたのです。  実は昨夜は放送局にも相撲協会にも八十通部屋にもテレビを見ていた人たち の電話が殺到していました。その内容も、『あれは本当のことなのか?』『と ても信じられない。』といった内容のものならまだましだったのですが、『人 間になりすましていたなんて許せない!』とか『あんな化け物に相撲を取らせ ていたことについて、相撲協会は責任を取れ』だとか、ネムに好意的なものは 何一つありませんでした。人々に共通していたものは異質なるものへの恐怖、 超自然的なものに対する不安、といったものでした。今や世間のネムに対する 評価は“妖怪”あるいは“悪魔”そのものでした。 「そ、そんな……。そんなの関係ないじゃないか! 僕が人間だろうとそうで なかろうとみんなと同じように頑張ってきたのに……。」 「それはそうかも知れん。だが、世間はそうは思ってくれない。折角ここまで 頑張ってきたのに、残念な気持ちは判るが騒ぎが治まるまでは我慢してくれ。 おまえが人間でないことは確かなのだし……。」  ネムは親方がなにげなく言った言葉にはっとしました。 「親方……、親方は知っていたの? 僕が人間じゃなかったこと……。」 「そりゃ、私はアッコの夫だからな。」 「それじゃ、僕が妖怪なんかじゃないことも判ってるんでしょ? 僕はアスガ ルトの神々の一族だ!」 「それはそうかも知れん。しかし同じことだ。人間にとっては神であろうが、 妖怪であろうが自分たちとは異質で恐ろしいものであることに変わりはないん だよ。」 「ねえ、ネムくん、元気を出してよ。大丈夫よ。今場所は残念だったけど、ま た来場所があるじゃない。人間なんて忘れっぽいものよ。今は妖怪だとかなん だとか騒いでいてもすぐに忘れちゃうわよ。」  ユナはネムを元気づけようとして、わざと明るい口調で話しかけました。し かしネムは暗い顔つきを変えませんでした。ネムにとって今度の休場は事のほ かショックでした。勿論、今日が横綱初挑戦だったということで、残念な気持 ちもあります。しかしそれ以上に自分が人間でない、という事実に対する、人 々の反応の激烈さがネムの予想を越えたものであったことにショックを受けて いたのです。  ネムは自分が人間でない、ということがこれほど人々に忌避される出来事だ ったとは想像もしていなかったのでした。地上に来てから一年、自分なりに努 力してきたつもりでしたし、人間社会にそれなりに融け込んでいたと自負して もいました。今更、正体が明らかにされたところで、人々が掌を返したように 自分を化け物扱いするなどとは思ってもいませんでした。 『でも・・・。そうだ学校へ行ってみよう。ミキコちゃんはタカコ先生はそん な人じゃない筈・・。』  ネムは思いたつと部屋を飛び出しました。 「あ、ネムくん! どこへ行くの? ネムくんったら!」  ユナは慌ててネムの後を追いました。 「ねえ、ミキコ、昨日のテレビ見た? ネムくんが実は人間じゃなかったって 話……。」 「うん。」  学校でもネムの話で持ちきりでした。やはり昨日まで自分たちと一緒に勉強 していた友達が実は人間とは異質な存在だったということに戸惑いを感じてい るようでした。 「今日はミンキーネム、相撲取るのかしら? それにネムくんは学校に来るの かしら?」  セイコちゃんに言われてミキコちゃんははっとしました。そう、あんな騒ぎ を起こしてしまっているのです。ミンキーネムは今日から休場することになる かも知れない……。そしてもしかしたら学校にも、もうネムくんは来ないのか も知れない……。でももしネムが学校に来たとしても、一体どんな顔をすれば いいのだろう・・。今までと同じような顔が出来るだろうか……。  その時、今までガヤガヤとやかましかった教室内が急にシーンと静まり返り ました。生徒たちの目は一箇所に集中していました。ネムが現れたのです。  ネムは静まり返った教室内で一種異様な雰囲気を感じざるを得ませんでした。 そこには好意的なものは一片もありませんでした。 「ミキコちゃん、おはよう。」  ネムは平静を装いつつ自分の席について隣の席のミキコちゃんに声をかけま した。 「あ、お、おはよう・・。」  ミキコちゃんはどもりながら慌てて応えました。いつもと同じように挨拶し ようと思ってはいたのですが、見事に失敗してしまいました。ネムはどうやら それを敏感に感じ取って、いつもと違うきつい目でミキコちゃんを見つめてい ました。と、いうよりもネム自身、昨日からのこと、また教室に入ってきての 級友の反応などで、かなり神経過敏気味になっていたようです。  教室中のみんながネムを盗み見るような目で見ていました。なんだか異質な ものに対する不安と好奇心がないまぜになったような視線でネムを注視してい ます。たかが人間じゃない、ということが知らされただけでこれほどまでに自 分を見る目が変わってしまうなんて……。  ネムは耐えきれなくなって立ち上がりました。 「なんだよ! なんでそんな目で見るんだよ! 言いたいことがあるならはっ きり言えよ!」  ネムはミキコちゃんに向かってやつあたりするかのような口調で言いました。 ミキコちゃんは脅えたような表情で目を伏せました。 「ちょっと、ネムくん、落ち着きなさいよ。」  ユナがネムの耳もとに飛んできて小声で囁きました。しかしネムは耳を貸し ませんでした。 「ミキコちゃん、君もみんなと同じように思っているのか! 僕が妖怪だなん て……。」 「そ、そんなこと・・・。」 「どーせ、僕は妖怪さ。人間なんか……。」  そういうとネムは教室を飛び出しました。 「あ、ネムくん!」  ミキコちゃんは叫びました。しかしネムは振り向きもせず駆けて行きました。 『そうじゃない、そうじゃない……。ネムくんが妖怪だなんて思っている訳じ ゃない。例え本当に人間じゃなかったとしてもあたしは……。唯、戸惑ってい ただけなのよ。』  しかしミキコちゃんの思いはネムには届きませんでした。  ネムと入れ違うようにユーサクが教室に入ってきました。 「なんだあいつ、なんであんなに慌てて教室を出て行くんだ? これから授業 が始まるってのに。」 「ちょっとユーサクくん、テレビ見てないの?」 「は?」  セイコちゃんに聞かれてユーサクは不審げな顔をしています。 「テレビがどうかしたのか?」 「そうよ、昨日のスポーツタイムよ、それに朝のニュースでも大騒ぎしてるっ てのに……。」 「昨日は夜はずっとファミコンをやってたし、今朝は遅刻ギリギリで慌ててた から、テレビなんて見てねーよ。それに元々ニュースなんて見ないしな。」 「呆れた・・。」  セイコちゃんは本当に呆れ返ったという口調で言いました。  ネムは俯いてとぼとぼと歩いていました。やっぱりみんな同じ……。みんな にとって人間じゃない自分は嫌悪の対象でしかないんだ・・。ミキコちゃんだ けはと思っていたのに……。 「ネムくん・・・。」  ユナも最早、ネムを元気づける言葉さえ見つけることが出来ませんでした。 「ネム、久しぶりだな。」  とぼとぼと歩いていたネムに誰かが声をかけてきました。誰かと思って振り 向いてそこにいた人物を見た途端ネムは思わず叫びました。 「シロー!」  そこにいたのは紛れもなくあのシローでした。テレビに出演していた時の大 人の姿でなく、昔、アスガルトでネムの遊び友達だった頃の子供の姿をしてい ます。暫く二人はにらみ合うようにお互いを見つめていましたが、やがてシロ ーが口を切りました。 「どうだい、今の心境は……。」 「シロー、よくもぬけぬけと僕の前に顔を出せたな。でもなぜ? なぜ君がこ んなことを? アスガルトにいた頃は仲よしだった君が僕を陥れようとするな んて……。事情を説明して貰おうか。事と次第によっちゃ・・・。」  ネムは拳を握りしめて言いました。 「ふん、“なぜ”だって? おまえにはわかるまいな。」  シローはネムを見下すような目つきで見つめながら、嘲るような口調で言い ました。 「では教えてやろう。おまえのまぬけな頭じゃ、絶対判らないだろうからな。 一言で言ってしまえば、俺はおまえが大嫌いなのさ。いや、憎んでいると言っ てもいい。アスガルトにいた頃からずっとだ。」 「・・・・・。」 「そりゃ、確かに昔は遊び友達だったさ。だがそれは別におまえが好きだった から、友達でいたんじゃない。おまえが雷神トールの息子で俺たちが逆らえな い立場にあったから仕方なく友達でいただけなのさ。実際、おまえほど嫌な奴 は他にいなかったよ。わがままでいい加減で家柄を鼻に掛けて……。そう思っ ていたのは俺だけじゃない。あの頃の仲間たちはみんなそう思っていたもんさ。 そこにいるユナだってそうだ。おまえのことを本当の友達だなんて思っていた 奴は誰もいなかったし、そのことを知らないのはおまえだけだったのさ。」 「そんな馬鹿な……。まさかユナ、本当に……。」  ネムはユナを振り返りました。 「私は違うわよ!」 「ふん、どうだか。おまえだって、ネムのことで色々愚痴ってたじゃないか。 忘れたとは言わせないぞ。」 「そりゃあ、ネムくんはわがままなとこもあったけど、あなたみたいに憎んだ りしてた訳じゃないわ!」 「ネムの前だからって取り繕わなくてもいいんだぜ。それともなにか? おま えもネムの外見にいかれちまった口か?」 「そんなんじゃないわよ!」  ユナは激しく抗議するように言い返しました。しかしシローはそれには取り 合わず、再びネムの方に向き直って言いました。 「とにかく俺はおまえが憎かった。地上に来てからも雷神トールの力で幕内付 け出しなんていう、始めから脚光を浴びる地位を貰って……、人が何年も努力 して初めて得ることの出来る地位をなんの苦労もなく手にいれた。おまえは自 分では地上に来てから苦労したつもりかも知れないがそんなのは苦労の真似事 に過ぎないのさ。おまえがミンキーネムとして相撲を取っている体だってそう だ。それはおまえが苦労して作りあげたものではなく、魔法の力で初めからそ こそこの成績を残せるものを貰っておまえは地上にやってきたんだ。そんなも のでいい気になってるおまえが俺はたまらなく不快だった。それでおまえに一 泡吹かせてやろうと思って、ロキ様に変身の魔法を貰って地上にやってきたの さ。実際、これほどうまく行くとは思わなかったけどな。」  ネムは打ちのめされたような表情でシローの言葉を聞いていました。自分が 今まで当り前のことのように平然と受け入れてきたもの、それが決して当り前 のことではなく、自分だけの特権的なものだったなんて・・。ネムは今までそ んなことを考えたこともなかったのです。 「人間は異質なものを嫌悪するものさ。」  シローは言葉を続けました。 「同じ人間同士だって、肌の色が違う、宗教が違う、民族が違うというだけで、 差別したり憎しみあったり殺しあったりする生き物だからな。最早、おまえは 地上にはいられない。人間はおまえを忌み嫌い、嫌悪するだろう。アスガルト に帰るか? 帰ったって昔のようには行かないぞ。地上で失敗して帰ってきた となれば、おまえはいい笑い者だし、もう誰も雷神トールの息子だというだけ でおまえを特別扱いになぞはしてくれやしないさ。それとも一生母親のスカー トの影に隠れてぬくぬくと暮らすか……、いっそおまえにはその方がお似合い かも知れないがな。どちらを選ぶのもおまえの好きにするがいいさ。」  それだけのことを言い放つとシローは高笑いを残して、その場を立ち去って 行きました。
4、雷神トールの憂いの巻 「ですから、トール様。そういう訳でもうネムくんは・・・・。」 「なるほど。ユナ、報告、御苦労だった。」  トールはユナの報告を聞くと難しい顔をして言いました。ネムの監視役とし て、地上とアスガルトを結ぶ報告係の役割を負っているユナはネムの一大事と ばかりに慌てて、トールに報告に来たのでした。 「そういうことになっているとすると、最早ネムは地上にはいられないだろう な。」 「はい。トール様。ネムくんは地上では妖怪扱いにされてます。今まで親しく していた人達からさえ、掌を返したような目で見られて……。なんだか見てら れなくて・・。」 「うむ。それにしてもロキが一枚噛んでいるとはな。奴にはあとで思い知らせ てくれよう。だがネムに会いに行くのが先か……。やはりアスガルトに帰すの が一番だろうな。」  そういうとトールは立ち上がりました。  地上ではネムに対する風当りは日に日にきつくなってきていました。新聞や 雑誌は面白おかしくネムの正体について色々憶測を書きたてています。部屋に も連日、大勢の人たちが押しかけて『ネムとミンキーネムを並べて目の前に出 してみろ!』などと要求する人が絶えません。そしてネムを庇おうとする親方 やアッコさんにさえ、疑惑の目を向けられるような状況でした。 「ネムはもうアスガルトに帰した方がいいのかも知れない……。」  親方はアッコさんに沈痛な面持ちで言いました。 「協会からは『眠希眠は廃業させてしまえ!』と連日のように言ってきている し、地上に留ってももう相撲を取ることなんて出来そうにない……。」 「そうね。かも知れないわね。でもそれはネム自身が決めることだわ。」  アッコさんはそっけなく言い放ちました。  外は雨が降っています。突然、空がかき曇り、稲妻とともに滝のような雨が 降り出したのです。この雨で部屋の外で騒いでいた人たちもまばらとなりまし た。  ネムは自分の部屋でぼうっと外を見つめていました。時々、閃光が空に走り ます。稲妻が走るとネムはなんともいえない懐かしさを感じるのでした。雷神 トールの息子として生まれたネムにとって稲妻は常に親しきものでした。子供 の頃から子守り歌の代わりのように雷鳴を聞いて育って来たのです。  シローの言葉にネムは強いショックを受けていました。今まで自分が生きて きた基盤・・、それを全て否定されてしまったようなものです。自分の立って いた大地が自分の歩いてきた道筋が、それらは全て幻でしかなく、突然全てが 崩壊していってしまったようなそんな気さえしてしまうのです。  ネムにとって、自分が今まで当たり前のこととして平然と受け入れていたこ とが全てそれらは実は決して許されないことだった、ということにひどくショ ックを受けていたのでした。 「どうしたらいいんだろう・・・。」  ネムは答を出すことが出来ませんでした。  一際鋭い閃光が空に走りました。雷鳴が空に響き渡ります。ネムははっとし ました。今の雷鳴は明らかに普通の雷ではない・・。ミョルニールの槌で直接 打ち鳴らされたものであることがネムにははっきりと判りました。ネムは慌て て空を見上げました。そこには父、雷神トールの姿がくっきりと浮かび上がっ ていました。 「父さん・・・。」 「ネム、久しぶりだな。」  トールは慈しむような目つきでネムを見つめて言いました。ネムにしても父 の顔を見るのはアスガルトを出発して以来一年ぶりです。懐かしさが胸の中に こみ上げてきました。 「父さん、どうしてここに・・・。」 「ユナの報告を聞いてやって来たのだ。大変だったようだな。だが、思ったよ り元気そうで安心したよ。」  そうか、ユナが……。そういえばユナはアスガルトとの連絡係だったっけ。 「どうだ、ネム。アスガルトに帰って来ることにしないか。」 「アスガルトに・・。」 「そうだ。おまえにすれば、中途半端でアスガルトに帰ってしまうのは残念か も知れないが、これ以上、地上に留っても仕方あるまい。」  アスガルトに帰れば……。ネムにとってその言葉は魅力的なものでした。ネ ムは疲れていました。地上にいても最早自分を受け入れてくれる人なんてどこ にもいない……。アッコさんや親方には迷惑をかけるばかりだし……。確かに シローはアスガルトに帰っても昔のようには行かないと言っていましたが、ア スガルトには父や母がいます。いつも自分を甘やかしてくれた人達が……。エ ルフたちもみんながみんな、シローのように思っているとはネムには思えませ んでしたし、ワルハラの力士たちもみんなやさしい人達ばかりです。きっと、 帰れば慰めてくれるでしょう。でも・・・・。 「どうだ。帰ってくれば母さんも喜ぶだろう。」  トールは追い打ちをかけるように言いました。ネムが考えこんでいる様子を 見てトールはてっきり、ネムも帰るつもりになったと判断したようです。しか しネムの言葉はトールの期待を裏切るものでした。 「いやだっ! アスガルトには帰らない・・!」 「なぜだ!? 地上に留まってどうなると言うんだ? ここにはおまえの居る 場所は既にどこにもないんだぞ! ミンキーネムとして土俵に上がることも事 実上不可能だ。一体おまえは何に未練を感じてるんだ? 意地で言っているの か? あんなに張りきってやってきたのにおめおめと帰る訳には行かないとか? そんなことを気にする必要はない。失敗は誰にでもあるものだし、そんなこと でおまえを馬鹿にする奴がいたら、私が幾らでも報復してやる。安心して帰っ てきてもいいんだよ。」 「そんなことじゃない・・。」  ネムはきっと父親を見返して言いました。 「僕は、僕には、ここには、沢山の人がいるんだ。大切な人が……。」 「大切な人?」 「そう・・。部屋の力士たちやその他のお相撲さんたち・・、親方やアッコさ んや学校の友達や……。地上に来てからの一年間に比べれば以前のアスガルト にいた頃の僕は生きながら死んでたようなもんだった。今までこれほど充実し た時間を過ごしたことはなかったから……。そしてそれはみんながいてくれた からなんだ。僕は……、みんなと別れたくない。」 「だが、おまえはそう思っていたとしてもみんなにとっておまえは妖怪人間だ。 最早今までのような目では見てくれない。それにおまえは雷神トールの一人息 子だ。いずれ私の後を継がねばならないし、いつかはアスガルトに帰って来な くてはならないんだぞ。」  トールは諭すような口調でネムに言いました。しかしネムは首を横に振って ぽつりと呟きました。 「僕は人間になりたい・・・。」 「馬鹿なことをいうんじゃない。」 「でもアッコさんは人間じゃないか! 僕も人間になれない筈はないでしょ? 人間になってもう一度、やり直したいんだ。」 「駄目だ! そんなことは私が許さん! それに人間になったとしても地上で 生活している以上妖怪人間の烙印は一生おまえにつきまとうのだぞ。そう意地 を張るもんじゃない。おまえにとってはアスガルトに帰ってくるのが一番いい ことだ。」 「いやだ! 僕は帰らないよ。」  ネムは叫びました。トールに会う前まではどうしようかと迷っていた筈なの ですが、いざ、“帰って来い”と言われた時、自分でも意外な程地上の人々に 対する愛着が沸き上がって来たのでした。 「どうも興奮しているようだな。また、来る。それまで考えておけ。落ち着い たら気持ちも変わるだろう。」  そういうとトールは空に消えて行きました。 「ねえ、ネムくん、一緒にアスガルトに帰ろうよ。」  それまで部屋の隅でじっとトールとネムのやりとりを聞いていたユナが、ト ールが去ったのを見てネムに近付いて来て言いました。 「このまま地上にいたって仕方ないじゃないの。アスガルトに帰ったらきっと また以前のように楽しく暮らせるわ。シローの言ってたことなんて気にしなく ていいじゃないの。」 「そんなことを気にしてるんじゃないよ。父さんと話していたのを聞いていた んだろ? 地上には沢山の思い出とその思い出をくれた大切な人々がいるから ……。それにシローの言ってたことももう一度考え直してみたいんだ。」 「なによ! 偉そうなことばっかり言って……。ミキコちゃんがいるからって、 はっきり言ったらどうなの?」 「な、何言ってるんだよ!」 「だってそうじゃないの。ネムの心なんてお見通しよ。ネムが別れたくない人 って要するにミキコちゃんのことじゃないの。」 「そんなんじゃないってば!」  ネムは激しく抗議するように言いました。しかしユナは耳を貸さず、言葉を 続けました。 「でもミキコちゃんだって、他の人間たちと同じだわ。学校に行った時のミキ コちゃんの脅えた目を忘れたとでもいうの? それにミキコちゃんなんて全然 美人じゃないじゃない。あんな子のどこがいいのよ! 自分で“あんな子は目 じゃない”とか言ってたくせに……。」 「ユナ!!」 「人間なんかに恋したってお笑い草だわ。一体なんで親方とアッコさんの間に は子供がいないと思ってるのよ?! 人間になるって言ったって正真正銘の人 間になれる訳じゃないわ。現にアッコさんには普通の人間には見えない私の姿 が見えるのよ。」 「それでもいい。それでも僕は人間になりたい・・・。」 「何よ! ネムくんのわからず屋! もう知らない!」  そう叫ぶとユナはどこかに飛び去ってしまいました。 『どうしよう・・・・。』  ミキコちゃんはネムが最後に学校にやってきた日以来、ずっと悩んでいまし た。“どーせ、僕は妖怪さ!”と、叫んで教室を飛び出して行った時のネム・ ・。その時のネムの口調や表情が頭の中に焼きついて離れないのでした。 『でも……、なんて言えばよかったんだろう。あたしには判らなかった。何を 言っても気休めにしかならないような気がして……。』  それに正直言ってミキコちゃんはあの時、ネムに脅えていたのです。ネムが 人間じゃないからとかそういう意味でではなく、学校に来た時のネムは心が凄 くささくれだっていて、凄くトゲトゲしい目をしていたのです。それがなんだ か恐くて結局逃げてしまった・・。もしネムが落ち込んでいるなら、慰めてあ げたいと思っていた筈なのに、何も言えずに余計に傷つけてしまった……。 「兄貴ぃ、ネムの奴がいなくなれば、ミキコちゃんは兄貴のもんですね。」 「うるさい、馬鹿野郎!! 黙ってろ。」  ユーサクはおもねるように言った子分のアキラを怒鳴りつけました。ユーサ クもまたネムの事件を知ってなんとも言えない複雑な思いを胸に抱いていたの です。  勿論、ネムがこの事件をきっかけにいなくなってしまえば、ユーサクにとっ ても恋敵がいなくなる訳で都合がいいに決まってます。しかしあれからずっと ミキコちゃんは沈んだ様子をしていましたし、なによりもユーサク自身もなに か割り切れないものを感じていたのでした。  ちびっこ相撲大会の後、取っ組み合いをしたネム、にっくき恋敵のネム、で もあいつがいなくなったらつまらなくなりそうだなぁ・・・。 「仕方ねぇ。俺が一肌脱いでやるか。」  ユーサクはそう一人ごちると呟くとミキコちゃんの家に向かって歩き出しま した。 「姉ちゃん、いつまで落ち込んでんだよ。」  自分の部屋で沈んだ表情でぼんやりと考え事をしていたミキコちゃんに声を かけたのは弟のアキヒコでした。アキヒコもここのところ元気のない姉の姿を 見て、事情は察していましたし、心配していたのでした。 「気になるんなら、謝ればいいじゃないか。うじうじしてたってしょうがない だろ?!俺はそんな姉ちゃん見ていたくないよ。ネムさんが妖怪だろうがなん だろうが構わないじゃないか!」 「でも……、だめよ。あの時のネムくんの目……。あたしはネムくんが落ち込 んでたのが判ってた筈なのに余計にそれに油を注いだのよ。きっとネムくんは もうあたしの顔なんか見たくないと思ってるに決まってるわ!」 「そんなの姉ちゃんの勝手な思い込みだよ。それにもし姉ちゃんの言う通りだ ったとしても落ち込んでたってどうしようもないじゃないか。悪い癖だよ。一 人でうじうじ悩むだけで行動しようとしないってのは。」 「・・・・。」 「会いに行くのが気まずいなら、電話するなり手紙書くなりいくらでも方法は あるだろ? 俺は別にネムさんが妖怪だって構いやしないよ。落ち込んでる姉 ちゃんを見てるよりは……。それに妖怪さんと友達だってのも結構面白いしね ー。」  アキヒコは少しおどけたような口調で言いました。しかし口調とは裏腹に真 剣な目でミキコちゃんを見つめています。アキヒコの言葉はミキコちゃんの一 番痛い部分をついたものでした。しかしアキヒコの真剣な思いはミキコちゃん の心を動かしました。 「どうするんだい? 手紙を書くならユーサク兄ぃが届けてくれるって言って たけど……。」 「ユーサクくんが??」 「ああ、そうだよ。さっきうちに来たんで話をしたんだ。姉ちゃんが落ち込ん でるのを見てられないし、それにネムさんがいなくなったら張り合いがなくな る、とか言ってさ。ユーサク兄ぃもあれでホントは姉ちゃんやネムさんのこと を心配してんだよ。」 「うん。」  ミキコちゃんは少し考え込んでから思い切ったように言いました。 「判ったわ。いつまでもうじうじしてたって仕方ないもんね。アキヒコ、あり がと。」  そう言うとミキコちゃんは一通の手紙を書きました。
5、いつかきっと・・の巻 「トール様、お久しぶりですね。」 「“トール”と昔のように呼んでくれればいい。今日の私は雷神トールではな く、私人としてのトールだからな。」  トールは憂いに沈んだ表情でアッコさんに言いました。 「もう二度とおまえに会うことはないと思っていたのだが……、頼みたいこと があるんだ。」 「流石のトールも今度ばかりは悩んでいるようね。」 「うむ。ネムのわがままにも困ったものだ。人間になって地上に留りたいなど と言っている。」  トールはネムとの会話の内容をアッコさんに詳しく説明しました。 「今はまだ気持ちが混乱していてあんなことを言っているだけで、落ち着けば 帰った方がいいと、判ると思うのだが……。アッコ、あいつもおまえの言うこ となら聞くかも知れない。なんとかネムを説得して貰えないだろうか・・。」 「アスガルトに帰るように?」 「そうだ。」 「お断りよ。」  アッコさんはきっぱりとトールに告げました。トールは思いもかけない言葉 を聞かされて唖然としてアッコさんを見つめていました。 「なぜだ? 例え人間になったとしてもこのままネムが地上に留ってもどうに もならない、ということはおまえにも判っているだろう?」 「それは判ってるわ。でも私はネムの気持ちを尊重したいの。」 「あいつはまだ子供だ。自分がどういう立場に置かれているのか全然把握せず に感情だけでものを言っているだけだ。」 「そうかしら? 私はそうは思わないわ。少なくとも今のネムは一年前地上に 来たばかりの頃のネムじゃないわよ。一年前はボロボロに負け越して泣きべそ かいてたネムが今は、これほど辛い目に遭っても“地上に留ってやり直したい” と言ってるんですからね。」 「・・・・。」 「それにアスガルトに帰っても同じことよ。そりゃ、地上に留ったらネムはよ り一層厳しい立場に置かれるかも知れないけど、このまま帰ってもネムは一生 後悔することになると思うの。」 「そうかも知れない。だがやはり私としてはネムが地上で苦しい目に遭うのが 判っているのに置いていくのはしのびない・・・。」 「その気持ちは判るけど、結局選ぶのはネム自身よ。例えあなたがどんなにネ ムのことを心配していてもネムの重荷を肩代りしてやることも、ネムの人生を 代わりに歩いてやることも出来る訳ないんだから・・・。ネムは自分の人生を 自分で選択して自分で乗り越えて行かなくてはいけないのよ。」  アッコさんの言葉には容赦がありませんでした。アッコさんの声の調子には トールをも糾弾するような調子さえ、含まれているようです。 「・・・そうだな。おまえはそういう女だったな。だが、私は……。ネムが不 敏でならないんだ。あんな妖怪人間という烙印を背負ったまま、生きていかな くてはならないなんて。」 「そうなったのはトール、あなたの責任でもあるのよ。」 「うむ・・。」 「それにそれはネムだけじゃないわ。人間なんてみんな同じよ。誰だって一つ や二つの重い荷物を背負って生きているものよ。なんの障害もなく順風満帆の 人生を送れる人なんてほんの一握りの恵まれた人だけだわ。うちの親方だって そうだった。初めて会った時はどんなに暗い目つきをしていたことか……。」  アッコさんは昔を懐かしむような目をして言葉を続けました。 「若い頃の親方は心に余裕がなくて世の中を憎悪していて、いつも突っ張って て、でも一皮剥けば凄く脆い部分を持ってて寂しがり屋で……、そんな人だっ た。今でこそ故郷に帰れば英雄扱いして貰えるけど、追出されるようにして村 を飛び出して部屋に入門したのよ。私はそんな親方を見ていられなくて、出来 ることなら重荷を肩代わりしてあげたいとそればかり思ってた・・。でもそん なこと出来る訳なくて、私に出来たことは唯、いつもそばにいて励ましてあげ ることだけだった。そのことはトール、私があなたよりも親方を選んだ時に言 った筈よ。」 「ああ、そうだったな。」 「ネムも同じ・・・。地上に残ってもアスガルトに帰ったとしてもあの子はき っと後悔したくなる時が来ると思うの。だからこそ自分で選ばなくてはならな いのよ。例え親であっても結局は他人に過ぎないの。どんなに心配したってあ の子の人生を歩んでいかなくてはならないのはあの子自身なのだから・・。」 「相変わらず厳しいな、おまえは……。」 「ネムが地上に残ったとしても本当に苦しみに打ち勝てるかどうか・・、それ は私にも判らない。いつか耐えかねて挫折してしまう可能性の方が高いかも知 れないわ。もちろん私はネムが地上に残るなら、全力をかけて守る・・。でも それは結局ネム自身の問題なのよね。ネムが自分で乗り越えなくてはならない こと……。」  アッコさんの言葉には強い意志が宿っていました。そこにはアスガルトで後 ろ指をさされながらも、人間と結婚することを選んだアッコさんだからこその 強い思いが込められていたのかも知れません。トールはそんなアッコさんに完 全に気押されていました。そしてそれと同時に若い頃の苦い思い出を心の中で 噛み締めていたのでした。  トールとアッコさんの会話を柱の影で聞いていたユナはそこまで聞いてすっ とその場を離れました。ユナの思いもトールと共通するところにあり、これ以 上聞いているのは、ユナにとっても辛いことだったのでしょう。  ネムは部屋の近くにある一級河川の川原に寝っ転がってじっと空を見つめて いました。青い空に真っ白い雲がふわふわと漂っています。そういえば、一年 前、ビフロストの橋を渡って来た時にもこんな風景を見たっけ・・・。風景は 変っていない筈なのにあの時と今とではなんて違って見えるんだろう……。 「ネムくん、やっぱりここにいたのね。」  ユナはネムを見つけて舞い降りてきて声をかけました。 「ユナ・・・。」  ネムは身を起こしてユナを見つめました。 「ミキコちゃんと待ちあわせしてるんでしょ? ネムくんの机に手紙が置いて あったのを見ちゃったの。」 「ユナ、まだ怒っているのかい?」 「ううん。」  ユナは首を横に振りました。 「そう? それならいいんだけど……、でも決心は変わらないよ。僕は人間に なる。」  ネムはきっぱりと言いました。ユナは悲しそうな顔つきでその言葉を聞いて います。 「一時の感傷で言ってるんじゃないよ。僕は僕なりによく考えた上でのことさ。 シローに言われたことをずっと考えていたんだ。魔法の力でお相撲さんになっ て、活躍して有頂天になってて……、だけどやっぱりそんなのは嘘の自分でし かなかったんだ。貴一気さんにしても、房亜梨州さんにしても、若一気にして も、有品山にしても、みんな自分の力で一生懸命稽古して関取になったんだ。 関取になれないでやめて行く人だって沢山いる。なのに僕だけ魔法の力で初め から関取になれるなんてやっぱり許されないことだよね。」  ネムは言葉を続けました。 「僕もみんなと同じ人間になるよ。地上でアッコさんの子供になって、そして もう一度、一からお相撲さんを目指すことにするよ。魔法の力でではなしに自 分の力で……。」 「うん、ネムくんがそう決めたのならもう何も言わないわ。この間は感情的に なってひどいこと言ってごめん。でも本当に一生妖怪人間でもいいのね?」 「それは……、でも結局は自分で蒔いた種なのだから……。」  そう言うとネムは首にかけていた、魔法の軍配ペンダントを引きちぎりまし た。 「もう、魔法は要らない・・・。」  そういうとネムはペンダントを川面に向かってほおりなげました。ペンダン トは陽の光を反射して、キラキラ光りながら大きく弧を描いて水面に落ちて行 きました。  小さな水しぶきが上がった時、ネムの心にもユナの心にも一抹の寂しさが湧 き上がってくるのを止めることが出来ませんでした。思えばあのペンダントに は地上に来てからの一年間の喜びや悲しみ、その他色々なものが凝縮されてい たような気がするのです。そしてネムは今、ペンダントに凝縮されていたもの を全て捨て去って新しい一歩を踏み出すべく、魔法と決別したのでした。 「ほら、ミキコちゃんが来たわよ。」  ユナはわざとらしく明るい声を出して遠くを指差しながら言いました。 「私はアスガルトに帰るわ。ネムくんが人間になるなら、取り合えず私のお役 目は終わりだし……。ネムくん、頑張ってね。たぶんもう死ぬまで会うことは ないと思うけど、私のこと忘れないでね。」 「忘れやしないさ。ユナ、君も元気で……。」  そう言うとネムはミキコちゃんに向かって手を振り、歩きだしました。ユナ はじっとその後ろ姿を見送っていました。その目にはキラリと光る物が浮かん でいます。いくつもの思い出が頭の中に浮かんでは消え、ユナは暫くその場を 動くことが出来ませんでした。遠くで何事か語らっているネムとミキコちゃん の姿がユナの目に霞んで映ります。 「ネムくん、頑張ってね。」  ユナは二人の姿を見つめながら呟きました。 「そしていつかネムくんがこの世を去る時に、きっとワルハラに迎え入れられ るような立派なお相撲さんになって……。その時にはきっと私も一人前のワル キューレになってるわ。そして必ずあなたを迎えに来てあげるから……。いつ かきっと、そんな日が来ることを私は信じてる・・・・。』  やがてユナは思いを断ち切ろうとするかのように、小さな翼をはためかせて 青空に消えて行きました。  小さな胸に“いつかきっと”の思いを乗せて・・。                            <FIN>
  初出 1989年6月10日〜6月29日   PC−VAN 大相撲ぱそ通場所   #3−1肩入れさじき席 #2672、#2712、#2734               #2752、#2769   この小説は上記のボードに掲載されたものに、一部加筆修正を加えたもの   です。

あとがき


と、いう訳で、今回で『魔法のお相撲さんミンキーネム』は完結ということに なります。  八年も前に書いた小説だったのですが、今回HPに転載するに当たって加筆 修正する為に久々に読み返してみるとやはり感慨深いものがありました。それ によく自分にこれだけのものが書けたもんだ、みたいな気持ちもあります。  でも大変ではありましたが、書くのはとっても楽しかったのが思い出されま す。自分の頭に中にある物語が少しずつ形になっていく……、非才ゆえに思う ように書ききれない部分も多々あったのですが、それでもこの作品は私にとっ 大切な宝物です。  それに、普通なら絶対に言葉に出来ないことなんかも小説の仮面をつけてし まえば、書くことが出来たりするんですよね。それがどの程度読んで下さった みなさんに伝えられることが出来たかは判りませんが……。  あとこの小説を書いてる時に作家の持つ潜在意識の不思議さというのを体験 出来ました。と、いうのはワルキューレの少女という設定で登場したユナなの ですが、実は第一章で登場させた時にはラストのことなんかまだ全然考えてな くて、なにげなく考えただけの設定だったんですよね。それがいつの間にか伏 線になっててラストシーンに繋がってくれました。ま、偶然かも知れないので すが、偶然にしてはうまくはまり過ぎてますし、不思議だなぁ、と感じました。  拙い小説でしたが、読んで下さったみなさん、どうもありがとうございまし た。それにこの小説の登場人物には当時『大相撲ぱそ通場所』に参加しておら れた方の名前をいくつか使わせて頂いてます。その方々にもこの場を借りて改 めてお礼を申し上げます。                       1997/10/06 眠夢

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