【土生長穂、4月の一言】



東ティモールで日本がすべきこと


 3月24日に卒業式があり,昨年留学していた4人のゼミ生が
卒業しました。これですべてのゼミ生が卒業して名実ともにゼミ
が終了しました。教師生活もこれで完全に終わりとなって寂しい
ようなホットしたような何ともいえない気持ちです。     
         ×    ×    ×         
−派遣される自衛隊                  
 ところで,インドネシアに支配されて虐殺の島と言われた東テ
ィモールが5月20日に独立することになり,その前提としての
大統領選挙が4月15日から行われることになりました。独立後
も国連の平和維持軍を中心としたPKO組織が2年をめどに残る
ことになっていますが,日本はこの度それに自衛隊を派遣するこ
とにしました。そして,3月4日にその先発隊がティモールに到
着しました。そして日本では報道されませんでしたが,ティモー
ルでは「従軍慰安婦」にさせられた人たちが抗議行動をしたよう
です。                          
         ×    ×    ×         
−人権NGOの見方                  
 このことに関して朝日新聞に東ティモールの人権NGOの方の
投稿が掲載されました。彼は次のように言っています。    
 「日本の軍隊が東ティモールの中心都市ディリに侵攻したのは
42年3月20日のことである。この日から3年半の間,東ティ
モールに人々は日本軍の占領下で辛酸をなめさせられることにな
る。東ティモール人も日本の人々も,多くはこの歴史的事実を知
らない。(略)しかし,歴史にふたはできない。東ティモールに
は,防空壕や道路,軍の宿舎跡など日本軍の残したものがまだ残
っている。これらを作るために多くの人々が労働を強いられ,拷
問を受け,死んでいった。東ティモール人女性がこの営舎に閉じ
こめられ,「従軍慰安婦」にさせられた。これらロームシャやイ
アンフの体験を持つ人々は今もたくさん生存している。これら歴
史的事実に対する日本政府の謝罪や,犠牲者への正義の回復は、
いまだに行われていない。インドネシア国軍は東ティモールの人
々を拷問しレイプした。過去の日本軍も同じように東ティモール
の人々を抑圧した。期間が長いか短いかの違いだ。にもかかわら
ず,インドネシア国軍に対しては各界が非難し,日本に対しては
,3月から始まった自衛隊の国連平和維持活動参加を支持してい
る。(略)日本がすべきことは,過去の犠牲者を苦しめる自衛隊
派遣ではない。謝罪にもとづきその政治力と経済力をインドネシ
アと東ティモールの関係正常化を目指す外交努力に向けてくれる
ことだ。」                        
         ×    ×    ×         
−なぜ日本が侵攻したか                
 東ティモールは当時ポルトガルの植民地でした。ポルトガルは
第二次大戦では中立国でしたし,日本と戦争していたわけではな
いのでなぜ東ティモールに侵攻したのかと思って調べてみました
。すると,日本軍がインドネシア(当時はオランダ領東インド)
を侵略し,西ティモールを占領したとき,オランダ軍とオースト
ラリア軍が東ティモールを占領していたのですでに東ティモール
の中立は破られていると判断し,オーストラリア侵攻の前線基地
としてティモール全島を占領することにしたのです。こうしてテ
ィモールに2万の軍隊が送り込まれ,そのための慰安所も設置さ
れました。それにティモール人女性も強制的にかり集められたの
です。さらに,戦局の悪化とともに補給も途絶えてしまい,飢え
た日本兵はティモール人の畑や家畜を略奪しました。野生の動物
も狩り尽くしました。多くのティモール人は飢餓に陥って死んで
いきました。日本軍の占領下で1万人以上の死者を出したとされ
ている。(ティモールの人工は約47万でした)       
         ×    ×    ×         
−75年の独立に反対票                 
 戦後も日本は東ティモールの人々に謝罪すべきことを行ってい
ます。東ティモールは1975年11月28日東ティモール民主
共和国として独立を宣言しました。しかし,インドネシアは東テ
ィモールを併合するため軍隊を投入して占領し,翌76年東ティ
モール人の抵抗を抑圧して,併合を宣言してしまいました。国連
は75年の総会本会議でインドネシアの軍事介入に深く遺憾の意
を表してすみやかな撤退を呼びかける決議を賛成72反対10棄
権43で採択しました,しかし,日本はアメリカとともに反対票
を投じました。                      
 インドネシアは日本やアメリカの支持をうけてこの決議を拒否
して併合を宣言したのです。それ以後もインドネシア軍の撤退を
要求する決議を国連でひきつづき採択されましたが,日本は一貫
してそれに反対しその上インドネシアのために国連でロビー活動
をしてインドネシア支持国を増やす努力をしたのです。98年5
月30年におよぶスハルト独裁政権が崩壊し,99年9月東ティ
モールでの住民投票で80%近い人が自治を拒否して完全独立を
選択しました。インドネシア国軍に支援された独立反対派の武装
組織が大規模な住民虐殺を行ったことは記憶に新しいことです。
         ×    ×    ×         
−被害者の神経逆なで                 
 このような経過を経ての今回の独立なのですが,日本政府は戦
時中はもとより戦後の行動についても頬かぶりしたままで自衛隊
を送り込んだのです。東ティモールではNGO連合や被害者は反
対しているが,それは少数派で多くの人は好意的だと報ぜられて
います。しかし,たとえ少数派であっても被害者の神経を逆なで
していることは間違いありません。やはり朝日新聞に民主党の議
員の方が自衛隊派遣は有効な国際貢献策なのか他にももっと平和
的な貢献策はないだろうかというきわめて興味深い提唱をしてい
ます。自衛隊が道路や端の補修をすることになっているが,その
ようなことは日本の民間人と現地の人でできるし,その方が東テ
ィモ−ルの人の働き口もでき技術も習得できる。「現地にとって
は自衛隊派遣よりもはるかに有意義なものになるはずだ。」とい
う主張で,私もこれに大筋において賛成です。        

At 20:49pm 2002/03/28, nhabu@mwa.biglobe.ne.jp wrote: