[トップページ][平成10年上期一覧][Common Sense][210.75 大東亜戦争][271 オーストラリア][319.8 戦争と平和]
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        _/  _/    _/  _/           Japan On the Globe (37)
       _/  _/    _/  _/  _/_/      国際派日本人養成講座
 _/   _/   _/   _/  _/    _/    平成10年5月16日 2,487部発行
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_/_/         Common Sense:恩讐の彼方に		
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_/_/           ■ 目 次 ■
_/_/   1.勇敢な敵、オーストラリア兵士のために
_/_/   2.オーストラリア海軍葬で弔われた日本軍人
_/_/   3.英国兵捕虜の墓参
_/_/   4.フィンランド人の心を捕らえた中曽根首相の献花
_/_/   5.日本人の忘れた慰霊の意味
_/_/   6.日韓の恩讐を超えるには
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■1.勇敢な敵、オーストラリア兵士のために■

 シンガボールの中学用歴史教科書(Social and Economic       
History of Modern Singapore)には、次のような一節がある。

     オーストラリア軍は、武装を完全に整えて日本軍に対して戦
    闘体制に入った。ところがその時、半裸の村民たちは(日本軍
    に味方して)、オーストラリア軍に敵対してくる事が判った。

     そこでオーストラリア軍は決死の覚悟を固め、激しい戦闘の
    果てに二百人がすべて戦死した。この戦によって日本人の戦死
    傷者は、一千人に達した。

     日本兵やその指揮官たちは、オーストラリア兵の勇気に感激
    した。彼らは敬意を表すために、二百人を葬った墓地の上に巨
    大な木製の十字架を建てた。十字架には『私たちの勇敢な敵、
    オーストラリア兵士のために』と書かれた。

 名越二荒之助氏(前高千穂商科大学教授)が、オーストラリアを
訪ねた時、現地の戦友会が歓待してくれたので、この教科書を示し
て、話を紹介したところ、「日豪友好の絆がもう一つ増えた」とた
いそう喜んだそうである。[1,p698]

■2.オーストラリア海軍葬で弔われた日本軍人■

 実は、オーストラリア側にも、日本軍の勇士を讃えたエピソード
がある。

     第二次世界大戦中、日本海軍はオーストラリアのシドニー軍
    港を特殊潜行艇という小さな潜水艦で奇襲攻撃しました。オー
    ストラリア軍はその勇気に敬意を表し、特殊潜航艇を引き揚げ、
    昭和十七年五月三十一日、戦死した四人の日本軍人(松尾敬宇
    大尉ら)を海軍葬の礼をもって弔いました。

     海軍葬の推進役になつたシドニー地区海軍司令官のモアヘッ
    ド・グールド少将は、「これらの日本の海軍軍人によって示さ
    れた勇気は、誰もが認めるべきであり、一様に讃えるべきであ
    る。このような鉄の棺桶に乗つて死地に赴くには、最高度の勇
    気がいる。これら勇士の犠牲的精神の千分の一でも持って、祖
    国に捧げるオーストラリア人が、果して何人いるであろうと弔
    辞を述べました。

     この海軍葬の模様は当時、ラジオを通じてオーストラリア全
    土に放送されました。[1,p701]

■3.英国兵捕虜の墓参■

 戦争によって身内を亡くした遺族が、敵国を恨み、憎むのは当然
の人情である。しかし一度戦争が終わったら、両国の親善を回復す
べく、その恨みつらみを癒さなければならない。その根本は、戦死
者の慰霊である。

 三重県・紀和町には紀州鉱山があり、現在の町の一部、旧入鹿  
(いるか)村に、第二次大戦末期の一九四四年、東南アジアで旧日
本軍の捕虜となった英国兵捕虜たち約三百人が移送され、鉱山労働
に従事していた。

 同町では、通称「イルカボーイズ」と呼ばれて、地元民に親しま
れていた元捕虜のうち、死亡した十六人をしのんで、戦後、英国戦
没者墓地を整備し毎年慰霊祭を行ってきた。

 紀和町出身でロンドン在住の日本人女性、恵子ホームズさんは、
故郷・三重県紀和町に里帰りした際、英人戦没者墓地がきれいに整
備されているのを見て、感動した。「ぜひ英国人に見てもらいた  
い」と思い、第二次大戦中に日本軍の捕虜だった元英兵たちに話し
かけると、返ってきたのは、「おまえの顔など見たくない」という
罵声(ばせい)だった。

 しかし、恵子さんはくじけずに説得を続け、翌年老兵たちの墓参
りが実現する。強制労働中に無念の死を遂げた戦友の名を刻んだ立
派な御影石の墓碑に驚き、感動した元捕虜の一人は涙ぐみながらつ
ぶやいた。「ようやく私の戦後が終わった」

 恵子さんが仲介して来日した元捕虜とその家族は約百二十人にの
ぼる。この4月28日、恵子さんは日英の和解に尽力した功績で、
エリザベス英女王から「第四等勲士」の勲位を受けた。[2]

■4.フィンランド人の心を捕らえた中曽根首相の献花■

 国家のトップが他国を訪問した時には、その国の戦争英雄や無名
戦士の墓に詣でる事が国際儀礼原則となっている。中曽根首相が日
本の総理大臣として初めてフィンランドを訪問した時も、「戦争英
雄の墓」に献花をした。この時はマイナス三十四度という厳寒にも
かかわらず、首相は手袋をとって、重さ十五キロ、直径約一メート
ルの花束を捧げた。この行為に、フィンランド国民は大変感激して、
中曽根首相を褒めたたへたのである。

 実は中曽根首相は、その三年前「日本が防衛努力を怠ると、フィ
ンランドのやうにソ連の属国になる」という「フィンランド化」発
言をして、フィンランド国民を激怒させていた。12世紀以来、ス
ウェーデンやロシアの支配下にありながら、独立の為に果敢に戦っ
てきた歴史を持つフィンランド人にしてみれば到底許せない発言で
あった。当時フィンランド国内では、この発言をめぐって毎日非難
轟々だったそうだ。その張本人がやって来て、この献花の行為で一
挙に汚名返上し、逆に褒め称えられるまでになったのである。慰霊
がいかにその国の国民の心を捕らえる行為であるか、の証左である。
[3]

■5.日本人の忘れた慰霊の意味■

 パリを訪れた日本人旅行者なら、かならずといって良いほど、ド
ゴール広場に立つ「凱旋門」を訪れる。しかし、これがフランス国
民にとっては戦歿同胞を追悼する記念碑であり、無名戦士の遺骨が
埋葬されている聖なる場所だと知っている人は少ないだろう。第一
次大戦に散った無名戦士の遺体が1920年にパンテオン(万神殿、フ
ランス国家に献身した文武の偉人の埋葬所)から凱旋門の下に移さ
れた。無名戦士の一遺体にすべての戦歿者を代表させているのであ
る。凱旋門とは生還した出征兵士を迎えるだけでなく、生きて母国
に帰れなかった戦歿者を迎える所でもあるのである。

 声高に冗談を言いながら、記念写真をとっている日本人観光客の
姿を「心ない」人々だと思っているフランス人もいるであろう。

 ハワイにある太平洋国立記念墓地では、日本人観光客は戦歿者の
墓石を跨いだり紙屑を散らかすから、バスの中から見学してもらう
ことにしたという。[4,p56]

■6.日韓の恩讐を超えるには■

 前述の名越氏は、かつて、学生とともに韓国を訪問した時に、ソ
ウルの南郊にある国立墓地を参拝された。ここは朝鮮戦争の際の数
多くの戦歿者を中心に祀った壮大な墓地である。

     私たちは朝鮮動乱で尊い身命を捧げた韓国軍人に、日本人と
     して最高の礼を尽したいと思いました。そのために国旗・日
     の丸を用意しました。墓域に入ると、日の丸を旗竿につけ、
     当時九州大学四年の片岡健君を先頭に整然と進みました。衛
     内から中央に建つ「顕忠塔」まで、三百メートルはありまし
     ょうか。

     顕忠塔に近づくと、日の丸を揚げた意外な参拝者に、側の若
     い衛兵二人はニコニコしながら近づいてきました。韓国の青
     年は日本語がわかりません。私たちは英語が不得手です。言
     葉は通じないのです。しかし、すべては分かるのです。彼ら
     は銃を持ちかえて我々に握手を求めてきました。

     私たち一同は敬礼して用意した花束を供えました。黙祷を捧
    げていると、若い衛兵二人も、私たちの横に並んで黙祷をして
    いるのです。私たちの真剣な態度に打たれたのかも知れません。
     [1,p642]

 長い歴史を通じた日韓の恩讐を超えるにも、まず互いの国のため
に命を捧げた人々に対する慰霊から始めよう、というのが名越氏の
提言である。

[参考]
1. 日韓2000年の真実、名越二荒之助編著、国際企画
2. 読売新聞、98.05.03朝刊、98.04.3朝刊
3. フィンランド国防事情、石岡久彌、まほろば、H7.3
4. 「深い泉の国」の文化学、山内健生、展転社、H10

■おたより 草壁さんより    

 戦没者を慰霊する事で友好を築くというのは、非常に素晴らしい
考え方で大いに感動しました。

 また、慰霊に際しての態度ひとつで相手に与える印象は劇的に変
化するという事を考えるに、他国の墓参りをするときには常に品位
ある態度を取りたい所です。

■編集部より

 反戦平和主義から、慰霊を忘れては、我々は品位の重要な部分と、
諸外国との友好の重要手段を失うことになります。

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