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        _/  _/    _/  _/           Japan On the Globe (64)
       _/  _/    _/  _/  _/_/      国際派日本人養成講座
 _/   _/   _/   _/  _/    _/   平成10年11月28日 3,904部発行
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_/_/        地球史探訪:日泰友好小史(下)
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_/_/           ■ 目 次 ■
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_/_/    1.巧みな外交手腕
_/_/    2.コボリを死なすな
_/_/    3.こんな気の毒な日本を見ていられるか
_/_/    4.身を殺して仁をなした日本というお母さん
_/_/    5.仁魚
_/_/    6.両国民の思いやりと志の積み重ねの上に
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■1.巧みな外交手腕■

 日本が敗れると、同盟国タイにも英印軍、オランダ軍、豪州軍が
進駐してくる。イギリスはタイ領土の割譲を要求し、フランスは終
戦のどさくさに越境するなど、白人帝国主義の本領を発揮したのだ
が、タイは国連の安保理事会に訴えるなどして、難を逃れている。

 連合軍は、戦争犯罪人を裁くと主張したが、タイは自国ですると
主張し、ピブン元首相以下10名を逮捕して裁判にかけたが、その
後、容疑者全員を釈放している。驚くべき事に、戦犯として逮捕さ
れたピブン首相は、すぐに釈放され、戦後また首相に返り咲いてい
る。そして反共親米政権を作った。

 日本で言えば、東条首相が東京裁判後、すぐに釈放され、再び首
相となって、今度はアメリカと組んで、共産主義と対決したといっ
た所である。いわば、戦争には負けたが、爆撃や原爆攻撃は受けず、
王制はびくともせず、開戦時の首相がアメリカと仲良くやっていく、
という手品のような事が起きたわけである。自虐史観など起こりよ
うがない。

 我が国の政治指導者が大正期以降失ってしまった巧みな外交手腕
を、タイはずっと維持して、第2次大戦の荒波もかいくぐってきた
と言える。[1,p240]

■2.コボリを死なすな■

 タイの人々の対日感情を反映し、また形成するのに映画やテレビ
は影響力が大きい。日本軍将校とタイ女性との悲恋物語、トムヤン
ティ原作の「メナムの残照」は、タイで人気が高い。すでに3回も
映画化され、いくつもの賞を受けている。

 大東亜戦争中に、日本人将校小堀と、美しいタイ娘アンスマリン
が出会う。彼女は日本への反感に心が揺れながらも、やさしく誠実
な小堀にひかれ、やがて二人は結婚する。小堀の子供を身ごもった
アンスマリンは、戦火の拡大でバンコクが空襲を受けた夜に行方不
明の小堀を探しに行く、というストーリーである。

 テレビ化された時は、コボリを死なすな、と大量の投書が寄せら
れたそうである。

■3.こんな気の毒な日本を見ていられるか■

 戦時中、タイは進駐していた日本軍に20億バーツ(30億円) 
を貸与していた。その返還交渉に使節団が来日した。顧問のソムア
ンは戦前、日本で過ごし、頭山満などにかわいがられた人物である。 
池田蔵相は、日本の経済事情を説明して、返済の値引きを求めたと
ころ、即座に了承した。

     「国に帰ったら、殺されるかな」とフッと思った。けれど、
    「まあいいや、友邦日本は悲惨な状態なんだから」と自分に言
    い聞かせました。

 ソムアン顧問は、さらに次のように語っている。

     日本国民は餓死寸前の時でありました。日本中が焼け野原で
    した。そして皇族も華族もいなくなり、有力な軍人と賢明な役
    人と高潔な政治家は牢に叩き込まれて誰もいません。アメリカ
    はそっくり返って威張っている。団員は口々に「こんな気の毒
    な日本を見ていられるか」と言いましたよ。だから、私に向か
    って池田勇人蔵相が熱心に払えない理由を釈明していたけれど、
    全然聞いていなかったのです。

 ソムアン顧問とその父で戦前に経済相をつとめたプラ・サラサス
氏は、さらに「あまりにも日本の少年少女がかわいそうだ」と言っ
て、私費で象の「花子さん」と米10トンを贈ってくれた。子供達
ばかりでなく、当時の大人も花子を見て、敗戦後も変わりないタイ
の好意に、心暖まる思いをしたのではないだろうか。

 プラ・サラサス氏はまた、マッカーサーと直接あって、「将来、
アメリカはソ連とかならず対決する日が来る。その時、力になるの
は日本である。日本をいじめる事は、アメリカのためにも、アジア
のためにも、ならない」と進言している。[1,p250]

■4.身を殺して仁をなした日本というお母さん■

 1973年にタイの首相になったククリット・プラモード氏は、「サ
イヤム・ラット」紙の主幹だった頃、「12月8日」と題した次の
ような記事を書いている。

     日本のおかげで、アジア諸国はすべて独立した。日本という
    お母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はす
    くすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が、米・英と
    対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるか。それは
    身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったがためであ
    る。12月8日は、われわれにこの重大な思想を示してくれた
    お母さんが、一身を賭して、重大な決心をされた日である。我
    々はこの日を忘れてはならない。

 このお母さんとは、現代日本の核家族の母親を想像しては間いで
あろう。戦前の日本のような、そして現在のタイのような、子供を
7人も8人も生んで一生懸命育てている母親を想像すると、この
「お母さん」の比喩がさらによく分かるだろう。

■5.仁魚■

 仁といえば、次のエピソードも忘れがたい。

 今上陛下は昭和39年、皇太子時代にタイを訪問された。その時、
山奥の苗(ビョウ)族のタンパク質不足の問題をタイ国王からお聞
きになり、魚類学者としてのご研究から、飼育の容易なティラピア
という魚50尾を国王に贈られた。

 この魚はタイ国内でさかんに養殖され、国民の栄養状態改善に貢
献するばかりでなく、73年にはバングラデシュへの食料支援として
50万尾も贈られたという。

 ある日本人は、魚市場でタイ人から、「この魚は、日本のチャ
オ・ファー・チャイ(皇太子)が持ってきてくれたんだ」と聞かさ
れたそうである。

 この魚の漢字名は「仁魚」という。華僑系市民がこの話に感動し
て、陛下のお名前(明仁)をとって命名した由である。[2]

■6.両国民の思いやりと志の積み重ねの上に■

 社民党の土井たか子氏は、平成7年、戦後50年の戦没者慰霊式
で衆議院議長として式辞を述べ、「日本はアジアの人々のまことの
和解を手にしていないのであります」と語った。

 この短い言葉の中には、これからの国際派日本人が犯してはなら
ない誤りが二つも含まれている。

 第一の誤りは「アジアの人々」という概括の仕方である。隣り合
わせのタイとマレーシアでも、歴史、言語、文化、政治体制、対日
関係とすべての面で大きな違いがある。それらを十把一絡げに「ア
ジア」と呼ぶ姿勢には、相手の民族・国家の個性をきちんと理解し
て、交際していこうという誠実さは感じられない。

 第二の誤りは、「まことの和解を手にしていない」というような、
口先だけの態度である。タイから見れば、そんなセリフで一人格好
をつけている暇があったら、もっと汗をかいて現実の問題の解決に
手助けをして欲しいというのが、本音であろう。

 前号で紹介したタイの新法制制定を指導した政尾虎吉博士や、女
子教育の草分け安井てつの努力を思い起こすべだ。政尾博士が亡く
なられた時に、タイは国葬の礼をもって遇したのである。

 土井党首率いる社民党は今まで「アジア」の国々のために一体ど
のような汗をかいたのであろう。社会党時代にカンボジアのPKO
にすら国会の牛歩戦術で反対した事しか筆者の記憶には残っていな
い。

 タイと日本とは今回紹介したように120年以上の友好と同盟の
歴史を持ち、それは政尾虎吉や安井てつのような人々の志によって、
築かれてきた。また敗戦時に好意を寄せてくれたソムアン氏、プ
ラ・サラサス氏のようなまごころによって培われてきた。このよう
な両国の人々の具体的な志と思いやりの積み重ねを思い起こしつつ、
その友好関係をどう継承・発展させていくのか、ということを考え
なければならない。

[参考]
1. 「アジアに生きる大東亜戦争」、ASEANセンター編、展転社、
    S63.10
2. 「皇太子殿下の仁魚」、祖国と青年、H4.1

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