[トップページ] [平成11年上期一覧][国柄探訪][121日本思想][310 政治]
_/ _/_/ _/_/_/ _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ _/ _/ _/ _/ Japan On the Globe (82) _/ _/ _/ _/ _/_/ 国際派日本人養成講座 _/ _/ _/ _/ _/ _/ 平成11年4月10日 7,639部発行 _/_/ _/_/ _/_/_/ _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ _/_/ _/_/ 国柄探訪:日本の民主主義は輸入品か? _/_/ 〜衆議公論の伝統〜 _/_/ _/_/ ■ 目 次 ■ _/_/ _/_/ 1.日本の民主主義は戦後から? _/_/ 2.神代の衆議 _/_/ 3.「和」に基づいた衆議 _/_/ 4.衆議は無私の態度で _/_/ 5.万機公論ニ決スベシ _/_/ 6.民主主義的傾向ノ復活強化 _/_/ 7.君主制民主国家と共和制独裁国家 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/■1.日本の民主主義は戦後から?■日本に民主主義がもたらされたのは、戦後、アメリカから、とい うように考えている人が多い。しかしこれは事実だろうか? たとえば、選挙制度の発展を見てみよう。非納税者にも選挙権が 与えられたのは、日本では1925(大正14)年だが、イギリスでは1918 年とわずか7年の遅れである。アメリカでは、黒人の政治参加を合法的に排除するために南部諸 州は選挙人資格として人頭税を導入しており、これが完全に撤廃さ れたのは、なんと1960年である。 欧米諸国に比べて、日本の選挙 制度がそれほど遅れていたとは言えない。[1]近隣のアジア諸国と比べてはどうか。韓国では、79年にクーデタ ーで実権を握った全斗煥将軍が、翌80年には非常戒厳令を発して、 金大中(現大統領)、金鍾泌ら有力政治家を拘束している。実質的 に民主選挙が機能し始めたのは、87年の盧泰愚政権以降であろう。台湾で史上初の大統領選挙が行われたのは、96年である。漢民族 5千年の歴史で初めての民主選挙と話題になった。このとき、これ 見よがしにミサイルを発射して、自由選挙を脅かした中国は、野党 を結成しようとした民主活動家を逮捕して、懲役10年以上の弾圧 を加えており、今の共産党政権が続く限り、民主選挙が行われる気 配はまったくない。[2] これらの国に比べれば、我が国は110年前、1889(明治22)年に アジアで最初の近代的憲法を制定し、翌年、帝国議会を開催した。 アジアの中では群を抜いて早い。なぜ日本だけが、自由選挙、議会 政治という民主主義制度をいち早く取り入れる事ができたのか? 欧米の民主主義と類似の土壌が、江戸時代以前からすでにあったの ではないか?■2.神代の衆議■西洋における民主主義の源流は、古代ギリシア、ローマ、ゲルマ ン社会で行われていた民会である。財産や身分などで参加制限はあ ったが、そこで市民の話し合いによって、共同体としての意思決定 が行われていた。 面白いことに、民会と同様の集まりが、日本神話にも見られる。 速須佐の男の命(はやすさのおのみこと)が、高天の原を訪ね、乱 暴狼藉を働いたので、姉の天照らす大御神は天の岩屋戸に籠もって しまわれ、それがために高天の原は真っ暗となってしまった。 ここで、八百万の神々は天の安の河原(あめのやすのかわら)に 「神集い集ひて(かむつどいつどい)」て、相談をする。その結果 が、お祭り騒ぎをして、天照らす大御神が少し岩戸を開けて、外を のぞいた時に、その手をとって引き出すという妙案となり、見事成 功する。そして、再び「八百万の神共に謀りて」、速須佐の男の命 を罰し、追放する。[3] ここで興味深いのは、天照らす大御神の態度である。高天の原の 統治者なのだから、号令一下、八百万の神々を動員して、いきなり 速須佐の男の命を追放してもよいのに、そうしていない。しかし、 もしそうしたのでは、天照らすと速須佐の男の武力による権力闘争 となってしまう。これでは毛沢東と劉少奇の争いと同じだ。 天照らすはそれを避け、岩屋戸に閉じこもって、八百万の神々に 自ら考えさせる機会を与えたのである。八百万の神々は、皆で相談 して、天照らすを統治者として迎え、速須佐の男を追放した。衆議 によって、天照らすを正統な統治者とする事を公論として決定した と言える。神話だけでなく、中国の史書、魏志倭人伝にも女王ヒミコが共立 されたと記されている。天照らすと同様、話し合いによって、推戴 されていたのである。 ■3.「和」に基づいた衆議■聖徳太子が推古天皇12(602)年に作られたとされる憲法十七 条は、この衆議公論の伝統を最初に明文化したものである。 第一条の有名な「和をもって貴しとなす」というのは、単に仲良 くせよ、というのではない。人間はみな党派心があるので、エゴの ぶつかりあいが、争いを起こしがちである。太子は「和」の必要な 理由を次のように述べている。 然(しか)れども、上和らぎ、下睦びて事を論(あげつら) ふに諧(かな)ひぬるときは、則(すなは)ち事理自ずから通 ふ。何事か成らざらむ。[4]地位や年齢の上下はあっても、和気藹々(あいあい)と議論を尽 くせば、物事の道理が自ずから明らかになる。そうなれば、出来な い事などあろうか、と言われるのである。クラブとか、職場などで、和やかなムードの中で自由な話し合い が行われれば、衆知を集め、皆の意思統一もできて、何事もきわめ てスムーズに行く、という事を体験された読者も多いだろう。「和 をもって貴しとなす」という第一条は、「和」に基づいた衆議を国 家統治の基本として定めたものである。■4.衆議は無私の態度で■武家の時代となって、長く法治の拠り所とされたのは、貞永元 (1232)年に制定された御成敗式目(貞永式目)である。これは幕 府の評定衆13人の多数決によって制定された。その起請文には、 彼らが、いかに厳粛な衆議を行ったかについて述べている。およそ評定の間、理非においては親疎あるべからず、好悪あ るべからず。ただ道理の推すところ、心中の存知、傍輩を憚ら ず、権門を恐れず、詞(ことば)を出すべきなり法を決めれば、当然、不利な者、有利な者が出てくる。法を考え る場合、自分の親しい者、好む者の利益を考えてはならない。ただ ただ、道理を追求して、他のメンバーの思惑を憚ったり、権力者を 恐れたりせず、発言するべきだ、と言うのである。現代の国会で、特定集団の利益代表となっている議員に聞かせた い言葉だ。このような公平無私な態度で衆議をつくしてこそ、真の 公論、すなわち、国民全体の意思を発見できるのであろう。こうし て制定された貞永式目は長く武士や庶民の法として定着し、民主政 治に不可欠な法治社会の土壌となった。[5,p233]■5.万機公論ニ決スベシ■明治元(1868)年、明治新政府は基本方針として、五箇条のご誓文 を発表した。その第一条が「広ク会議ヲ興(オコ)シ万機公論ニ決ス ベシ」である。このような民主政治の根本原理が、いきなり成立直 後の新政府の第一方針として打ち出された、という点が注目される。第一に、民主政治が西洋諸国の国民全体のエネルギーを引き出し、 経済的・軍事的発展の基盤となっていると、明治新政府は見ていた 点である。西洋諸国の攻勢から独立を守るためには、我が国も同じ 基盤を持たねばならない。そのような新政府の決意を、この冒頭第 一条に見る事ができる。第二は、この方針を当時の国民全体が何の違和感もなく、自然に 受けとめたという点である。新興国で民主選挙をいきなり実施して も、少数派がクーデターを起こしたりして、なかなか安定しない場 合が多い。それに比べれば、明治維新後、わずか20数年でアジア で最初の近代憲法を制定し、選挙に基づく議会開催にこぎつけたの は、やはりそれだけの下地があったからだと考えざるをえない。■6.民主主義的傾向ノ復活強化■昭和20年7月、敗色濃厚の日本に対して、連合国はポツダム宣 言を発し、降伏条件を提示した。その第10条には、日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活 強化ニ対スル一切ノ障礙(しょうがい)ヲ除去スヘシという一節がある。「民主主義的傾向ノ復活強化」という言葉に 注目されたい。連合国側も、民主主義的傾向が戦前から日本にあっ たと認識していたのである。昭和21年年頭に「新日本建設の詔書」が発表された。その冒頭 には、昭和天皇の意思により、五箇条のご誓文がそのまま引用され た。戦後の再出発にあたり、近代日本の出発点が「万機公論に決す べし」にあったことを思いおこさせるためである。占領軍は「デモクラシー」という聞き慣れない用語を持ち込んだ が、国民はそれを何の抵抗もなく、スムーズに受け入れた。昔から の衆議公論の伝統から見れば、特に違和感はなかったのである。■7.君主制民主国家と共和制独裁国家■君主制と民主主義が対立すると考える人が多いが、これが大きな 誤解である事は、イギリス、オランダ、ベルギー、スウェーデン、 デンマークなど、安定した民主主義国は君主制国家に多い事を見れ ばすぐに分かる。民主主義の本質は、「権力」が国民にある事であり、その反対は 独裁制である。君主制は、元首という国家統合の「権威」が世襲で ある事を意味し、その反対概念は共和制である。したがってこれら の組み合わせで、以下の4通りのパターンがある。君主制民主国家:イギリス、日本など 共和制民主国家:アメリカなど 君主制独裁国家:帝政ロシア、清帝国など 共和制独裁国家:旧ソ連、中国など衆議公論の伝統のある所では、イギリスのような君主制にしろ、 アメリカのような共和制にしろ、安定した民主主義を発展させてい る。逆に帝政ロシアや清帝国などの君主制独裁国家を革命で倒して も、衆議公論の伝統のない所では、共和制独裁国家となるだけだ。民主主義が安定的に機能するためには、衆議をつくした結果、定 められた公論には、反対派も従う、という国民的コンセンサスが必 要だ。この衆議公論の伝統が、古代から、我が国の政治文化に脈々 と受け継がれていたからこそ、アジアでは群を抜いて早く、また西 洋にも比肩しうる民主政治の発展が可能であったのである。[参考] 1. Microsoft Encarta Encyclopedia 99 2. 産経新聞、1998.12.22 東京朝刊 7頁 国際面 3. 「古事記」、武田祐吉訳注、角川文庫、S31.5 4. 「聖徳太子の信仰思想と日本文化創業」、黒上正一郎、S5.5 国民文化研究会 5. 「日本人とは何か・上」、山本七平、PHP文庫、H4.4_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/★★読者の声★★_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ ★★JOG(82)「国柄探訪:日本の民主主義は輸入品か?」について 金子 健様より 興味深く読ませていただきました。 文中において、古代ギリ シア、ローマ、ゲルマン社会で行われていた民会と日本神話を対 比されています。 しかし、歴史的事実である民会と単なる神話 を同義に扱うのは合理的ではあるとは思えません。 日本の先進 性を神話を用いて訴えるのは国粋主義的ではないでしょうか。★編集部よりたとえば神話どうしを比べてみても、旧約聖書で人類の増長を 怒って、ノア一家以外のすべてを洪水で滅ぼしてしまうGODに 比べれば、日本の神集いははるかに民主的だと感じますがいかが でしょうか。 また古事記は神話ですが、魏志倭人伝の中にも、ヒミコが「共 立された」という事を、本文の中で紹介しているとおり、当時の 実際の社会状況をある程度、反映しているとかんがえられます。★金子健様よりお忙しい中、ご返答ありがとうございます。 さて、今回のご 返答にありましたように東西の神話同士を同義に扱われるのであ れば疑問は感じません。 我々日本人の「和をもって貴しとな す」の精神は時に裁判に訴えてでも白黒をハッキリさせる欧米の 文化とは異質ではありましょうが、決して優劣があるとは思いま せん。
★★教科書の教えない日本の自由と民主主義の歴史 htakenaka様より記事を読んで深く共感しました.高校で日本史を勉強したとき に感じたのは,近現代史では異常なほど明治維新の「後進性」ば かりが強調されてアジアで植民地化を免れることができた日本の 「先進性」がほとんど無視されていることでした.大学では日本経済史を専攻しましたが,たいがいのテキストは やはり明治維新の「反動性」(王政復古のことを指すそうです) や「半封建的性格」などのオンパレードです.残念ながら歴史研 究・教育の分野は,いまだにマルクス主義の影響が強く,自国の 近代化の過程を素直に理解できない人を育てる場になっている印 象があります.従来の歴史観の眼目は,太平洋戦争の「敗戦」の萌芽が既に明 治維新にあったということを証明する(論証不可能な命題です が)ことであり,地主と財閥による「階級抑圧」が歴史を歪めて きたことを示すことにあります.このような色眼鏡でわが国の戦 前史を見ると,国民的なレベルで自由と民主主義を目指したプロ セスが完全に欠落してしまいます.明治以来の自由民権運動は,立派な民主主義運動ですが,これ も雄藩内部の権力闘争と下級士族の不満に矮小化されています. 確かに今日の私たちからすると民権運動にはずいぶん過激な側面 もあったのは事実ですが,その主張と内容からすれば議会制民主 主義を目指していたことは明白です.さらに大切なことは,明治 政府も部分的とはいえ,その主張を受け入れ,議会を開設したこ とです.制限選挙であったことなど現代と異なる点ばかりを見る と,戦前にも民主主義があったということが見失われてしまいま す.★編集部より 条理をつくしたご意見ありがとうございました。自由民権運動 についてはいずれ、本講座でとりあげたいと思います。
「よこみぞ」様より現在アメリカに留学しており、7ヶ月が過ぎようというところで す。最初、日本人として戦争問題に関しての、潜在的な罪悪感が他 アジア人にあり、日本人は先の第2次世界大戦のことを忘れず、そ してその事を日本の欠点・汚点として生きていかなければならない ような、そんな錯覚をアメリカに来る前、そしてしばらくの間、し ていました。しかし、今日本のマスコミに毒されるわけでもなく、自分なりの 考え、そして他のアジア人との交流を通して、一つの疑問が持ち上 がりました。「何故、日本人は他のアジア人に比べて、こんなに自国に、自国民 に誇りを持っていないんだろう?」そして、自分なりに自己分析をしたことろ、韓国人・台湾人・マ レーシア人と話をするとき、ついつい日本人として誇ることを、遠 慮していることに気づいたのです。アメリカ人や他のヨーロッパ人 に関しては、そしてユダヤ人に対して特に、そんな遠慮を覚えない のにです。潜在的に、私たち若い日本人世代は戦争の責任を罪悪感という形 で、とらえているのではないでしょうか。決して、戦争といものそ のものを、肯定するわけでもないのですが、戦争の中にも、日本人 の美徳がきっと生きていたように思います。その証拠に、数々の日 本人の美談がかげながらも、海外で語られています。神風などはそ の良い例といえるでしょう。日本人は戦争に負けたせいで、過去のすべてをアメリカからそし て世界各国から、日本という国を日本人として否定し、恥として捉 えるように教育されてきたように感じて止まないのです。そして、日本人は国際的に、弱い立場に潜在的にさせられてきた のではないでしょうか?また、マスコミも、中国や外圧や、日本国 民の潜在意識の中に植え付けられてしまった、日本人が戦争をした ことは悪であるという、全国民の意識を損ねることを意識して、戦 争の中の隠れた日本の美意識を報道しようとはしません。しかし、そろそろここで、戦争のことを認めるわけでは決してな く、戦時中の本当の日本人像を伝えたもいいのではないでしょう か?日本人は罪人ではありません。慰安婦問題などで、罪悪感を全 国民が感じる必要はないのです。日本人は、他の留学生に比べて国際感覚が薄いということは決し てありません。教育レベルも高く、また社交的です。海外に居ると、 現在の日本人のそんな罪悪感から来る、誇りを表現できない状況を じれったく感じています。また、これからますます、戦争体験者が減り、本当の戦争の状況 をつかむことが難しくなります。ぜひ、この機会にもっと、戦時中 の日本人の美徳をつかみたく思います。
[トップページ] [平成11年上期一覧][国柄探訪][121日本思想][310 政治]
© 1999 [伊勢雅臣]. All rights reserved.