[トップページ] [平成11年下期一覧][地球史探訪][234 ドイツ・中欧][392 国防史]


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        _/  _/    _/  _/           Japan On the Globe (95)
       _/  _/    _/  _/  _/_/      国際派日本人養成講座
 _/   _/   _/   _/  _/    _/    平成11年7月10日11,004部発行
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_/_/       地球史探訪: スイス、孤高の戦い
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_/_/           ■ 目 次 ■
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_/_/    1.中立を維持できた国、できなかった国
_/_/    2.独仏両国に備えた大動員
_/_/    3.ドイツの侵攻をあきらめさせた「砦作戦」
_/_/    4.徹底抗戦のための国論統一
_/_/    5.領空防衛の戦い
_/_/    6.スターリンのたくらみ
_/_/    7.連合軍側のスイス非難
_/_/    8.スイスから学ぶべき事
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■1.中立を維持できた国、できなかった国■

   10時頃まで明るい初夏の夕暮れに、チューリッヒ湖畔では人
  人がそぞろ散策して、湖面をわたるさわやかな風を楽しんでいた。
  ここチューリッヒは青い湖と緑の山々に囲まれ、千年近くもの歴
  史を刻む旧市街と、国際金融都市としての現代的な街並みの調和
  した美しい都市である。

   旧市街が見事に保存されているのも、また高度な経済発展も、
  スイスが第2次大戦に中立を維持し得て、戦火に巻き込まれなか
  ったからだ。しかしどうしてそんな事が可能だったのか?
  
   たとえば、同じく中立宣言をしていたフィンランドは、1939年
  11月、ソ連との不可侵条約を結びながら、その侵略を受けた。
  ソ連はこの方面からのドイツの侵攻に対して、先手を打ったので
  ある。翌年6月にはドイツ軍の侵攻を受け、さらにそれを理由に、
  再びソ連の空爆を受けた。
  
   同様に中立を宣言していたノルウェーに対して、1940年4月、
  イギリス海軍はドイツへの経済封鎖の為に、その主要港の入り口
  に機雷原を敷設した。その直後、ドイツはすかさずノルウェーに
  奇襲攻撃をしかけて、重要な港湾をことごとく占領した。
  
   このようにいくら中立宣言をしても、それだけでは戦争に巻き
  込まれない保証にはならない。スイスはいかにして、中立を維持
  できたのだろうか?

■2.独仏両国に備えた大動員■

   スイス連邦政府は、ドイツのポーランド侵攻の前日8月31日
  に、厳正中立を宣言し、全世界40カ国に通告した。そしてアン
  リ・ギザン大佐を唯一の将軍に選び、国防の中心とした。
  
   ギザン将軍は9月1日、総動員令を発動し、わずか7日で戦闘
  員43万人、非戦闘員約20万人を動員した。政治家、役人から、
  教師、技師、農民に至るまで、国民の一割以上の要員を所定の位
  置に配置し、装備と任務を与えたのである。
  
   この大動員はドイツとフランスの双方からの侵攻に備えたもの
  だった。スイスの国土は、南部に広がるアルプスが南北間交通を
  遮る要衝となっているが、東西間の交通は比較的容易である。
  
   フランスとドイツは、国境沿いにそれぞれマジノ線とジーグフ
  リード線と呼ばれる要塞群を築き、対峙していた。したがって、
  どちらかが侵攻するとすれば、北側のベルギー、あるいは、南側
  のスイスを迂回して攻撃をしかける可能性が大であった。
  
   それを防ぐためには、両国に対してスイスが徹底した防衛線を
  張り、スイスを通過するメリットよりも、損害の方が大きくなる
  ようにする必要があった。ドイツはスイスの大動員を見て、南回
  りをあきらめ、北側の中立国ベルギー周りでフランスに攻め込ん
  だのである。

■3.ドイツの侵攻をあきらめさせた「砦作戦」■

   やがて、フランスがドイツに降伏し、イタリアもドイツ側に立
  つと、スイスは枢軸国に囲まれることになった。ドイツとイタリ
  アの通商は、陸路スイスを経由する。この際、一気にスイスを占
  領して、通商路の確保をすべきだ、という声がドイツ内で強まっ
  ていた。
  
   この最大のピンチに、ギザン将軍は「砦作戦」をもって応じた。
  スイスとイタリアを結ぶ道路は、アルプスの3つの峠が関所とな
  っている。これらのトンネルや鉄道線路に爆破装置をしかけ、ド
  イツ軍の侵攻があったら、即座に通商路そのものを破壊すると宣
  言した。
  
   さらに、侵攻があったら、国土の4/5を占める平地を見捨て、
  軍隊のみでアルプスの天険を砦として、ゲリラ作戦を展開する準
  備を進めた。
  
   ドイツは、何度か侵攻計画を立てては見たが、侵攻そのものは
  不可能ではないにしろ、イタリアとの通商路を破壊されては本も
  子もなくなるし、なおかつ、背後でしぶとくゲリラ戦を展開され
  ては、英本土侵攻にも差し支えるとして、計画をあきらめた。ス
  イスが中立を守り、イタリアとの通商路を保証している方が、は
  るかにメリットが大きいからである。
  
■4.徹底抗戦のための国論統一■
  
   スイス人の大部分はドイツ語を話し、ドイツに民族的親近感を
  抱いている。いずれイギリスの降伏も間近だから、この際、孤立
  しているよりも、積極的に枢軸国側に立つべし、バスに乗り遅れ
  るな、という日和見主義が国民の間にわき上がっていた。
  
   ギザン将軍は、このように国論が分裂しては、砦作戦も実行は
  不可能と考え、国民の一致団結を図った。そのために650年目
  の建国記念日に、次の宣言を全部隊に示した。
  
     私は、諸君に次の使命を与える。「スイス人らしく考え、ス
    イス人らしく行動せよ」と。
    
     スイス人らしい考えとは、国の内外を問わずわが隣人を尊敬
    する事を意味する。そのために、我々は言語・人種・文化の多
    様性に満足している。だがら、我々は強国の戦争において中立
    を守り、彼らのあるがままを理解しながら我々自身はその争い
    の外にとどまることに努力している。
    
     スイス人らしい行動とは、いつも我々の民族共同体の実を具
    現することである。それゆえに、祖先の例にならって、国家の
    防衛のためには一体となるのである。
    
     個人はそれぞれの場で全体の幸福に対して責任を負わねばな
    らない。・・・この自覚と認識によって、我々は連邦の自由と
    独立を守るのである。
    
   ギザン将軍の訓辞は、国民の間に強い反響を呼び、日和見主義
  は陰を潜め、「砦作戦」を支持する世論がふつふつと起こった。
  同時に機密漏洩など裏切り行為を働いたナチスシンパと共産主義
  者を逮捕し、軍事法廷でそのうち33人を死刑とした。ドイツ・
  イタリアは、スイスの独立意思の強さを思い知った。

■5.領空防衛の戦い■

   防衛は、領土だけでなく、領空にもおよぶ。この点ではスイス
  の天険も無力であった。イタリアが参戦すると、その支援のため
  のドイツ空軍機がしばしばスイス上空を通過した。
  
   またイギリス空軍は、英本土から北イタリア工業地帯への爆撃
  を行うのに、最短コースであるスイス領空を侵犯した。1940年冬
  にはチューリッヒ、バーゼルが爆撃を受けた。英国はこれを「誤
  爆」と釈明した。
  
   ギザン将軍は当初、いちいち厳重な抗議をしていたが、聞き入
  れられず、後に領空侵犯機には撃墜方針で臨むこととした。
  
   約500機の戦闘機と高射砲5連隊などを整備し、戦争全期間
  を通じて、7,379回の空襲警報に対して、枢軸国側の撃墜64機、
  連合国側190機の戦果を挙げた。スイス側の損害は、推定20
  0機、死傷者344人に及んだ。

■6.スターリンのたくらみ■

   ドイツ軍の敗色が濃厚となった1945年2月、ルーズベルト、チ
  ャーチル、スターリンの3巨頭によるヤルタ会談が行われた。こ
  の席上、スターリンは突然、米英連合軍がスイス領土を通過して、
  南部ドイツに侵攻する作戦を提案した。
  
   中立国フィンランドがソ連に侵略された時、スイスの連邦政府
  と国民有志が巨額の援助を行った事をスターリンは根に持ってい
  た。さらに米英軍がスイスとの戦いに手間取る間に、ソ連の占領
  地域を広げておこうという魂胆であった。
  
   これに対してルーズベルトはソ連の対日参戦を要求していた手
  前か、煮え切らない態度であった。しかし、チャーチルは、ライ
  ン川突破は確実に成功すると述べ、今更スイスをドイツ側に押し
  やるのは愚案の最たるものと即座に反対した。彼の回想録には、
  次のようにある。
  
     スターリンはチャーチルの抗弁に、スイスを豚と罵り、スイ
    スは今度の戦争でまちがった役割を演じている。武力を使用し
    ても、スイスをこの戦争に引き入れるべきだと、なおも言い張
    った。
    
   スイス自体の強固な防衛力と独立意志がなければ、あるいは、
  チャーチルもライン川突破よりも、スイス経由の南周り攻撃の提
  案に乗ったかもしれない。そうなれば、スイス領土は連合軍に蹂
  躙されていた可能性がある。

■7.連合軍側のスイス非難■

   1945年、連合国側のカリー使節団がスイスを訪れ、戦争終結を
  早めるために、スイスにも応分の役割を求めた。
  
     私たちの敵は、まず第一に世界平和を犯す攻撃者であった。
    ・・・平和を愛し、民主的なスイスであるならば、ナチスに支
    配された世界を平然と傍観することはできないはずである。
    
   カリー使節団は、スイスとドイツとの貿易取引を問題にした。
  確かに1938年から1943年の間にスイスのドイツへの貿易量は約
  2.5倍の増加となっていた。しかし、これはもとはと言えば、
  イギリスがドイツ経済封鎖の一環として、スイスに対しても激し
  い封鎖主義で臨んだからだった。
  
   スイスとしては、食料や石炭を国内で自給できない以上、ドイ
  ツとの通商拡大は生存のための唯一の残された道であった。さら
  に、1907年のハーグ条約によれば戦争当事国との間の通商は、中
  立義務違反でないと反論した。[2,p242]
  
   それにしても、フィンランドやポーランドを侵略したソ連、そ
  してスイスに対してこれだけ領空侵犯や経済封鎖を試みたイギリ
  スが、連合国=平和愛好国と主張するのは、スイスにとってみれ
  ば、何とも厚かましい主張だと思えた事であろう。
  
■8.スイスから学ぶべき事■

   スイスの中立は、ギザン将軍の巧みな戦略と国民の一致団結に
  より、長く苦しい綱渡りに奇跡的に成功した希有な事例と言える。
  
   しかし、1972年から86年まで連邦閣僚であったクルト・フルク
  ラーは、「スイスの中立主義は、中立を目的としているのではな
  く、スイスの自由、国家の独立を維持するための手段にすぎない
  のです。」と語っている。[2,p283]
  
   中立であることが、平和を保証してくれるわけではないことは、
  幾多の中立国が簡単に侵略されたことでも明らかである。自国を
  侵略するメリットよりも、コストの方が高いことをいかに他国に
  思い知らせるかが、自由と独立を維持するための鍵であることを
  スイスの歴史は示している。
  
   安易に非武装中立を説いたり、防衛を米国任せにしながら、北
  朝鮮や中国の領海侵犯に悩まされている我が国にとって、これこ
  そがスイスから学ぶべき教訓であろう。

■ 参考 ■
1. 「将軍アンリ・ギザン」、植村英一、原書房、S60.7
2. 「スイス 歴史から現代へ」、森田安一、刀水書房、H6.3
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                         KENさんより
   
  「スイス孤高の戦い」読みました。勉強になりましたが疑問点が
  あります。

   数年前に第二次大戦当時のスイスのナチスへの協力が国際問題
  になったことがありました。きっとご存じだと思います。確か、
  スイスがナチスの資金面の後ろ盾になっていたり、ドイツを逃れ
  てきた捕虜やユダヤ人をだましてドイツに送り返したり、国際赤
  十字がナチスの言いなりになっていたことなど。スイスはドイツ
  に対して、侵略をしない代わりに資金援助をしていた、といった
  内容だったと思うのですが。

   こういった問題には一切触れられていないことに疑問を感じる
  のですが、何か理由があったら聞かせてください。

  編集長・伊勢雅臣:
   ご意見ありがとうございました。当然、ドイツにも協力してい
  ましたが、連合軍=善、ドイツ=悪という単純な二元論でいくな
  ら、中立自体が半分、悪ということになってしまいます。私自身
  は、そういう連合軍側の主張を全面的には認めておりません。連
  合軍も、スイスに対して、経済封鎖を行ったりしました。

   次号の「ルーズベルトの愚行」では、いかにアメリカが英仏を
  けしかけ、ナチス・ドイツとの戦争の引き金を引いたか、につい
  て述べます。ナチスのホロコーストは許されるものではありませ
  んが、だからと言って、ドイツをすべて悪者視する史観は過ちだ
  と考えます。まして、独立維持のために、ドイツに協力したスイ
  スについて、協力しただけで責めるのは、間違いでしょう。単純
  な善悪二元論ではなく、それぞれの国に、それぞれの事情があり、
  それらの錯綜の中で独立を希求した人々の苦労は、国境を越えて
  評価すべきだと考えます。

  KENさん:
  なるほど、わかりました。

   連合国はユダヤ人収容所行きの電車の線路をなかなか爆撃しな
  かったなど、暗黙のうちに「ホロコースト」を認めていたのでは
  ないかという指摘もありますね(半年ぐらい前に3chのETV特集で
  やってました)。

   善悪の二元論のみに終始しては、世界は見えてきませんね。


                      いーわんさんより
    
   今回の「スイス、孤高の戦い」を読んで、前に読んだ本を思い
  出しました。

   「民間防衛」というスイス政府が国民全員に配っている本で、
  日本では、原書房から翻訳が出版されていました。日本では、災
  害時の民間防災組織の初動、生き埋めになった人の探し方、応急
  手当の仕方のマニュアル本として売られていたふしがありますが、
  実際には、「スイスが侵略された場合の、国民生活のありかたと、
  解放戦争の手順、戦時災害(爆撃等)への対処法、レジスタンス
  等のシュミレーションについて記された本」です。

   第1章に「平和」という章があり、「親たちがわれわれのこと
  を心配してくれたように、子供たちのことを考えよう。自由と独
  立は、断じて、与えられるものではない。−−自由と独立は、絶
  えず守られねばならない権利であり、ことばや抗議だけでは決し
  て守り得ないものである。手に武器を持って要求して、初めて得
  られるものである。」という一節があるなど、スイス人の独立へ
  の意思が読める好著です。平和呆けと言われて久しい今の日本で
  だこそ読まれて欲しい本と思います。

  編集長・伊勢雅臣: 「民間防衛」は、国民皆兵制をとるスイス
  の基本思想であり、基本文献です。今回の記事では、そこまで言
  及できませんでした。ご指摘ありがとうございました。

© 1999 [伊勢雅臣]. All rights reserved.