[トップページ] [平成12年一覧][人物探訪][210.759 大東亜戦争:和平への苦闘]


---------------Japan On the Globe(151)  国際派日本人養成講座
        _/_/         
         _/       人物探訪: 阿南惟幾〜軍を失うも国を失わず
        _/          
  _/   _/    本土決戦を避け、全陸軍550万を終戦に導く
   _/_/      責務は、一人の陸軍大臣の双肩にかかっていた
-----------------------------------------H12.08.13  26,837部

■1.もしもあの時、一歩を誤って軍が暴走していたら、、、■

     昭和20年8月11日、外電が日本の降伏受入れ予想を報道
    し始めると、支那派遣軍総司令官岡村寧次大将は次のような激
    烈な電報を陸軍中央に送ってきた。
    
         数百万の陸軍兵力が決戦を交えずして降伏するが如き恥
        辱は、世界戦史にその類を見ず、派遣軍は満8年連戦連勝、
        ・・・百万の精鋭健在のまま敗残の(蒋介石の)重慶軍に
        無条件降伏するが如きは、いかなる場合にも絶対に承服し
        得ざる所なり
        
     海軍の戦力はほとんど失われていたが、当時の陸軍兵力は内
    地237万余、外地310万余。特に支那派遣軍は「満8年連
    戦連勝」の状態で、いきなり無条件降伏せよ、と言われても
    「絶対に承服」できないのは当然であった。
    
         もしもあの時、一歩を誤って軍が暴走していたら、、、
        または陸軍が抗戦派と和平派の二つに割れて友軍相撃とな
        り、そこへ米軍やソ連軍が入ってでも来たら、日本はどう
        なっていたことか、、、そしてどれほど多くの日本人が犠
        牲になっていたことか、、、。そんなことにならずに済ん
        だのは貴様のおかげだ。よくぞ無事終戦に導いてくれた。
        
     もと参謀次長・沢田茂中将がこう感謝するのは、終戦時の陸
    軍大臣・阿南惟幾(あなみこれちか)である。
    
■2.他愛ない父■

         父は戦争がなかったら”他愛ない父”として終わったで
        あろうと思います。
        
     長男・惟敬(これひろ)の言葉である。阿南は大変な子煩悩
    で、日曜日は子どもたちをピクニックやデパート、映画などに
    連れて行き、常に一緒に夕食をとった後はトランプをし、子ど
    もたちが勉強を始めると、羽織をかぶって寝てしまう。家族の
    団欒にこのうえなく満足している平凡な父親であった。
    
         父は陸大(陸軍大学)の入試に3度落第し、4度目にや
        っと合格していたと聞いていたので、私共も落第や浪人を
        苦にしなかった一方、「父は頭は余りよくないのだ」と漠
        然と思っていました。
        
     陸大受験の頃、阿南は中央幼年学校の生徒監であった。この
    職はかなりの自由時間があるので、上司が陸大受験の配慮から
    つけてくれたポストであったが、阿南は受験は私事として、生
    徒指導に全力を尽くしていた。
    
     数学の出来の悪い生徒に個人教授をしたり、生徒の日記をよ
    く読んで、注意や批評、時には和歌までも書き込んで指導した。
    阿南が4度目にとうとう合格した時は、かつての教え子達は歓
    声をあげて、祝賀会を開いた。
    
     結婚してからは、演習地から妻に自らの騎乗の姿をスケッチ
    したはがきを送り、その中には「演習の野に咲く萩を馬蹄にか
    けまいと」などと書いている。

■3.不思議な縁■

     昭和4年、42歳の時から4年間、阿南は侍従武官として昭
    和天皇に使えた。その半年前に海軍軍令部長であった鈴木貫太
    郎が予備役編入と共に侍従長として赴任していた。
    
     二人はこの期間に互いに深い尊敬と信頼を抱いた。後に鈴木
    が首相として組閣作業を始めた時、最初に陸軍省を訪問して、
    阿南の陸軍大臣就任を要請している。
    
     昭和天皇も阿南の無私にして思いやりの深い性格をよほど信
    頼されたようだ。8年後の昭和13年、阿南は第109師団長
    として支那に出征するが、この時に昭和天皇は阿南を呼んで二
    人だけで夕食をとられた。阿南は感激して、次の和歌を作った。
    
        大君の深き恵みに浴(あ)みし身は言い遺すべき片言(か
        たこと)もなし
        
     さらに7年後の昭和20年8月15日、阿南は侍従武官時代
    に昭和天皇から拝領した純白のワイシャツを身につけ、この和
    歌を辞世として自決する。
    
     終戦は昭和天皇、鈴木首相、阿南陸相の見事な連携で実現す
    るのだが、その十数年前から三者が相互に深い信頼で結ばれて
    いたことは、まことに不思議な縁であった。

■4.軍人は政治に拘わらず■

     昭和天皇が阿南を信頼されたもう一つの理由は、阿南が「軍
    人は政治に拘わってはならない(政治ニ拘ラス)」という明治
    天皇の遺された軍人勅諭に忠実だった点にもあるであろう。
    
     当時の軍部内には様々な派閥争いがあったが、阿南には声も
    かからなかった。昭和11年の226事件の時に、阿南は陸軍
    幼年学校の校長をしていたが、全校生徒を集め、「農民の救済
    を唱え、政治の改革を叫ばんとする者は、まず軍服を脱ぎ、し
    かる後に行え」と顔面を紅潮させ、激しい口調で語った。
    
     この訓示を聞いた生徒の一人は、「校長閣下は侍従武官とし
    て天皇のおそば近くに仕えたお方だから、陛下のお心を悩ませ
    た将校たちに対して、こんなに立腹しておられるのだろう」と
    思ったという。
    
     幼年学校長は「陸軍3大閑職」の一つとされ、平時ならこれ
    で予備役入りする所であったが、226事件が阿南を陸軍中枢
    に引っ張りだすきっかけとなる。事件後、綱紀粛正のために兵
    務局が新設され、その看板として人格高潔な阿南が局長に抜擢
    されたのである。その後は人事局長、陸軍次官、航空総監など
    の要職を歴任し、陸軍内の誰からも信頼を寄せられた。

■5.陸相就任の覚悟■

     昭和20年4月、昭和天皇のご意志により、鈴木貫太郎が首
    相を拝命し、鈴木は即座に陸軍省に赴いて、阿南の陸相就任を
    とりつけた。
    
         これまでにしばしば見受けたことだが、大臣が自ら責任
        を負わねばならぬことがあっても、辞職さえすればその責
        を逃れたとするような態度は私は絶対にとらない。将来、
        責任を負わねばならぬようなことに遭遇したら、本当に腹
        を切って、お上にお詫び申し上げる覚悟だ。
        
     陸相就任の数日後に、親しい友人に阿南はこう語っている。
    鈴木内閣で終戦を実現し、その時は全陸軍を代表して、死をも
    ってお詫びしようという覚悟で就任したのである。
    
     しかし、その覚悟をすぐにもらしては、全陸軍がついてこな
    い。阿南は鈴木首相と息を合わせつつ、公式の会議の場では本
    土決戦を強硬に主張し、陰では終戦に導くために、議会での内
    閣打倒の動きに水を差したり、米内海相の辞意をなだめたりと、
    細やかに手をうっていった。
    
■6.御聖断下る■

     8月6日広島が原爆攻撃され、9日にはソ連が中立条約を破
    って満洲侵攻を開始した。9日深夜の第一回御前会議では、
    「天皇の国法上の地位を変更する要求を含んでいない」という
    了解のもとにポツダム宣言を受諾しようとする東郷外相案と、
    さらに占領、武装解除、戦犯処置などの条件をつけた阿南陸相
    らの案が対立して、結論が出なかった。
    
     阿南は「本土決戦に対しても、それだけの自信がある」「一
    億枕を並べて斃れても大義に生くべきである」と陸軍を代表し
    て強硬意見を述べた。やがて鈴木首相から、意見の対立がある
    以上、陛下の思し召しをもって会議の決定としたい、との動議
    がなされ、昭和天皇は初めて意見を述べる機会を得た。
    
         私の任務は、祖先から受け継いだこの日本という国を子
        孫に伝えることである。今日となっては、ひとりでも多く
        の日本国民に生き残ってもらい、その人たちに将来再び立
        ち上がってもらうほかに、この日本を子孫に伝える方法は
        ないと思う。

     天皇が涙を拭いながら語られるお言葉を、全員がすすり泣き
    ながら聞いていた。

■7.反対の行動に出ようとするものは、まず阿南を斬れ■

     翌朝、阿南は各課の幹部を全員集めて、御前会議の内容を説
    明した。御聖断によりポツダム宣言受諾という結果に、一同は
    愕然とした。
    
         私が微力であるため、遂にこのような結果になったこと
        は諸君に対して申しわけなく、深く責任を感じている。し
        かし御前会議の席で、私が主張すべきことは十分主張した
        点については、諸君は私を十分信頼してくれていると信ず
        る。このうえは、ただ大御心のままに進むほかはない。
        
     として、阿南は、和戦両様の構えで皇室保全の確証が得られ
    るかどうか、連合国側の回答を待つと述べた。さらに次のよう
    に、鋭く言い切った。
    
         今日のような国家の危局に際しては、一人の無統制が国
        を破る因をなす。敢えて反対の行動に出ようとするものは、
        まず阿南を斬れ。
        
■8.クーデター計画■

     アメリカの回答は12日午前1時頃もたらされた。「天皇の
    国法上の位置」に関する日本側の唯一の条件に対しては、「最
    終的の日本国の政治形態は、日本国民の自由に表明する意思に
    より決定せらるべきものとす」という曖昧な答えだった。
    
     中堅将校たちは、このまま国体護持の確約もないまま和平派
    によって降伏が決定してしまうことを恐れ、クーデター計画を
    立てた。陸軍大臣の治安維持のための兵力使用権を利用し、東
    部軍と近衛師団を動かして一挙に和平派の要人を監禁し、大臣
    の上奏によって天皇に戦争継続の決意をしていただこう、とい
    うものであった。
    
     クーデター計画を説明された阿南は、決起反対者もいること
    から、「今のような時は、お互いが信頼し合ってゆくことが一
    番大事である」と静かに述べた。頭ごなしに反対せず、血気に
    はやる部下たちを掌握したまま、終戦に導いていこうという態
    度である。
    
     決起を促す中堅将校たちの気持ちは、「立たば阿南大臣を首
    領として全軍一致、しからずんば個々の散発をさけてただ大命
    (天皇の命令)のままに」ということであった。全軍の阿南へ
    の信頼がかろうじて暴発を引き留めていた。

■9.苦しかろうが我慢してくれ■

     第2回の御前会議が開かれたのは、8月14日午前11時過
    ぎからであった。阿南は国体護持の確約が得られなければ戦争
    継続という立場から、もう一度連合国側に照会すべき、と主張
    した。
    
     昭和天皇は、阿南らが反対する気持ちはよく分かるが、「自
    分の身はどうなってもよいから、国民の命を助けたい」と語ら
    れた。御聖断は再び下された。
    
     午後、陸軍省に戻った阿南に、若手将校20名ばかりが集ま
    り、「大臣は、国体護持の確証がなければあくまで抗戦と、主
    張してこられたはず、決心変更の理由をうかがいたい」とつめ
    よった。阿南は絞り出すような沈痛な声で答えた。
    
         陛下はこの阿南に対して、お前の気持ちはよくわかる。
        苦しかろうが我慢してくれ、と涙を流して仰せられた。自
        分としては、もはやこれ以上反対を申し上げることはでき
        ない。
        
     阿南が天皇との個人的な信頼を通じて語る言葉は、よく大御
    心を若手将校たちに伝えた。この後、「陸軍はあくまでも聖断
    に従って行動す」との承詔必謹の方針が明確に打ち出された。
    その夜、数人の若手将校が近衛師団長を殺害し、一時、宮城を
    占拠したが、東部方面軍によってすぐに鎮圧された。
    
■10.ポツダム宣言受諾への電撃的ショック■

     翌15日正午、昭和天皇の玉音放送によって、ポツダム宣言
    受諾が伝えられた。同時に全陸軍は阿南陸相の自刃を知った。
    阿南が終戦処理を託した荒尾興功軍事課長は次のように述べる。
    
         陸軍は昭和20年8月14日朝までは、戦争を継続すべ
        きであると考えていた。然しこの日から、ポツダム宣言受
        諾の天皇の命令に即刻添わねばならぬことになった。この
        天皇の命令に全陸軍が直ちに従うためには、単なる命令だ
        けでは徹底しない。電撃的ショックを必要とするのである。
        
         全軍の信頼を集めている阿南将軍の切腹こそ全軍に最も
        つよいショックを与え、鮮烈なるポツダム宣言受諾の意思
        表示であった。之により全陸軍は、戦争継続態勢から、ポ
        ツダム宣言受諾への大旋回を急速に始めた。それまで激烈
        な戦争継続要請の電報が前線から来ていたが、ピタリと止
        んだ。換言すれば、大臣の自刃は、天皇の命令を最も忠実
        に伝える日本的方式であった。
        
     かくて全陸軍内外550万の将兵が一日にして矛を収め、無
    事に戦後の日本再建に向かう道が開かれた。「軍を失うも、国
    を失わず」、阿南が14日夜、最後の閣議へ向かう時につぶや
    いた独り言である。

■リンク■
a. JOG(100) 鈴木貫太郎(上)
 いかに国内統一を維持したまま、終戦を実現するか。
b. JOG(101) 鈴木貫太郎(下)
 終戦の聖断を引き出した老宰相。

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
1. 「一死、大罪を謝す 陸軍大臣阿南惟幾」★★★、角田房子、
  新潮文庫、S58.7

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■ 編集長・伊勢雅臣より

     書籍版は発刊と同時に数日で初刷売り切れとなり、すぐに増
    刷中です。ご注文の際に、激励のおたよりを多くの方よりいた
    だき感激しています。以下、一部をご紹介させていただきます。

    ・メールマガジンいつも愛読しています。これからもがんばっ
      てください。頑張って高校でも広め中デス。 
    ・取敢えず子供達にと思って当初2冊お願いしたのですが、直
      ぐに思い直して追加で3冊注文致しました。 
      
    ・これからの日本、日本人としていかに今後意味のある成長を
      すべきか、広い視野をもっていきたいと考えさせられます。
    ・色々な方達に、推薦しやすくなりました。是非、第二、第三
      号出版も宜しくお願い致します。料金も安いですね。  
      
    ・日本人としての誇りを持てるような題材を取り上げていなが
      ら、決して排他主義ではなく、偏狭な国粋主義に陥る事の無
      い姿勢に好感を持っています。
    ・いまや2万人以上になったということでビックリすると共に
      「同志」が増えたような気がして大変嬉しいです
      
    ・自分だけでなく、従兄弟にも読ませてあげようと思い、2冊
      注文いたします。 
    ・いかに何も知らずにただ生活していたか、痛感させられてい
      てます。自分だけでなく家族にも読んで欲しいと思い注文し
      ました。
 
    ・戦後攪乱された日本観を立て直さねばなりません。少しでも
      PRさせて頂きます。これからもご活躍下さい。
    ・いくつかバックナンバーを印刷して大事にとっていますが、
      本にして出してくれるとは、本当にありがたいことです。取
      り敢えず一冊購入して友人たちにも勧めたいと思います。

    ・製本を心待ちにしておりました。いろんな人に広めたいと思
      います。
    ・若い連中に判り易く説明しやすい教則本的に利用できるので
      感謝です。

    ・話題が多岐に渡っているので、いろんな観点から時事問題を
      見られるようになったような気がします。
    ・講座には、初めて知る事から共感しながら読めるような内容
      まで幅広く記載してあるので、大変ありがたく思っておりま
      す。

© 平成12年 [伊勢雅臣]. All rights reserved.