[トップページ] [平成12年一覧][Common Sense][210.755 大東亜戦争:特攻隊員の思い][271 オーストラリア]


---------------Japan On the Globe(153)  国際派日本人養成講座
        _/_/         Common Sense: 海ゆかば
         _/                 〜慰霊が開く思いやりの心
        _/          
  _/   _/      慰霊とは、死者のなした自己犠牲という最高の思い
   _/_/      やりを生者が受け止め、継承する儀式である。
-----------------------------------------H12.08.27 27,168部

■1.原子力潜水艦「クルスク」乗員への哀悼■

     ロシア海軍・北方艦隊の原子力潜水艦「クルスク」が沈没し、
    乗員118人全員の死亡が確認されるや、各国政府は一斉に追悼
    の意を表明した。ロシア政府の事故への対応のまずさや情報の
    隠匿が国際的に強く批判されていたが、それとはまったく別に
    他国の軍人であっても、国家のために一命を捧げた人々に敬意
    を表するのは国際常識である。
    
     平時でも訓練や警戒にあたる軍人は常に死と隣り合わせにい
    る。安全第一に作られた旅客用の船や飛行機で我々が気楽な観
    光旅行をするのとは異なる。安全性よりも戦闘能力や運動性能
    を重視した軍用の飛行機や艦船に乗って、危険な海域、空域で
    長時間の訓練や警戒を行っていれば、当然事故の確率も高い。
    わが航空自衛隊でもこの1年に7機が墜落し、13名が殉職さ
    れている。
    
     もちろん事故の可能性は抑えられなければならないが、それ
    がゼロでないからと言って、訓練や警戒をやめる訳にはいかな
    い。事故をなくすという技術的検討と、事故のリスクを知りつ
    つ職務に殉じた人々への慰霊という精神的行為とは、まったく
    別次元のものである。

■2.日本軍人を弔ったオーストラリア海軍■

     他国の将兵に対する追悼として感銘深いのは、大東亜戦争の
    緒戦、昭和17年5月31日に日本海軍の特殊潜航艇がはるば
    るシドニー軍港を攻撃した際のオーストラリア側の対応である。
    
     潜水艦で運ばれた3隻の潜航艇は、それぞれ2名の乗員が乗
    り込み、シドニー港内の軍艦攻撃を図ったが、1隻は途中で防
    潜網に引っかかり自爆、もう一隻は軍艦クタバルを撃沈するも、
    砲撃を受けて湾外に出た所で沈没。最後の一隻は岸壁に激突し
    て故障したため、乗員の松尾敬宇大尉と都竹正雄二等兵曹は拳
    銃で自決した。
    
     オーストラリア軍のシドニー地区海軍司令官グールド少将は、
    小さな潜航艇で大胆にも軍港内に侵入して攻撃をしかけてきた
    日本将兵の志気に感銘を受け、湾内に沈んだ2隻を引き揚げて、
    松尾大尉ら4人の軍人を海軍葬の礼で弔った。
    
         これらの日本の海軍軍人によって示された勇気は、誰も
        が認めるべきであり、一様に讃えるべきである。このよう
        に鉄の棺桶に乗って死地に赴くには、最高度の勇気がいる。
        これら勇士の犠牲的精神の千分の一でも持って、祖国に捧
        げるオーストラリア人が果たして何人いるのであろうか。
        
     この海軍葬の模様はオーストラリア全土にラジオ放送され、
    その中でグールド少将はこのような弔辞を述べた。松尾大尉ら
    4人の棺は日本国旗で覆われ火葬に付された。特殊潜航艇は今
    もキャンベラの戦争記念館に保存されている。
    
     同じ日に、はるかマダガスカルのディゴアレス湾に停泊する
    イギリス海軍艦船に対しても、特殊潜航艇による攻撃が仕掛け
    られ、戦艦1隻、タンカー1隻が沈められた。これに対しては
    イギリスの首相チャーチルが、ノーベル文学賞を受けた「第2
    次大戦」の中で、「二人の日本海軍軍人は祖国のために献身し、
    類いまれなる功績をたてた」と賞賛している。たとえ国どうし
    が戦い合っていても、祖国のために一命を捧げた英霊への尊敬
    と哀悼の意は、人類として共有するまごころである。[1,p96]

■3.海底での慰霊祭■

     とは言っても、戦死者の慰霊などしたことのない我々現代日
    本人には、慰霊の意味を理解するのは容易ではない。まず以下
    の実話から慰霊の訴えかけるものを直接感じ取っていただきた
    い。大東亜戦争中に沈められた我が国の軍艦や商船を水中撮影
    し、そこでの慰霊を行なっている方がいる。大阪の坪本公一さ
    ん(昭和11年生まれ)である。
    
     昭和48年にトラック諸島を訪ねた時、海底に沈んでいる日
    本海軍の沈没艦船を見て、この艦と運命を共にした幾多の将兵
    を思うと胸が痛くなった。もう一度本格的に撮りたいと再渡航
    の準備をしている時に、テレビで「坪本さん達が今度トラック
    諸島で水中慰霊祭をやる」との情報が流され、全国の遺族から
    数千通の手紙と山のような供え物が送られてきた。
    
     現地で富士川丸という沈没船の甲板に祭壇を作り、これらの
    供え物をお供えして、水中慰霊祭を行った。これがテレビ放送
    されて、また大きな反響を呼んだ。
    
     トラック島で主人を亡くされた未亡人からは「海中慰霊祭の
    最中にはずっとテレビに向かって手を合わせていました」とい
    う便りが来た。その終わりの方には娘さんの添え書きで「母を
    いつの日にか父の終焉の地に連れていきたい、それが私に残さ
    れた唯一の親孝行だと思います」と書かれてあった。
    
     これに胸を締め付けられた坪本さんは、それからさらにグア
    ム、サイパン、パラオ諸島、フィリピン、ニューギニアなどを
    巡って沈没艦船の写真撮影をし、遺族とともに慰霊祭を催して
    きた。

■4.これで俺も親父と一緒になれた■

     坪本さんは、慰霊祭の体験を次のように語られている。

         皆さん、現地へ向かう途上ではわりとなごやかなんです
        が、いよいよその海域に到着して慰霊祭に臨むと様子が一
        変します。故人の名を泣き叫ぶ方。故人からの最後の手紙
        をそっと開き、涙される方。ファィンダーが涙で曇って見
        えなかったことが幾度あったことでしょう。
        
         レイテ海戦に参加した戦艦「扶桑」乗員のある遺族は、
        海面をじっと見つめ、「兄貴、来たぞ!」と叫んだ瞬間、
        ぽろぽろ涙が海上にこぼれ落ちました。「兄貴、一緒に帰
        ろうな」と、レイテ島の石を拾い、それを兄と思って持っ
        て帰るというんですね。
        
         慰霊祭の後、甲板の縁に駈け寄って「親父」と叫んで海
        に飛び込んだ男性もいました。お父さんの顔も知らずに育
        った遺児の方でした。真下にお父さんが眠っている。「こ
        れで俺も親父と一緒になれた」と。
        
         そういう思いが喉まで出かかって戦後を生きて来た人が
        たくさんいる。そして報道などで私のことを知って「ア
        ッ」と思うわけです。故人終焉の地に行って慰霊したいと
        いう長年の悲願を叶えたいと、ワラをもつかむ思いで私に
        連絡して来られるのです。[2]

     こういう遺族の心に思いを馳せる時、我々の心は自分の事ば
    かり考えて個我に閉じこもった状態から、他者に向かって開か
    れた状態になり、他者の苦しみ、悲しみを感じ取れるようにな
    る。それが慰霊の心である。

■5.日本の新生にさきがけて散る■

         「ルック! エンペラーズ・シンボル」

     海底325mの地点に潜っている潜水艇「パイセスII」から、
    元海軍士官のイギリス人艇長の興奮した声が伝わってきた。海
    上の母船のビデオには、ライトに照らされて巨大な菊花紋章が
    浮かび上がった。戦艦「大和」の艦首である。昭和60年7月
    31日、全国から寄せられた支援金によって、「海の墓標委員
    会」が初めて、大和の沈没位置を確認した瞬間である。母船で
    は遺族や乗員生存者によって、戦没者の供養が行われた。
    
     一体、戦没者たちはどのような気持ちで死を迎えたのだろう
    か。実は大和が沖縄特攻作戦に出撃すると、艦内の若手の少尉
    や中尉たちの間で、「特攻死」の意味をめぐって激しい論争が
    戦わされたという。
    
     学徒出身組の士官たちは、せめて納得できる死を願った。
    「祖国のために散る、それはよく分かっている。しかし、いか
    に特攻精神で突っ込めと言われても飛行機の護衛もなく、燃料
    も片道ではただの犬死にではないか」
    
     それに対し、兵学校出身の士官たちは、「国のため、君のた
    めに死ぬ。それ以上になにが必要というのか。もって瞑すべし
    ではないか」と主張した。ついには学徒出身組の「腐った性根
    を叩き直す」と鉄拳の殴り合いが始まった。その時、若手士官
    室を統率する臼淵大尉が、こう言った。
    
         敗れて目覚める それ以外にどうして日本が救われるか
        今目覚めずしていつ救われるか 俺たちはその先導になる
        のだ 日本の新生にさきがけて散る まさに本望じゃない
        か
        
     「日本が新しく生まれ変わるための先導になって散るのだ」
    という静かな言葉が伝えられると、士官達の論争は止み、一致
    して戦場に臨んだという。[3,p189-229]
    
■6.慰霊から生まれる思いやりの心■

     戦艦大和の年若い士官達は、今の青年と同様、将来への志望
    を抱き、恋をし、友人と酒を呑んでは騒ぐ、そういう私的な生
    活を持っていた。しかし、非常の時にそれらをなげうって、国
    家に一つしかない命を捧げたのである。
    
     電車の中で席を譲るというような、他人のために自分が我慢
    をする行為を「思いやり」と呼ぶならば、自らの生命を共同体
    全体のために捧げる、ということは、他者への思いやりの極限
    の姿と言える。
    
     慰霊とは、死者のなした自己犠牲という最高の思いやりに生
    者が心を開いて、受け止める儀式である。後に続く者を信じた
    死者の思いに対し、生者はなにがしかのお返しをしなければ、
    という気持ちを抱く。そこから自分も、時には個人的な欲求か
    ら離れて、なしうる範囲で公のために尽くしていこうという思
    いやりが生まれる。
    
     人間が「国家を構成する動物」であると同時に「慰霊を行う
    動物」でもあるという事は、決して偶然ではない。国家を成り
    立たせるためには、相互の思いやりが不可欠であり、慰霊はそ
    の思いやりを継承する儀式であるからだ。
    
     確かに慰霊は軍国主義の宣伝、戦争中の戦意高揚に使われる
    場合もあるが、だからといって慰霊の心まで失っては、相互へ
    の思いやりの心をなくして、刹那的欲望だけに生きるアニマル
    だけになってしまう。国家社会はそうしたアニマルの闊歩する
  ジャングル社会に堕落する。
    
■7.海ゆかば■

        海ゆかば水(み)漬(づ)く屍(かばね) 
        山ゆかば草むす屍 
        大君の辺(へ)にこそ死なめ 
        かへりみはせじ 

     万葉後期を代表する8世紀の歌人・大伴家持の和歌である。
    昭和12年に作曲家・信時潔(のぶとききよし)によって、
    荘重な旋律をつけられ、当時の国民に愛唱された。
    
     この歌を軍国主義の典型のように早合点する人もいるだろう
    が、歌詞には、敵を撃滅せよ、とか、外国を侵略せよ、などと
    いう点はかけらもない。ただただ公のための自己犠牲への決意
    を静かに語っているのみである。
    
     大和と共に沈んだ戦没者はまさに「水漬く屍」である。大君、
    すなわち天皇は国民を大御宝(おおみたから)として、その安
    寧をひたすらにお祈りするのが役割であるから[b]、その天皇
    の側で死のうという事は、国民全体のために一命を捧げる事で
    ある。臼淵大尉の「日本の新生にさきがけて散る」とは、まさ
    にこのことである。
    
     「かへりみはせじ」とは、大和の若い士官達が、将来の志望
    や家族、恋人への思いを「かえりずに」死地に赴いた姿に通ず
    る。先の大戦中は「滅私奉公」というスローガンが謳われたが、
    「滅私」では私的な生活を否定することになってしまう。聖徳
    太子も「背私奉公」と言われており、「海ゆかば」でも「かへ
    りみはせじ」である。家族愛など私的な感情を尊びながらも、
    非常の時にはあえてそれに背を向けて、公に向かう、という決
    意が込められている。
    
     「海ゆかば」とはこのように国家国民のために自らの生命を
    捧げるという極限の思いやりを示した歌であるが、しかしそれ
    は阪神大震災での被災者を助けるために立ち上がった多くの青
    年達の思いやりと本質的には変わらない[c]。いや、電車の中
    でお年寄りのために席を譲ろうとするささやかな親切も、程度
    の差こそあれ、同じ他者への思いやりである。イデオロギーや
    個我へのとらわれを脱して真心に戻れば、誰でもそのような思
    いやりは持っているものだ。
    
     そのような人間らしい思いやりの心を取り戻すことが慰霊の
    意味である。それは思いやりに満ちた共同体を作る第一歩なの
    である。

■リンク■
a. JOG(037) 恩讐の彼方に
   日本での強制労働中に無念の死を遂げた戦友の名を刻んだ立派
  な御影石の墓碑に驚き、感動したイギリス人元捕虜の一人は涙ぐ
  みながらつぶやいた。「ようやく私の戦後が終わった」

b. JOG(074) 「おおみたから」と「一つ屋根」
   神話にこめられた建国の理想を読む。 

c. JOG(020) 阪神大震災:真実は非常の時にあらわれる
   ひたすらに自衛隊を黙殺し、国家権力を縛ることが、民主主義
  であり、平和主義であるとする社会党的妄想が、災害に対する準
  備を怠らせ、被害を大きくした。

d. JOG(080) ミラー大尉の残したもの
   話題作「プライベート・ライアン」などに見る自己犠牲の精神。

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
1. 「大東亜戦争の秘話」★★★、名越二荒之助、展転社、H11.11
2. 「太平洋の墓標をたずねて」、坪本公一、「日本の息吹」、
  H10.8
3. 「レクイエム・太平洋戦争」★★、辺見じゅん、PHP文庫、
  H9.8
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■「Common Sense: 海ゆかば」について 
                                                ヨネさんより

     私がクルスク沈没のニュースを読んでいて真っ先に思い出し
    たのは佐久間艇長という潜水艦艦長の逸話です。

         日本海軍で潜水艇が初めて登場した頃、瀬戸内海で一隻
        の潜水艇が故障し、浮上できなくなりました。乗組員全員
        が懸命に浮上への努力をする中、佐久間艇長は、なぜ浮き
        上がれなくなったのか、どこに故障が発生しどのように修
        理しようとしたか、克明に書き続けました。電池が無くな
        り、明かりが消えると、潜望鏡から漏れるわずかな明かり
        を頼りにし、空気中の酸素がどんどん無くなってくる窒息
        状況の中で渾身の力を振り絞って佐久間艇長は書き続けま
        す。
        
        「一人も持ち場を離れたものはなし。このような事故のた
        めに日本の潜水艦の発達が遅れないようにしてほしい。
        ここで亡くなった自分の部下たちの遺族の面倒は見てほし
        い。」最後にそういったことを書き残して全員持ち場に着
        いたまま死ぬのです。これはアメリカやイギリスの海軍の
        教科書にも載って海軍軍人の手本となったそうです。(以
        上、「人生観・歴史観を高める辞典(渡部昇一)PHP研
        究所」より引用)

     この佐久間艇長の話は渡部氏が子供の頃によく聞かされた話
    だということです。私がこの話を知ったのは、恥ずかしながら
    30を過ぎてからでした。このような話を子供の頃に聞かされ
    ていたとは、昔の子供たちはなんとうらやましいことだと思い
    ます。今の教育は「生き様」を教えるという点については何と
    低いレベルまで退化してしまったことでしょう。
    
                                      渡邊さん(57歳)より

     河野外務大臣など我が国閣僚たちがロシア大使館に弔問に訪
    れ、クルクス遺影の前で記帳しているのをニュースで見て複雑
    な気持ちにとらわれました。河野外務大臣は「外務大臣の立場
    がある」と訳の判らない理由で靖国神社参拝を見送った輩です
    が、記帳に際して「私人河野洋平」なのか、「外務大臣河野洋
    平」なのか知りたいところです。 公人として、(おそらく私
    人としても)靖国神社参拝をした事の無い男が、かっては我が
    国の敵国であったロシアの軍人の死に弔慰を表すとは、我が国
    のために散った自国の英霊を、かっての敵国の軍人より下に貶
    める事になるのではないのでしょうか?。
    
     本人は「国際儀礼」というかもしれないが、国際儀礼という
    のは、自国の英霊の処遇を全うし、その上で他国の英霊にも敬
    意を払うのが順序でしょう。自分の家の神棚、仏壇をほったら
    かしにして、他所の家の葬儀にいそいそと駆けつける輩を信用
    できません。
    
■ 編集長・伊勢雅臣より

     お二人には、紙面では言い尽くせなかった「国際常識」上の
    重要ポイントを指摘いただきました。

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