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---------------Japan On the Globe(160)  国際派日本人養成講座
        _/_/     国柄探訪:国際社会で自分自身を語れますか?
         _/                (2) 父祖からの贈り物
        _/          
  _/   _/      我々は近代世界システムの植民地主義と人種差別
   _/_/      主義に戦いを挑んできた国民である。
-----------------------------------------H12.10.15  29,488部

■1.などなみかぜのたちさわぐらむ■

     明治33(1900)年、ロシアは満洲に侵入し、5、6千人の清
    国民間人を虐殺する、世に言う「黒竜江上の悲劇」を起こしま
    す。明治36年には、韓国の鴨緑江河口を軍事占領し、要塞工
    事を始めました。朝鮮半島までロシアの勢力圏にされたら、日
    本の安全と独立は重大な危機に瀕します。現在の北朝鮮のよう
    な国が九州の目と鼻の先の釜山まで進出してきたと想像したら、
    その脅威は現代の我々にも容易に実感できます。

     日本は清韓両国の独立と領土保全を要求して対露交渉を試み
    ますが、ロシアは我が国の最終提案に回答せずに、急ピッチで
    戦争準備を進めたため、ついに明治37年2月6日、国交断絶
    を通告し、開戦となりました。

     この時に、明治天皇は次の御製を残されています。

     四海兄弟
    よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ

     日本を取りまく四方の海はみな兄弟同胞だと思っているのに、
    どうして波風が立ち騒ぐのであろうか。「など」という一語に、
    国家間の平和と友好を祈念されながらも、戦いのやむことのな
    い国際社会の現実を悲しく思し召されている御心が窺われます。
    大東亜戦争開戦の際には、昭和天皇が再びこの御製を示されま
    した。近代世界システムの荒海に投げ出された日本の宿命はこ
    の一首に象徴されています。[a]

■2.諸民族独立への希望■

     日露戦争での勝利により、我が国はかろうじて独立を護るこ
    とが出来ましたが、それは同時に近代世界システムに虐げられ
    ていた世界の諸民族に希望を与えました。

         ・フィンランド大統領パーシキピ
         私の学生時代、日本がロシアの艦隊を攻撃したという最
        初のニュースが到着した時、友人が私の部屋に飛ぴ込んで
        きた。彼はすばらしいニュースを持ってきたのだ。彼は身
        ぶり手ぶりをもってロシア艦隊がどのように攻撃されたか
        を熱狂的に話して聞かせた。フィンランド国民は満足し、
        また胸をときめかして、戦のなりゆきを追い、そして多く
        のことを期待した。[1]

         ・中国の国父・孫文
         どうしてもアジアは、ヨーロッパに抵抗できず、ヨーロ
        ッパの圧迫からぬけだすことができず、永久にヨーロッパ
        の奴隷にならなければならないと考えたのです。(中略)
        ところが、日本人がロシア人に勝ったのです。ヨーロッパ
        に対してアジア民族が勝利したのは最近数百年の間にこれ
        がはじめてでした。この戦争の影響がすぐ全アジアにつた
        わりますとアジアの全民族は、大きな驚きと喜びを感じ、
        とても大きな希望を抱いたのであります。[2]

    「期待した」「希望を抱いた」という言葉が注目されます。そ
    れは民族独立への期待、希望です。日露戦争を契機に、近代世
    界システムから諸民族独立へと、世界の潮流は大きく転換した
    のです。[b]
    
■3.朝鮮、台湾に及んだ近代化のエネルギー■

     ちなみに日本は朝鮮と台湾を植民地化した、という人がいま
    すが、これは正確な言い方ではありません。もちろん、当時も
    植民地と思い違いをして、差別をしたり、搾取をした日本人も
    いたでしょう。しかし、政治面、経済面を見れば、イギリスの
    インド支配や、オランダのインドネシア支配とは、本質的な違
    いがありました。
    
     正式な条約によって成立した朝鮮併合では、朝鮮国王は皇族
    に列し、貴族院議員も7人任命されました。スコットランドが
    イングランドと合併して連合王国となったのと同様です。また
    台湾は日清戦争の結果、日本に割譲されましたが、これはアメ
    リカがメキシコとの戦争に勝って、カリフォルニア等の西部諸
    州を新領土としたのと同じです。スコットランドやカルフォル
    ニアを植民地だと言う人はいません。
    
     日本は、朝鮮や台湾を新付の領土として大切にしました。四
    国には大学がありませんでしたが、台湾、朝鮮には帝国大学を
    作りました。もう少し時間があれば、先行する北海道、沖縄、
    樺太の後を追って、衆議院議員総選挙も実施された筈です。[c]
    
     朝鮮は日本統治時代に人口が3倍にもなる経済躍進を遂げま
    した。台湾にも東洋一のダムや港湾が作られ、世界有数の製糖
    産業が育ちました。独立維持のためには、社会、経済の近代化
    が不可欠であり、我が国の明治以来の近代化のエネルギーが、
    朝鮮、台湾に及んだのです。[d,e,f]

■4.人種平等への旗手■

     第一次大戦が終わると、日本は世界の五大国の一つと言われ
    るまでになりました。しかし実態はどうであったか。

         虐待をこうむっている有色人種のなかでただ一国だけが
        発言に耳を傾けさせるに十分な実力を持っている。すなわ
        ち日本である。日本は唯一の非白人一等国である。人種以
        外のすべての点で日本は世界の支配的大国と肩を並べてい
        る。しかし、日本がいかに軍事力で強大になろうとも、白
        人は日本を対等とは認めることはしないだろう。[3]

     植民地支配とともに、近代世界システムのもう一つの柱とな
    っていたのが人種差別です。我が国は五大国の一つとして、
    「名誉白人」の地位に甘んずる事なく、人種平等への旗手とし
    て立ち上がったのです。その象徴的事件が、国際連盟設立の際
    に、人種平等条項を連盟規約として入れようという日本政府の
    提案でした。

         我全権が最も注意と努力を要するものを問はば、(中
        略)人種的均等待遇に在ると答ふるならん。(中略)蓋し
        国際平和を害し、四海兄弟主義を打破する重大なる要素は、
        人種の不均等待遇若しくは人種的軋轢たり。(中略)世界
        人口十四億五千万中九億即ち六割二分を占める有色人種の
        為めにも(中略)真実なる実現を期せず可からず。[朝日
        新聞]

     こうした日本国内の世論に後押しされて、当代の指導的政治
    家、元首相・西園寺公望公爵に率いられた全権団は、アメリカ
    経由でパリに向かいます。ニューヨークでは黒人社会の指導者
    達から、「世界中のあらゆる人種差別と偏見をなくす」ことに
    尽力してほしい、との嘆願書を渡されました。自国のウィルソ
    ン大統領が講和会議の議長役をするというのに、それをさしお
    いて、わざわざ日本の使節団に嘆願したのです。
 
■5.米国黒人の怒り■

         全米1200万の黒人が息を飲んで、会議の成り行きを
        見守っている。

         われわれ(米国の)黒人は講和会議の席上で「人種問
        題」について激しい議論を戦わせている日本に、最大の敬
        意を払うものである。

     当時の黒人紙での報道です。しかし米国黒人の悲願は、自国
    のウィルソン大統領によって裏切られます。日本案は16票中
    11票の圧倒的賛成を得ましたが、議長のウィルソンは、全会
    一致の賛成が得られなかったので採択されない、と宣言して、
    参加者を驚かせました。
    
     それまでの二回の票決は全会一致の規則は適用されていなか
    ったのに、とフランスの代表団は抗議を行いましたが、「われ
    われの一部にとってはあまりにも障害があるので、規約にそれ
    を挿入する事はできない」として、ウィルソンは聞き入れませ
    んでした。

     米国が黒人に平等な市民権を与えたのが、この40年も後の
    事ですから、この時点ではアメリカの世論も議会も人種平等の
    原則を受け入れる余地はありませんでした。怒ったアメリカの
    黒人達は全米各地で大規模な暴動を起こし、またインドネシア、
    インド、エジプト、チュニジアなど世界各地における独立運動
    が活発になりました。[g,h]

     また黒人と同様、ユダヤ人も当時の国際的な差別の対象でし
    た。人種平等を国是とする日本政府は、ユダヤ人を平等に扱う
    事を方針として定め、ナチスドイツが極端なユダヤ人排斥を始
    め、周囲の国も難民を厄介者扱いした時に、その方針に基づい
    て、リトアニアの日本領事代理・杉原千畝は日本通過ビザを発
    行して数千人のユダヤ人を救い、満洲の特務機関長・樋口季一
    郎少将はソ連から脱出しようとして満洲国境で吹雪に閉じこめ
    られた二万人のユダヤ人を救出しました。これらの行為は戦後、
    イスラエル政府からも顕彰されています。[i,j,k,l]
 
■6.身を殺して仁をなした日本■

         白人が自発的に有色人種を対等の者として受け入れるこ
        とは決してないのだから、人種的劣等という憎むべき汚名
        を除去するためには力によるほかはない。(中略)潜在的
        な世界的混乱が予想されるし、やがて欧米世界に重大な結
        果を招来するおそれがある。

     日本の人種平等条項提案が失敗した時に、オーストラリアの
    高官がこう警告しました。この予言は大東亜戦争として実現し
    ます。後にタイの首相となったククリット・プラモード氏は
    「十二月八日」と題する文章の中で次のように書いています。

         日本のおかげで、アジア諸国はすべて独立した。日本と
        いうお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた
        子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民
        が、米・英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげ
        であるか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さ
        んがあったがためである。十二月八日は、われわれにこの
        重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して、重
        大な決心をされた日である。我々はこの日を忘れてはなら
        ない。[m,n]

■7.インドネシア独立に命を捧げた日本の青年達■

     我が国が示した「重大な思想」とは、民族独立への理想です。
    大東亜戦争は、アメリカに追いつめられた日本が自存自衛のた
    めに立ち上がった戦いですが、その過程で、アジア各地の独立
    勢力との協力が広範囲になされました。その一例として、敗戦
    後も二千人余人もの日本軍将兵が現地に残ってインドネシア独
    立軍とともに、再び植民地化をめざすオランダ軍と戦った事実
    を挙げておきましょう。

     スカルノ大統領特使として、平成七年五月二十九日の「アジ
    ア共生の祭典」に参加されたサイデマン外務省上級大使はこう
    述べています。

         第二次大戦中、あるいはその直後、植民地の独立のため
        に、外国の人々が力を貸してくれるということが見られま
        した。私の国インドネシアの場合、多くの日本の青年たち
        がインドネシアを自由にするために独立の闘士たちと肩を
        並べて戦ってくれました。そして多くの日本の青年がその
        ために命を捧げてくれました。今日このアジア共生の祭典
        において、私たちの独立のために命を捧げてくれたこれら
        すべての若者たちを偲びたいと思います。

■8.父祖からの贈り物■

     近代世界システムの荒波をかぶりつつ、必死に独立を護って
    きた日本の歩みは、好むと好まざるとに関わらず、世界の非白
    人諸民族に独立への希望を与える役割を担う運命にありました。
    あるいは東南アジアの華僑のように、欧米の植民地支配機構の
    手先となって安逸を貪るという道もありましたが、我々の父祖
    はそのような選択をしませんでした。先に引用した「四海兄
    弟」の明治天皇御製に見られる、世界の諸民族が平等に仲良く
    していかなければならないという理想が根強く日本人の心の中
    にあったからです。

     その理想はどこから来たのか、実は我が国はこの理想に基づ
    いて建国されたのです。

     日本書紀には建国の詔が記されていますが、その中で神武天
    皇は「恭みて寶位(たかみくら)に臨みて、元元(おおみたか
    ら)を鎮むべし(謹んで皇位につき、大御宝、すなわち人民が
    安寧に暮らせるようにしよう)」と即位の抱負を述べられ、さ
    らに「六合(くにのうち)を兼ねて都を開き、八紘(あめにし
    た)を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむこと、亦可からずや」
    (国家をまとめて、都を作り、天地四方の人々が大きな一つ屋
    根の下で仲良く暮らせるようにすることは、素晴らしい事では
    ないか)」と語られています。
    
     人民を大御宝とし、その安寧を国家の目的とするとは、現在
    の福祉や人権思想をも先取りした理想です。さらに「一つ屋
    根」のもとで、諸民族が仲良く暮らすというビジョンは、現在
    の国際社会がいまだに実現しえないでいる世界平和の理想を描
    いています。三千年近くも前に皇室がこのような現代社会でも
    いまだに実現できていない気高い理想を掲げて我が国を肇めら
    れた事は、まことに驚くべきことです。[o]

■9.自分自身をどう語るか?■

     この理想は江戸時代には日本国内において相当部分実現され
    ていたのですが、明治維新と共に漕ぎだした国際社会の荒海は、
    この理想と相容れない近代世界システムが支配していました。
    その植民地主義と人種差別とは、「大御宝」と「一つ屋根」と
    いう我が国の建国以来の理想とは本質的に相容れないものだっ
    たのです。我が国固有の理想を護ろうとすれば、近代世界シス
    テムとの衝突は避けられなかったと言えます。
    
     そこに我が国近代の悲しい宿命があったわけですが、我々の
    父祖はその宿命に立ち向かい、大きな犠牲を払いつつも、世界
    の潮流を転換させる上で指導的な役割を果たしてきたのです。

     フィンランド人を「スターリンのソ連とヒットラーのドイツ
    に挟まれて、独立を維持した小さいながらも偉大な国民」と言
    うなら、我が国は「『大御宝』と『一つ屋根』の理想を掲げて、
    近代世界システムの植民地主義と人種差別主義に戦いを挑んで
    きた国民である」と自分自身を語るべきでしょう。
    
     そしてこうした父祖の足跡を我々が自分自身のものとして引
    き受ければ、現在の国際社会においても、取り組むべき課題が
    たくさんあることに気がつくはずです。真の国際貢献とは、ま
    ず我々自身が父祖から受け継いだ贈り物の真価を発見する所か
    ら始めるべきです。

■リンク■
a. JOG(048) 「公」と「私」と 
  http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog048.html
b. JOG(007) 国際派日本人に問われるIdentity
  http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h9/jog007.htm
c. JOG Wing(163)  併合と植民地化の違い、石田清史
  http://www.melma.com/mag/56/m00000256/a00000168.html
d. JOG(056) 忘れられた国土開発
  http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog056.html
e. JOG(062) 台湾史に見る近代化の条件
  http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog062.html
f. JOG(108) 台湾につくした日本人列伝
  http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog108.html
g. JOG(053) 人種平等への戦い
  http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog053.html
h. JOG(132) 人種平等への旗手〜米国黒人社会の日本観
  http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog132.html
i. JOG(021) 6千人のユダヤ人を救った日本人外交官
  http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_1/jog021.html
j. JOG(138) 届かなかった手紙 〜あるユダヤ人から杉原千畝へ〜
  http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog138.html
k. JOG(085) 2万人のユダヤ人を救った樋口少将(上)
  http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_1/jog085.html
l. JOG(086) 2万人のユダヤ人を救った樋口少将(下)
  http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_1/jog086.html
m. JOG(063) 日泰友好小史(上)
  http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog063.html
n. JOG(064) 日泰友好小史(下)
  http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog064.html
o. JOG(074) 「おおみたから」と「一つ屋根」
  http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_1/jog074.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
1. SUOMEN KUVALEHTI、1985年3月号「日本海海戦八十周年特集」
2. 「大アジア主義」、大阪毎日新聞、大正13年12月3日〜16日
3. 「人種差別と移民」、英・外務省
   
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■「国際社会で自分自身を語れますか?」について
                                    匿名希望さん(女性)より

     私は、1998年から2年間バルト3国のリトアニアに滞在
    しました。バルト3国は1939年の独ソ不可侵条約でソ連邦
    に組み込まれたましたが、この時同じ条約にはフィンランドの
    名前もありました。バルト3国とフィンランドは地理的にはも
    ちろん、文化的にも実は近い関係にあり、1歩間違えていれば
    バルト3国と同じ運命をたどっていたかもしれないこの時の戦
    争を、フィンランド人がいかに大切に考えているかをリトアニ
    アで会った多くのフィンランド人から聞きました。ロシア軍の
    ヘルシンキまでの攻撃ルートを地図で指しながら、湖の多い地
    形にも助けられたんだという話を涙ながらにしてくれた若者も
    いました。

     現地滞在中、大学で日本語の講師をしていたこともあり、日
    本の歴史についても外国人からよく質問されたのですが、現代
    日本人のあたかも「西洋文化=アメリカ文化」であるかのよう
    な崇拝ぶりは、恐らく第2次大戦敗戦の影響がもっとも大きい
    のだろうと思います。
    
     現地の日本語学習者にとっては、英語をカタカナに置きかえ
    るだけの外来語の氾濫がかなり驚きだったようで、リトアニア
    語でもフィンランド語でも、そのような言葉はできるだけ自国
    語に翻訳して使用する風潮があり、リトアニアに至っては商店
    名に英語を用いてはいけないという法律まであります。それが
    全面的によいことかどうかは別ですが、アメリカ文化が世界の
    すべてではないことを示す好例ではあると思います。

■ 編集長・伊勢雅臣より

     国際社会の荒波を必死でしのいでいるヨーロッパの小国を見
    ると、国際社会の本質がよく見えてきます。
                        © 平成12年 [伊勢雅臣]. All rights reserved.