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-----Japan On the Globe(185)  国際派日本人養成講座----------
          _/_/   
          _/     人物探訪:海軍少将・市丸利之助
       _/_/               〜硫黄島よりルーズベルトへの手紙
_/ _/_/_/       ルーズベルトの19世紀的人種差別観に対し、
_/ _/_/        市丸少将の気高い理想は21世紀にも通用する。
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■1.ルーズベルトに与うる書■

         日本海軍市丸海軍少将、書を「フランクリン ルーズベ
        ルト」君に致す。我今我が戦いを終るに当り、一言貴下に
        告ぐる所あらんとす。
        
     昭和20年3月26日早朝、硫黄島での陸海軍残存兵力4百
    は第2飛行場西にテントを張っていたアメリカ軍後方部隊を奇
    襲し、死傷者132名の損害を与えた。海兵隊が応援に駆けつ
    け、戦闘が終わると、日本兵の死体196体が残されていた。
    その遺体の一つから、冒頭の文で始まる「ルーズベルトに与う
    る書」の日英両文が発見された。
    
     従軍記者エメット・クロージャーは、発見の経緯と手紙の本
    文を4月4日本国に向けて打電し、その内容は米国海軍当局の
    検閲後、「ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン」以下、各
    紙に掲載された。その見出しは「死に臨んだ日本の一提督の米
    国大統領宛の手紙」であった。
    
     この手紙は、戦後ベストセラーになったジョン・トーランド
    の「昇る太陽−日本帝国滅亡史」に全文掲載され、いちやく有
    名になった。市丸少将とはどのような人物だったのだろうか。
    そして死に臨んで市丸少将はルーズベルトに対し何を語ったの
    か?

■2.人の生きるべき道■

     市丸利之助(りのすけ)は明治24年、佐賀県に生まれた。
    明治43年に唐津中学から海軍兵学校に進み、卒業後、パイロ
    ットとしての道を選んだ。飛行機が実用化され始めた頃で、当
    時のパイロットとは今で言えば宇宙飛行士のような存在だった。
    
     大正15年、34歳の市丸大尉は霞ヶ浦航空隊で訓練飛行中、
    機体故障により墜落、右大腿骨骨折、頭蓋骨折など重傷を負い、
    一命こそとりとめたが、数年間に渡り3度の大手術を受けた。
    杖をつき、ややびっこを引いて歩ける程度には回復したが、辞
    職を覚悟していた市丸に対し、海軍は昭和4年に予科練の設立
    委員長、続いて翌年、初代部長を命じた。
    
     海軍飛行予科練習生とは、日本が世界でも初めて試みた少年
    航空兵養成の制度で、緊縮財政下で人件費を抑えつつ、優れた
    パイロットを育てようという苦心の試みであった。第一期79
    名の募集に対し、志願者が6千人集まった。この中から選りす
    ぐった少年たちを、市丸は手塩にかけて育てていった。
    
     闘病中に生きることの意義を真剣に考えた市丸は、練習生に
    も最初の3年は飛行機に乗せず、人の生きるべき道を自ら説い
    たり、絵画、書道、動物飼育など含めた全人教育を行った。
    
■3.新しき修理固成(つくりかため)の時■

     5年間、予科練の父として務めた後、市丸は佐世保、朝鮮半
    島・鎮海、中国大陸・武漢と航空部隊の司令官を務めた。昭和
    16年12月8日の開戦は、鈴鹿航空隊で聞いた。
        
        新しき修理固成(つくりかため)の時は来ぬ有色の民に所
        得しめて
        
     中国との戦いに違和感を感じていた市丸は、米英蘭との大戦
    こそ、有色人種を白人から解放して、その所を得られるような
    新しい世界を「つくりかため」るものだという理想を信じた。
    
     市丸に育てられた予科練出身のパイロットは、戦争前半には、
    その優れた精神と技量が名機零戦の卓越した性能と相俟って、
    連合軍航空兵力を圧倒した。[a]
    
     しかしやがて圧倒的な工業力で戦力を回復した米国は、昭和
    19年初夏にはサイパン島に上陸。予科練出身の海軍至宝のパ
    イロット達の過半はすでに戦死していた。
    
        大陸に太平洋に勇ましき部下を死なせつ我れいまだあり
        
     8月上旬、市丸は飛行機で最後の任地、硫黄島に向かった。

■4.硫黄島での戦い■

     硫黄島は、サイパンなどのマリアナ諸島と東京の中間に位置
    する品川区ほどの小島である。米軍機がマリアナ諸島から日本
    本土を空襲するためにも、ぜひ確保しておきたい要地であった。
    
     市丸が着任した時、すでに稼働しうる航空機は10数機に過
    ぎなかった。栗林忠道陸軍中将の統率のもと、市丸少将は6千
    名近い海軍将兵を率いて、地下深くの洞窟陣地構築に加わった。
    
     米軍の猛爆は地下でかわし、上陸してきた所を叩くという栗
    林中将の新しい戦術で、結果的には日本軍は36日間持ちこた
    え、2万余の大半が戦死したが、7万5千の米軍に対して死傷
    者2万6千近い大損害を与えた。米国内では実質的な敗戦では
    ないか、との批判が出て、太平洋における米海兵隊の最高位の
    将軍は退陣に追い込まれた[2]。栗林中将と硫黄島の戦いにつ
    いては、後日に譲る。

■5.ますらをの道■

     昭和20年初頭、敵上陸を目前に控え、米軍の空襲は連日続
    いた。しかしその合間には、少年兵達が集まって、小学唱歌を
    歌う光景も見られた。「おもえば遠し故郷の空 ああわが父母
    いかにおはす」と歌う声を岩陰で聞きながら、市丸少将は密か
    に涙した。

        朝夕の十有余日ますらをの道を陣地に巡り説くかな
        
     少年兵も含め、将兵たちはすでに玉砕を決意していたであろ
    う。その部下達に対して「ますらをの道」を説くとは、この戦
    いで死ぬことの意味を明らかにしておきたい、と言うことであ
    ったろう。それは自ずから大東亜戦争全体の意味を問うことに
    つながった。
    
     2月16日、米艦隊が硫黄島を包囲し、上陸前の爆撃と艦砲
    射撃を始めた。市丸少将は地下20m、硫黄噴気が充満する摂
    氏45度の壕内で、ロウソクの明かりをたよりに自らの考えを
    米国大統領ルーズベルトへの手紙という形で書き上げた。そし
    てハワイ生まれの日系2世兵士のそれを英訳させたのである。

■6.「ルーズベルト君」■

     以下、少将の手紙の一部を紹介しよう。読みやすくするため、
    カタカナ書きをひらがなに、正かなを現代かな遣いに、漢字や
    句読点の使い方を多少改めるが、原文はほぼそのままである。
    
     少将は冷静、かつ論理的にアメリカ人の理性に訴えようとす
    る。「ルーズベルト君」と、敵国大統領に対しても、儀礼を失
    わず、かつ対等に呼びかける。「今我が戦いを終るに当り」と
    は、死を覚悟した静かな心境を窺わせる。
    
     しかし、平静な文体に込められた批判は痛烈である。
    
         貴下は真珠湾の不意打ちをもって対日戦争唯一宣伝材料
        となすといえども、日本をしてその自滅より免るるため、
        この挙に出る外なき窮境にまで追いつめたる種々の情勢は
        貴下の最もよく熟知しある所と思考す。
        
     ルーズベルトが日本を追いつめたとは、米英蘭による石油そ
    の他の全面禁輸から、中国・満洲からの全面撤退を求めたハ
    ル・ノートまでの政策を指す。この指摘は、当時、米共和党リ
    ーダーであったフィッシュ下院議員や、アメリカ陸軍参謀本部
    のウェデマイヤー大将など、米国内でも同じ意見が少なくない。
    [b, c, d]
    
■7.卿等何すれぞ斯くの如く貪欲にして且つ狭量なる■

     しかし市丸少将の批判は、さらに歴史を遡って、欧米諸国に
    よるアジア植民地化に向かう。

         卿等は既に十分なる繁栄にも満足することなく数百年来
        の卿等の搾取より免れんとする是等憐れむべき人類の希望
        の芽を何が故に嫩葉(どんよう:若葉)に於いて摘み取ら
        んとするや。ただ東洋の物を東洋に帰すに過ぎざるにあら
        ずや。卿等何すれぞ斯くの如く貪欲にして且つ狭量なる。
        
     イギリスのインド、東南アジア支配、さらにアメリカによる
    ハワイやフィリッピン併合と、白人種はひたひたと東洋に押し
    寄せてきた。「どうして君たちはかくも貪欲、狭量なのか?」
    という一節は痛烈である。
    
         大東亜共栄圏の存在は毫も卿等の存在を脅威せず、かえ
        って世界平和の一翼として世界人類の安寧幸福を保障する
        ものにして日本天皇の真意全くこの外に出ずるなきを理解
        するの雅量あらんことを希望して止まざるものなり。
        
     大東亜共栄圏については種々の議論があるが、少将の主張は、
    昭和18年11月に東京で行われた大東亜会議で満洲、中国、
    フィリピン、ビルマ、タイ、インドの政府・独立勢力の代表者
    を招いて、自主独立の尊重や人種差別の撤廃、互恵的経済発展
    を謳った大東亜共同宣言と軌を一にしている。
    
     この前段では、日本天皇は「地球上のあらゆる人類はその分
    にしたがい、その郷土においてその生を享有せしめ、もって恒
    久的世界平和の確立を唯一念願とせらるる」と述べ、明治天皇
    の「四方の海皆はらから(同胞)と思ふ世になど波風のたちさ
    わぐらむ」は「貴下の叔父・テオドル・ルーズベルト閣下(日
    露戦争中の米大統領)の感嘆を惹きたる所」と指摘している。

■8.世界を以て強者の独専となさんとせば■

     このように白人の「貪欲さ」を批判した後、市丸少将は現在
    の国際情勢に戻る。
    
         翻って欧州の事情を観察するもまた相互無理解に基づく
        人類闘争の如何に悲惨なるかを痛嘆せざるを得ず。今ヒッ
        トラー総統の行動の是非を云為(うんい:言う)するを慎
        むも、かの第二次欧州大戦開戦の原因が、第一次大戦終結
        に際しその開戦の責任の一切を敗戦国ドイツに帰し、その
        正当なる存在を極度に圧迫せんとしたる卿等先輩の処置に
        対する反撥に外ならざりしを観過(見過ごす)せざるを要
        す。
        
     ヒットラーの行為への言及を慎むが、という一節は、ユダヤ
    人排斥に対する少将の反撥を窺わせる。それに続く、第一次欧
    州大戦で敗戦国ドイツに一切の責任があるとして、天文学的な
    賠償金額を押しつけた事が、ヒットラーのナチズムを生んだと
    いう指摘は、現代の歴史学でも定説となっている。
    
         卿等の善戦によりよくヒットラー総統を仆(たお)すを
        得るとするも如何にしてスターリンを首領とするソビエッ
        トロシアと協調するをえんや。およそ世界を以て強者の独
        専となさんとせば、永久に闘争を繰り返し、遂に世界人類
        に安寧幸福の日なからん。
        
     ヒットラーもスターリンも同じだ、どうして米英がスターリ
    ンと協調できるのか、という少将の問いかけは、その後すぐに
    米ソの冷戦が始まったことを考えれば、正鵠を得ている。
    
         卿等、今、世界制覇の野望一応将に成らんとす。卿等の
        得意思うべし。しかれども君が先輩ウィルソン大統領は其
        の得意の絶頂に於いて失脚せり。願わくば本職言外の意を
        汲んで、その轍を踏むなかれ。
        
     ウィルソン大統領は自ら第一次大戦後のパリ講和会議を主催
    したが、ベルサイユ条約は米国議会で批准されず、直接国民に
    呼びかけた大統領選でも大敗して、失意のうちに世を去った。
    少将の「言外の意」とは、敗戦国にすべての責任を押しつけて、
    再び戦争の種を蒔くな、ということであろう。

■9.市丸少将とルーズベルト大統領■

     市丸少将の手紙は、4月4日に米国に打電されてたが、ルー
    ズベルト大統領はそのわずか8日後に死去した。大統領が手紙
    を読んだかどうかは定かではない。しかし「得意の絶頂に於い
    て失脚」したウィルソン大統領の「轍を踏むなかれ」との警告
    が的中したかのようである。そしてその後の米国指導者達は、
    少将の予言したスターリンとの確執もあって、日本を同盟国と
    して育てようという方針に転換した。少将の最期の願いは、実
    現したと言ってよい。
    
     当時の駐米英国公使、ロナルド・キャンベルは英国外務省に
    宛てた手紙の中で、(優秀な)白人種とアジア人との「交配に
    よって新しいアジア系民族を産み出し、立派な文明と社会をア
    ジアに建設するのがルーズベルト大統領の考えだった」と伝え
    ている。ただ「大統領は(白人より二千年も遅れた頭がい骨を
    もつ)日本人はこの対象から除外し、もとの四つの島に隔離し
    て次第に衰えさせようと考えていた」。[3]
    
     ルーズベルト大統領の露骨な19世紀的人種差別観に比較す
    れば、市丸少将の地球上のあらゆる人類に「その郷土において
    その生を享有せしめ、もって恒久的世界平和の確立する」こと
    を願う理想は、21世紀にも通用するものである。
    
     後世の子孫への価値ある遺産となるのは、一時の戦いの勝敗
    や武力の優劣よりも、先人の気高い理想であるとすれば、市丸
    少将の一編の手紙を、敗軍の将の戯言(たわごと)と看過する
    ことはできないはずである。
                                          (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(174) 人物探訪:大空のサムライ〜坂井三郎
  撃墜王の「苦難と勇壮の物語は、万人の胸にうったえる」とニュ
  ーヨーク・タイムズは評した。
b. JOG(096) ルーズベルトの愚行
  対独参戦のために、米国を日本との戦争に巻き込んだ。 
c. JOG(116) 操られたルーズベルト
  ソ連スパイが側近となって、対日戦争をそそのかした
d. JOG(168) 日米開戦のシナリオ・ライター
  対独参戦のために、日本を追いつめて真珠湾を攻撃させようとい
  うシナリオの原作者が見つかった。 

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
1. 平川祐弘、「米国大統領への手紙」★★、新潮社、H8
2. ビル・D・ロス、「硫黄島」★★、読売新聞社、S61
3. 産経新聞、「【高山正之の異見自在】ルーズベルトの遺言
   なぜ日本は生き残ったか」、1998.07.25、東京夕刊、1頁
   
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