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-----Japan On the Globe(188) 国際派日本人養成講座---------- _/_/ _/ Common Sense: 人権思想のお国ぶり _/_/ _/ _/_/_/ 「造花」型のフランス革命は200万人の犠牲者。 _/ _/_/ 「根っこ」型のイギリスは無血の名誉革命。 -----H13.05.06----33,700 Copies----250,592 Homepage View---- ■1.人権宣言のインクが乾くか乾かないうちに■ 「人は生まれながらにして自由で平等な権利を持つ」。この崇 高な一文で始まるフランスの人権宣言が人権思想の起源の一つ と言われるが、アメリカの歴史家サイモン・シャーマは、著書 「フランス革命の主役たち」で次のように語る。 人権宣言のインクが乾くか乾かないうちに、国民議会 は・・・反革命の陰謀を探るための委員会を設置して、郵便 物は開封する、逮捕状なしに人は逮捕する、正規の手続き を踏むことなしに拘禁はする、移動の自由は妨害する始末 です。[1] パリでは、ギロチンによる処刑が続き、多いときには連日5、 60人に達した。それも反革命勢力というよりは、職人や小商 店主が多かったという。またフランス西部のベェンデ地方の農 民は、カトリック教会弾圧やルイ16世幽閉に反対して立ち上 がったために、女子供も含めて40万人が虐殺された。フラン ス革命による犠牲者は総計200万人にのぼるという。 崇高な人権を謳う一方で、実はこんな人権無視の恐怖政治が 大規模に行われていたのである。哲学者カール・ヤスパースは 「歴史の起源と目標」の中で言う。 フランス革命は、・・・近代的自由の源泉ではない。むし ろ近代的自由は、イギリス、アメリカ、オランダ、および スイスにおいて、連綿と伝えられた真生の自由に基盤を持 つものである。 ■2.無血の「名誉革命」■ ヤスパースが「近代的自由」の源泉と言うイギリスやアメリ カでの事実を見てみよう。 1789年のフランス革命と好対照をなすのが、そのほぼ百年前 の1688年にイギリスで起こった名誉革命である。当時の国王ジ ェームズ2世はその旧教復活政策に反対する7人の主教を投獄 し、裁判にかけた。その専制支配を覆そうと議会が立ち上がり、 王の長女で、かつ新教徒であるメアリーの夫、オレンジ公ウィ リアムにオランダから兵を率いて来英するよう招請した。 1万3千の兵を率いてイギリスに上陸したオレンジ公に国内 の貴族も次々と呼応し、結局ジェームス2世はフランスに亡命。 オレンジ公は議会の出した「権利宣言」を認めた上で、ウイリ アム3世として、妻メアリーと共同で王位についた。これを 「名誉革命」と呼ぶのは流血を見ない革命であったからである。 この権利宣言が、「権利章典」として立法化されたのだが、 その正式名は「臣民の権利と自由を宣言し、王位継承を定める 法律」と言う。ここではイギリス臣民の「古来の自由と権利」 確保のため確認すべき13項目をあげ、たとえば、国王による 法律執行の停止、議会の同意なき課税など、ジェームズ2世の 行為を違法としている。 ■3.英国「臣民」の「古来の自由と権利」■ フランス革命では国王を処刑し、名誉革命では国王を追放し た。この点でどちらも「革命」と言えるが、その他の点ではま るで正反対である。 まず結果から見れば、フランス革命の犠牲者200万人と、 名誉革命の無血という対照がある。さらにフランス革命が結局 はナポレオン皇帝の台頭を許し、国民全体を狩り出しての戦争 に継ぐ戦争を引き起こしたのに対して、名誉革命は英国に安定 的な民主主義をもたらし、大英帝国発展の基盤を築いた。 また「人権宣言」は、「人間および市民の権利宣言」として フランスの歴史などには関係のない、どこの国にも通用するよ うな抽象的理想が謳われているが、「権利章典」は英国の歴史 に根ざした「臣民」の「古来の自由と権利」を具体的に再確認 したものである。 いわば、「人権宣言」は特定の文化や歴史と断絶した未来志 向、グローバル志向の理想であり、この点が他国からも「人権 思想」の原点として評価される側面であろうが、その結果が英 国の歴史と文化に根ざしたローカルな「権利章典」の足下にも 及ばないとは、どうしたことか。ここに人権思想の落とし穴が ありそうだ。 ■4.造物主の登場するアメリカ独立宣言■ ヤスパースが近代的自由の源泉とあげるもう一つの国、アメ リカはどうだろう。ここには「アメリカ独立革命」がある。そ のきっかけは英本国が財政危機に対処するために、アメリカの 植民地に対して、砂糖、印刷物などの課税をした事だった。 その時に掲げられたのが「代表なくして課税なし」という 「イギリス臣民」の権利である。この主張から独立戦争が始ま るのだが、ことさらに「革命」というのは、イギリスの臣民の 一部が、自分たちの権利を守るために、英本国から離脱して新 しい共和国をうち立てた、という側面を強調するためである。 その独立宣言の中核をなすのが、次の一節である。 すべての人間は平等に造られ、おのおの造物主によって、 他人に譲り渡すことのできない一定の権利を与えられている。 そうした権利のうちには生命、自由および幸福の追求が含ま れている。そして、これらの権利を確保するために、人間の あいだに政府が作られる。 「すべての人間」の平等と権利を謳っている点は、人権宣言 と似ているが、見逃せないのはそれが「造物主」によって与え られている、という考え方である。「造物主」がキリスト教の 神を指すことは言うまでもない。フランスのキリスト教伝統を 破壊しようとした人権宣言とは本質的な違いがここにある。 ■5.「神の国」の人権■ アメリカの独立宣言に「造物主」が出てくるのは、その成り 立ちを知れば当然と言える。アメリカでの植民地開拓は、1620 年にメイフラワー号でニューイングランドに到着したピルグリ ム・ファーザーズ(巡礼父祖)に始まるが、これらの人々はイギ リス国教会の礼拝や信条に満足せずに、新大陸で純粋に神の言 葉に基づく教会を作ろうとした清教徒の分離派だったのである。 こうして英本国とは分離して宗教的共同体として出発した植 民地が、政治的にも国家として独立したのがアメリカ合衆国の 起源である。このような歴史と伝統を見れば、次の一節は納得 しうるものだろう。 アメリカの政治理論では、主権はもちろん人民に存する が、暗黙裡には、いや時には明示的にも、究極の主権は神 にあるとされてきた。これが「神に信託する」というモッ トー(JOG注: アメリカのコインには、"In God we trust" と刻まれている)、国旗に対する誓いに「神のもとに」と いう言葉が入っていることの意味である。(ロバート・ベ ラー、「アメリカの市民宗教」) アメリカは「神の国」として建設された共同体であり、その 人民の人権は、神によって与えられたものだというのである。 したがってアメリカの人権思想も、イギリスと同様、共同体の 独自の歴史と文化から生み出されていったものと考えてよい。 また、このような思想から出発して、安定的な民主主義を築き、 経済的な繁栄をもたらしたという結果の面でも、イギリスの名 誉革命と良く似ている。 ■6.「根っこ型」の英米と「造花型」のフランス■ 同じく人権や自由を謳いながらも、共同体独自の歴史、文化 の根っこから人権を花開かせた英米型と、従来の根っこを断ち 切る形で理想的な人権を「造花」として植えて、拒否反応を起 こしてしまったフランス型と、どうやら、対照的な二つのパタ ーンに分かれそうだ。 ヤスパースが挙げているオランダやスイスも、それぞれの共 同体の歴史の中から、自由と人権とを実現してきており、「根 っこ」型に属する[a,b]。さらにヤスパースは言及していない が、自由と平等の都市国家として千年以上も繁栄をつづけたヴ ェネツィアもその先駆者として加えて良いだろう。[c] またロシア革命や中国の共産革命は、ともにそれまでの歴史 を否定し、一気に理想的な平等社会を建設しようとして、数千 万人オーダーの犠牲者を出したという点で、「造花」型をさら にスケールアップしたものと言える。 共同体の歴史と文化に根ざして、衆知を集めながら「国民の 権利」としての人権を育てていく英米の「根っこ」型アプロー チは社会の安定と繁栄につながり、根っこを断絶して抽象的理 想としての人権を無理に植えようとするフランスの「造花」型 アプローチは、反対者の大規模粛清に暴走して人権弾圧に終わ る、という政治的仮説が成り立ちそうだ。 ■7.わが国戦後の人権思想は「接ぎ木」型■ わが国戦後の人権思想は、アメリカ占領軍製の日本国憲法に よって移植されたもので「接ぎ木」型と言えよう。 たとえば、少年犯罪で被害者の人権は無視され、ひたすら加 害者の人権のみを守ろうとする「人権派」弁護士の主張は、ア メリカ人でも首をかしげる。アメリカでの「根っこ」を知らず にその花だけ振り回すから、奇矯な主張になってしまう。 また、たとえば、広島の高校で、国旗国歌を卒業式に導入し ようとした校長が、人権教育を押し進めている教員組合による 連日のつるし上げでついには自殺に追い込まれた例[d]がある。 校長夫人は「人権を讃える人たちに主人の人権は奪われました。 」と語っているが、これはまさしくフランス革命と同様の「造 花」型アプローチの徴候である。 戦後、占領軍の押しつけた米国流人権思想がさしたる抵抗な く受け止められたのは、それと親和性の高い根っこがすでにわ が国の歴史の中にあったからだ。しかしそれも一部の「人権 派」が、ことさらに部落問題やフェミニズムなどに結びつけて 「わが国の過去は人権弾圧の歴史だ」などと過去を断罪する 「造花」型のアプローチをとっているために、一般国民の違和 感を招き、その良識に根ざしたものにはなっていない。 ■8.「大御宝」の人権思想■ こうした状態から脱却するためには、英米に習って「根っ こ」型アプローチを強化し、我々自身の歴史と伝統の根っこか ら現在の人権思想に十分な栄養分を送って、わが国なりの花に 育てていく、というアプローチが良いだろう。幸いにもわが国 の長い歴史は、そのための十分に豊かな根っことなりうる。そ のいくつかを拾い上げてみよう。 まず日本神話では、男は日子、女は日女(ひめ)と呼ばれ、 すべての人間は、太陽神・天照大御神の「分け命」と考えられ ていた[e]。アメリカが「人間は創造主によって天賦の人権が 与えられている」と言うなら、わが国では「人間は神の分け命 として尊い人権を受け継いでいる」と言えるのである。 次に初代・神武天皇が即位された時の「建国の詔」には「恭 みて寶位(たかみくら)に臨みて、元元(おおみたから)を鎮 むべし(謹んで皇位につき、大御宝、すなわち人民が安寧に暮 らせるようにしよう)」と即位の抱負を述べられている。人民 を「大御宝」と呼び、その安寧を実現することが、わが国のそ もそもの建国の目的であった。[f] 聖徳太子の頃に端を発したという「悲田院」は身寄りのない 貧窮の病人や孤老を収容する救護施設、また「施薬院(せやく いん)」は、貧窮の病人に薬を施して療養させる施設である。 ともに「大御宝」を大切にする国家方針の現れであろう。 この伝統は現代まで引き継がれ、明治天皇のお后・昭憲皇太 后のご寄付によって国際赤十字で「昭憲皇太后基金」が創設さ れ、また歴代皇后陛下は日本赤十字の名誉総裁を務められてい る。 イギリスの人権思想は、王権との対立の歴史から生まれたの だが、わが国では「国民の安寧を祈る」という皇室伝統自体が、 豊かな人権思想や福祉政策を生み出す「根っこ」となっている。 ■9.相互的個人主義に立った日本流人権思想を■ 近代に至っては、たとえば明治元年に出された「国威宣布ノ 宸翰」に、「天下億兆一人も其所を得ざるときは皆朕が罪なれ ば」(国民の一人でもその所を得ないような事があれば、それ は天皇である私の罪であるから)という言葉がある。「所を得 る」とは、家庭、職場、地域などの社会のネットワークの中で、 一人一人がかけがえのない存在となり、その役割を通じて自己 実現を図る、という理想である。 「大御宝」が「所を得る」ように図ることがわが国の理想と 据えられれば、たとえば教育にしても、子供たちがクラスや家 庭、地域社会の中で和を保つことを学びつつ、その中で一人一 人の多様な能力と志を引き出す事が課題となる。他への迷惑を 顧みずに、自分で好き勝手な事をすることが「人権」だという ような低次元の思い違いは一掃できる。 西部邁氏は、個人を中空に飛ぶ原子のように孤立した存在と 見なす欧米の「原子的個人主義」とは違って、人と人との間柄 を重視した「相互的個人主義」の伝統がわが国にはあると指摘 している[f]。原子的個人主義における人権は常に社会との対 立をはらんでいるが、相互的個人主義に立った人権思想は社会 と個人との調和を目指すものになる。 「根っこ」型のアプローチをとれば、それぞれの国でお国ぶり を発揮した多様な人権思想が花開く。それはさらに相互の交配 を通じて、より進化した人権思想を生みだして行くだろう。 (文責:伊勢雅臣) ■リンク■ a. JOG(115) オランダ盛衰小史 b. JOG(158) 頑固一徹スイスに学ぶ c. JOG(104) ヴェネツィア d. JOG(114) 恐怖と無法の広島公教育界 e. JOG(171) 「まがたま」の象徴するもの f. JOG(170) 個人主義の迷妄〜「国民の道徳」を読む(1) ■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け) 1. 伊藤哲夫、「憲法かく論ずべし」★★★、高木書房、H12 ============================================================ mag2:28012 melma!:1882 kapu:1871 Pubzine:1076 Macky!:860© 平成13年 [伊勢雅臣]. All rights reserved.