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-----Japan On the Globe(205)  国際派日本人養成講座----------
          _/_/   
          _/     The Globe Now: 国際特許戦争の罠
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_/ _/_/_/        英国や米国を覇権国家に押し上げた原動力は特許
_/ _/_/        戦略だった。現代の特許戦争にどう立ち向かうか?
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■1.覇権を支える特許戦略■

     18、19世紀の英国と20世紀のアメリカ、この両国が世
    界史に覇を唱えた陰には、特許戦略があった。そしてアメリカ
    は一時弱体化した産業競争力を特許戦略によって再び強化し、
    21世紀においても覇権を維持しようとしている。
    
     たとえば、住友電工は米国コーニング社との光ファイバ特許
    訴訟に敗訴し、和解金33億円を支払い、その後の国際競争に
    おいて、大きな制約を課せられた。ミノルタはハネウェル社に
    よるオートフォーカス特許侵害訴訟で、和解金約166億円を
    支払った。さらに日本の半導体メーカー8社はテキサス・イン
    スツルメンツ社によるDRAM(コンピュータ用メモリー)
    特許訴訟により約247億円を和解金として巻き上げられた。
    これらの中には、ペテンとしか考えられない手口も見受けられ
    る。
    
     それぞれの国家が21世紀の国際社会を生き抜くためには、
    この特許戦争の罠をよく見分けなければならない。

■2.産業革命をもたらした特許制度■

     近代的な特許制度は、1561年、英国のエリザベス一世によっ
    て制定された「独占的実施権」に始まる。当時の英国はまだ後
    進国で、羊毛が最大の輸出品であった。それをより価値の高い
    毛織物などにして輸出するには、大陸の進んだ技術が必要であ
    る。そこでエリザベス一世はフランドル地方(現在のオランダ、
    ベルギー)から毛織り職人を招き入れ、毛織物に関する生産・
    販売に関する「独占的実施権」を与えたのだった。そしてその
    見返りに女王は、上納金を課した。
    
     ところが、台所が火の車であった英王室は、上納金目当てに
    独占的実施権を乱発して、トランプの製造・販売まで特定の業
    者が独占するまでになり、ついに議会は1624年に「専売条例」
    を制定して、発明と新規事業に限って特許権を発行できるよう
    にした。この専売条例が、近代特許法の原型と言われる。
    
     専売条例のもとでは、新しい技術の発明者は、最長14年間
    の独占権を認められ、その間に収入を得ることができる。その
    期間が過ぎれば、独占権は消滅し、多くの業者によってその技
    術が普及する。このように特許は、技術の革新と普及を促進し、
    結果として国を富ませ、人々の生活を向上させる。
    
     この条例のもとで、ジェームス・ワットの蒸気機関や、リチ
    ャード・アークライトの水車紡績機など、画期的な新技術が次
    々と発明され、英国に産業革命をもたらしたのである。「世界
    の工場」として英国の繁栄をもたらした原動力の一つは、専売
    条例による特許制度にあった。

■3.発明家リンカーンが始めた近代戦■

     英国の植民地から独立した米国は、特許制度の重要性をよく
    認識していた。ジョージ・ワシントンが中心となって制定され
    たアメリカ合衆国憲法のなんと第1条第8項に特許を与える権
    利は議会にあることと規定している。
    
     第16代大統領リンカーンは自らの発明家であっただけに、
    近代技術の戦略的価値を見抜いていた。南北戦争が始まると、
    リンカーンのもとに次々と発明家たちが押し寄せて、新型兵器
    のアイデアを持ち込んだ。その中から、リンカーンは連発式ラ
    イフル銃、地雷、銃臼砲、鉄道砲、装甲艦、潜水艦、軍事観測
    気球などを大量に戦場に送り込んだ。これらの武器により、北
    軍は一挙に優勢に転じた。
    
     南北戦争は60万人もの死者を出したが、これは米国の第2
    次大戦での死者の2倍である。近代兵器を駆使して、膨大な死
    傷者を出す近代戦の始まりは、リンカーンが始めたと言えるの
    ではないか。

■4.99%の汗は権利と利益を得るために■

     南北戦争が終わると、リンカーンは全米の工業化に着手する。
    その原動力が特許権の保護強化であった。南北戦争が終わった
    1865年から大不況が襲った1930年までをアメリカでは「第一次
    プロパテント時代」と呼ぶ。この期間に、アメリカは英国を凌
    ぐ工業大国として躍進を遂げる。「特許法は、天才の火に利益
    という油を注ぐ」、商務省の玄関脇の大理石に刻まれたリンカ
    ーンの言葉である。
    
     その申し子とも言うべきなのが、エジソンである。白熱球、
    蓄音機、映画など1300以上もの特許を取得した。しかし、その
    発明品はほとんどが、既に発明されていたものの改良だった。
    たとえば、電球はエジソンの「発明」の77年も前に、英国科
    学界の権威ハンフリー・デービィが、プラチナをフィラメント
    に用いた電灯を発明していた。
    
     フィラメントに炭素を使い、真空中で発光させるという白熱
    電球の実験に成功したのは、イギリスのジョセフ・スワンで、
    「サイエンティフィック・アメリカン」の1879年7月号で発表
    された。その記事を参考にして、同年10月20日エジソンの
    助手でイギリス人のチャーチル・バチェラーが炭素の糸を用い
    るという方法で、長時間点灯に成功した。
    
     助手の成功を受けて、エジソンはただちに特許を申請し、そ
    れを大々的に新聞で報道した。そしてその年の大晦日の夜、エ
    ジソンは、ニュージャージー州メロンパークに数百万の見物客
    を集めて、数万の電灯をいっせいに点灯させた。この劇的な公
    開実験のニュースは、世界中に配信され、エジソン電灯会社の
    株価は一挙に28倍に跳ね上がった。
    
    「天才は1%のひらめきと99%の汗からなる」とエジソンは
    言ったが、その99%の汗は発明を生み出すためにではなく、
    特許の権利と利益を得るために注がれたのである。

■5.躍進した明治日本の特許制度■

     欧米列強の武力によって、開国させられた明治日本の指導者
    たちは、その近代技術の背後に特許法があることを見逃さなか
    った。明治政府が最初の発明特許法である「専売略規則」が布
    告されたのは、実に明治4年であった。残念ながら、発明の新
    規性を審査する外国人を雇う資金がなかったなどの理由のため、
    この法は一時棚上げになったが、人力車、紡績機、村田銃など
    優れた発明が出始め、それらの権利を守るために、専売特許条
    例「明治18年法」が制定された。非白人国家では最初の特許
    制度である。
    
     日本人に向いた実用新案の制度化もあって、日露戦争後には
    特許・実用新案出願件数はうなぎ登りになり、明治40(1907)
    年にはフランスを抜き、大正4(1915)年にはイギリスを抜いて、
    米独につぐ世界第3位となった。明治日本の躍進を支えたのは、
    こうした技術進歩が大きな要因の一つであった。
    
■6.松下幸之助による「特許解放の義挙」■

     ただ特許の独占は、従来の日本の商習慣に馴染まない点もあ
    った。当時の多くの実業家は江戸時代以来の伝統から、事業は
    個人の利益追求よりも、共同体の一員として社会に奉仕するこ
    とで世間の信用を得て、それによってはじめて繁栄する、とい
    う精神を強く持っていた。
    
     昭和初期の頃、安藤博という15歳の天才少年が多極真空管
    を発明して、多くの特許を得た。当時の弱小メーカーが良いラ
    ジオを安く提供しようとしても、高額の特許使用料が障害にな
    っていた。
    
     昭和6年、ラジオの製造に着手した松下幸之助は、安藤の多
    極真空管に関わる特許をすべて買収し、それをすべてのメーカ
    ーに無償で解放した。この「特許解放の義挙」は業界始まって
    以来の大ホームランと感謝された。商店や工場は、社会を富ま
    すことによって、繁栄されることが許されるという松下哲学の
    見事な現れである。
    
     特許制度は、発明を促進して長期的には人類全体の福祉に貢
    献する面と、短期的には独占権を与えることによって競争を制
    限するという矛盾がある。後者の面が強く出ると、特許紛争と
    なる。

■7.わが国最初の国際特許戦争は完敗■

     明治32(1899)年、日本は特許の国際的な保護を定めた「パ
    リ条約」に加盟し、不平等条約解消の見返りに、欧米と同様の
    特許制度を導入した。これは日本企業が国際的な特許戦争の荒
    海に投げ出されることを意味していた。
    
     昭和6年、エジソンを創業者とするゼネラル・エレクトリッ
    ク(GE)社は、米国に日本製電球を輸入する商店13社を特
    許侵害で次々と提訴した。裁判費用を避けるために、GEの要
    求を受けて示談を交わし、輸入を取りやめる商店が続出した。
    
     GEがアメリカ市場から日本製電球を締め出すことに成功し
    たのを見て、翌7年にはオランダのフィリップス社がオランダ
    領インドネシアの輸入業者を提訴する。8年にはブラジル、9
    年にはベルギー、オーストラリアと同様の提訴が続き、日本製
    電球は世界から特許侵害訴訟の集中砲火を浴びた。
    
     ここに及んで、日本側企業もGEと一戦を交える事を決意し、
    「GE特許対策連合会」を組織して、南カルフォルニア連邦地
    方裁判所にて応訴した。GEが侵害していると主張した特許は、
    アンダー・パクズが発明した「パクズ・フィラメント」であっ
    た。しかし、日本側が使っていたのは、京都大学の二人の教授
    によって発明された別のものだった。しかし、地裁がパクズ・
    フィラメントの特許範囲を登録された文面よりも広く解釈した
    ため、日本側の敗訴となった。わが国最初の国際特許戦争は完
    敗に終わった。

     こうして特許戦争に負けた日本製電球は世界市場から駆逐さ
    れたのだが、第2次大戦後、米国司法省が独占禁止法でGE社
    を訴えたことで、国際的な闇カルテルの存在があきらかになる。
    GEとフィリップスなど、欧米の電球メーカーは生産量や価格
    の調整などを行う「フォーバス・カルテル」を組んでいたので
    ある。日本製電球が各国から特許侵害訴訟を浴びたのは、独占
    を守ろうとするカルテル側の一斉攻撃であった。

■8.第2次プロパテント戦略■

     第2次大戦後、アメリカは圧倒的国力を背景に自由化政策を
    とったが、80年代後半になると、製造業の空洞化、日本やヨ
    ーロッパからの輸入増加により、貿易赤字を続けるようになっ
    た。これを危惧したレーガン政権が85年に打ち出したのが、
    リンカーンに続く第2次「プロパテント戦略」である。アメリ
    カの技術力を国際的な特許制度で保護し、それをテコに産業競
    争力を強化しようというものである。
    
     87年にコーニング社が住友電工を訴えた光ファイバ特許侵
    害訴訟は、第2次プロパテント時代の到来を告げる事件として、
    日本産業界に衝撃を与えた。光ファイバの「生みの親」と呼ば
    れるのは、東北大学の西澤潤一である。西澤は光の断続によっ
    てデータ伝送を行う光ファイバの開発に成功したが、手続き上
    の不備で特許は認められなかった。
    
     「育ての親」は、スタンダード通信ケーブル社の主任研究員
    だった中国人研究者チャールズ・カオで、光ファイバ実用化の
    鍵であった光の吸収損失を少なくする方法を発見して、学会論
    文で今日の光ファイバの構造を提案したが、特許は申請しなか
    った。これら西澤やカオの研究成果も網羅して光ファイバに関
    する多数の特許を提出したのがコーニング社だった。
    
     コーニング社が住友電工に侵害されたとした特許は、カオ論
    文に基づいて、中核部に不純物を入れ、周辺部よりも屈折率を
    高めるというものだったが、訴えられた住友電工のファイバは、
    周辺部の石英ガラスにフッ素を混ぜて、屈折率を低下させると
    いうものだった。この現象は当時知られておらず、住友電工の
    オリジナル技術であった。
    
     しかし、裁判所は中核部の屈折率を高めるのも、周辺部を下
    げるのも、「実質的に同一の方法で、同一の作用をもち、同一
    の結果を得ている」として、住友電工の全面的敗訴の判決を下
    した。従来の特許は、文面に書かれたものだけが対象になって
    いたのだが、この判決においては、書かれていなくとも、そし
    て当時知られていなかった方法でも、実施的に同一なら特許侵
    害だというまったく新しい判断根拠を持ち出したのだった。
    
     これ以降、冒頭で述べたように、日本のカメラや半導体のメ
    ーカーが次々と米国企業の餌食にされていく。

■9.世界でも群を抜く日本人の発明力の維持を■

     近年、米国はソフトを著作権で保護し、コンピュータを利用
    した商売の仕組みをビジネス・モデル特許として認めるように
    なった。さらに遺伝子組み換え技術で新たに作られた微生物や
    ねずみなどまで特許を認めるなど、着々と特許の範囲を拡げつ
    つある。ソフトウェアもバイオも、米国の重視する産業である。
    自国が有利なように絶えず、ゲームのルールを変えていくのが、
    米国のやり方である。
    
     そうしたハンディを負いながらも、日本企業は見事に健闘し
    ている。98年の米国国内での特許取得企業のベストテンには、
    6社も日本企業が入っている。米国国内の特許件数の21%は
    日本企業によるものだ。
    
     そもそも、日本の特許出願件数は世界でも群を抜いており、
    実用新案制度が事実上廃止された95年以降でも、年間35万
    件レベルと、アメリカの10万件強の3倍以上である。人口が
    半分であることを考えれば、一人あたりでは6,7倍という水
    準になる。さらに町工場の親父さんや、家庭の主婦など、一般
    の国民による発明が多数含まれていることも、目立った特色だ
    と言われる。天然資源に恵まれず、国土も狭小な日本が、世界
    有数の経済大国でいられるのも、民度の高い国民全体が絶えず、
    細かな工夫を積み重ねていく、という文化伝統のお陰であろう。
    
     国際特許戦争の罠に陥らないよう警戒を怠らず、国内におい
    てはこの発明力をいかに維持していくかが、日本の課題である。

                                          (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(139) ジュラシック・パーク・アメリカ
b. JOG(097) クジラ戦争30年

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
1. 上山昭博、「プロパテント・ウォーズ」★★★、文春新書、H12
2. 石原藤夫、「プロパテント・ウォーズに勝つ 日本は対米特許
  戦略の構築を急げ!」、月刊日本、H12.10
   
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