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-----Japan On the Globe(217)  国際派日本人養成講座----------
          _/_/   
          _/     国柄探訪:まごころの通い路
       _/_/      
_/ _/_/_/        皇后陛下から下された菓子折に感激した人々は
_/ _/_/        「部落改善の記念日」として再出発を誓い合った。
-----H13.11.25----36,258 Copies----354,579 Homepage View----

■1.荒れ放題に荒れた部落■

     昭和天皇の侍従次長として「宮中見聞録」[1]を著した木下
    道雄氏は、そのまえがきに次のような印象深い逸話を記してい
    る。大正6年、木下氏が岡山県東端の和気郡の郡長として務め
    ていた時の事である。郡内の様子をつぶさに知ろうと、毎週日
    曜日には地図と磁石と握り飯を持って、一人郡内を歩き回って
    いた。
    
     夏のある日、和気の町から峠を越えて海岸の方に歩いていく
    と、とある部落に入り込んだ。驚いたことに、そこの家々は屋
    根はこわれ、壁は落ち崩れ、どこもかしこも荒れ放題に荒れて
    いる。そして見慣れぬ洋服姿の木下氏を、警察のものとでも思
    ったのか、物陰からにらむ目つきが、明らかに敵意を含んで険
    しい。木下氏は自分のお預かりしている郡内にこんなひどい所
    があるのは何とかしなければ、と思った。
    
     月曜の朝、役所で郡の書記にその話をすると、あそこは手の
    つけられない部落ですよ、と新米の郡長が何も知らずに、郡内
    最大の危険な腫れ物に手をつけたと言わんばかりの心配顔であ
    る。
    
■2.「部落改善の記念日」の誓い■

     しかし木下氏は在職わずか5ヶ月で内閣書記官として東京転
    任を命ぜられた。着任早々、大正天皇の沼津行幸のお供をして、
    皇后さまから御慰労として立派な菓子折をいただいた。
    
     ああ、もったいない、と思った時に、ふと眼に浮かんだのが、
    破れ家の片隅から険しい眼付きで、木下氏を睨んだあの部落の
    人々のさみしそうな姿であった。よし、あそこに贈ろうと決心
    して、人づてにその村の村長に菓子折を送った。村長は部落以
    外の子供たちもいるので、部落に4個、小学校に3個を分け与
    えた。双方とも人数が多いので、お菓子をもち米につきまぜて
    紅白のお餅をたくさん作って分かち合った。
    
     部落では、皇后さまからのお菓子を自分たちがいただくとは
    と、たいへんな喜びようで、お餅を村の鎮守様にお供えした上
    で皆でいただき、この日を部落改善の記念日として再出発を誓
    い合ったという。
    
■3.やまとごころを取り戻した人々■

     昭和6年、木下氏が機会を得てこの部落を15年ぶりに再訪
    してにみると、驚いたことに昔の破れ屋などどこにもなく、小
    ぎれいな家々が立ち並んでいる。はて、場所を間違えたか、と
    も思ったが、鎮守の森は昔ながらの姿であるから間違いない。
    
     小さいながらも、きれいな公会堂が建っており、その高いポ
    ールには木下氏を歓迎しようと、日の丸を中心に運動会のよう
    に色とりどりの旗が張り巡らされている。公会堂の内部は部落
    の人でいっぱいで、みなこざっぱりした身なりをし、顔つきも
    晴れやかで、昔の険しい眼付きなどどこにも見あたらない。

         たった15年の間に、なんという変わり方であろう。私
        はほんとうに、なんともいいしれぬ喜びに満ち溢れた。
        
         あのとき、たとえ私が郡長に踏み止まったとしても、私
        の力では到底これだけのことを成し遂げられる筈がない。
        まさに皇后さまのお心のこもった一折のお菓子の奇跡・・・
        
         鎮守さまの前で、あの紅白のお餅をいただいたその瞬間
        に、この部落の人たちは、自分たちが長らく見失っていた、
        やまとごころを再びおのれらの胸に取り戻したのだ。
        [1,p16]
        
     記載はないが、この時に宮内庁総務課長であった木下氏は、
    当然、この体験を両陛下にお話ししたであろう。両陛下がいか
    に悦ばれたか、想像に難くない。
    
■4.一つの菓子折がなぜ15年に及ぶ努力につながったのか?■

     このエピソードで興味深いのは、なぜ村民達が皇后陛下から
    下された菓子折を一時の感激に終わらせずに、「部落改善の記
    念日」として再出発まで誓いあったのかということだ。その誓
    いはかりそめのものではなく、15年に及ぶ努力に繋がったの
    である。
    
      当時の国民が無知蒙昧のあまりに天皇を「現人神」と信じ
    ていたというのであれば、その神様の下された菓子折を鎮守様
    にお供えして、あとは末永くご加護がありますようにと拝んで
    いるだけでも良かったはずである。改善に立ち上がろうという
    決意につながる必然性はない。

     村民達は菓子折自体を霊験あらたかな神様の下し物と捉えた
    のではなく、その菓子折にこめられた皇后さまのまごころが自
    分たちにも向けられた事を嬉しく感じたのであろう。自分たち
    の現在の暮らしぶりを心配してくれる人がいる、と気づけば、
    うれしいと思い、これ以上心配をかけないよう頑張らなくては、
    と思うのが人間の素直な感情である。
    
■5.差別を乗り越える「やまとごころ」■

     しかもその菓子折が国家を代表する皇室からであり、なおか
    つ部落の人々と他の子供たちとに平等に配られた、という点に、
    この人々が心を開いた原因があるのではないか?

     部落の人々は長い歴史の中で現実にいろいろな差別に苦しん
    できたであろう。それがこの国のありようであり、自分たちの
    宿命なのだ、と思いこんでしまえば、国を呪い、自暴自棄にも
    なる。破れ屋も、よそ者への敵意もそれがためであろう。
    
     しかし、国家を代表する皇室から、自分たちにも平等にお菓
    子が下されたということで、「このような差別は我が国では本
    来あってはならないものだ」という理想が厳としてあることに
    気がついたのではないか。そうと気づけば、自分たちも努力し
    てこの差別を乗り越えようという意欲が湧いてくる。わずか一
    つの菓子折が15年にも及ぶ自助努力を生みだした奇跡の背景
    には、このような心の持ちようの劇的な転換があったのだろう。

     木下氏が「やまとごころ」という、その「やまと」とは大和、
    すなわち「大いなる和」である。「和」とは人々の間で、様々
    な立場の違いを超えて、まごころを通わせる所からもたらされ
    る。皇后さまの菓子折は、部落の人々の鬱積した心を開かせ、
    まごころを一つにして、再建の努力に向かわせた。その人々の
    「大いなる和」が村を見違えるように再建させたのである。
    
     部落問題は身分差別の問題であり、天皇制がその身分差別の
    源泉だという主張があるが、それがどれだけの歴史事実に基づ
    くものか、筆者は疑問に感じている。このエピソードはそのよ
    うな主張に対する具体的な反証事実である。初代の神武天皇は
    即位される際に、人民を「大御宝」と呼び、様々な部族が「一
    つ屋根」のもとで家族のように仲良く暮らすことを理想とされ
    たが、身分差別とはこの理想の顕現がいまだ不十分であった所
    から起こった問題と著者は考えている。[a]

■6.直立、挙手敬礼の人影■

     皇室を仲立ちとして人々が心を通わせあった、もう一つのエ
    ピソードを木下氏の著書から紹介しよう。昭和6(1931)年11
    月19日午後6時半、軍艦榛名は鹿児島湾内をまっすぐに南下
    していた。熊本での陸軍大演習の後、お帰りになる昭和天皇を
    鹿児島から横須賀までお送りする航海だった。すでに日は暮れ
    て、月もなく、左舷の大隅半島、右舷の薩摩半島の山々も10
    余キロの彼方、夕闇の中にほの暗く見えるのみである。
    
     木下氏は行幸事務を主管する宮内大臣官房総務課長として乗
    船していた。ちょうど全員が夕食中で、見送りの船でも来たら
    気づかずに相済まぬ事になると思って、後甲板に出てみた。灯
    りのない後甲板は薄暗く、人の顔の見分けもつかないほどであ
    る。
    
     誰もいないと思っていたところが、右舷のてすりの所に西を
    向いて立っている一人の人の後ろ姿があった。備え付けられた
    脚付きの望遠鏡のそばに直立し、挙手敬礼をしている。
    
■7.鹿児島湾上の聖なる夜景■

     今頃誰か、と近づいてみると、なんと陛下ではないか。はて、
    何か望遠鏡でご覧になったのかな、と木下氏も近くの望遠鏡を
    覗いてみると、薩摩半島の山々がぼんやりと見える。目が慣れ
    てくると、その水陸の境目、海岸線一帯に延々と果てしなく続
    く赤い紐のようなものが見える。その少し上、小高い所には数
    百メートルの間隔で点々と燃え盛るかがり火。

     木下氏は万事を了解した。陛下のお船が沖を通過する時刻と
    知った薩摩半島の村々の人々が、ちょうちんやたいまつを持っ
    て海岸に立ち並び、また若者達は山々に登ってかがり火を焚い
    て、こぞって陛下をお見送りしているのである。陛下はこれを
    望遠鏡で見つけられ、ただお一人、挙手の礼で沿岸一帯の人々
    にご挨拶をされていたのだ。
    
     木下氏はなんとか、お見送りしている人々に陛下が艦上から
    ご挨拶されていることを知らせる術はないかと思い苦しんだが、
    ふと一案を思いついて艦長室に走った。艦長に事情を話し、す
    べての探照灯をつけてもらうよう頼んだ。艦長も感激して、す
    ぐに指示を下した。
    
     6機の探照灯がこうこうと左は大隅半島、右は薩摩半島の山
    や空や海をくまなく撫で回した。はるかに、わっとあがる両岸
    の歓声を想像しながら、木下氏は歓びに浸った。

■8.互いに手をとり合って歓んだ■

     それから30年以上もたった昭和39年のある日、木下氏は
    指宿にある九州大学の植物園の園長を訪ねた。長年、この地に
    住んでいるという園長に、昭和6年のその夜のことを聞いてみ
    ると、園長はたしかに提灯を持って、海岸に立っていたという。
    
     軍艦の姿こそ見えなかったが、はるかに見える灯火に心をこ
    めてお見送りしていた所、突如、われわれに向かってこうこう
    たる探照灯が照らされ、一同、思わず歓声を上げ、その光の中
    に互いに手をとり合って歓んだことでした、と園長は語った。
    
     あちこちの村々から集まってきた数千、数万の群衆は、年齢
    も性別も職業もばらばらな、互いに見知らぬ人々であったろう。
    それらの人々が共有しているのは、ただ陛下をお見送りしよう
    という一片のまごころのみであった。
    
     その人々のまごころが、軍艦榛名に届き、探照灯のこうこう
    たる灯りとなって帰ってきた時、老いも若きも、「その光の中
    に互いに手をとり合って歓んだ」のである。

         げに闇をも貫くは、まごころの通い路。海波遠くへだて
        て、君民無言の、わかれのかたらい。ああ、誰か、邦家万
        古の伝統を想わざる。
        
     鈴木氏はこの時の感動をこう詠った。「まごころの通い路」
    とは民と陛下を結ぶものであるが、民がたいまつの火として送
    ったまごころは、また陛下の無私の大御心を通じて、探照灯の
    光として民に帰ってきたのである。皇室こそ国民相互を結ぶ
    「まごころの通い路」と言えるのではないか。

■9.国民が慶びや悲しみを共にできる幸せ■

     著者が80年代初めに米国に滞在していた時、現地の青年か
    らこんな話を聞いたことがある。自分の両親から教えられたこ
    とだが、大統領選の最中は候補者に対してどのような批判をし
    ても良いが、ひとたび大統領となったからには、国民全体で選
    んだ元首として、その政治的主張は別にして、十分な敬意を払
    わねばならない、と。
    
     一つの国民が同胞としてまとまっていくには、政治的な主義
    主張とは別次元で、国民相互が心を通わせる何ものかが必要で
    ある。アメリカの場合は、それが大統領への敬意であるのだろ
    う。
    
     しかし、最近ではクリントンが低劣なスキャンダルでホワイ
    トハウスの権威を大いに貶めたように、私心でその地位を悪用
    していては、大統領への敬意を通じて国民相互の心を通わせる
    ことは難しい。昭和天皇が軍艦榛名の船上、国民に見えない所
    でも敬礼で応えられていたように、「まごころの通い路」は
    「無私」でなければならない。
    
     昭和63(1988)年、昭和天皇が病床につかれると、全国の御
    平癒祈願所に約9百万人が記帳に訪れた。その祈りも空しく昭
    和天皇が崩御され、国民の多くは悲しみを共にしつつ、一つの
    時代の終わりを感じた。それ以降、わが国は、バブル経済とそ
    の崩壊後の長引く不況、凶悪犯罪や青少年犯罪の多発、中韓の
    度重なる謝罪要求など苦難の年月を経てきた。
    
     しかし、ようやく皇孫殿下ご誕生の朗報が聞かれそうである。
    主義主張の違いを乗り越えて、国民の多くが慶びや悲しみを共
    にすることができる王室を抱くことは、現代世界でもごく一部
    の国々しか持ち得ない貴重な文化伝統である。それらの国々の
    中でも、特に無私の精神を豊かに継承されている皇室を抱く日
    本の国に生まれた幸福を思わざるを得ない。
    
     財政破綻、世界経済不況、そして同時テロによる戦争など、
    苦難はまだまだ続きそうだが、皇室の御慶事をともに悦ぶこと
    から国民相互のまごころを通わせ、それを原動力として新たな
    る時代の建設に向かっていく時であろう。
                                          (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(074) 「おおみたから」と「一つ屋根」
b. JOG(112) 共感と連帯の象徴
c. JOG(120) 「心を寄せる」ということ

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
1. 木下道雄、「新編宮中見聞録」★★★★、日本教文社、H10
   
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■「まごころの通い路」について 山形県T(元市議)さんより

     本県におけるべにばな国体を目前にした平成4年6月、その
    年3月、市議に初当選した私は、初の定例議会一般質問で、な
    んとか天皇皇后両陛下の本市への行幸啓実現をと提案いたしま
    した。それは、本市JR駅停車中、市四役が両陛下に拝謁、さ
    らには高円宮両殿下行啓となって実現しました。

     両陛下御成りの折、駅構内に入ることがかなわなかった私は、
    仲間、家族10人ほどとともに、刈入れの済んだ駅手前の田圃
    から日の丸を振ってお迎えしました。ただそうしたかったから
    したしただけであって、なんの見返りも求めたのではありませ
    んでした。
    
     ところが、車中から私たちにお気づき陛下は、あろうことか、
    わざわざお席からお立ちになられた上、私たちのために両手を
    大きく振ってお応えくださったのです。思ってもみないことで
    した。思わず涙が出てきて、みんなで「天皇陛下万歳」を叫ん
    でいました。あの時の車中の天皇陛下のお姿は、つつましくお
    手を振られていた皇后陛下のお姿とともに、しっかり記憶に焼
    き付いて、私にとって、一生の宝です。

■ 編集長・伊勢雅臣より

     「まごころの通い路」は、戦前も平成も変わりませんね。
    内親王殿下ご誕生を国民がともにお祝いする所から、国民同胞
    感が生まれます。やはり皇室は国家統合の象徴です。

■坂井さんより

     内親王殿下のご誕生をお慶び申し上げます。健やかな成長と、
    雅子妃殿下の産後のご回復をお祈りします。ですが、この喜ば
    しい知らせの報道にふれて、また少々驚きました。新聞紙面や
    TV報道は総じて「女の子」「女児」と表現しています。報道の
    中で内親王ということばが出てきたのは、宮内庁の発表と首相
    の談話の中でだけでした。

     「内親王」ということばは死語になっていたのでしょうか。
     確かに内親王がわが国にお生まれになるのは久方ぶりではあ
     りますが。デパートのウィンドウには「内親王殿下」という
     言葉は出てくるのですが、その光景を伝えるニュースでは
     「女の子」。アナウンサーの語彙は市井の商売人や客以下な
     のでしょうか。

      内親王殿下のご誕生を喜ぶ日本国民から、皇室に対する
     「愛」はとても感じます。ですが「敬愛」を感じることはあ
     まりありませんでした。「敬」という概念自体が日本人から
     失われつつあることと無縁ではないのでしょうが、敬愛とい
     う美しい日本語と、それが表す豊かさが失われているなら実
     に残念です。

■ 編集長・伊勢雅臣より

     何という偶然か、このお便りをいただいた翌日、内親王様が
    「命名の儀」が行われ、敬宮(としのみや)愛子(あいこ)様
    とのお名前の発表がありました。「敬愛」という美しい日本語
    のある事を思い出しました。
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mag2:27383 pubzine:3924 melma!:1974 kapu:1688 macky!:1289 

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