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[トップページ][平成14年一覧][地球史探訪][210.68 日韓併合]

________Japan On the Globe(254)  国際派日本人養成講座_______
          _/_/   
          _/     地球史探訪: 「親日派のための弁明」を読む
       _/_/      
_/ _/_/_/         私たちは国を奪われたのではなく、日本と
_/ _/_/          いうましな統治者を受け入れたのである。
_______H14.08.18_____38,970 Copies_____539,196 Views________

■1.日本でベストセラー、韓国では有害図書?!■

     金完燮(キム・ワンソプ)という韓国人青年の書いた「親日
    派のための弁明」[1]が売れている。出版社の広告では30万
    部突破との由、確かに各地の書店店頭で平積みにされている。
    韓国人自身が「日本の植民地統治は本当に「悪」なのか?」と
    問いかけた刺激的な内容だ。
    
     産経新聞のソウル支局長・黒田勝弘氏は、この本に関する韓
    国側の状況を次のようにレポートしている。[2]
    
         韓国の本が日本でこれだけ話題になれば、普通なら必ず
        韓国マスコミが「日本で話題!」と紹介するのだが、韓国
        マスコミは奇妙に沈黙を守っている。・・・
        
         この本については本国の韓国では一切、無視されている
        のだ。それは明らかに意図的な無視である。いや正確にい
        えば無視の一方で、公的機関による「有害図書指定」や検
        察捜査など当局による発禁に近い圧力がかかっている。著
        者の金完燮氏は日本で著書が翻訳出版されたため6月末か
        ら7月にかけて日本訪問する予定だったが、旅券が出ず訪
        日できなかった。当局により「出国禁止」になっている。

■2.そんなに危ない思いをしてまで■

     韓国での「親日派」とは、日本統治時代に日本に協力した者
    という意味で、「売国奴」「民族反逆者」という非難を込めて
    使われる。金完燮はこう説明している。
    
         いまでも韓国の政治家たちは、だれだれの身内が日本時
        代に親日派だったらしいとか、大統領が日本に行って「先
        生、私、豊田です」と挨拶をしたのは「親日行為」だとい
        う調子で非難している。韓国社会で親日家の烙印が押され
        れば、かつてスパイの烙印が押されたのとおなじように、
        政治も社会生活もすべて放棄しなければならない。だから
        政治家や学者、大学教授、作家を問わず、その種の話題が
        出ると慌てふためいて、なんとしてでも親日派に分類され
        まいともがくのだ。[1,p143]
        
     そんな「親日派」のための「弁明」を書くというのだから、
    これは中国で堂々と共産党批判の書を出版するくらい勇気のあ
    る行為だろう。
    
     昨年の8月頃、この本の草稿をインターネットサイトで公開
    した所、毎日数百人の韓国人から脅迫を受けたという。そして
    このサイトは20日余りで「情報通信倫理委員会」という政府
    の検閲機関によって、何の通告もなく閉鎖された。友人や家族
    からは「そんなに危ない思いをしてまで本を出す必要があるの
    か」と言われた。
    
     また本が出版された今年の3月には、閔妃(ビンヒ、李朝末
    期の后、清やロシアの勢力を背景に改革派を弾圧し、後に改革
    派と日本人有志により暗殺される)の末裔たちから、「名誉毀
    損」と「外患煽動」で告訴され、逮捕された。「こんな事で私
    を投獄するなら、日本大使館に亡命を求めざるをえない」とい
    って抗議して、ようやく釈放されたという。
    
     わが国で言えば、言論の自由、出版の自由が保障された現代
    では想像が難しいが、強いて例えれば、生命の危険を顧みずに
    活動した幕末の志士のような人物と言えようか。

■3.反日感情からの転換■

     韓国で生まれ育った金完燮は、かつて強い反日感情を抱いて
    いた。日本語はまったく学ばず、日本を旅行したいとも思わな
    かった。その対日観が大きく変化したのは、2年近くオースト
    ラリアに滞在していた頃だった。
    
         オーストラリアと韓国を比較してみたとき、開発途上国
        として出発した国は一世代や二世代ぐらいの産業発展では、
        とうてい先進国になれないという事実を痛感しました。オ
        ーストリアと韓国にはそれほど大きな差があったのです。
        私は海外旅行を通して、国際社会における韓国と日本の位
        置をより客観的に認識できるようになり、朝鮮の開国期と
        日本統治について、一方的に歪曲された歴史認識から徐々
        に抜け出し、バランスのとれた認識がもてるようになった
        のだと思います。[1,p2]
        
    「一世代や二世代ぐらいの産業発展では、とういて先進国にな
    れない」という発見が「日本統治がなければ、李氏朝鮮の専制
    体制のままで、自力で近代化するなど到底できなかったのでは
    ないか」という問題意識に発展したのだろう。その一方では、
    アジアで唯一、近代化に成功した日本があった。
    
         歳月が流れ、最近「パール・ハーバー」という映画をみ
        ながら、私は日本軍を応援している自分を発見した。60
        年も前に大規模な空母艦隊を率い、地球の反対側まで出征
        して、アメリカの太平洋艦隊を叩きつぶした日本という国
        の偉大さに、私は感動し驚きを覚えた。[1,p19]
        
■4.朝鮮近代化は「生存の問題」■

     近代化の視点から歴史を学び直した金完燮は、次のような結
    論に至る。
    
         王と貴族による専制的な階級社会から抜け出し、法が支
        配する市民社会へと移行することは、朝鮮や日本だけでな
        く、世界のすべての国家にとってもっとも緊急の課題だっ
        た。19世紀末、市民革命の潮流の中で変化を拒否した清
        国、ロシア、朝鮮の王朝が順に滅亡し、遅まきながら市民
        革命に成功したドイツと日本が国際社会の主役として堂々
        と参加できたという事実を見ればそれは容易に証明できる。
        
         すなわち19世紀末の朝鮮において体制をひっくり返す
        革命は、選択の問題ではなく生存の問題であった。・・・
        この時期、朝鮮を経由して大陸に進出しなければならない
        日本の利害と、市民革命を通じて文明開化を成し遂げなけ
        ればならない朝鮮の利害はかなりの部分で一致していた。
        ・・・当時の日本は国運をかけて朝鮮の独立と改革を推進
        し煽ろうとした。この時期に朝鮮の改革派はこぞって親日
        路線を選択したが、これは日本だけが唯一朝鮮の改革を後
        押しする勢力だったからだ。[1,p145]

     朝鮮統治には近代化という良い面「も」あった、というのが、
    本誌を含め、従来からの日本側の主張だった。本誌でも紹介し
    たように:[a-c]
    
        ・ 農村植林、水田開拓などの積極的な国土開発による食
           料増産:併合当初の米の生産量が約1千万石から、2
           0年後の2千万石へと倍増。
        ・ 生活水準の上昇に伴う急激な人口増加:1906年(明治
           39年)の980万人から、1938(昭和13)年には2,40
           0万人へ。
        ・ 教育普及:明治43年の併合時には寺小屋程度しかな
           かったが、昭和19年までに小学校5,213校、生徒数2
           40万人、就学率は61%を達成。

     金完燮は、「良い面もあった」所か、こうした近代化が朝鮮
    にとって「生存の問題」であったという。まさに革命的な主張
    である。

■5.朝鮮改革を妨げる清国、ロシア■

     明治維新で旧体制を打破して一気に近代化に走り始めた日本
    と違って、朝鮮の変革は難航を極めた。日本の圧力で1875年に
    開国して以来、500年も続いた李朝専制政治を打倒して新た
    な社会を建設しようと、壬午軍乱、甲申政変、東学農民戦争、
    甲牛改革、乙未事変と5回も大規模な試みが続いていたが、そ
    の都度、高宗や閔妃一族などの専制体制が清国やロシアの勢力
    を使って弾圧し、挫折させていた。
    
         自らが中世いらいの専制政治に依存していた清国やロシ
        アは、決して朝鮮の改革と近代化を望まなかったし、朝鮮
        の反動勢力を利用して朝鮮半島に対する支配権を維持する
        ことに血眼になっていた。これにたいして、朝鮮と似た境
        遇にあり、すみやかに発展したがゆえに生き残ることがで
        きた日本は、朝鮮が一日も早く改革し近代国家へと移行し
        て市場経済体制が定着することを望んだ。だからこそ日本
        は機会あるごとに、朝鮮の革命勢力を後援したのだった。
        かれらは自国の利益のためにも旧弊な腐りきった朝鮮王朝
        と手を結ぼうとはしなかった。これが日本と他の外国勢力
        との根本的なちがいであった。[1,p160]
        
     朝鮮を近代的な独立国として発展させるためには、李朝専制
    政治をバックアップする清国やロシアの干渉を排除しなければ
    ならなかった。これが国内改革勢力が常に挫折し、また日本が
    日清戦争、日露戦争を戦わねばならなかった理由だった。
    
■6.知識人、農民、日本−3つの改革勢力■

     農民組織である東学党は日本を外国侵略勢力と見なして戦っ
    たこともあったが、やがて日本こそが朝鮮改革の後援者と考え
    直し、日露戦争では5万余の東学教徒を動員して日本軍の京義
    鉄道建設と兵站業務を助け、また諜報部員を朝鮮・満洲各地に
    派遣して、戦争遂行に協力した。その後「進歩会」という30
    万人規模の団体に衣替えして、国政革新を目指していた。
    
     また日露戦争の結果、高宗と親露派ら守旧勢力の力が弱まっ
    たのを背景に、長らく日本などで亡命生活を送っていた改革派
    知識人たちが帰国し「維新会」を結成した。その名の通り、日
    本の明治維新をモデルとして、朝鮮の近代化を目指していた。

     この「進歩会」と「維新会」が合同したのが一進会だった。
    ここに支配階級出身で近代化を目指す知識人グループと、李朝
    政府の圧政をはねのけようとする農民階級、それに朝鮮近代化
    を支援することで「攻撃的な防御」地帯を確保しようとする日
    本、の3つの改革勢力が結集したのである。

■7.朝鮮民族の生きる道■

     日本政府が韓国を保護しながら独立国として育成していこう
    という方針のもとで、日韓保護条約を結ぼうとすると、一進会
    は「韓国の外交権を日本に委任せよ」という内容の宣言文を発
    表し、大々的なデモを繰り広げて、条約を支持した。1907年3
    月2日、伊藤博文が朝鮮の初代総監として赴任した日、一進会
    は南大門に「歓迎」と記した強大な垂れ幕を掲げて伊藤を歓迎
    した。
    
     伊藤博文自身は韓国併合には反対だったが、「韓国侵略の元
    凶」と見た安重根が伊藤を暗殺すると、1ヶ月後の1909年12
    月4日、一進会は大韓帝国2千万人の国民を代表して、100
    万会員の名で日韓合邦を要求する声明書を発表した。金完燮は
    その内容を次のように要約している。
    
         日本は日清戦争をつうじて韓国を独立させ、日露戦争で
        ロシアに食われかけた韓国を救ってくれた。それでも韓国
        はこれをありがたく思うどころか、あの国にくっつきこの
        国にくっつきし、結局は外交権を奪われることになったが、
        これは私たちがみずから招いたことである。・・・
        
         近年、韓国に入ってくる日本人は一万人をこえる。この
        ままいけば韓国は日本人の国となり、韓国人は日本人の奴
        隷に転落することは明らかだ。それゆえ劣等国民として保
        護されて生きるよりは、いっそ日本と合併し大帝国をつく
        って世界の一等国民として日本人とまったく同じ待遇を受
        けながら暮らしてみよう。これが朝鮮民族の生きる道であ
        り、(韓国の)皇室を存続できる唯一の道だ。[1,p216]

■8.私たちは国を奪われたのではなく、■

     日本統治には「良い面もあった」という論の前提には、日韓
    併合を悪とする考え方があるが、金完燮はそもそも合邦自体が
    悪といは考えない。

         朝鮮人にとって、併合と総督府統治はおおむね広範囲な
        支持を受けたと考えられる。ポツリポツリと抵抗運動が発
        生したり、海外で独立運動する人びともいることはいたが、
        彼らが朝鮮社会の主流とはいえない。当時の朝鮮人は自ら
        のアイデンティティーを、大日本帝国の臣民と規定して満
        足な生活を営んだと思われる。[1.p286]
        
     「満足な生活を営んだ」という評価は、日本統治時代のGD
    P成長率が4.15%と当時の先進国を上回り、人口も2.4倍とな
    るほどの高度成長をしていたという事実と合致する。
    
         私たちは国を奪われたのではなく、日本という、(李朝
        専制政治よりも)ましな統治者を受け入れたのである。こ
        れは明らかに進歩であり、朝鮮民衆の自然な選択だった。
        [p1,63]
        
■9.「大東亜連邦」の夢■

     このような視点から、金完燮は「民族ごとに独立するのが当
    然だ」という論理を受け入れない。一国として独立するかどう
    かは手段の問題であって、民衆が幸福な生活を営む事が、目的
    であるからだ。独立するだけの国力がなかったこの時期の朝鮮
    では、李朝専制体制が選択したように清国やロシアという専制
    国家の属国になるよりも、親日派が目指したように日本と合邦
    して近代的市民国家の一員としてやっていく方がはるかに民衆
    の幸福につながったのである。
    
     現代のヨーロッパ連合(EU)の動きも、欧州諸民族が寄り
    集まって、より強力で豊かな国家社会を実現しようとするもの
    である。この流れから見れば、金完燮の次のような「21世紀
    大東亜共栄圏の夢」も、あながち荒唐無稽と決めつけるわけに
    はいかないだろう。
    
         結局、日本と南北朝鮮、中国、ASEAN、オーストラ
        リア、ニュージーランドを含む広域経済ブロックを構成し、
        長期的な視野に立って北米とヨーロッパ型の連邦体制に発
        展させることだけが、東アジアがとりうる唯一の明るい未
        来展望である。これこそが60年前、大日本帝国が夢見た
        大東亜共栄圏だ。[1,p133]
        
         まずは自由貿易地帯を創設し、一定の年月を経た後、国
        境を開放して資本と人材の移動を自由化し、共同議会で中
        央銀行を作るなど、可能なところから政治経済的な統合を
        推進しなければならない。
        
         その過程で韓国と日本は連邦制の政治体制を築くことが
        できる。韓国は中部と西部、東部の3カ国に分割し、日本
        は本州の5つの地域と北海道、九州、四国の8つの国家に
        分割して連邦を形成した後、一定期間が過ぎてから大東連
        邦に加盟する形態が望ましい。これによって台湾、ニュー
        ジーランド、オーストラリアの5つの州、韓国の3つの州、
        日本の8つの州など18州で構成された、人口2億の広大
        な大東亜連邦が形成される。以後一定期間をおいて北朝鮮
        と中国、ASEAN10カ国中で条件が満たされた国家を
        順次吸収していけば大陸へ勢力が伸びていくことができる。
        [1,p139]
                                          (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(005) 国際交渉の常識
   日本の朝鮮統治の悪しき遺産?! 
b. JOG(056)忘れられた国土開発
   日本統治下の朝鮮では30年で内地(日本)の生活水準に追
   いつく事を目標に、農村植林、水田開拓などの積極的な国土
   開発が図られた。 
c. JOG(204) 朝鮮殖産銀行の「一視同仁」経営
   朝鮮農業の大発展をもたらしたのは、日本人と朝鮮人の平等・
   融和のチームワークだった。

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
1. 金完燮、「親日派のための弁明」★★★、草思社、H14
2. 金完燮、黒田勝弘、「やっぱり韓国は変わらない」
  正論、H14.2
   
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■「親日派のための弁明」を読む」について 

■ キムチナラ名菜館店主さんより

     何日か前に読了しましたが、日本人では逆にここまではなか
    なか書けないと思いました。日本人が書くとどうしても「よい
    こと『も』した」論になってしまいますが、これはずばり「よ
    いこと『を』した」論である上に、併合は韓国人が積極的に求
    めたものだと言いきっていますから、画期的です。

     呉善花さんあたりが援護射撃をしてもよさそうなのに、と思
    ってふと気づいたのは、呉善花さんは済州道(島)出身で、金
    完燮さんは全羅道、(光州事件の際には反政府の立場を取った
    人です)というところでした。済州道では戦後すぐに米韓軍の
    いわゆるアカ狩りで大虐殺が行われていますが、どちらも韓国
    の中ではずっと虐げられてきた地域です。日本から見ると韓国
    は反日で一枚岩のようになっているように思われがちですが、
    実際には、「中央には日本よりよほどひどい目に遭っている」
    という感覚の持ち主も、この二つの地域には多いと思います。

     韓国に好き勝手を言われ続けておもしろくない、しかし詳し
    く勉強しているヒマもない、という人には併合前後の日韓中露
    の動きがよく整理されていて非常によいテキストになると思い
    ます。合わせ読むとしたら、以下のあたりかな、と思います。

    呉善花 『韓国併合への道』文春新書
    黄文雄 『韓国は日本人がつくった-朝鮮総督府の隠された真
    実』 
    崔基鎬 『韓国堕落の2000年史』祥伝社

■匿名希望さんより

     現代はインターネットの社会であり、グローバル化、オープ
    ン化が進む時代である。ところが、ナント著者のホームページ
    が”20日余りで「情報通信倫理委員会」という政府の検閲機
    関によって、何の通告もなく閉鎖された”との事。
    
     戦時中とか、独裁主義国家(北朝鮮など)とは違う国で こ
    んな事が有りえるとは驚きです。日本の教科書に対する主権侵
    害を平気でやる国であり、未だ進化を遂げていない国と思うし
    かないのでしょうか?
    
■荒木さんより

     この記事にもありますように、日韓併合は日本にとって必然
    性がありました。また、朝鮮半島の近代化にも必要なことでし
    た。

     韓国の、福沢諭吉に対する不当な評価も、韓国世論の偏狭さ
    と偏りの表れであると思っています。曰く「脱亜入欧論で朝鮮
    半島をおとしめ、植民地化を正当化した」と言うことなのです
    が、当時福沢諭吉は積極的に朝鮮半島からの留学生を受け入れ、
    朝鮮半島近代化のための支援をした。ところが、ことごとく閔
    妃を筆頭とした王朝に邪魔をされた。そこで、こりゃだめだと
    なり、清国を含め「アジアなんか相手にしていられない。これ
    からは西欧に見習おう。」と言ったわけです。もっとも、脱亜
    入欧論は時の為政者に利用されてしまいましたが。

     しかし、一方、日本が朝鮮半島で行った負の面も、きちんと
    評価していかなければならないのではないでしょうか。そのひ
    とつは、閔妃暗殺事件です。日本にとって不利益なことをし、
    朝鮮半島の近代化を阻害した人物ではありますが、日本の天皇
    と同じように朝鮮民族の象徴でもあったわけです。だから、気
    に入らないからといって、日本のためにならないからといって、
    王宮に暴徒として乱入して手当たり次第無抵抗の女官を切り刻
    み、閔妃を殺したあげくに屍姦して焼くということを、やって
    もよいものでしょうか。この事件に対する落とし前もつけずに
    日韓併合へと至ってしまった。これは、「プライド命」の朝鮮
    民族に対して、最大の失策だったと思います。

     日韓併合も、対等合併と言っておきながら、実際に朝鮮人に
    対する処遇はどうだったでしょうか。そういう、両面を見なが
    ら日韓関係というものを考えていかなければいけないのだと思
    っています。そして、未来に向けて、日本の歴史上の出来事を
    冷静に分析し、まずい点を改めていかなければならないのだと
    思います。

■ 編集長・伊勢雅臣より

    「韓国は反日の一枚岩ではない」というキムチナラ名菜館店主
    さんのご指摘は新鮮でした。この店主は韓国留学をして、もち
    ろん韓国語はペラペラ、韓国のキムチよりおいしい日本のキム
    チを作ると在日の人々にも評判です。

     本号おたより欄にあった、日本人が李朝「王宮に暴徒として
    乱入して手当たり次第無抵抗の女官を切り刻み、閔妃を殺した
    あげくに屍姦して焼く」という表現は事実ではない、という指
    摘を数人の方からいただきました。この事件については、後日、
    テーマとして取り上げます。

© 平成14年 [伊勢雅臣]. All rights reserved.