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________Japan On the Globe(256)  国際派日本人養成講座_______
          _/_/   
          _/     国柄探訪: 武士道 〜 主体的なる献身
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_/ _/_/_/         国家人民のために尽くすことを職務とする
_/ _/_/          武士たちの自立的・主体的な生き方。
_______H14.09.01_____39,191 Copies_____553,916 Views________

■1.武士道と企業犯罪■

    「武士道とは死ぬことと見つけたり」 山本常朝の「葉隠れ」
    のあまりにも有名な一節であるが、これが武士道とは主君のた
    めにはいつでもおのれの生命を投げ出す、という時代遅れのフ
    ァナティックな生き方、という誤解を招いたようである。この
    一節のあとには、すぐこう続く。
    
        武道に自由を得、一生落度なく家職を仕課(しおお)すべ
        きなり
        
     それは生死を超えた自由を得て、一生、落ち度なく家職、す
    なわち、奉公の勤めを成し遂げるという、武士としての理想の
    「生き方」を述べたものなのである。最近、食品業界やテーマ
    パークなどで、上司の命令にやむなく従って企業犯罪に加担し
    た、などという事件が相継いでいるが、これなどは武士道から
    見れば、もっとも軽蔑すべき生き方だ。武士としての理想の生
    き方とは、どういうものか、我が父祖らの考えに耳を傾けてみ
    よう。
    
■2.真の「忠節」とは■

    「葉隠れ」は、主君の命令に対する恭順を説いたのち、「さて
    気にかなはざることは、いつ迄もいつ迄も訴訟すべし」、すな
    わち主君の命令が自己の信念から見て理不尽だと思ったら、ど
    こまでも「諫言」して再考を求めるべきである、とする。
    
     企業犯罪を命ずるような上司には、その理不尽さを訴えなけ
    ればならない。そして「主君の御心入を直し、御国家を固め申
    すが大忠節」、上司の誤った心構えを正して、組織をまっとう
    にすることこそが、大忠節である、という。かつて組織犯罪を
    犯した食品会社が解散の憂き目にあって、多くの罪もない従業
    員が路頭に迷うことがあったが、そういう事態を未然に防ぐこ
    とこそ、組織に対する「大忠節」というのは、よく理解できよ
    う。
    
    「直諫は一番槍よりも難し」ということわざがある。敵陣に向
    けて一番槍を入れるのは、討ち死にの覚悟がいるが、その高名
    はのちのちまで語り伝えられるし、手柄をたてれば子孫に恩賞
    を残すことが出来る。
    
     しかし、主君に向かって直接、諫言を行う「直諫」では、手
    討ちにあう危険があり、さらには不忠者、反逆者の汚名を着せ
    られて、子々孫々にまで不利益を及ぼす恐れもある。そんな危
    険を冒してまで主君に逆らうよりも、大人しくご機嫌取りして
    いるほうが身の安全である。しかし、そういう生き方こそが
    「不忠者」の生き方だと、武士道では考える。一身の危険、不
    利益を顧みずして、藩全体のために「主君の御心入を直」すこ
    とこそ、忠節の士のなすべき事なのである。
    
■3.わが身の災難を顧みず■

     名君と呼ばれた徳川吉宗の享保改革が軌道に乗り始めた頃、
    吉宗自身の始めた目安箱(現在の投書箱)に、山下幸内という
    浪人者が一通の投書を行った。その上書は、全文、吉宗の改革
    の諸政策を徹底的に批判する内容のものであった。
    
     その倹約政策を「しみったれたもので、天下を治める為政者
    のなすことにあらず」と断じ、吉宗の鷹狩り好きに対しては
    「いたずらに民を酷使するのみで無益である」と指弾した。
    
     吉宗が老中以下の主だった役人を集めて、この上書を見せる
    と、彼らは「無礼きわまる」と怒りの色をあらわにした。とこ
    ろが、吉宗本人は「今の世にもなかなか面白いことを言う者が
    おるではないか」と言った。そして、この書を評して、
    
         この書面のごときは、いかにも無礼の極みではあろうが、
        わが身の災難を顧みず、政治の是非得失を直言してくれる
        のは、天下の政道のためには貴重なことだ。もしこのよう
        な者を無礼であるという理由で処罰するならば、世人はも
        はや物を言わなくなってしまうであろう。それこそが、幕
        府の政治にとって取り返しのつかない損失となってしまう
        のである。
        
     吉宗はこう述べて、山内幸内に褒美銀を与えて、その直諫の
    志を褒め称えたのである。
    
     ユニバーサル・スタジオ・ジャパンでは、一部のアトラクシ
    ョンで、大阪市が許可した以上の火薬量を使用していたことが
    問題となった。米国人スタッフがショーの効果を上げるために
    火薬の増量を指示したのに対し、日本人の担当責任者は「違法
    性は認識していたが、降格もあると思って意見を通せなかっ
    た」と述べていた。この例に比べれば、一身の災難を顧みずに
    将軍に直諫を行った山内幸内、自らの攻撃を甘受する吉宗の人
    間としての器の違いは歴然としている。

■4.主君「押込」の義■

     しかし諫言しても、主君が聞き入れない場合は、どうなるの
    か? 現代のサラリーマンでは、諫言が最高度の抵抗であろう
    が、武士道ではもっと過激な手段があった。藩主が放蕩や暴虐
    だった場合、あるいは過激な改革で藩政を混乱させた場合など
    に、家臣団が合意をして、主君を「押込(おしこめ)」と称し
    て拘禁し、時には隠居させてしまうのである。
    
     押込の手順も概ね、決まっていた。まず藩主に対して、家臣
    が諫言を行い、それが聞き入れられない場合に、家老や重臣を
    中心に「押込」が議される。そして一同、藩主の前に列座して、
    「お身持ち良ろしからず、暫くお慎みあるべし」といった定型
    の文言を発して、「押込」の執行を宣言する。それとともに、
    家老の指揮のもとに、目付や物頭など中堅の武士が藩主の刀を
    取り上げて、藩主を座敷牢などに監禁する。
    
     興味深いことに、藩主は数ヶ月監禁されている間に、家臣側
    との面談が断続的に行われ、改心の程度がチェックされる。十
    分改心して、旧来の悪政を改めるだろうという見通しがついた
    ら、藩主は解放されて、もとの地位に戻る。その際に、行状を
    改めて善政を行うこと、そして「押込」を執行した家臣団に報
    復を行わない事を誓う誓詞を提出する事が義務づけられていた。
    
     もし藩主に改心の情が見られない時には、そのまま強制的に
    隠居させられ、代わりに嫡子が藩主の地位につく。

■5.公共のための忠義■

     諫言や押込は、武士の忠義の対象が藩主個人ではなく、藩と
    いうより「公」的な共同体に向かっていたことを示している。
    そして一身の危険、災難という私的な利害を顧みずに、公のた
    めに尽くす、というのが立派な武士のあり方であった。
    
     その背景には、江戸時代を通じて発展した公共性の理念があ
    った。徳川幕府に抱えられて、家康から4代家綱まで仕えて、
    儒書や史書を講じた林羅山(1583―1657)は、「天下は一人の
    天下にあらず。天下は天下の天下なり」と唱えた。
    
     熊沢蕃山(1619―91)は、武士は藩主から人馬を預かり、藩
    主は領国を将軍から預かり、将軍は天下を天から預かったもの
    ゆえに、主君の天職は「仁政を行ふ」ことであり、臣下の天職
    は「君を助けて仁政を行はしむる」ことであるとした。
    
     山鹿素行(1622―85)は、人君は天下万民の平和と幸福を保
    障するための政治的機関であり、「忠」とは主君個人に尽くす
    ことではなく、「国家天下のために」心を尽くすことである、
    とした。
    
     荻生徂徠(1666―1728)は「御政務の事柄というものは上
    (君主、藩主)の私事にあらず、天より仰せ付けられた御職分
    なのである。下(家臣)たる人にても御政務の事柄に関係する
    ことに携わる限りは、その時だけは上(君主、藩主)と同役な
    のである。家臣として藩主に少しも遠慮する必要はないのであ
    る。」とした。
    
     ここまでくると、藩主も家臣も、武士はすべて治国安民を使
    命とする統治機構の一員であって、身分の上下は単に職制上の
    上下に過ぎない事になる。したがって暗愚な藩主が悪政を行っ
    ていたら、諫言、押込によってそれを正すことこそ、武士の責
    務である、ということになる。すなわち、武士道とは公共のた
    めに忠義を尽くす道であった。

■6.改革の抵抗勢力■

     しかし、主君への諫言といい、押込と言っても、それはあく
    まで政治的意見の対立であり、主君と家来のどちらが正しいの
    かは分からない。価値観の違いであったり、権力争いに過ぎな
    いかもしれない。その場合は、どちらが正しいか、どう決めた
    らよいのだろうか? そこに出てくるのが、衆議公論である。
    
     上杉鷹山は米沢藩の藩主として、見事な藩政改革を行い、天
    明の大飢饉の際にも、一人も餓死者を出さなかったという業績
    を残しているが、その鷹山が二十歳過ぎで改革を始めたばかり
    の頃、上杉家の重臣7名が打ち揃って、諫言の書状を呈示して
    鷹山に迫ったことがあった。書状は鷹山の改革政治を批判し、
    改革の旗振り役だった執政・竹俣当綱一党の悪行・罪状を数え
    上げ、家中・領民の大半は困窮してお上の政治を恨んでいると
    弾劾していた。
    
     押し問答4時間の末、若き鷹山はからくも前藩主・重定のも
    とに逃れ、事態を訴えると、重定は声を荒げて7重臣を退出さ
    せた。それ以降、重臣たちは病気と称して、自邸に引きこもっ
    てしまい、政務は停滞状態となった。ストライキである。重定
    は主君を蔑ろにする不忠者はことごとく切腹に処すべきと怒っ
    たが、鷹山はこれを抑えて、広く衆の意見を徴した上で処置を
    決定すべきであるとした。
    
■7.衆議公論の尊重■

     鷹山はまず監察職の大目付らを呼び出して、7重臣の書状を
    示して、その理非曲直を問うた。大目付らは、竹俣一党の罪状
    はおよそ事実を歪曲したものであり、また家中・領民とも改革
    を支持していると述べた。さらに組頭、物頭など、緒組の頭た
    ちを召し出し、同じ質問をした所、彼らも同様の回答をした。
    
     こうして鷹山は家中の総意を確認した上で、7重臣を呼びだ
    し、首謀者2名を切腹・家名断絶、残り5名を知行一部召し上
    げ、隠居という処罰を下した。鷹山が周到に衆議の尽くしてい
    ため、その処置には誰一人逆らうものがなかった。この事件を
    機に、家中の結束は強固となり、鷹山の改革政治は順調に進展
    していく。ちなみに後年、断絶とされた2家は再興され、5家
    も閉門解除の上、嫡子への家督相続、知行回復が許されている。
    
     鷹山は山鹿素行の影響を受けたと言われ、家督を譲るにあた
    って次代藩主に訓戒として与えた「国家人民の為に立たる君に
    て、君の為に立たる国家人民にはこれなく候」などからなる
    「伝国の詞」は、同時代の西洋で発達しつつあったデモクラシ
    ーに迫る近代的公共思想である。さらに鷹山の公を尊ぶ理念の
    基盤が、衆議公論にあった点も近代デモクラシーと似通ってい
    る。

■8.終身雇用制は武士の自立を助けた■

     戦国時代の武士は、今日の欧米のビジネスマンのようにたび
    たび主君を変え、少しでも自分を高く売ろうとしていた。それ
    が17世紀の終わり頃、元禄の半ばを過ぎる頃から、多くの武
    士が一つの藩で一生を過ごす終身雇用制が定着していく。
    
     この終身雇用制は藩、すなわち共同体への忠誠心を育むと同
    時に、武士の藩の一員としての権利を保障し、藩主が勝手気ま
    まに解雇することはできない仕組みを提供した。
    
     今日のように終身雇用制が崩壊して、いつリストラの憂き目
    に会うか分からない状態となると、社員も下手な物言いは解雇
    の危険につながるので、みな口をつぐんで、上司に対して言う
    べき事も言えなくなる。終身雇用制は、藩主の独裁権力を制約
    し、武士の自立性を高めて、一人一人が信ずる所を堂々と主張
    する権利を守るという効果をもたらした。
    
     同時に自分が一生勤める藩に対して忠誠心をはぐくみ、藩主
    個人よりも、藩という共同体全体に対して、忠義を尽くすとい
    う姿勢を涵養した。自立した武士が、自らの主体性のもとに、
    藩に献身するという武士道の姿勢は、終身雇用制によって護ら
    れていたのである。

■9.年功序列制による実力主義■

     終身雇用制と同様、藩という組織の中で定着していったのが、
    年功序列制であった。それはどういう家柄に生まれたか、とい
    う身分を超えて、下級身分の者でも、長年の経験と功績の積み
    重ねによって、出世できるという能力主義の原理を織り込んだ
    ものであった。
    
     吉宗が導入した足高(たしだか)制は、たとえば勘定奉行は
    3千石という基準を設け、その基準に満たない下級武士が勘定
    奉行に抜擢された場合は、差額分が支給されるというものであ
    った。500石の武士なら、在任中は2千5百石が追加支給さ
    れる。56人の勘定奉行のうち、千石以下の下級武士が49人、
    90%を占めるという人材登用効果を発揮した。
    
     この年功序列制は、能力ある下級武士にも活躍の場を与える
    だけでなく、その能力評価を長年の精勤と功績に基づく客観的
    なものにするという特徴があった。ここでも上司の恣意的な抜
    擢や左遷を防ぎ、武士の自立性、主体性を高める役割を果たし
    た。
    
     こうして江戸時代の武士は、国家公共への奉仕を使命とする
    公共性理念に導かれ、同時に終身雇用制や年功序列制により主
    君の恣意的な支配を離れて、自立・自尊の立場に立って主体的
    に献身を行う生き方を理想とした。その理想は、明治時代の官
    僚に引き継がれ、戦後は企業社会にも広まっていった。
    
     バブル崩壊とともに、押し寄せたグローバリゼーションの大
    波に、終身雇用制も年功序列制も押し流され、公共性の理念も
    失った官僚や企業人が一斉に汚職や組織犯罪に手を染めるよう
    になったのも、当然と言えようか。
                                          (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(130) 上杉鷹山〜ケネディ大統領が尊敬した政治家〜
    自助、互助、扶助の「三助」の方針が、物質的にも精神的に
   も美しく豊かな共同体を作り出した 
b. JOG(144) 細井平洲〜「人づくり」と「国づくり」
    ケネディ大統領が絶賛した上杉鷹山の「国づくり」は、細井
   平洲の「人づくり」の学問が生みだした 

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
1. 笠谷和比古、「武士道と現代」★★★、産経新聞社、H14
   
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■「武士道 〜 主体的なる献身」について 
                                      Spock Takayamaさんより

    「武道に自由を得、一生落度なく家職を仕課(しおお)すべき
    なり」 この一節が紹介されていますが、私には「武士道とい
    ふは、死ぬ事と見付けたり。」の後に続く、

         二つ二つの場にて、早く死ぬかたに片付くばかりなり。
        別に仔細無し。胸すわって進むなり。

     という方がピッタリしているように感じます。会社に「奉
    公?」していて、特に年功序列、終身雇用の中で「死ぬかた」
    というのは、クビになることを指しているように思います。

     最近世の中をにぎわしている事件は、この「死ぬかた」を選
    択していれば、起こらなかったと思います。人は、本当に選択
    すべき方向と波風が立たない方向との二者択一を迫られること
    が多いのではないでしょうか? そのときにこそ葉隠の精神を
    実行したいものです。

■ 編集長・伊勢雅臣より

     日本ハムに続いて、東電と、不祥事の報道が相継いでいます。
    こういう時こそ、逆に「選択すべき方向」を選択して立派にや
    っている企業も報道したら良いと思います。  

© 平成14年 [伊勢雅臣]. All rights reserved.