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________Japan On the Globe(269)  国際派日本人養成講座_______
          _/_/   
          _/     地球史探訪: 国まさに滅びんとす
       _/_/      
_/ _/_/_/         旅行、温泉、マンガ、ゲームの流行とともに
_/ _/_/          大英帝国は衰亡していった。
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■1.衰亡の「不吉な前兆」■

     20世紀初頭、大英帝国で「我々は衰退し始めたのか」と問
    う論争が持ち上がった。当時のイギリスの大衆の異常な「イベ
    ント好き」や「旅行ブーム」の風潮が、ローマ帝国の末期とそ
    っくりだったからである。
    
         遊覧に熱心な群衆は毎日、朝早くからよい場所を取るた
        めに押しかけ、中には、まだ夜が明けないうちから入り口
        にならび、眠らずに場所をとるため待っている者も多い。
        
     というギボンの「ローマ帝国衰亡史」の一節が引用され、今
    日のイギリスはローマ末期にそっくりだ、と評された。
    
     当時のイギリスでは豊かになった中産階級の人々が競って
    「海外旅行」に出かけ始めていた。前代未聞の「健康ブーム」
    が起こり、新聞や雑誌は健康食品や薬品の広告で一杯だった。
    さらに高い教育を受けた青年たちがイラスト入りの雑誌(つま
    りマンガ)しか読まなくなったり、「聞いたこともない」新興
    宗教が若者や女性の間で蔓延した。きわめつけはローマ時代に
    一大流行した「温泉ブーム」が、ついにイギリスにも到来した
    事だった。ローマ帝国の末期症状に余りにも酷似した社会現象
    が、大英帝国の衰亡を示す「不吉な前兆」と感じられたのであ
    る。
    
     上記は京都大学・中西輝政教授の著書「国まさに滅びんと
    す」の一節であるが、現代日本とのあまりの類似に驚かされる。
    今後の日本の行く末を考えるにも、こういう歴史の前例を知っ
    ておくことは重要だろう。

■2.大英帝国の繁栄と衰退■

     大英帝国の繁栄の頂点は、1840〜50年代と考えられる。1840
    〜42年のアヘン戦争において、英国は大艦隊を中国に派遣して、
    その沿岸を攻撃し、香港を植民地化した。同時にオスマン・ト
    ルコの支配圏をフランス、ロシアと争い、両国を軍事力で威嚇
    していた。さらに植民地カナダではアメリカとの国境争いで、
    もし米陸軍がカナダに侵攻したら、海からボストンとニューヨ
    ークを一瞬にして灰にすると脅して屈服させた。この時代の大
    英帝国は、ロシア、フランス、アメリカ、中国を同時に敵に回
    して、一国で押し切ってしまうという軍事力を持っていたので
    ある。
    
     軍事力だけではない。1951年のロンドン万国博覧会では「水
    晶宮」という総ガラス張りの巨大なパビリオンを建て、その技
    術と文明で世界中を驚嘆させた。
    
     しかし1880〜90年代には、基幹産業であった繊維や鉄鋼分野
    でアメリカに急速に追い上げられた。アメリカ製品は品質はい
    ま一つだったが、安い価格でヨーロッパへの輸出を急速に伸ば
    していった。また先端産業である電気や化学工業においても、
    ドイツやアメリカとの競争で、英国のリーダーシップが取れる
    かどうか、疑わしくなってきた。
    
     このような雰囲気の中で、上述のようなローマ帝国末期とそ
    っくりな現象が現れたのである。「改革」の大論争が巻き起こ
    った。

■3.改革を挫折させた「市民派」■

     英国の経済力をどう再生するかという問題で、製造業の競争
    力を重視する「守旧派」と、それよりも世界の金融・情報を握
    って新しい地位を築こうという「改革派」が対立し、政界や財
    界を二分する論争が巻き起こった。
    
     しかし、その過程で「国際競争力を維持するよりも、結局、
    市民、大衆の生活がよくなるかどうかが一番の問題だ」という
    「市民派」の主張が大衆にアピールして、急激に勢力を伸ばし
    た。すでにマルクス主義や無政府主義という過激な左翼思想は
    影を潜めていたが、その後釜として「市民派」が大衆層の支持
    を得たのである。
    
     その中心となったのが「福祉社会」のビジョンを掲げ、貧し
    い人民のために粉骨砕身、奮闘努力する「人民の友」ロイド・
    ジョージであった。しかし、彼は首相になってから、多くの愛
    人を官邸に住まわせたり、マルコーニ事件という有名な疑獄事
    件で追及されたりして、政治のモラルを一挙に低下させた張本
    人であった。その在任中に、英国の政界は二枚舌、三枚舌の風
    潮が当たり前になっていく。
    
     ロイド・ジョージは、それまでの改革論議を「上流階級の紳
    士達が、我々を無視してイギリスという国を独占して運営して
    いくためのまやかしだ」と誹謗した。1906年の総選挙では圧倒
    的多数の庶民有権者たちに「保守党に入れると高いパンを買わ
    されてしまう」と訴え、改革論を唱えていた保守党を大敗させ
    た。
    
     国家をどう改革して衰退を防ぐか、という議論は、これら
    「市民派」によって「国か、市民か」という議論にすり替えら
    れてしまい、結局、英国は衰亡への道を歩み続けたのである。

■4.「平和主義」が招いた第一次大戦■

     もう一つ「市民派」が利用した世論操作術は、国際関係への
    意識が低く、平和を求める一般大衆の心情におもねる形で、当
    時の緊迫しつつあった対外危機から目を背けさせた事である。
    「政治家たちはいろいろ言っているけれども、実はドイツの脅
    威など存在せず、これ以上の軍備は必要ないのだ」という「市
    民派」の論理は、ドイツの脅威に対抗して英仏の軍事協力を進
    めようとする軍部や外務省の手を厳しく縛ることとなった。
    
    「市民派」は「戦争は起こるまい、起こらないはずだ」という
    見方を浸透させて、軍事予算増大に反対し、当時の大陸諸国が
    みな採用していた徴兵制を退けさせた。
    
     こうした英国内世論での平和主義の台頭を見て、ドイツ参謀
    本部は「ドイツ軍が大挙してフランスに攻め込んでも、イギリ
    スは国内世論の反対で介入できないだろう」という見通しを抱
    き、「一気にフランスを打倒して、大陸の覇権を握ろう」と戦
    争に乗り出していった。
    
     こうして英国は「市民派」によって、すべての改革プログラ
    ムは「ドブへ捨てられた」まま、その「平和主義」が招いた第
    一次大戦の大波に飲み込まれていったのである。

■5.「悲しみの大戦」で失われたエリート層■

     第一次大戦での英軍の死者は90万人に上ると推定されてい
    る。英国の歴史始まって以来の未曾有の大量戦死であり、第2
    次大戦の約40万人に比べても2倍以上であった。フランス北
    部ソンムの戦いでは、90マイルにわたる前線に全長1万キロ
    にわたる塹壕が掘られ、英国軍の数百万の若者が泥水と死臭の
    中で、敵襲に怯えながら、何年も暮らさねばならなかった。
         
     オックスフォードやケンブリッジから出征していった学徒兵
    たちは訓練もなしに下級将校とされ、貴族的なエリート意識か
    ら常に白兵戦の先頭に立って戦った。三人に一人は帰らぬ人と
    なったという。その戦死率は大東亜戦争で学徒出陣した帝大生
    と比べても格段に高い。
    
     一途な愛国心と熱烈な自己犠牲の精神に燃えた多くの有能な
    青年たちが死んでいった。帰ってきた青年達もその心に深い傷
    を負い、帝国を支えようと言う意志を失ってしまった。大英帝
    国はここにその繁栄を築いてきたエリート階級を失ったのであ
    る。
    
    「悲しみの大戦」の後、1924年にロンドン郊外で大英帝国博覧
    会が開かれた。ともすれば失われがちになる帝国体制への国民
    の関心を高めるため、政府・財界の肝いりで開かれた英国史上
    最大の大会だった。しかし、それは70年前に「水晶宮」で英
    国の技術と文明を謳歌したロンドン万博とは似ても似つかぬも
    のだった。
    
     英国の人口の過半数、実に2700万人に及んだ入場者は、
    「帝国の理念」や「進歩する未来社会」を描いた展示には見向
    きもせず、ジェット・コースターやアミューズメント・センタ
    ーのゲームに夢中になった。この時期にロンドンを訪れた若き
    アメリカ人評論家・ウォルター・リップマンは、次のような言
    葉を残している。
    
         人類の歴史上どのような帝国も、その中心に、確信に支
        えられて統治を担うエリートをなくして長く生きのびた例
        はない。

■6.イギリス病で瀕死の帝国■

    「悲しみの大戦」は、「帝国の落日」と「苦難の20世紀」を
    告げる悲劇だった。30年代の大恐慌は空前の高失業率をもた
    らした。やがて第2次大戦が始まり、ドイツ空軍がロンドンを
    襲った「バトル・オブ・ブリテン」の1940年夏、イギリスは財
    政的に破綻し、あとはアメリカからの借金によって戦いを続け
    るしかなかった。
    
     連合軍がヒトラーを打倒した直後、1945年7月の総選挙に大
    勝した労働党政権は、福祉社会の建設を目指したが、その社会
    主義的政策は、公共部門の果てしない拡大、経済への政府の大
    幅な介入、巨額の財政支出と高い税率、労働組合の力の増大を
    招いた。
    
     イギリスの有権者は、福祉を成り立たせている財政基盤を問
    うことなく、生活水準の向上を期待し続ける心理的習性を身に
    つけていた。70年代には、炭鉱ストによって電力供給が週3
    日制となって夜はロウソクで過ごし、またゴミ収集の公務員の
    ストで街はゴミにあふれかえったりした。「イギリス病」にか
    かった英国は、もはや危篤状態と思われた。

■7.古い道徳からの新たな活力■

     瀕死の大英帝国が新しい活力あるイギリスとして生まれ変わ
    るには、新たな「確信に支えられて統治を担うエリート」の登
    場が必要だった。その役割を果たしたのがマーガレット・サッ
    チャーだった。
    
     サッチャーは70年から74年までヒース内閣の教育相であった
    時、学校で生徒達が飲むミルクへの公費補助を打ち切った。子
    供たちへの無料のミルクは福祉社会の象徴であり、またその金
    額もわずかなものであったが、それを打ち切ることで、国民に
    改革を促すショック効果を狙ったのである。「ミセス・サッチ
    ャー、ミルク・スナッチャー(泥棒)」との悪罵をものともせ
    ずに、国民を改革に引っ張っていこうとする「確信」をサッチ
    ャーは抱いていた。
    
     サッチャーは84年からの1年にわたる炭鉱労組の大ストライ
    キと渡り合い、計算し尽くされた強硬姿勢によってこれを見事
    粉砕して、労組の力を劇的に弱め、ストライキを激減させた。
    イギリス企業の体質改善も進み、86年には先進国中最高の成長
    率を記録した。
    
     公営住宅の売却を進めて、百万以上の世帯が「持ち家」を獲
    得し、また国有企業の民営化によって1千万人近い人々が株主
    となった。これまで「市民派」政治家や社会主義に煽動されて
    きた労働者階級が豊かさを得て、国家を支える中流階層として
    新しい活力を吹き込むことになった。
    
     かつての「大英帝国」では「自由の理念」、「公民」として
    の誇り、勤勉、倹約、公益への奉仕の観念を、一部のエリート
    階級が体現し、彼らが帝国を築き支えてきた。そのエリート階
    級が力を失った時に、大英帝国は衰弱した。サッチャーはこれ
    らのこれらの古い道徳を、国民全体が担うことで、新たな国家
    の活力を引き出したのである。

■8.「愚かなるオプティミズム」■

     世界の片隅の小さな国家が目覚ましい大発展を遂げて、世界
    史に大きな足跡を残すことが時々ある。ヴェネツィア、オラン
    ダ、そしてイギリスが典型的な例であろう。その大発展の秘訣
    は、共同体の発展とその構成員の福祉とを自らの使命と感ずる
    「精神の貴族」を輩出した点にある。[a,b,c]
    
     大英帝国もまた軍人ウェリントン公や、医師ジェンナーのよ
    うな「精神の貴族」たちによって築かれたことを[a]で示した。
    しかしその牢固とした階級構造は、やはりアキレス腱であった。
    帝国を支えるエリート階級が実権を失い、労働者階級が「市民
    派」や「社会主義」に煽動され、国家の繁栄と平和を放ってお
    いてもいつまでも続くものとして、産業の弱体化、財政の破綻、
    対外危機から目をそらし、海外旅行、健康ブーム、マンガ、温
    泉に興じた。この「愚かなるオプティミズム(楽観主義)」に
    よって、「精神の貴族たち」の遺産は食いつぶされ、国家経済
    は破綻して、人民全体が塗炭の苦しみにあえぐまでになった。
    
     国家社会が栄えてこそ、国民は豊かな生活を享受できる。し
    かし、国家の隆盛のために尽くす「精神の貴族たち」がいなく
    なり、その遺産を食いつぶす大衆のみになったら、いずれ行き
    詰まるのは理の当然である。一国が衰亡する過程で「愚かなオ
    プティミズム」に踊らせれた一般大衆が旅行や温泉ブームにう
    つつを抜かすのは、ローマ帝国でも大英帝国でも見られた末期
    現象であった。そして現代の日本も同じ運命をたどっているよ
    うに見える。
    
■9.「歴史から考える」姿勢■

    「日本さえ他国を侵略しなければ、非武装でも平和が保てる」
    とか「侵略戦争を反省すれば、近隣諸国との真の和解が得られ
    る」というような「市民派」の主張は、現実から目を背ける
    「愚かなるオプティミズム」そのものである。そして「愚かな
    オプティミズム」に惑わされた人々は福祉を支える財政基盤や、
    国民の安全を守る軍備については考えない。まことに古今東西
    を問わず、衰亡期の国民は良く似ている。

     しかし、中西教授は、日本においてはさらに深刻な問題があ
    る事を指摘している。明治日本と、戦後日本とは半世紀足らず
    の間に世界史に残る奇跡的な隆盛を実現したが、それが3世代
    も続かなかった。短い繁栄の後、世代交代と共に「劇的な国家
    指導者の質の低下」が起こり、悲惨な敗戦を招く。これは次世
    代の「精神の貴族」を育てるメカニズムが機能していないから
    であろう。
    
    「精神の貴族」を育てるには、中西教授の言う「歴史から考え
    る」姿勢が必要である。その姿勢があれば、目先の「愚かなる
    オプティミズム」も、現代日本を覆う「衰弱的ペシミズム(悲
    観主義)」も一時的な病いであることが見通せるだろう。次世
    代の国民からいかに多くの「精神の貴族」を輩出させるか、教
    育の真の課題はここにある。
                                          (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(184) セント・ポール大聖堂にて〜大英帝国建設の原動力
    そこここに立つ偉人の彫像や記念碑は、未来の「精神の貴族」
   を育てる志の記憶装置である。 
b. JOG(115) オランダ盛衰小史
    なぜオランダは「大英帝国」になり損ねたのか? 
c. JOG(104) ヴェネツィア
    人工島の上に作られた自由と平等の共同体。 

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
1. 中西輝政、「国まさに滅びんとす」★★★、文春文庫、H14
2. 中西輝政、「大英帝国衰亡史」★★、PHP研究所、H9
   
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■「国まさに滅びんとす」について         Makotoさんより

     ここで取り上げられている英国も大きな問題を抱えてます。
    徹底したインフレ対策はEU諸国内でも最も安定した財政基盤
    を築いていますが、それがポンド高に跳ね返り、多くの製造業
    が英国から撤退しました。ユーロに参加したくても、国民感情
    とプライドがそれを妨げています。

     英国では、大手の携帯電話メーカーはすべてその生産拠点を
    東欧、中国に移転をし、半導体メーカーは米系の一社を除いて
    これも全て無くなりました。造船、自動車、家電電機、重電等
    は外国メーカーに既に淘汰され久しく。この国が何で食べて行
    こうとしているのか誠に不透明。

     産業革命の一翼を担った国からものつくりが無くなっている。
    でも、おう盛な国内消費に支えられ景気は悪くない−−メーカ
    ーに勤める労働者の賃上げはこの2年殆どされてないにも拘わ
    らずです。英国政治家には見習って欲しい人が沢山居ます。で
    も、コピーではダメですね。家貧しくして孝子生づとなりませ
    んかね?

■ 編集長・伊勢雅臣より

    「ウィンブルドン現象」という言葉があります。テニスの有名
    な大会ですが、英国は会場を提供しているだけで、活躍してい
    るのは外国人選手ばかり。有能な外国人、外国企業に活躍の場
    を提供するのも大事ですが、自国民もそれに負けじと伍する気
    力が大事ですね。

© 平成14年 [伊勢雅臣]. All rights reserved.