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■■ Japan On the Globe(345)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■

           国柄探訪: 危機に立ち向かう日本文明
                        〜 中西輝政著「国民の文明史」を読む
                      危機に立ち向かうには、「我々らしさ」
                     に立ち戻る必要がある。
■■■■ H16.05.23 ■■ 33,536 Copies ■■ 1,181,817 Views■

■1."More Like Us"(もっと我々らしく)■

     1980年代に日本経済が"Japan as No.1"などと持て囃されて
    いた頃、アメリカでは、深刻な衰退の危機をいかに乗り越える
    か、真摯な議論に明け暮れていた。そんな中で出てきた言葉が、
    "More Like Us"(もっと我々らしく)だった。クリントン大統
    領はじめ、多くの人々はスピーチの締めくくりに、しばしばこ
    の言葉を使った。

     危機を乗り越えるには、「日本を真似よ」とか「ヨーロッパ
    に学べ」ではなく、自分たち独自の強みをはっきりと打ち出す
    ことこそが、ベストの選択なのだと、アメリカは自覚し、決意
    した。それによって衰退をはね返し、新しい成長段階に踏み出
    した。

     サッチャーも、"Let's be Ourselves"と、唱えて、英国の再
    生を成し遂げた。米英ともに、衰退のギリギリの処で、他国の
    真似をするのではなく、自分らしさを追求することで踏みとど
    まり、再生を成し遂げたのである。

     現代の日本も、政治、外交、財政、教育、治安など多くの面
    で危機的状況に瀕しており、このまま衰退に向かうのか、はた
    また再生への道に転ずるのか、踊り場にきている。他国の真似
    をしたり、「グローバル・スタンダード」に盲従するのではな
    く、今こそ「我々らしい」危機への対処方法を考えなければな
    らない。

■2.「我々らしさ」で成功した明治維新■

     幸いにも、わが国には「我々らしさ」で危機に立ち向かい、
    成功を収めた実績を何度も持っている。その直近の例が明治維
    新である。欧米諸国のアジア侵略という空前の危機を前に、生
    き残りをかけて、一挙に封建国家から近代的中央集権国家に変
    身したわけだが、それは天皇を中心とする「王政復古」という
    形で実現された。

     英語では明治維新を"the Meiji Restoration"と言う。
    "Restore"とは、「元どおりにする, 復旧する」などという意
    味で、まさに「復古」である。明治維新が成功したのも、我々
    の父祖たちが西洋文明を取り入れながらも、国の根本の有り様
    においては「我々らしさ」に立ち戻るという叡智を持っていた
    からである。

     薩長が倒幕に成功したのも、「官軍」として天皇の権威を掲
    げたので、幕府側勢力が「もはやこれまで」と恭順の意を示し
    たからだ。天皇の権威のもとに国家がまとまるというのが、
    「我々らしさ」だと当時の日本人は誰もが思っていた。もし薩
    長が天皇を無視して、フランス革命の真似でもしていたら、仮
    にも征夷大将軍として天皇に任じられた徳川幕府とは権威にお
    いて対抗できず、純粋な軍事力のみで権力を勝ち取らねばなら
    なかった。日本国内は長く悲惨な内戦に明け暮れ、近代化は大
    きく遅れたであろう。

     古代の王政に復古しつつ近代化に邁進するという一見矛盾し
    たアプローチにより、根源において「我々らしさ」を保持した
    からこそ、明治日本はその強みを発揮しつつ、変えるべき部分
    は大胆に変える、という柔軟な強靱さを発揮できたのである。

■3.三〜四世紀毎の危機への適応■

     こうした「我々らしさ」を日本文明という巨視的視点から分
    析し、現在の危機を乗り越える道への展望を開こうとする大著
    があらわれた。京都大学教授・中西輝政氏の「国民の文明史」
    である。

         日本の文明史の中に見られる、周期的「停滞」と、危機
        時における「瞬発的な適応」の交互作用というという一大
        特徴は、縄文期から現在までの一万年の間、日本文明の核
        心部分につねに存在しつつけてきたのではないだろうか。
        [1,p134]

     江戸時代の長い安定した「停滞」の後に、幕末に危機がやっ
    てきて、明治維新という「瞬発的な適応」が行われた。

         しかし、日本の歴史を文明史的な観点から振り返ってみ
        ると、こういう世紀がほぼ3〜4世紀に1回やってきてい
        ることに気がつく。今から四百年前の16世紀はまさに戦
        国時代で、まるまる百年間、日本全国で戦争をしているよ
        うな時代であった。またたいへん国際化のインパクトにさ
        らされた世紀でもあった。イスパニア人をはじめ外国から
        どんどん人がやってきて、たとえば京都では人口の10〜
        20%がキリシタン(クリスチャン)に改宗したといわれ、
        東南アジアに多くの日本人町ができて、秀吉による朝鮮出
        兵もあった。[1,p144]

     乱れに乱れた室町時代から戦国時代に突入し、またスペイン
    やポルトガルによる東洋侵略という内憂外患の危機を、信長・
    秀吉・家康という3代のリーダーによって乗り越え、江戸の泰
    平の世を築き上げた。秀吉による朝鮮出兵も、スペインやポル
    トガルのシナ征服への対抗策であったと言われる[a]。

■4.繰り返される「大変動の世紀」■

         さらにその四百年前の12世紀は、源平合戦から鎌倉幕
        府が誕生し、日宋貿易の隆盛など、やはり戦争と国際化と
        いう「外向き」で推移し、国内も王朝貴族から武士に権力
        が移行するという、社会・政治構造にも、文明史上も大き
        なパラダイム転換が見られた。[1,p144]

     貿易相手である宋は蒙古に滅ぼされ、その蒙古の襲来、すな
    わち元寇こそ、鎌倉時代の代表的な対外的危機であった。鎌倉
    武士たちの奮戦によって、蒙古の軍船は2ヶ月近くも上陸を阻
    まれ、そこに台風がやってきて、全滅の憂き目にあったのであ
    る。[b]

        またさらに、その前の8世紀は平城京、平安京遷都があり、
        政治制度も中国を手本とした律令制度を導入するという大
        変革があった。さらにその前の3〜4世紀には大和朝廷が
        成立し、朝鮮半島への進出があった。

         いずれの世紀も、それまでの三百年間の国の基本的な構
        図を精算し、その後の国のあり方を左右するような激動の
        百年であり、文明史上もまさに「大変動の世紀」であった。
        そして、この「カタルシス(本誌注:浄化)の百年」を経
        ることによって、後の三百年間、「この国のかたち」は比
        較的安定することができた。[1,p144]

■5.日本人の「我々らしさ」■

     このように日本文明は、3〜4百年毎に、内外からの大きな
    危機を迎え、その都度、3〜4世紀の大和朝廷、8世紀の律令
    体制、12世紀の武家政治、17世紀初頭の江戸幕府と、国内
    体制を作り変えることによって危機を乗り越えてきた。

     政治体制はその都度、一新されたが、変わらないものがあっ
    た。「皇室が国家統合の中核をなす」という点である。3〜4
    世紀の大和朝廷は言わずもがな、8世紀に完成する律令体制も、
    聖徳太子以来、天智天皇、天武天皇へと続く皇室の努力によっ
    て構築された。

     12世紀に武家政治を始めた頼朝については、中西氏は「た
    いへんな尊皇思想の持ち主であったことを現代の日本人は忘れ
    ている」と指摘する。頼朝は朝廷から任命された「征夷大将軍」
    として幕府を開いた。そのことによって、皇室の権威と幕府の
    権力とが分化・補完しあう政治体制を作り上げた。頼朝の武力
    をもってすれば、皇室を廃する事もできたろうが、武力だけで
    は国は治まらない、とこの「政治の天才」は見通していたので
    ある。

     17世紀初頭の江戸幕府も同様だ。

         徳川家康は、平安の世を継いで「日本」を回復したのは
        源頼朝であると確信していて、自分はそれをやるという文
        明的使命感を意識して、江戸幕府を開いた。・・・

         前述のように頼朝の尊皇思想は、当時の武士階級の中で
        も際だって篤いものであった。だから、家康は「尊皇主義
        者」なのである。[1,p201]

     そして明治維新も、上述のように立憲君主国家という西洋風
    の衣替えをした「王政復古」であった。日本文明は、数世紀毎
    の危機のたびに、新しく政治体制を作り替えて乗り切ってきた
    のだが、その拠り所となったのは、常に「国家統合の中核とし
    ての皇室」であった。それが「我々らしさ」であり、この点は
    天皇を「国民統合の象徴」とする現代も変わらない。

■6.「ますらおぶり」と「たおやめぶり」■

     それぞれの危機を「瞬発的な適応」によって乗り越えた後に
    は、「爛熟と停滞」の時期が続く。平安時代、室町時代、江戸
    時代などである。文学や芸術、宗教などの面で日本文明が深ま
    りを見せていく。このように安定と繁栄を得たときに、平和で
    持続的な時代に自足するというのも、日本文明のもう一つの側
    面である。

         西洋文明や中華文明には、日本文明にある縄文的なるも
        のという「自足の衝動」がないので、限りなく膨脹しよう
        とする。食べきれないほどの食料を得ようとし治めきれな
        いほどの領土を獲得しようとする。それは、自己均衡の本
        能が壊れた姿であり、自然観、あるいは「人間と自然との
        関係」へのバランス感覚を欠いた人間文明としての「本源
        的な欠損」といってよい。[1,p139]

     一万年も続いた縄文時代では、日本人は巨大木造建築などの
    高度の技術を持ちながらも、自然と共生する平等社会を営んで
    きた[c]。また江戸時代にも、この日本列島に自足しつつ、発
    達した市場経済に基づく豊かで平和な社会を建設した[d,e]。

     日本文明の危機に立ち向かう様相を「ますらおぶり」と呼ぶ
    なら、こうした平和に自足する姿は「たおやめぶり」と呼ぶべ
    きだろう。

■7.平和な時代の問題先送り■

     しかし、ひとたび「たおやめぶり」のモードに入ってしまう
    と、日本人はぎりぎりの処まで浸ってしまうので、それが内的
    危機を累積させていく。

         いわゆる前倒しで処理をしようとか、危機に備えてでき
        るうちにできるだけのことはやっておこうとはしない。善
        くも悪しくも「先送り」が得意なのかも知れない。
        [1,p140]

     内的な危機の積み重ねをなんとか小手先の改革でしのいでい
    るうちに、対外的な危機が海外から押し寄せてくる。それに対
    処できないことから、内部の体制もこれではだめだと目覚める。
    これが今までの危機が常に内外同時に押し寄せてきたように見
    える原因かも知れない。

     ともあれ、外部からの危機が迫ってくる迄には、内部の危機
    は先送りされてしまう。そういう時には、平和な時代を作り上
    げた「我々らしさ」、すなわち「国家統合の中核たる皇室」の
    存在が忘れられてしまう。

        ・・・天皇の役割は、日本文明においてふだんは水面下に
        姿を隠しているが、その天皇の役割および天皇の存在自体
        が、限度を超えて「見えにくくなる」と、なぜか大きな国
        家的・対外的危機や、「文明としての危機」が近づいてく
        るのである。そして、それを何らかの形で自覚することに
        よって、日本文明は再生期を迎えることになる。[1,p137]

■8.「歴史的危機とは、人間の心に生ずる」■

    「爛熟と停滞」の挙げ句に、「我々らしさ」の原点を忘れた典
    型が、室町幕府第三代将軍・足利義満である。「日本国王」を
    僭称して明に臣従し、朝貢貿易を行った。これは聖徳太子以来
    の対等外交の伝統を破ったものであった。また義満は最終的に
    は自分が天皇になろうとさえした。

         室町幕府は、政治史的には以上のような形で、日本の根
        幹を揺るがし、日本人の文明意識・アイデンティティの根
        幹を揺るがし、それゆえに乱世を日本に現出せしめたのだ、
        と一貫して考えられてきた。

         しかも、足利政権時代の洛中洛外は、「死者累々」の惨
        状や野盗の横行する混乱にしばしば陥った。それは、さな
        がら中国の王朝末期のようであったとたとえられてきた。
        [1,p187]

     19世紀の歴史家ブルクハルトは「歴史的危機とは、人間の
    心に生ずる」と指摘した。20世紀スペインの哲学者オルテガ
    は、危機を「人間の心が千々に乱れてどちらにも向かえないよ
    うな状態」と定義した。

     為政者が、自らのアイデンティティ、すなわち「我々らしさ」
    の原点を忘れて私利私欲に走っては、国民各層も自己の利益に
    走るのみである。一致結束して問題に立ち向かうことはできず、
    それが政治的・経済的な危機を作り出すのである。

■9.現代の危機に立ち向かう使命■

     危機を作り出すのも克服するのも、人間の心だ、と知れば、
    日本文明の3〜4世紀毎の危機のサイクルの原因もよく理解で
    きる。それは、危機に立ち向かう気概、危機克服に成功した後
    の自足と安逸、その中で様々な問題を先送りする怠惰と怯懦、
    という人間の心のサイクルが外に現れたものなのである。

     我々の日本文明がそういうサイクルを持つ、ということは、
    現代の危機に立ち向かう上で、大きなヒントを与えてくれる。

     まず我々は問題を先送りする怠惰と怯懦に溺れていてはなら
    ない。日本文明が過去2千年の間に、何度も危機に立ち向かい、
    そのたびに「我々らしさ」の原点に戻って克服してきたことに、
    気概と自信を持つべきだ。

     お隣の中国の歴代王朝は、停滞に陥っては、次の王朝、それ
    も多くは異民族王朝に「革命」で打倒されてきた。そして王朝
    交替の都度、激しい内乱内戦が民を不幸のどん底に陥れた。こ
    の中華文明の「我々らしさ」を中国共産党政権が発揮するほど、
    その末路に近づいていく。悲劇的宿命とでも言う他はない。

     とは言え、我々も先祖から贈られた日本文明の「我々らしさ」
    だけで危機が乗り越えられると油断すべきではない。現代のわ
    が国は教育・治安・政治・財政などの対内危機が蓄積されつつ
    あり、同時に北朝鮮の暴走や、中国の軍事的膨脹によって対外
    危機も忍び寄りつつある。

     日本文明の「我々らしさ」とは何なのか、それをどう発揮す
    べきなのか、ここをよく考えて、現代の危機を乗り切っていか
    ねばならない。我々の子孫の幸福もそれにかかっている。中西
    輝政氏の「国民の文明史」は、こう問いかけている。
                                         (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(154) キリシタン宣教師の野望
    キリシタン宣教師達は、日本やシナをスペインの植民地とす
   ることを、神への奉仕と考えた。
b. JOG(207) 元寇 〜鎌倉武士たちの「一所懸命」
    蒙古の大軍から国土を守ったのは、子々孫々のためには命を
   惜しまない鎌倉武士たちだった。
c. JOG(134) 共生と循環の縄文文化
    約5500年前から1500年間栄えた青森県の巨大集落跡、三内丸
   山遺跡の発掘は、原日本人の イメージに衝撃を与えた。
d. JOG(091) 平和の海の江戸システム
    日本人は平和的に「自力で栄えるこの肥沃な大地」を築き上
   げた。
e. JOG(251) 花のお江戸の市場経済
    日本人のDNAには過去400年以上にわたる市場経済シス
   テムの経験が組み込まれている。

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
1. 中西輝政、「国民の文明史」★★★★、扶桑社、H15

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■「危機に立ち向かう日本文明 〜 中西輝政著「国民の文明史」
        を読む」について 

                                         小平岑之介さんより
     多くの日本人はまだ気付いていないようですが、神様から特
    別の使命を頂いているようです。過去の歴史を見ると神様に守
    られ、鍛えられ、人類を救うための準備をさせられているよう
    です。縄文的な感覚は極めて稀なような気がします。中西先生
    がご指摘のようにそれを感じます。

     今我々はその霊性を磨かないと日本人の使命を果たす前に不
    要な人になってしまう恐れがあります。21世紀は人類が神の
    子に復活開始の時と伺っています。アイシュタインが大正時代
    に来日された際、神が日本という国を用意していて下さったこ
    とに感謝したいと仰っていることを見てもやはり日本にはこの
    ような神懸かりの天才に、こういうことを言わしめただけのも
    のがあるのかと思います。

     決して自惚れてはいけませんが、日本人はその使命に目覚め、
    世界人類の為の日本人としてその責任を果たしていく自覚を持
    たなくてはいけないと思っております。

■ 編集長・伊勢雅臣より

    「国際貢献」などという言葉は、外国ではほとんど使われない
    のに、日本人の間では当たり前のように使われています。こん
    な処にも、我々自身気がつかないうちに、我々の「使命」を自
    覚しているのかもしれませんね。

© 平成16年 [伊勢雅臣]. All rights reserved.