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■■ Japan On the Globe(370)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■

          国柄探訪:ニッポン人には日本が足りない
                〜 老舗温泉旅館の女将になった米人女性奮闘記
         我慢強さと親切心。これこそが、日本人に備わっている
       素晴らしさ、価値ではないかと思います
■■■■ H16.11.14 ■■ 32,625 Copies ■■ 1,370,238 Views■

■1."Yamagata"ってどこ?■

     山形県と宮城県の県境にある銀山温泉は江戸時代からの湯治
    場として長い歴史を持つ。狭い銀山川を挟んで両側に3、4階
    建ての大正初期の木造旅館が立ち並ぶ光景は、情緒たっぷり。
    NHKの連続ドラマ「おしん」の舞台ともなった。

     その老舗温泉旅館の一つで350年もの歴史を持つ藤屋に、
    アメリカ人女性が嫁入りした事からドラマが始まる。

     女性の名前はジニーさん。1988年夏、オレゴン州の大学卒業
    を前にしてJETプログラムに応募して来日した。JETとは
    "The Japan Exchange and Teaching"プログラムの略で、外国
    青年が日本の地方公共団体に招かれて、中学や高校での英語教
    育の助手を務める、という制度である。

     赴任地は、「京都、奈良」を希望したのだが、JETプログ
    ラムから来た回答は"Yamagata"だった。アメリカ人には聞いた
    こともない地名で、図書館の地図でようやく探り当てたが、
    「田んぼの多い田舎」という程度の情報しかなくて、少なから
    ずショックを受けた。

     山形の冬は長く、厳しい寒さは大変だったが、1泊2日のス
    キー研修で出会った藤屋旅館の若旦那・敦さんと交際が始まり、
    翌年夏に婚約に至った。

■2.「若葉マーク付き」若女将■

     ジニーさんの両親や友人は、日本でうまくやっていけるのか、
    と不安を抱いたが、敦さんの両親も「アメリカ人女性に350
    年も続いている老舗旅館の女将が務まるのだろうか」と心配し
    た。反対の意見が出ると、敦さんは「じゃあ、アメリカに行っ
    てジニーと生活する」と言ったので、周囲は仕方なく賛成した。

     平成3年、厳冬の12月、ジニーさんは25歳にして藤屋に
    嫁ぎ、「若葉マーク付き」若女将としての生活を始めた。藤屋
    旅館は客室が12室あって、一晩で多いときは60人ほどのお
    客さんが泊まる。姑は料理も掃除も布団の上げ下げまで、ほと
    んどすべてを一人でこなしていた。

     ジニーさんは裏方の仕事から徹底的に仕込まれた。調理場で
    の盛りつけ、皿洗い、客室やお風呂、トイレの掃除、布団の上
    げ下げなどである。食器の形も色もバラバラなのを見て、この
    旅館は貧しいからセットで食器を揃えることが出来ないのだと
    思いこんでいた。和食は目でも味わうので、器も大事な役割を
    果たすと知ったのは、後のことである。

     朝は5時半に起き、6時前には姑の朝食づくりを手伝う。客
    が大広間で朝食をとっている間に、二人で各部屋の布団をたた
    んで、押し入れにしまう。朝食後は食器洗い。午前中にお客さ
    んを送り出すと、客室や廊下、トイレの掃除。昼食をとって3
    時頃まで一休みした後は夕食の準備と、到着するお客さんのチェッ
    クイン。夕食の膳を各部屋に運び、頃合いを見てお膳を下げて、
    布団を敷く。再び、調理場で食器洗いと、翌日の朝食の仕込み。
    終わるのは10時頃で、ようやく夕食となるが、その頃にはく
    たくたのヘトヘトだった。

■3.苦闘と失敗の数々■

     姑からはいろいろ教わった。重たいものを両手で抱えてドア
    を足で開けたら「足さ、みっだぐない(足ではみっともない)」
    と注意された。寒さの厳しい時期には、姑は心配して「寒いが
    ら、冬の間はモンペはいだほうがいいよ」と気遣ってくれた。

     5ヶ月ほどするとフロントの手伝いや客の部屋への案内など
    表方の仕事を始め、敦さんの勧めで着物を着るようになった。
    着付けは姑に教えてもらったが、これまた窮屈で、身体が悲鳴
    をあげた。正座も慣れないので、すぐしびれてしまった。

     客室の前で「失礼します」とドアを開けるときも、音がしな
    いようにするのに、だいぶ練習が必要だった。しかし、当初は
    「失礼します」という言葉は「部屋に入ります」という意味だ
    と勘違いしていた。それで「失礼します」と言いながら、いき
    なり部屋のドアを開けたら、若いカップルが取り込み中だった
    りした。「失礼します」と言って、お客の返事を聞いてから、
    部屋に入るものだと知ったのはだいぶ後の事だった。

     日本語も難しかった。駐車場でお客から「ゴミ箱を探してい
    るんですが?」と聞かれて、「私がゴミを投げますから」と答
    えた。山形弁では「捨てる」ことを「投げる」と言う。お客さ
    んは困った顔をして「いいですよ。家で捨てますから」と行っ
    てしまった。このガイジンさんはゴミを銀山川にでも投げ捨て
    るのか、と心配になったのだろう。

■4.不満爆発■

     老舗旅館の若女将がアメリカ人、というニュースが、新聞や
    テレビで報道されると、物珍しさも手伝って、客数が急激に伸
    びた。ところが藤屋はパートの仲居さんが1、2人いるだけで、
    あとは姑とジニーさんで数十人のお客さんのおもてなしをする。
    休日はなくなり、早朝から深夜まで息つく暇なく働きづめだっ
    た。

     しかし、夫の敦さんは非協力的だった。仕事と言えば、魚を
    さばいて刺身を作ることと風呂の掃除ぐらい。夜な夜な飲みに
    出かけては午前様。昼になって起き出してくるという生活スタ
    イルを変えなかった。

     不満が高じて、喧嘩が絶えなかった。8ヶ月目には「もうダ
    メ!」と音をあげた。敦さんを変えるには極端な行動に出なけ
    ればダメだと思い、アメリカに帰ってしまった。敦さんは何度
    も電話をかけてきて、「これからは、努力してみるよ」と約束
    したので、その言葉を信じてジニーさんは銀山に戻った。そし
    て子供ができたのを機に、旅館から歩いてすぐの所に一軒家に
    住まいを移した。

     ある時、ジニーさんがトイレ掃除をしている時、お客さんか
    ら「女将なのに、トイレ掃除をしているの?」と聞かれた。こ
    れをきっかけに女将の仕事とは何だろうと考え始めた。そして
    やはり女将は女中とは違う。料理や掃除や洗い物は人に任せて
    も、女将は客へのサービスを最優先して考えるべきだと思い始
    めた。そこで仲居さんや料理長を雇い、分業体制を作っていっ
    た。

■5.「心がこもっていればいい」■

     現在は、調理場、洗い場、掃除、事務、仲居さん、番頭さん
    など、パートも含めて17人もの従業員がいる。その教育はジ
    ニーさんが担当している。従業員を雇い始めた頃は、相手の気
    持ちなど考慮せずに、お客のことだけ考えていため、自分の言
    う通りにしないと、感情的になったりもした。感情的になると、
    ついストレートな言い方をするアメリカ人の癖が出たのである。
    給料を支払っているのだから、という気持ちもあった。ぶつかっ
    て辞めていく人も出た。

     そういう時に敦さんは「相手の考え方、気持ちもあるから、
    理解する努力をしなさい」「もっと丁寧な言葉を使いなさい」
    と注意した。

     そんなある日、山形県と宮城県の旅館の女将が集まる機会が
    あって、ある有名な女将と話をする機会を得た。その人をテレ
    ビで見た時には立ち居振る舞いがすべて完璧な人だと思ってい
    た。ところが実際に会ってみて、話を聞くと、どこか違う。

     それまでのジニーさんは、藤屋旅館をグレードアップしたい
    一心で、作法のこと、敬語のことなど、とにかく「形」にこだ
    わっていた。しかし、そうではないと気がついたのである。

         私はそれ以来、サービスは完璧な形である必要はなく、
        心がこもっていればいい。山形弁でもなんでもいいし、少
        しくらい失敗してもいい。失礼なことだけはしないように
        気をつけましょうと思い直しました。[1,p103]

■6.生け花は相手のために生ける■

     花が大好きなジニーさんは、JETプログラムで英語教師の
    助手をしていた頃から、草月流の生け花を習っていた。幸い、
    山形では四季折々に美しい花が咲く。12の客室から玄関、フ
    ロントなど、20数カ所を生け花で飾る。

         美しいものを目にすると、気持ちがやわらぐと思います。
        そして、誰にとっても心地よい空間、時間がそこに生まれ
        ます。

         生け花は精神世界だと思います。そして、相手のために
        生けるという心がまえが大切だと思います。気持ちが入っ
        ていなかったり、いらいらしているときは、うまくできな
        かったりします。心を落ち着けて、お花を愛でて、ひとつ
        ひとつ最高に美しい姿に見えるように想像しながら生ける
        ことを心がけています。

         美しい空間を演出する、一見お客様のためにやっている
        ことが、実は私自身にとってのプラスにもなっているのだ
        と思います。実際、生け花をしているその瞬間が、自分に
        とっても癒しになっています。[1,p148]

     仲居さんの数が増え、午前中に掃除や洗い物をしなくても良
    くなった頃から、ジニーさんは終日、着物を着るようになった。
    しっとりと落ち着いた雰囲気、地味な色の着物が好みだ。

     女将として朝から夜遅くまで着物を着ていても、平気になっ
    た。帯も苦しいとは感じない。着付けも自分で10分たらずで
    できるようになった。

         着物の良さを若い方ももっと再認識していただければと
        思います。世界各国の伝統的な衣装の中でも、着物はこど
        もからお年寄りまで、しかも男女の関係なく、似合ってス
        テキだと思うんです。[1,p143]

     美しい着物を着こなしてお客を迎えるのも、生け花と同じ
    「もてなし」の心だろう。銀山温泉の女将さん達も以前は洋服
    や割烹着だったのが、最近は着物を着る人が増えてきた。

■7.日本語の美しさ■

     当初、ジニーさんの日本語は男性っぽくて、敦さんからは
    「従業員にはきつく聞こえるよ」と、よく注意された。英語的
    な発想、表現で日本語を話すと、きつく聞こえる。

     ある時、ご婦人の団体客が玄関口からバスに乗るのに、雨が
    降っていたので、藤屋のロゴの入っている番傘を貸した。一人
    のご婦人が、見送りに出ていたジニーさんに「この番傘、いい
    ですね」と言った。ジニーさんがどう答えたら良いのか分から
    ずに黙っていると、一行は番傘を持ったまま、バスに乗り込ん
    でしまった。

     後で、敦さんから、こういう時は「お客様、それはちょっと
    ご遠慮いただけますか」というのだと、叱られた。お客の気分
    を害さずに断るというのは本当に難しい、とジニーさんは思っ
    た。

         このように日本語は奥が深く、繊細で、あいまいで、翳
        りのようなものがあって美しいと思います。

         日本語の翳りといえば、松尾芭蕉の俳句がよい例ではな
        いでしょうか。アメリカ人にも俳句はとても人気がありま
        す。芭蕉は『奥の細道』で山形県の風物をいくつか詠んで
        います。

        五月雨(さみだれ)を集めて早し最上川
        閑かさや岩にしみ入る蝉の声(立石寺にて)
        涼しさをわが宿にしてねまる(座る:山形方言)なり

         わずかな文字数の中に、名所や旧跡に託して、静けさと
        か涼しさとかの感情をこんなに豊かに繊細に表現できるな
        んて、日本語だから可能なのでしょうね。[1,p160]

         正しい日本語、そして日本人の心を表現する日本語につ
        いては、きちんと身につけていきたいと思います。
        [1,p161]

■8.みんなで銀山温泉全体の繁栄を考えていこう■

     ジニーさんが女将として成長していく過程で、銀山温泉街の
    人々の考え方にも大きな変化があった。以前は一軒一軒がバラ
    バラだったのが、みんなで街全体の繁栄を考えていこうという
    ように変わってきた。ジニーさんも別の旅館に、外国人から電
    話やファックスがあったら、手助けしたりする。

     銀山温泉街の「女将会」も月2回開かれている。女将達が揃っ
    て、ゴミ拾いをしたり、橋に花を飾ったりする。山形新幹線が
    山形駅から先に延伸されることになった時には、女将会で揃っ
    て仙台駅長のもとに出かけていって、最寄りの大石田駅に停車
    してもらえるように嘆願した。それが実現して、関東方面から
    の客がどっと増えた。

     またお客の案内ができるように、銀山の歴史を学んだり、芭
    蕉・清風歴史資料館で松尾芭蕉について講義を受けたりした。
    前節の句も、ここで学んだものだ。

■9.我慢強さと親切心■

     こうして日本での暮らしが長くなるにつれ、時折アメリカに
    戻るたびに、母国が外国になりつつある、と感じるようになっ
    た。

     昨年、敦さんと子供二人とともに米国に戻り、オレゴン州の
    美しい海岸で週末を過ごした時の事。連れていた犬が遊んで欲
    しいと、通りかかった小さな女の子に近づいた。女の子が怯え
    て泣き始めたので、一緒にいた父親が激怒してジニーさんたち
    を非難した。ジニーさんは謝って、犬を連れ戻したが、その父
    親はなおも罵声を浴びせてきた。

     明らかに度を超した振る舞いに、以前のジニーさんだったら
    売り言葉に買い言葉で応戦していただろう。しかし、今のジニ
    ーさんは、冷静さを保ちながら、さらにお詫びして、その場を
    立ち去った。こんな事は怒るに値しないと思ったからだ。そう
    振る舞う自分自身に、ジニーさんは驚いた。

         日本に暮らして15年。もしその間に、私のどこかに日
        本人らしさが備わってきたとしたら、それは我慢強さと親
        切心かもしれません。つまり、私は成長していると感じて
        います。

         我慢強さと親切心。これこそが、日本人に備わっている
        素晴らしさ、価値ではないかと思います。[1,p215]
                                        (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(120) 「心を寄せる」ということ
    国民が「心を寄せ」合い、相互に「助け合う」姿が、今後の
   我が国のありかた
b. JOG(069) 平和の架け橋
    他者との架け橋を築くための根っこと翼

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
1. 藤ジニー「ニッポン人には、日本が足りない」★★★、
   日本文芸社、H15
   

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■「ニッポン人には日本が足りない」について

                                            TAMURARさんより
     『日本人には日本が足りない』は教育的内容だけではなく生
     活全般にわたっています。衣食住のなかでも一番いい例が
     『衣』です。

      洋風化された現在の『衣』は確かに活動的ではありますが
     自由に動き回れる分、体の歪みを発生させます。また昔と違っ
     て肉体労働が少なくなって基礎体力が低下しているのも事実
     です。体の歪みと基礎体力低下は呼吸量の低下を招き、胸焼
     け・動悸・喘息などを引き起こさせます。栄養価の高いもの
     を食しても体力が衰えるのにはこのような訳もあるのです。

      私は整体鍼灸院を営んでいます。治療院でのアドバイスに
     不可欠なことは『日本人の知恵を取り入れましょう』という
     ことです。呼吸のために働く器官はまず横隔膜です。この横
     隔膜が働けば全身に送る血液量は格段に増えます。人間が自
     分の体に干渉できるのは呼吸しかありません。ここを十分に
     使うことが健康維持のために必要なのです。そのことを経験
     上、知っていた先人たちは『衣』に取り入れたのです。それ
     が『帯』です。

      女帯は横隔膜を無意識で働かせる役割を担っていたのです。
     ですから『帯』に傾ける情熱は並大抵ではなかったようです。
     意識的にしなければならないことをいとも簡単に無意識化さ
     せるとはなんと素晴らしいことなのでしょう。

      男帯は臍下丹田(下腹)にエネルギ―を溜めます。重量挙
     げの選手が下腹にベルトを巻くのもそのためです。重量物は
     腕力で持つのではなく下腹の腹圧で持つのです。このような
     先人の知恵を現代風にアレンジすると各種の腰痛ベルトのよ
     うなものになります。しかし素材に問題があります。製品の
     多くがゴム製なのです。製品全体がゴムですと体の歪みがそ
     のままで締め付けることになり取り外したくなります。私自
     身もいろいろの素材で試しましたが効果がよかったのは女性
     の使う『伊達締め』でした。結び目もかさ張らず上着の邪魔
     にもなりません。

      『伊達締め』を女性も男性もそれぞれの位置に締めてみて
     ください。きっと先人の知恵が知識ではなく感覚で実感でき
     ると確信しています。

■ 編集長・伊勢雅臣より

     食べ物や着物などに隠されたご先祖様の知恵には驚かされま
    すね。

© 平成16年 [伊勢雅臣]. All rights reserved.